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あなたは良い方と悪い方どちらに捉えますか?

「紙幣」は見た目にはただの紙です。ですが人間社会ではこの「紙」が大きな価値を持っていて、この枚数が個人の人生を大きく左右します。極端に少なければ衣食住の確保も危うく、「生命の危機」にも繋がります。私達の中には「紙」がないと自ら自殺する個体もいます。紙切れを沢山増やすために武器を作り戦争で子供や若者や老人や母や父を殺します。

人は「紙切れ」の枚数を増やすために生きています。それは共通の概念に縛られているからです。欲望も時間も生活も仕事も結婚も小さな子供でさえ「紙切れ」ありきの人生です。

私達は「紙幣」に管理されているのですか?それとも管理していますか?

もし今の世界中から「紙幣」の概念が消えたら、あなたはどう思いますか?

A 回答 (12件中1~10件)

硬貨に価値がでるんじゃないですかね。

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別に紙幣自体には収集家が付ける価値以上のものは無いでしょう。


ただ、発行元が価値を保証するので、紙幣も価値があるとも言えるでしょうね。
発行元が保証しなくなったり、保証出来なくなると紙切れと変わりますね。

紙幣の発行元は国家が多いのですが、その国家が立ち行かなくなって紙幣が
ただの紙切れになった例はいくつも歴史上あるかと。

紙幣の概念が消えても別の物が代わりになるかと思います。
現状は、紙幣のバックにある金がその価値を維持しているような感じかと。
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現実的な回答なら、


一国の通貨に不安が生じることは歴史的にもよくあること。
そういう場合は、他国のもっと信用できる通貨が代用される。
また、通貨以外の金などの現物が取引に代用される。

まぁ、全世界から通貨や紙幣の価値が消えることは想定出来ないので空想でしか語れない。
どうするか?と問われれば、
んー可能な範囲で自給自足する原始時代になるしかないかと。
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取り引きの方法が物々交換しかなかったら、



例えば肉を持ってる人が魚を欲しがっているとする、
でもそこ魚を持ってる人が肉を欲しがってるとは限らないでしょう

これだと経済が回っていかないですよね
無いと困ります笑

自分は人間はお金という概念を創り出したからこそここまで発展できたと思ってます。
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紙幣という紙の話をしたいのか、貨幣という品物の交換をスムーズにするツールの話をしたいのか不明です。



文脈からすると後者っぽいですが、もしそうで、「世界中から貨幣の概念が消えたら?」ということであれば、「物々交換の社会になる」でしょうね。人が飢えや病気でどんどん死んで、貨幣ができる前の人口になるまで減るんじゃないかな。
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紙幣の概念が消えるというのは、モノを別のモノと交換する際に使用する仲介物が消える


という解釈であってますか?
仲介が無くなると、容易に欲しい物と交換することができなくなるかと思います。
直接交換する場合、例えばAさんの持っている肉を買うために私は、同じ価値のものをAさんに
提供しなければなりません。しかしながら、世界的な価値とAさんの価値観は違うので
トレードが成立しない可能性があります。貯金にあたる行為も難しく不便すぎますね。
交換時の不満やいざこざ。なんだかすごい物騒な世の中になるんじゃないですかね。
紙幣は、トレードを円滑に行い、双方の納得するために必要不可欠だと思います。

結論として、紙幣が消えたら、沢山の人が不幸になると思います。
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俺もそのことを考えたことがあります。


俺ゎやっぱり紙幣ゎないといけないと思います。でも今の世の中自分も含めですが金に支配されているから一番大切な愛を見失ってると思います。 要ゎ紙幣も使い方だと思います。言い方ゎ悪いですけど恵まれない子供たちへその国に自分が行かなくても募金という形などで救うことができるんですから!
だから人を思いやる気持ちを世界のみんなが持つことで平和で幸せな世界になると思います!!
募金を自己満足や偽善と言われたら終わりですが(-.-;)

長文失礼しました。
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紙幣の価値がなくなったら、金や銀のような貴金属が流通するだけです。



日本の江戸時代までの海外貿易(鉄砲輸入など)は小判で払ってたはずです。

諸外国も金貨や銀貨で取引をしてたはずですから、紙幣が金貨や銀貨に戻るだけでしょう。

現実に戦争など、社会情勢が不安定な状況になると紙幣の価値が紙くず同然に下がる前に、金持ちは金などの貴金属を買いあさるようですから、紙幣が消えたら貴金属が紙幣代わりになります。

それにしても、5~6年前の金相場1g1,500円だった時に、金延板1kg10個入りの「千両箱」という商品を1,500万円で買っておけば良かったと悔やみます。
今では、4,000万円以上の価値になってますからね。
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”もし世界から「紙幣」の価値が消えてしまったら ”


    ↑
紙幣というよりも、貨幣のことですね。
価値というよりも、貨幣制度が無くなったら、という
ことですね。

”今の世界中から「紙幣」の概念が消えたら”
    ↑
必要なモノを総て自分で造る訳にはいきませんから
物々交換ということになります。
そうすると、米を持っているが肉が欲しい、という
人は、肉を持っていてかつ米が欲しい、という
人を探さねばなりません。
経済的には大変効率が悪い方法です。
しかも、米や肉は品質のばらつきが大きいですから
その不便さは倍加します。

そうなると、経済規模は非常に小さなモノにならざるを
得なくなります。
せいぜいが村程度に収まざるを得ないでしょう。
都市は出現しません。
ひとは、
欲しいモノを調達するためにかけずり回ることになります
から、専門家などは出てきません。
だから技術も発達しません。
生きる為ですから、全員が農業従事者になります。
資本が集まらず、大規模な仕事ができません。

つまり、原始時代に逆戻りです。
(以上、NHK 人間はなぜ人間になれたのか)


”私達は「紙幣」に管理されているのですか?”
     ↑
貨幣は巨大な力を持っています。
だから皆、貨幣を欲しがります。
貨幣さえあれば、大概の望みは叶えられます。
貨幣を沢山持っているひとが尊敬されるように
なります。
だから、人は貨幣の為に生きるようになり
人生の目的は貨幣になってしまいます。

だから、先人は、貨幣を卑しいモノとしたのです。

貨幣を卑しいモノとするぐらいで丁度良いのです。
そうで無いと、人は皆貨幣に押しつぶされてしまいます。
現にそうなっております。
資本主義というのは、貨幣が貴い、という制度だからです。
つまり、貨幣に対するブレーキを取り外し、
アクセルだけの社会にしてしまったのです。
これでも人間は進歩していると言えるのでしょうか。
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僕は、建築の技術指導でブータンの首都からバスで3日半かかる


山奥の役所に3年間勤務しました。
そこは、まだ貨幣制が及んでおらず、基本的にタダで融通するか、
値のはるもので物々交換でした。
僕はそういう訳にはいかないので、田んぼで農夫に「これを売ってくれ」
と言うと、必ずタダでくれるばかりか、『食料に困っているんだろう』と
同情されてか、家に呼ばれて食事をごちそうになる事もしばしばでした。

日本だと、サイクリングの途中でお金がなくなると中断するしかありま
せんが、ブータン(や1年暮した西サモアも)では、何も感じずそのまま
サイクリングを続け、泊めてもらったら、ハンカチや水筒をプレゼントする
ぐらいで、何にもストレスを感じませんでした(お金があって渡そうとし
ても強硬に拒む)。
こうした原始共産制の残った社会は、社会の本質である分業=助け
合いの精神がベースになっており、非常に居心地が良く、働き甲斐も
ありました。

そもそも紙幣など、手アカで汚れた紙切れに過ぎず、尻を拭くのも
ためらわれる、ティッシュ1枚ほどの価値もない物である。
その真の価値は、その向うで働いてくれている人々にあるのだ。
よくある「無人島に何か1つ持っていくなら何?」という質問に、
「お金」と答える人がいるだろうか‥‥それが「真価」である。
お金にできる事は唯一、『お金があれば何でもできる』と信じている
人に何でも“させる”事だけだ。

自己の社会生命性(助け合いとしての労働)を自覚しない自己チュー
な人間をして、他律的に社会行動をとらせるためのアメ(お金、地位)
とムチ(法規、モラル)として発達したものであり、、本来、助け合う
ために集まっている社会をして、個人の意識としては奪い合う、擬似
ジャングルに堕してしまっているのだ(肉体的繁栄と精神的充足の乖離)。

古代の(あるいは今でもヒマラヤ山中で見られるように)心情的な
つながりをベースとした地域コミュニティによる原始共産制が、
産業や統治機構の発達による自己の社会生命性の拡大(分業化・
組織化)に応じて、社会生命的自覚を拡張させ、自律的社会行動
(助け合いとしての労働)をとるべきところ、その認識を発達させる
エネルギーギャップを越えられず、お金や出世という“馬車馬の目の
前のニンジン”によって、自己チューなまま他律的に社会行動を
とらせる方法論をとったのだ(進化において)。

そうした状態を脱するには、認識の深まりによって、世界全体の営為
によって生かされている自己の社会生命性を自覚し、自律的に社会
行動を導く(愛による助け合い)事である。
そうした自己存在の本質に根差した意志において、より深い認識と、
その生きること自体による精神的充足によって、生きる真の目的たる
「人生を通算した精神的充足量の最大化」は可能になるのだ。

かつて分業の複雑化と市場の拡大によって困難となった、生産者と
消費者の意識的結合は、今やインターネットによって可能となっている。
需給をつなぐ情報を貨幣という物質化したために、その本質たる感謝
の気持ちは、その物質の奪い合いに堕してしまった(詐欺まがいで
稼いだお金も汗水たらして得たお金と同じ価値)のを、もう一度需給の
情報に還元するのだ。

貨幣をオンラインマネーにし、携帯端末で商品タグを読み取れば、
その人の生活状況・資産状況によって物価が変動する(赤ん坊が
いればミルクはタダ、預金が少なくなると生活必需品は安くなるetc.)
個人変動相場制にする。
そこに貯蓄や徴税、生活保護、失業保険などを一本化すれば、
脱税も泥棒も不可能になる。
「もし世界から「紙幣」の価値が消えてしまっ」の回答画像10
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