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新撰組の沖田総司の使った刀が奉納されている神社があるという噂を聞きました。どなたか詳しくご存知のかたがいましたら教えて下さい。

A 回答 (5件)

菊一文字の話でしたら、奉納は勿論、その刀を持っていたと言うこと自体が、司馬遼太郎氏の創作であると聞いています。


(「新選組血風録」より「菊一文字」)

他の刀の件にしても、奉納という話は、私は知らないのですが、これはもっとお詳しい方があるかもしれません。
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何かの本で目にしたことがあります。


たしか、総司のお姉さんのミツが奉納しただとか。
よくは覚えていませんが、「物語と史蹟をたずねて」シリーズの童門冬二著作の「沖田総司」あたりがあやしいと思います。成美堂が出版です。
違ったらすみません。
私ももう少し調べてみようと思います。
間違いなく言えることは菊一文字ではない、ということですね。
下記にもあるとおりですし、これまでの研究からもほぼ確実なそうです。
頼りにならない回答ですみませんが、わずかでも参考になれば、と思います。
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すみません、下に補足します。


詳しい友人に尋ねたところ、「総司の刀はどこにあるか分からない。」が定説だそうです。
ただし、ミツが土方歳三とか近藤勇の刀と共に奉納させようとしたとかしてないとかいう話もあるそうです。
ですから、後者が噂として流れたのかもしれません。
でも、私もそのようなことをどこかで目にした、あるいは耳にしたような気がしていますので、文献などに載っている可能性はあります。
特に近年は様々な研究も進められていますから。
ですから、文献などを読み漁ってみることをお勧めします。答えが得られるかもしれません。
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今のところ、刀を奉納したという事実は見つかっていません。

多分、司馬遼太郎の創作でしょう。

また、事実だとしても賊軍の代表格であった新撰組の沖田の刀があったとしても、所有者は隠し続けたでしょう。そのため、そのような資料は存在しないのかもしれません。
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 私は子母澤さんの本にのっていたような気もします。

また、遺族の話で「総司の刀の中心には菊の紋があった」ということが残っています。そこから菊紋を許された後鳥羽院鍛冶の則重を創作されたようですが、刀の世界では、周知のことですが、菊紋を中心の彫った刀工は江戸前期の国清、伊賀守金道がいます。特に国清は二代目以降は菊紋と一の字を彫っています。金道は荒木又衛門が使用して木刀で折られていますことを近藤先生が手紙で郷里に残しているほどですから、金道を総司に薦めはしないと思います。池田屋で折れた清光も江戸前期の新刀ですから、私は国清の2尺4寸あたりの刀を何振りか使用していたのではないでしょうか?
 実は京都で居合をなされている、あるお坊様の使用している刀は沖田総司の所持刀であったという言い伝えがあるそうです。興味がありましたら「巽の間」の掲示板に質問してみてください。
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