
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
江戸時代では、徳川吉宗だと思います。
江戸時代は、色々な改革がなされましたが
成功したのは吉宗の享保の改革だけです。
この改革により、収入が400万石から
450万石に増えました。
これは、江戸時代最高です。
また、吉宗就任当時空だった金倉には
百万両が積まれました。
私的には田沼意次を評価したいのです。
彼は、とうじコメ中心の経済を、貨幣中心の
経済へと切り替えようとしました。
その先見性は天才的です。
しかし、時期尚早だったのか、賛同を得られず
成功しませんでした。
経済に限ると、あとは池田勇人ぐらいですかね。
彼は、所得倍増計画を定律し、国民所得を
10年で二倍にすると約束しました。
当時の識者達はみなバカにしました。
そんなことできる訳が無い。
しかし、結果は8年で二倍になりました。
その他は見当たりません。
リーダーシップをとった人は、何人かいますが
ろくな結果になっていません。
田中角栄しかり中曽根康弘しかり小泉純一郎しかりです。
No.5
- 回答日時:
明治維新後の近代日本の経済活動にとって一番重要な『自由主義』の概念をちゃんと理解されていた総理大臣という意味では、藤原公望公(西園寺公)だと思います。
西園寺公望(ウィキペディアより)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%9C%92% …
もし彼が昭和初期の段階で再度、政権を担っていれば、また軍部の暴走を抑えることが出来ていれば、先の大戦での三国同盟や敗戦という歴史を歩まず、『自由主義』を否定する国粋主義や国家主義に政治を乗っ取られる事なく、『自由主義』国家としての日本が在ったのだろうとIFですが、そういう期待をしてしまう人物です。
明治末期の『桂園時代』の主役の一人であり、反(軍)官僚派の親分ですね。
ちなみに(軍)官僚派の親分が桂太郎で、二人が交互に政権を担うので『桂園時代』と言います。
桂太郎の「桂」と、西園寺の「園」ですね。
日露戦争から大正初期までの、日本の経済基盤を作った政治家であり、曲がりなりにも二大政党制を唯一実現できた時代でもある。
個人的に共感できる(女好きとか)ところが多々あります。
No.4
- 回答日時:
田中角栄:公共投資で景気拡大。
国民所得を上げた。小泉純一郎:規制緩和で経済活性化。
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