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大阪市立・桜ノ宮高校のバスケット部生徒の自殺問題から教師の過度の体罰が露呈し、他のクラブにも波及、さらに学校側の隠蔽体質や教育委員会の無能ぶりが目立っている。

体罰なのか、教育指導の一環なのか、それとも虐待・暴行なのか・・・
戸塚ヨットスクール事件やスポーツ強豪校のスパルタ教育で被害者が出たり不祥事を起こすと糾弾され、一方で熱血教師やスポーツ根性論が持て囃されたり、学級崩壊やモンスターペアレント横暴の事象が連続すると、学校や教師の責任が重く権限が弱い点を指摘される等、世論は報道も揺れ動いている。

また、そもそも論で繰り返されるのが→「愛のムチ」「一緒に闘い苦悩する躾の一環」「程度の問題より、そこに愛が有るかどうか論」の葛藤&振幅&曖昧さです。

そこで、お聞きしますのは、モデル:高校生への教育指導に対する、貴方の意識や感慨のアンケートです。
今回の事件から体罰撲滅や学校健全化へのお考えに近いのはどのような意見・意識・感慨をお持ちですか?
ex
◇体罰ではなく暴力・虐待・見せしめであり、身体への一切の力による制裁・罰側を認めない。

◇教員資格制度や免許更新のシステム改善、学校長の公募採用、教育委員会メンバーの一新や運営チェックへの行政の関与拡充。

◇教育現場を守り、緊張感や統制を高める中には必要なケースもあり、教師の資格・権限の見直しと学校や教育委員会のチェック&指導&フォロー体制や連携が必要。

◇イジメや差別や自殺問題の底流にあるのは、家庭・社会・学校の相互依存や連携の悪さや責任転嫁、経済や雇用の不安が漂い覆っている憂鬱感・不透明感なので、簡単ではないが教育改革・経済改革・政治改革等の世直し、国民マインドの改善から始めなければ結果的には泥縄の繰り返し。

◇その他

A 回答 (4件)

私も中学時代には体罰と呼ばれるような経験しています。


しかしそれには「自分自身が悪い」という「自覚」と同時に「悪いことをするならば罰を与えるぞ」という「警告」があって、その上での「行使」だったわけです。

最近の子供たちには「罪の自覚」というものが希薄です。
その理由のひとつが「ロジック(論理)を鍛えることが出来ない環境」にあります。
少子化の煽りで、きょうだい数が少なくなり、一人っ子が増えました。
そして親戚との同居というものも無く、周囲からの「反応」を確かめる必要性が高い「幼児期」に、十分な「情報と判断」を得ることが出来ないということが大きいでしょう。
結果として、ロジックが十分に「広く発達」出来ないまま、自身の判断手段が狭く深くなっていくわけです。

先にあげた体罰の理由、というのは、こういったロジックの「連携」があってこそ機能します。
自身の悪さの自覚と同時に、若さゆえの本能的な反発心があって、既成の社会に対しても牙をむきたがるということ。
それを「諌める」形での、絶対的権力者という教師の立場と、権利の発動。
それと同時に「上の存在があるから、飛び出しても諌めてもらえばいいんだ」という安心感。
そういったものが連携し、機能するからこそ「体罰」(あまり好きな言い方じゃありませんが)は、発動が可能なのです。
「相互理解」ですよね。

最近の子供たちは「自覚無いままに、権力者の庇護の下にいる」だけの存在です。
ですから、権力とは何ぞや、罪の自覚とは何ぞや、どうすれば自覚できるかどうかも良くわかってない…そんな中で「自らを規制する存在」として権力を求めたがっている。
それが「過剰体罰」を助長しているのではないかと思います。

マスコミも、そういった「精神的構造」に対しては、ちゃんとした論をださないままに、体罰の必要性は?是か非か??などと煽るだけです。
お粗末な話ですが、世論のほとんどが、そういった形で今回の「事件」を口にしています。
残念至極です。

ご質問のように、大事なのは「底流を探る」ことです。
体罰も、いじめも、その他様々な社会的問題に対し、その「構造」を明らかにしていくこと、そして分析し、対策を講じることが無ければ、わが国はいずれ「先進三流国」となります。
…その決断が出来るかどうか?なのですけどね…(溜息)。
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この回答へのお礼

詳しく解説考察をお教え願いまして、お陰様で理解を深める事が出来ました。
大変、参考に成り、心より感謝とお礼を申し上げます。
ありがとうございました。

お礼日時:2013/01/11 15:47

こんにちは。




うーん

難しいことは、わからないです。



言えるのは、とことんまでのコミュニケーションじゃあないでしょうか。


ほんとにとことん。


愚直に。

素直に。

単純に。

心へ。


体罰って、その言葉自体で他者に伝わるのは、悪のイメージ。


たとえば、
「しばかれた」
「張り倒された」で表現されて、
そのあと数十年か数年か知らないですが、
『思い出』のカタチで語られるものは、体罰ではないでしょう。


自分は、
中学での、手を振るわれての懐かしい『思い出』と、
高校での、体罰とは言えない言葉の暴力の『記憶』が、
あります。

じゃあ、どちらがよかったか。


結局は、先生と自分

一対一で気持ちが通じ合うかどうか

そこだけでした。



それがなければ、悪い記憶になり、
あれば、良い思い出になる。

自分のみ(あるいは他者のみ)の気持ちの一方通行で、
いくら専門的に論じても、
この問題は収まらないと思います。

収めるには、
地道で愚直な、
失敗が多くて、
おおらかで、
柔軟な対応がまず必要だと思います。


それもできないなら、やばいでしょうな。


あ、
あとメディアの評論は、自分は信じてません。

ただ情報はどうしようもないので容れてます。

受け手としては情報を受けるしかないし、
情報を選んで発信できないので。


そこんところで自分の言葉に変換して処理してます。


そんな感じの自分の回答です。
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この回答へのお礼

ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。

結局は、先生と自分

一対一で気持ちが通じ合うかどうか

そこだけでした。

   ↓
その通りだと思いますが・・・
しかし、そこには戦争反対!暴力反対!と同じく誰もが共感すれど、では、具体的にどうすれば良いのか?が残り、繰り返される悲劇は無く成らないのも現実です。

少しでも減らす・改善する・被害ダメージからのカウンセリング・懲罰の厳格化等の再発防止へ資する方策は制度はシステムは・・・

お礼日時:2013/01/12 03:33

体罰セ◯クスもアリよ~ん!



あぁ~ん。
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この回答へのお礼

ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。

お礼日時:2013/01/12 03:26

こんにちは。



ビンタくらいはアリでしょうね。事件では回数が多かったとは思いますが。

昔の子はこんなことで自殺しましたでしょうか。

「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」なつかしいフレーズを思い出しました。

純粋培養が過ぎると思いますね。
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この回答へのお礼

>「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」なつかしいフレーズを思い出しました。

純粋培養が過ぎると思いますね。

     ↓
仰る意味が分からない訳ではありませんが、原因と感性や価値観によって体罰の質量レベルの問題もありますね・・・

◇体罰を与える方(教師)とされる被害者(生徒)との信頼関係や日頃の関係&接し方やフォローにても異なります。

◇また、個別の生徒の性格や精神的なダメージも異なり、体罰なのか暴力制裁なのか、その程度や頻度で加減や効果は難しいです。
経験はありませんが、旧軍隊のようなところや学校内は密室化し易く一方的に特定対象に向けられる指導と言う名目の暴行・見せしめにも転化しがちな問題だと思います。

簡単に愛のムチだ!教育指導の一環だ!教師による暴行だリンチだと決めれないが、少なくとも、他に指導方法がないのかどうか?
周囲の眼や価値観で客観的に判断し、再発&繰り返さずエスカレートさせない、教師・学校・生徒・同級生・父兄の冷静な体罰への監視体制と抑止力が必要であり、已む得ず行われた場合も必要性や効果への話し合いと判断チェック(メンタルカウンセラー)が最低限、不可欠だったと思います。

お礼日時:2013/01/11 18:27

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