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それとも人それぞれではない?
それぞれかそれぞれではないかを回答して下さる方はその理由も詳しく教えていただいてもよろしいでしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

わたしも人それぞれと思います。



押し付けるものでないから。

しかし私は自分というものが出来ていなかった昔は、他人と比較しがちで、他人の幸福を素直に喜べず、羨むという行為ばかりしていた時期がありました。

例えば、20代の頃、結婚しました、子どもが出来ましたなどと、友人から年賀状が来ると、良かったねという感情と共に、なんか、人生の中で置いていかれてしまったような焦りというか、妬み。

自分は自分、他人は他人、そう思えたら気が楽になりました。他人と無関係、無関心という意味でなく。

青い鳥のように幸せは探すものなのですかね。

確かに、自分の身近に幸せを感じます。まだ、寒いですが今年もまた、庭にスミレが咲きました。生きてて良かった。

幸せというのは、考えると逃げてしまい、感じるものなのですかね?

また、哲学的思考モード(笑) 病気かも?
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こんばんは。




人それぞれですね。
それは、ある意味「主張」だからでしょう。
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人それぞれですね。


だって、主観的なことですから。

ごはん食べられるだけでしあわせって人もいます。

一方、ベンツや屋敷を持っていても、「もっともっと」
って言って満足できない人がいます。
全然しあわせじゃないですね。

何がしあわせかはしあわせを感じるアンテナによって変わるのです。
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それぞれでしょうね。


その人がどう感じるかが全てです。
幸せだなあと感じれば幸せ。ですよね?
その逆もしかり。

それは他人と比べるものではないですし、
人それぞれ求めるものも違うんじゃないでしょうか。。。ね?
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物質に「目的」はありません。


つまり一次的には、普遍的な共通目的はありません。
しかし、その「無目的=エントロピー増大」は淘汰となり、二次的に普遍的な進化を導きます。
「いや違う!」と主張する事は可能ですが、厳しい生存競争の中で、生き残るために努力しない個体の遺伝子が次世代に伝わり、種の形質となる事はなく、進化は常に、個体に「生きる事」を目的とするよう導くのです。

一方、どのような行動も、本質的には任意=意志の充足であり、「意志の充足じゃない」というのも一つの意志として、精神的充足の追及という方向性から逃れることはできません。
生きる事の本質的目的は、人生を通算した充足量の最大化(生理的拡大×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする認識力×その達成度×それを把握する認識力×寿命)に収束します。

さらに社会性の発達において、その個体の充足量の最大化は、その社会全体の総和の最大化となります。
各個体が、全体の充足量の総和の最大化を図る時、社会全体の最大効率化が可能になり、それは個体の意志として誰しもの最大充足を可能にするのです。
ただし、社会とは多様化による分業を前提とし、根源的な「全体の充足量の最大化」としての統一は、個々の活動の多様化を阻害しない。
つまり「人それぞれ」でもあり、その集合の調和(社会生命的自覚化による意志の社会的延長)において、目的(幸福)の共有ともなるのです。
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 こんにちは。



 人それぞれではありません。

 境遇は人それぞれです。

 幸福は 決まっています。
 
 逆境にあっても幸福は幸福です。

 それは われ自身とのそして世間との和解が成っているという状態が基礎にあるからです。

 問題が山積していてもこのわたしがわたしであることが成っていれば ひとは幸福です。

 おそれや心配は一切消えているからです。

 強いて言えば わたしごときがそのように幸福であってもよいのかという きよらかなおそれがあります。

 これが にんげんのしあわせです。
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人それぞれです。



個の幸せは、個に従属しているからです。

集団としての幸せを追求する時、集団としては同じ方向性を持ちますが
それは、個の幸せを実現させるための一つのあり方であるからです。


物質や環境に囚われないでいる人が多ければ、毎日子供が死んでいく環境のアフリカ難民でも
日本人より幸福感は高く、自身が囚われているとどんなに恵まれた環境におかれても不幸です。

幸福は自分の持つ幸せに気がつけるかに根ざしていますから、それぞれなのです。
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>幸福は人それぞれですか?


それぞれですよ これは正解ではないかも知れませんが
最大公約数的妥当解ではあるでしょう。 

理由 とにかく 10人十色しか言いようがない

物事小難しく考えればどこまでも難解な話になっていくが
シンプルに単純化すれば意外に簡単なものです。

人は人自分は自分 人は人であり自分ではないのです。
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幸せの違いについてはマズローさんという方が有名ですね。



食べるのが精一杯な生活とパソコンも携帯もある生活とでの幸福はちがいます。
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それぞれです。



幸福という定義をしなければなりませんが、それは省いて一般的な幸福というのは主観からなる判断ですので。ある事柄を幸福と考えるのは相対的なものであって、1円をもらって絶対幸福と思える人ばかりではありません。ばかにされたと受け止める人もいましょう。アフリカの家族の命を救えるとして喜ぶ人もいましょう。このことから、幸福はひとそれぞれ。もっというなら、幸福と思える程度は人それぞれということになるのではないでしょうか。

また別に幸福という感情がよいものであるか、ということを考えると。ある人は幸福であるからよいことであるに違いないという考えもあれば、幸福であるがゆえこの先が怖いなどと総合的にネガティブに考える人もいるかもしれません。どちらにしろ、それぞれでしょう。
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