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哲学科や心理学科の人たちは、同じ科の友人らとプライベートで話しているときでも

「君の行動はは互恵的利他行動がなんちゃらで、現状維持バイアスがうんたらで、アズイフフレームがホニャララだから・・・」

などと言う話しをしているのですか?

特に互いに意見が分かれた時などです


普通の人間関係であれば、相手の気になる部分を指摘し続ければケンカに発展するコトもあると思いますが、そういったように、あくまでも学術的にお互いが話し続けると一体どうなるんですか?

互いに「ふむ・・・」

と、言ったりして終わるんですか?

そしてお互いの関係はどうなっていくのですか?

とても興味があります

A 回答 (9件)

ヴィトゲンシュタインは夜中にラッセルの部屋を訪れて


「もし、追い出されたら自殺する」と言ったそうです。
理知的とはいえ脅しですよね(笑)
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この回答へのお礼

面白いですね 笑

お礼日時:2013/04/13 09:02

なにが「でも」なんでしょうか? こう聞いているだけですよ。



あなたの質問に答えるなら今回はNOですね。
先の回答で、回答欄を見るとフェアではない例示が複数あることを不快に思いましたし、それについては認めました。
しかし私の回答は暴言もなければ中傷もないですね。むしろ不快を感じつつもそれを抑制し、かつ、哲学史や実体験に基づいて回答しているのですから、あなたの言う理知的に該当しさえするでしょう。
それなのに「イラついてますよね」「ムキになっているのですか?」と繰り返し尋ねるあなたの考え方がよくわからないので、回答欄ではありますがこちらから尋ねているわけです。
私のレスに誤りはあったでしょうか? ヒュームとカントやデリダとサールやデリダとフーコーなど、逐一挙げていってもかまいません。
もしかしてあなたが書いた文、すなわち「君の行動は~」について「反論になっていない」と書いたことが、あなたへの批判だと思ったのでしょうか?
そのような仕方で意見する人は、論に対して反論しておらず人格非難をしているから、「反論になっていない」と私は書きました。

それで、なにが「でも」なんでしょう? あなたは、哲学に関する議論で人は感情を抑えることができることを望ましく思っているようですが、
それはつまり感情が生じることじたいを否定しているわけではありませんよね。
だとするなら、フェアではないと私が回答した一部の投稿について、イラつきであれ何であれ、なんらかの不快が生じることは問題ではありませんよね。
しかしあなたは、「でもあなたは多少イラついてますよね」と言いました。
もしこれが、イラついてはいけないということならば、それはおかしいんです。
なぜなら、感情が生じても感情をできるかぎり抑えて理知的に意見しようとすること、それをあなたは望ましいと思っているはずなのに、まるでこの「でも」は、イラつきという感情が生じることじたいを望ましくないと思っているようなのですから。
しかし、抑える感情がなければそもそも抑えることはできないわけです。
そして、私がイラついていたとしても、私の回答は、あなたが望ましく思っていないであろう口喧嘩や拳での語り合いとはかけ離れています。
だから、なにが「でも」なんだろう、と私は不思議に思っています。イライラもムキムキもなく、ただ不思議です。
どうでしょう、私の回答はまったく理知の欠片もない回答でしょうか?
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この回答へのお礼

きっとイラツ」いての返答だと思ったので長くて読みませんでした。せっかく書いてくれたのに申し訳ない

お礼日時:2013/04/13 20:36

もちろん。

極端な例ばかり挙げるなんてまったくフェアじゃありませんから。
なにが「でも」でしょうか? 私は機械ではないとすでに述べていますし、私もあなたも口論や殴り合いなんてしていません。
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この回答へのお礼

むきになっているんですか?

お礼日時:2013/04/13 16:13

学術的、専門的なことについて話すときはたしかに術語は使いますよ。

例示されたようなオンパレード状態になるかは別として。
そもそも例が相手の人格非難みたいものになってますが、それは反論になってはいない。
かりに相手が私の家族とかまでを非難の対象に含めたら、私は進んで喧嘩します。そこで黙っているほど私は機械じみていないので。
しかし、実際にそんな術語ばかりを並べたてただけの浅薄な中傷をする人には、まだ会ったことがないですね。

テレビというシナリオありき演出ありきのエンターテイメントや極端な例を挙げている人がいますが、どれも私の実体験からはかけ離れています。
もちろん誌上での論争でも皮肉とかはあります。熱くなって口論じみてくる場合もあるでしょう。そんなもん一般人と変わりません。
相手からの批判を受け入れたり、相手の意見に触発されたり、哲学史や著作を見ていればこうした事例は多々あるのに、なぜ極端な事例ばかりを挙げるのか。

どうなるのかと言われたら、どうとでもなります。哲学史を見ればかつて接触が疎遠になったり、方法の違いにより距離を感じたり。
私の場合は、ある相手に指摘をしたりされたりしたら、「たしかにそこはまだよくわかってない」とか「またこういう話をしよう」とか、ふつーに終わることが多いです。もちろん過程で反論とか批判の応酬はありますが。そして仲良くなったりもすれば、ただそういう会話をしただけみたいな感じでとくに変化のないこともある。椅子を投げるとか罵詈雑言が飛び交うとかはないですね。そもそも哲学科にいても大したことない人はたくさんいますし。
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この回答へのお礼

でもあなたここでは多少イラついていますね

お礼日時:2013/04/13 13:08

 友達に哲学者が何人かいます。

喧嘩にさえなりません。なったとしても、丁寧に分析し、現状を客観視するだけです。相違点を明らかにし、それが埋められないのは人間が違うから当然なのだなあ、と思って終わりです。それで疎遠になるというのでもありません。

 確かに普通の喧嘩とは違うかもしれませんね。罵り合うとか、殴り合うとか、無駄な労力はかけません。かといって、偉そうに理論を語りまくるというのでもなし。

>君の行動はは互恵的利他行動がなんちゃらで、現状維持バイアスがうんたらで、アズイフフレームがホニャララだから・・・

 こういう出鱈目はないです。淡々と分析するだけ。喧嘩がないと言えば、ないのかもしれません。心理的なコンフリクトはありますけれども。
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この回答へのお礼

やはりそうなのですね

左脳が右脳を一般の人よりは意識して押さえれるのですね!

例文はあくまでも例文です。ご自分が得意の分野だとそういうコトも気になるのですねw

嫌味ではなく勉強になりました

回答ありがとうございました

お礼日時:2013/04/13 13:12

人間には理性と情動がそなわっており、理性の分野で哲学とか心理学をやっているだけですから、喧嘩の時には(つまり理性を失った時には)情動で罵詈雑言を吐いたり、胸倉をつかんだりしなくちゃイケナイのです。



さもないと喧嘩にならないでしょう?
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この回答へのお礼

そうですか、いくら哲学を勉強しても、自分の情動すら抑制出来ないのですか。

それでは哲学はただの知的欲求を満たすためだけの何にも役にたたない学問だと言われても仕方ないですね

お礼日時:2013/04/13 12:25

さぁ?


哲学的な会話なら哲学者とするんじゃないですかね。
でもそのうち全く違う人種の人が来てその人の質問から
この人から云々だ~ みたいな事をいうんじゃないですかねwww

質問者さんが出会うといいですね。^^
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うつってわかるかな。

うつから、見ればうつでない人を健常者ってよぶ。


うつの中でも、部類が別れる。

ただ、ストレスによるうつ。
おれみたいな、人生うつ。

分かり合えるわけがない。あなた、まずうつの苦しみがわかります?

わかるなら、ストレスうつと人生うつの苦しみの違いわかります?

そんなもんなんだって。

わからない同士があらそったってなんの解決にもならない。

やらせておけ。気づくまで。
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この回答へのお礼

人生うつ、良くなるといいですね

お礼日時:2013/04/13 09:08

アメリカでの科学者や常識人の討論番組でも最後は椅子や机が飛んできます。


哲学者であればあるほど、目の前の物体をぶつければ相手にどれだけ打撃を与えることができるのを
計算して投げるでしょう。
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この回答へのお礼

要はそういうことなんですね 笑

お礼日時:2013/04/13 09:02

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