都道府県穴埋めゲーム

人に優しくしたり、いいことをしたりするのって
自己満足や 自分が良く見られるためだと言いますよね。
じゃあ世の中に本当に優しい人間というのはいないんでしょうか?
私も生活している中で自分のことで精一杯で、
自分のことしか考えていません。
優しい人を見ていても、心の中では
自分のことしか考えていないのだろうか、
などとひねくれたことを考えてしまいます。
自分のために行動することが悪いことだとはちっとも思いません。
自分をよく見せようとするのもいいと思います。
でも、自分以外の人と接しているのに
自分のことしか考えていないというのがすごく悲しいです。
自分がそうなだけで他のひとはどうだか分かりませんが。

私にはすごく好きな友達がいます。
その友達は、すごく優しいです。
でも、私のために言うことははっきり言ってくれます。
とても良い友達だと思っています。
その友達が、最近意味深な発言をします。
いい人のフリをすることも大切だとか、自分は嘘つきかもしれないとか。
私はその場では軽く流しますが、とても気になります。
もしその友達の優しかった態度がすべて自身のための計算だったとしても構わないと思います。
そうだと疑っているわけではなく、もしもの話です。
でもそうだとしたらちゃんと濁さずに話して欲しいです。
難しいことを考えて、よくわからなくなってしまいました。
他人に優しくするということはどういうことなのですか?
意見アドバイスきかせてください。

A 回答 (12件中1~10件)

はじめまして。



自分の経験からしか答えられないのですが
質問者様の言う本当に優しい人間とゆうのはいないんでしょうか?
とゆう質問ですが...
まず誰にでも優しい人はほとんどが自分が良く見られたい、自分が嫌われたくないが故にやっている事の様な気がします。
普通の人になら少なからずあるかと思います。
それが偽善に見えるなら放っておけば良いんぢゃないんですか?
あなたが優しさを求めるなら話は別ですが
人間って優しさだけではやっていけないので時には厳しさも必要になると思います。
ただ優しさとかではなく1人の人とちゃんと向き合えるか?ぶつかりあってもちゃんとお互い反省出来るか?で人間関係って変わっていくと私は思ってます。

多分お友達は人の為に言った事も結局は自分の経験からしか言えないから人の為、人の為と言いながら自分意見を押し付けている気がしてしまうのでは?
濁さずに話して欲しいならそう言って2人で話し合うのが1番相手の事を知れるしお互いの為になるんぢゃないんですか?
もしあなたが本当にそのお友達を大切にしたいならちゃんと腹割って話せばきっとお友達の気持ちを汲むくらいは出来ると思います。

まあ結局人に優しくしたり、甘えさせても無駄だとあたしは思ってます。
人に何かを与えたり与えてもらったり、影響受けたり、影響を与えたりしながら成長出来る友達がやっぱり一緒にいて楽しいし、かけがえのない人なんだと思います。
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人に優しくするには、まず、自分がちゃんとしなくちゃいけないんですね。



人のことを優先して、自分のことを疎かにしていたら、自分の生活が成り立たなくなりますから、結局他人や社会に迷惑をかけることになりますよね。

それに、人の役に立ったり、人を助けたりするには、力を持たなくちゃならないんで、地位とか人脈とか経済力とか知識とか、向上心や目標を持って、真面目に自分を高めてきた人間こそが、本当の意味で優しい人になれるんだと私は思います。

だから、人が優しくなれるのは、ある程度年をとって、ちゃんとした人間になれてからで、学生とか、社会人になったばかりの余裕がない時期に優しくあろうとするのは、無責任だし、やるべきことをやらない言い訳だったり、現実逃避だったりするんじゃないですか。
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ご質問者様こんばんは。



ご質問者様のお考えは概ね正しいと思いますが、「世の中に本当に優しい人はいないのか?」と言うのは極端過ぎますね。それは「嘘しか言うことの出来ない人間が世の中にいるか?」というのと同じではないでしょうか?

真実に迫る言葉は、人の心を傷付けるほどの力を持っています。真実とはとても恐ろしいものです。その言葉は時として人間関係を壊してしまうほどです。真実に迫る言葉を使うことは、それ相応の覚悟と勇気と責任が伴うものなのです。

それとは違い嘘は人の心に優しいものです。心の奥深いところまで迫るようなものでは無くて、小手先な、表面的なコミュニケーションには最適なのです。人間は誰に対しても自分を良く見せたいものですし、弱い自分を隠したいものですし、何としても自分を正当化したいと願うものなのです。その為についてしまう嘘は、結果的にはとても醜いものになってしまうものなのです。それは自分に対しての「甘さ」であり、自分に対しての「優しさ」なのです。自分以外のものに向けられた「優しさ」では無いのです。ご質問者様はここを区別するべきだと思います。

人間は不安感から安定したい、安心したいと嘘をついてしまうものです。それとは別に肯定感から憧れや希望を抱き、勇気を持って今までの関係性を壊し、未知の領域に自ら踏み込んで行くことが出来るのもまた人間なのです。

ご質問者様がご縁があって結ばれたお友達に対して、もし、自分の本心からは離れた「簡単」な嘘ばかりの言葉を使ってしまうことが続けば、相手の方からも嘘しか返って来なくなり、お互いが嘘の応酬になってしまって、お互いを傷付ける結果へと結びついてしまいます。人間には嘘も真実もどちらも必要なのですね(^-^)

ご参考になれたら幸いです。
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なぜ世の中は黒と白の二色しかないと考えるかなあ。

黒と白の間には、無限のグレーがあるんだぜ。黒に近いグレーも、白に近いグレーも、白か黒かに分けないと気が済まないかい?

それに、なぜ自分の目には丸くしか見えないからそれは球体だと決めつけるかなあ。円錐は、底から見れば円に見えるけど、横から見れば三角形に見えるぜ。
物事は一方だけを見て判断せずに、多方的に見て判断するべきです。

今回の件に関していえば、質問者さんは「自分」という白と、「他人」という黒の二種類の色分けしかしていませんが、世の中には「友達」は青、「家族」は赤、「仕事仲間」は緑というように多彩に色分けしている人もいます。
つまるところ、自分の価値観だけで世界を判断するなってこと。
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世の中に良い人なんていませんよ!基本的に人は皆自分の為に生きています。

例え親・兄弟・親友でも信じていいことなんかないので最初からそのつもりで生きてる方が気楽だと思います。
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優しくするのは、基本は余裕があって、おすそわけの範囲と思います。


自分がそれをしていて楽しいから、っていうのでもいいと思います。
そういうのが一番純粋な動機だと思います。

自分が良い人に見られると気持ちいいから、っていうのもべつにかまわないと思います。
そういう人は、本音をふりきって、多少無理して親切していると思います。
多少不純な動機が混じるとは思いますが、
優しくされた人がそれで助かったのならまぁいいじゃありませんか。

でも、良い人はときに自己犠牲をしすぎる自分自身に疲れてしまうことがあります。
あまり長いことそうして生きてると、じぶんの本音がどれなのかさえわからなくなります。
そのお友達の意味深な発言は、そういうのと関係があるのかもしれませんね。
無理をしないで、もっと楽に自分自身のために生きてもらうのがいいんじゃないでしょうか。



私がここに回答を書いているのも、親切をしているように見えても、実は自分のためにやってます。
書いたり考えたりするのが楽しいし、話し相手がほしいってのもあります。

質問みてて、他人事と思えなくて、心配になって回答書いちゃうこともあるけれど、
大半は自分の楽しみのためです。

それが相手のためにもなってるなら一石二鳥という感じです。
優しさって、これぐらいでいいとわたしは思うんです。自分にもおいしい所があるからやるのでいいと。
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人間は他者の存在によってしか、自らを知ることが出来ません。


その他者をどう見るかというのは、即ち自分をどう見ているか
ということとイコールなのです。
『情けは他人の為ならず』とはこれを意味します。
万人に優しくすることとは、万人を尊敬するということを意味します。
これは単に、物や金を施すこととは根本的に異なっています。
他人を、何らかの理由でもって、差別、排除、誹謗中傷することが、
至極当り前となっている、この現代社会において、
これは相当の勇気と覚悟の要ることですが、
全て自身の人生に跳ね返ってくることは、明々白々でありましょう。
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自分では他人に優しく出来ないし、優しい人に対しても懐疑的なのにすごく好きな友達は優しい方なんですね(笑)



主はご両親にとても愛されて育ったのではないですか?

そのお友達は、他人に好かれたいという計算のない主に魅力を感じて親身にしているのかもしれませんね。

私は主と同じように、計算であろうとなかろうと他人に優しく出来る人は好きです。

因みに私が他人に優しくする時は見返りを求めないことが多いので自己満足だと思っています。
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「自分のことしか考えられない」----なんだかんだ言って、皆、最終的にはそこにたどりつく。

日本人は八方美人でそこを隠して化けの皮を被って生きているが。「自分」がいるから「他人」が存在する。
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自分のことだけを考えるのは当たり前のことである。


餓死しそうなのに食べ物を分け与える人は優しい人だろうか。
まず自分が心身ともに充実しなければ話にならない。
その後余裕ができたら周りに施せばいいのである。
自己犠牲な美しくはあるが正しい生き方ではない。
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