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進化するほどにその種が絶滅するリスクは高くなりますよね。
多少の変異をしたのち微生物のまま深海からエベレストの天辺まで生息範囲を広げていた方が絶滅のリスクは低くないでしょうか。
微生物が人間へと進化する必要があったでしょうか?

A 回答 (22件中11~20件)

ANo.7です。

「ANo.11 お礼」にある質問 http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8047420.html 「進化心理学…」への回答を拝見させていただきました。そのことについて触れた後、ANo.7ほかのお礼・補足について書きます。

「進化心理学…」質問作成さんの進化に対する理解と解説は、この質問への回答している複数の人物の説明と大筋で一致していることはご理解いただけますよね。自然科学においては、進化に限らず自然現象およびその原理において、必要性・目的性(合目的性)あるいは何かの意思を加えることはありません。

それをもって、「自然科学はそれら(必要性・目的性・超越した意思)を否定している」と表現する人もいるでしょうが、より厳密には「自然科学はそれらを取り扱わなくても成立する」と表現した方がよろしいでしょう。無くても良いものなら無理に介在させる必要は無く、その存在を肯定も否定もする必要が無いわけです。

Ano.8お礼より > 科学的に扱えることではないなら「関係ありません」、「目的はありません」とは言えないんじゃないでしょうかと言っているわけです。

どちらかと言えば、それらが自然現象に介在すると言うことを主張する側が、その存在を物的あるいは論理的に証明する必要があるでしょう。ちなみに「有るか無いか不明なものの証明」において、「無いことを証明すること」は、きわめて困難なことが多いことから俗に(用法として誤りと言う指摘もありますが)「悪魔の証明」と呼ぶことがあります。

もう一度繰り返しますが、自然科学は現象・理論の説明に、必要・目的・意思と言う用語を用いなくても論理的に成り立つように組み立てられているのです。


ANo.8に戻ります。

>ダックスフントのかわいらしさも進化論的には(中略)と表現されるわけですよね。
いえ、表現しません。動植物の改良は、人間が行う「育種」であって、自然現象である「進化」とは違います。原理的には共通の部分もありますが、育種は人間の意図を極めて強く反映するものです。

>私が分からないのは、進化論を含め科学では扱えないことを「無い」と言い切る根拠です。
「進化論」は生物学の根幹の一部で、自然科学の基礎の一つです。進化は科学で取り扱っています。ただし、それに介在する目的・必要性・意思などは「扱えない」のではなく、扱わないのです。根拠を示すことについては、先にご説明したとおりです。

>私が挙げた受験の事例に論理的破綻があるでしょうか?
人間の意思・決定で行動を決める大学による入試選別と、一般には意思が存在するとは認められない自然環境による自然選択とを、同列視した時点で既に論理的破綻があります。

この回答への補足

>その結果生まれた生物たちには進化論は通用しないのではないでしょうか?

矛盾なく説明はするけれども正しいと言えるか。
と言った方がいいですかね?

補足日時:2013/04/27 10:18
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

私は自然科学を否定するつもりはないのです、ただそれで説明できること出来ないことの線引きをしたいのです。

>自然科学は現象・理論の説明に、必要・目的・意思と言う用語を用いなくても論理的に成り立つ
>ように組み立てられているのです。

これも一応わかっているつもりです。
ただ、私としてはそれだけでは足りないと思うわけです。
それを踏まえて、

>動植物の改良は、人間が行う「育種」であって、自然現象である「進化」とは違います。

人間が作為的に選別しているのですからいわゆる自然淘汰とは違いますよね。
しかし、進化論でその作為を見抜けますか?
例えば一万年後にダックスフントの子孫が生き残っていて品種改良に関する情報がなかったらどうでしょう。自然淘汰と作為の違いを見分けることが出来るのでしょうか。
プロセスは全く違うけれど結果は同じですよ。彼らは生きているのですから。

話はずれますが、現在人間はDNAを直接操作しています。
人間の意志、意図、作為によって生まれた自然淘汰の結果ではない生物が地球上に存在します。
進化論では扱えない生物たちです。
それらが自然界に放たれると、言ってみれば進化論世代たちと色々な意味で交雑していくでしょう。
その結果生まれた生物たちには進化論は通用しないのではないでしょうか?
人間による進化に対する必要性・目的性・意思はもう始まっています。
今までは進化論は有効だったがこれからはどうでしょうか?

>進化は科学で取り扱っています。ただし、それに介在する目的・必要性・意思などは「扱えない」
>のではなく、扱わないのです

「扱わない」というのと「進化には関係ない」とは違うんじゃないでしょうか。
「進化論には関係ない」ならわかります。

>自然環境による自然選択とを、同列視した時点で既に論理的破綻があります。

しかし、先にご説明した通り結果は同じなわけですからそれを見抜けるかという事なんです。

お礼日時:2013/04/27 10:09

質問者さまの考える「必要」とはどういう意味でしょうか。


質問文を読んだ限りは生物が原始から現代まで生き延びるために、人間などの多細胞生物のような複雑なものが生まれた必然性(多細胞生物は単細胞生物に比べて生存にどのような有利さがあるか)が知りたいのかなと思いましたが、回答への返信を読むに、人間が進化した背景に神のような超越的な存在の意志があるかどうかを知りたいのかな、とも感じました。
また、現代科学がなぜ超越的な意志を否定するのかについても疑問をお持ちのようでもあります。
的外れだったらすむせん。
良ければ疑問の根本的なところを教えていただけませんか。それに対して私なりの考察をまたお書きしようと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

ビンゴ
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8047420.html

この質問の回答を探しています。
そちらに回答していただいても結構です。

お礼日時:2013/04/26 19:47

>小さい変化には必然性があるが、大きい変化には必然性がないというのはどういう事でしょうか?



進化と言うのは
A→B→C→D→E→F→G
と小さい変化の積み重ねです。
A→Bへの進化には必然性があったでしょう。
しかし
A→Gへの進化をいくら考えても、その必然性を見出すことは無理です。
ということです。

私の今の立場も
保育園→小学校→中学校→高校→大学→大学院→社会人
と連続した必然、偶然の積み重ねの結果です。
保育園→小学校や大学院→社会人の流れにはある程度の理由があります。
しかし保育園→社会人だけをみて、この保育園にいた園児がなんでこんな仕事しているのだろう。
と疑問に思い考えたって理由なんかわからないんじゃないでしょか。

この回答への補足

下記の疑問にも答えていただけると助かります。

人間は動植物を品種改良します。ダックスフントのかわいらしさも進化論的には

>必然性などない確率的な事象である。種の存続は、環境に適応できるかで定まる。

と表現されるわけですよね。
間違いではないですがこれだと人間の意図が見えていません。
進化論だけでは不十分では?

補足日時:2013/04/26 18:09
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>A→Gへの進化をいくら考えても、その必然性を見出すことは無理です。

何を持って必然とするかにもよりますよね。
原始的な生命は必ず人間のような知的生命体まで進化するという必然がある
とは言えないでしょうか。

お礼日時:2013/04/26 18:02

>進化するほどにその種が絶滅するリスクは高くなりますよね。


⇒このことについてのみ書きます。

1つの種に属する個体の間には、必ず個体間闘争がありますね。「自分の」子孫を残さんがためのようですので、強さ・大きさ・速さ・美しさ…などを競うのが普通のようですね。競争ですので、留まることも、留まるところもなく続くわけで、それがある種の破綻につながったとき、種の滅亡が誘発される、という構造(=自然の摂理)があるのではないでしょうか。

シオマネキのハサミは、片方が異様に大きいですね。身体の3の分1くらいありそうな感じです。これも、大きさや強さを競ってきた結果なのではないでしょうか。そして、ハサミが身体の半分ほどになってしまうと、これを引きずって移動しなければ動けなくなるでしょう。つまり、シオマネキが絶滅するとしたら、それは巨大化しすぎたハサミに起因する、ということになるのではないでしょうか…。

ゴキブリは、最も長生きの種の1つだそうです。もう1億数千万年も変わらぬ姿で生きているそうです。因みに種の平均寿命は1千万年くらいと言われます。なぜ彼らが長生きなのか。その秘訣は? 「進化しないこと」らしいです。違う環境に順応することも、ましてや環境を自分にとって都合のいいように変えようなどともしない。例えば、今の住処が居にくくなると、もっぱら、逃げる、というか、生きられるところを求めてさすらうだけ、なんだそうです。逆説的ですが、「個体としては弱いのが、種としては返って逞しい」のかも知れませんね。

さて、ここで人類に注目しましょう。人類にとって、「シオマネキのハサミ」に相当するものは何か。それは、疑いもなく頭脳ではないでしょうか。シナントロプスやペキネンシスの頭蓋骨に比べて、現代人のそれは約3倍と言われます。そして、この現代の争いごとほど、「頭脳戦争」の様相を呈しているものを、私は知りません。そのうち、タコのように頭から直接手足が伸びているいるような生き物に「進化」するのかも…。そして、超未来のあるとき、宇宙史にこんな風に記録されるのかも知れませんよ。「太陽系第3惑星には、いろんな生物が存在した。そのうち、シオマネキは片方のハサミが胴体より大きくなって滅亡し、ジンルイは、頭が体の他の部分の全体より大きくなって、滅亡した(!?)」と…。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

環境に合わせて進化・・・
無理することはないという事ですね。

お礼日時:2013/04/26 17:31

>この部分を科学的に説明できるのでしょうか。


 科学とは何かをご存知なのかな????
科学とは
1) 疑問に対する理由を推測し 推論
2) 実験や観察により推論が正しいことを 証明し
ていく手法--手続き--ですよ。
 ダーウィンは、生物の多様性が偶然生じる変化が、環境に適応していたら、その変化が保持されていくことを、あの航海での膨大な観察結果から、生物の多様性の仕組みを提唱したに過ぎません。もちろん、今の生物学では否定されている推論もいくつか含まれていますが、ノアの箱舟に乗り切らないほどの、生物の多様性を「科学」という手法を使って説明して見せたことが彼のすばらしいところなのです。
 言い換えれば、それまで推測でしかなかった生物の多様性を科学という手法で説明したのです。

>例えるなら受験をしている学生を生物群として見ると受験生から見ると単に成績のいい順に生き残っただけとみることが出来ますが、大学側から見ればある種の目的があって選別しているわけです。
 自然界には目的はありません。東日本大震災が生物を淘汰するために地球が起こしたとでも???
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

ですから私が質問しているのは

>そんなもの一切進化には関係ありません。

関係がないことをどう証明するのかという事です。

>自然界には目的はありません。

これも同じです。
目的がないことをどうやって証明するのでしょうか
科学で扱えるんでしょうか?
科学的に扱えることではないなら「関係ありません」、「目的はありません」とは言えないんじゃないでしょうかと言っているわけです。

科学を知らない人間にも分かるようにご説明願います。

お礼日時:2013/04/26 14:05

ANo.1の方のご回答にある考え方が現代生物学の専門用語「進化」です。

そして「新しい環境への適応で変化しえたものが生き残っているに過ぎません」というのが学術的な結論です。他の方も概ね同様のご回答をなさっていますが、私としてはその簡潔にして要領を得たご回答を支持します。

繰り返しになるでしょうが、「単なる遺伝情報の変化であり、必然性などない確率的な事象である。種の存続は、環境に適応できるかで定まる。ただし、地球環境は地域・時代それぞれ一定のものではないから、どの変化(進化)が適応できるかも、その環境次第である」ということです。

==Ano.1へのお礼について==
詳しくは、No.1の方がご説明なさるでしょうが、私からの一言。

「科学的な説明」における「必要」「目的」とはなんでしょうか?
私にとっては専門外ではありますが、たとえば物理学において「光の速度は一定である」「物質の間には重力等の相互に働く力がある」の説明には必要性や目的性などの用語は使わないでしょう。自然科学においては、何かの意思のようなものは仮定しません。

進化に対して、何か特殊な要因があるように考えられる誤解を生じるのは、光速や重力のように実際に測定しにくいことが原因なんでしょうね。しかし、過去に遡り進化の経路をすべて明らかにすることができないにしても、現代生物学で扱う累代の DNA変化、それを解析する数学・計算機的手法、化石資料による推定などで、理論的な破綻はないとされています。

この回答への補足

人間は動植物を品種改良します。ダックスフントのかわいらしさも進化論的には

>必然性などない確率的な事象である。種の存続は、環境に適応できるかで定まる。

と表現されるわけですよね。
ただこれだと人間の意図が見えていません。
進化を説明するのに進化論だけでは不十分ではないかと感じました。

補足日時:2013/04/26 15:01
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

私が分からないのは、進化論を含め科学では扱えないことを「無い」と言い切る根拠です。
私が挙げた受験の事例に論理的破綻があるでしょうか?

お礼日時:2013/04/26 13:01

必要もなにも、別に誰かが人間を必要として進化させたのではなく、細胞構造が変異していったら人間になっただけですよ。


それぞれの生物種は別に絶滅のリスクを減らすために進化したわけでも生存のために進化したわけでもありません。
遺伝の不完全性ゆえに様々な形質が生まれ、結果的にその時その時の環境に適応したものが生き残ってバリエーションが増えた、それを進化と我々が勝手に呼んでいるだけです。
あと、他の方も仰ってますが無数の種類の微生物を全部微生物で一括りにするのは非常に乱暴な気がします。
適応できる環境も生体も全然違うのですから。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>必要もなにも、別に誰かが人間を必要として進化させたのではなく、細胞構造が変異していったら
>人間になっただけですよ。

どうやってそれを証明するのですか?

お礼日時:2013/04/26 12:54

いい質問だと思います。


趣旨は要するに、いまの鳥インフル騒ぎなどを見るかぎり、人間は万物の霊長などと言ってるが、ウィルスに全然勝ててないではないかということですね。
基本そのとおりです。人間は微生物と比べて、個体数においても、バイオマスにおいても、生息範囲においても全然勝ててません。人間の住めない深海底とか硫黄泉にすむ微生物だっているくらいだし、マイケル・ジャクソンだって、スティーブ・ジョブスだって、細菌に感染すると死んでしまうのです。
ただ、それらは 「結果論」 かもしれない。現状では、ウィルスに勝てる生物は現れていないが、進化のさじ加減次第では、現れていたかも知れないからです。何でもそうですが、うまくいくかどうかは、やってみないと分からない。やってみて駄目だったからといって、あのチャレンジは意味なかったと言うのは、サルやワラジムシが聞いたら怒り出すかもしれない。オイ、結果論で語るなよと。
なお、もうひとつ言うなら、この疑問にたどり着いたなら、「なぜ生物はうまれる必要があったのか」 を考えてみるのも面白いかも。ぶっちゃけ、生物が誕生してなくても誰も困らないわけです。岩石と、地熱と、電磁波と、物理的法則だけで充分にダイナミックな世界が作れるし、現に、宇宙の9割9分9厘は無機物の世界です。
生物といったって寿命がきたら死んでしまうのだし、種自体も時間がたてば絶滅してしまう。つまり自己保存の原則すら長い目でみれば果たせていないわけで、生物の方が宇宙のゴミだとも言えますね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

そうなんですよね、進化する目的は何かという事はすなわち生命が存在する意味は何かという問いなんですよね。

お礼日時:2013/04/26 12:52

進化とは環境変化による淘汰ですから、別に生物が進化している訳ではないんです。


生き残る為に生物は多様性を持とうとします。
その結果色々な環境に則した生物が出てくる。
その中で淘汰が生じる訳です。
その結果生き残った物が「進化」したと呼ばれます。
全てが同一種ならその種が絶える条件になれば全ての生物が絶滅してしまいます。
だから、極寒地や灼熱の砂漠、果ては火口だとか深海、高深度地下なんて過酷な場所にも古細菌類など生物は生息しているのです。

当然こんな場所では高等生物である必要も無いし、高等生物では生息する事自体無理でしょう。
時には高度な知能さえ絶滅する原因ともなりうる。
つまり知能を持ったって事は必ずしも進化しているとも言えないのです。
(知恵や技術を駆使して生き残りをはかる事はできるでしょうけど)

もし、地上に巨大な隕石が落ちて地上の全ての生物が死滅したとしても…高深度地下に生息する古細菌や火口でも生息出来るようなバクテリアなどが生き残るでしょう。
やがて地上が元の環境に戻る頃彼らを始祖とする生物が再び生態系を築きあげる可能性があります。

これは生物というシステムが創りだした生き残りの為の保険であります。

逆に特定の環境に対応しすぎた為に絶滅する種なんてのもあります。
これなどは異常的な進化とも言えますね。
牙がでかくなりすぎて自ら絶滅したサーベルタイガーとか、特化しすぎた為に特定の植物しか食べられなくなった動物とか…。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

私が疑問に思うのは、

>生き残る為に生物は多様性を持とうとします。

ここです。
死ななければいいのであればほかにやり方があるんじゃないでしょうか。

お礼日時:2013/04/26 12:41

一つ勘違いされているかと思います。


深海からエベレストの天辺まで生息範囲ある微生物は地球上にいません。
一種の微生物の生息範囲なんか、人間より圧倒的に狭いですよ。

進化というものは、必要に迫られ行うわけではありません。
偶発的に起こった遺伝子レベルでの変異が、周辺環境に適していた場合、それを進化と呼んでいるだけです。
微生物が人間へ一度に進化することに意味はありません。
ただ、単細胞生物が多細胞生物に進化したことには意味があったでしょう。

進化と言うものは小さい変化の積み重ねです。
最初と最後だけを見ていては、そこに必然性を見出すことはできないと思いますよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

小さい変化には必然性があるが、大きい変化には必然性がないというのはどういう事でしょうか?

お礼日時:2013/04/26 12:10

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