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無宗教、または信じるモノがなくても生きられる人いますか?いる方はどうやって精力的に人生を歩んでいるのですか?大変興味があります、よければお聞かせください。

20代です、私は自分に価値がなく、生きる意義を見いだせないので、自身が憧れる尊い理想を胸に抱き、従うことで、初めて自分に価値を見いだせると思っています。それは宗教の信者と同じことだと思います。

A 回答 (24件中1~10件)

新しい質問はそれにふさわしいカテゴリーで新たに質問した方がいいですよ。

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質問者さんがサービス残業を憎んでいることはわかりました。


しかしそれに対して何かアクションを起こしているのでしょうか?
ここで言っているだけでは何も現実は変わりません。

海外でサービス残業が少ないのはそんなことをすればすぐに訴えられるからです。
日本だって労働基準局だろうが個人でも入れる労働組合ユニオンにでも駆け込んでもいいし、
色々なところでやっている法律相談会に参加してもいい。


監禁されて外との交流を一切遮断されて、労働を強制させられているわけではないのです。
労働契約を結んだらおかしな契約でもそれを守って奴隷にならないといけない。そんな法律もないです。
サービス残業を当たり前と思う困った経営者を野放しにしているのは訴えない労働者自身でもあるんですよ。

後和民の件を書かれていますがこれが私もサービス残業が当たり前だと訴えているのなら、この記事を見せてそんな考えでいいのかと言われるのもわかりますが、この補足に書かれた意図がわかりません。

この回答への補足

話は変わりますが、コンプライアンスとは企業が競争する上で守るべきルールですよね。
しかし、コンプライアンスを守っては競争力が衰えるという企業側の言い分があるでしょうが、客観的に見ればそれは大変身勝手な言い分です。
コンプライアンスを、ルールを破っては秩序が乱れます、それは絶対に許されないことです、直ちにその原因を根本から排除するべきです。
これは政府側が正しいと言ってるわけではありません、例えば政府が悪政を敷くことで問題が生じているのならその政府が秩序を乱している側になります、身近な具体例で言えば朝鮮や支那のことです。

話を戻します、コンプライアンスを破る企業には相応の罰が必要です、そうでないと他の企業に示しがつきません。重大な違反をしたのであればそんな企業は潰れるべきです。
その結果社員が路頭に迷うかもしれませんが、それは仕方のないことです、腐ったリンゴを取り除かないと他のリンゴにまで移ってしまいます。
まぁ‥不正がバレた会社を守るために一社員に責任を押し付けるトカゲの尻尾切りもあるでしょうから、そうそう潰れたりはしないでしょうけどね。

ルールを守って各々が全力を尽くして競争する、それが在るべき正しい競争です、資本競争もそれは変わらないはずです。
コンプライアンスを破った企業をことごとく潰していけば、残るのはコンプライアンスを守る、在るべき正しい企業ばかりのはずです。
その結果対外競争力が落ちるなんてのは知ったことではありません、ルールを守って競争で負けるのは「能力不足」に尽きます。
不正がバレないように苦心するよりも能力を磨くことを努力すべきです。


経営者から見て私の考えはどう思いますか?
競争する立場から見れば他者などどうでも良くて、とにかく自社の発展と生存のみ優先するべき事柄だと思います、なので経営社から見ればこの考えは受け入れがたいのでは?と思うのですが。

補足日時:2013/06/08 00:24
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

はい、私もあなたと同じ考えです、サービス残業をさせる経営者は困った存在です。
アクションですか?私はしていません、あなたがどんなアクションをしているかは知りませんが、
現実を変えるとかではなく、私は会話をしたかったので話を振ったのですが。

責任を労働者自身に押し付けても現状は何も変わりません、社会を改善するのは政府の役割です、労働環境が発展途上国だと他国に馬鹿にされるのは政府の責任です、自由にさせては改善しないのなら管理しか方法がないでしょう。

補足の意図が伝わらないですか?もう一度セリフをそっくり抜き出しますね。

「こんな経営者達を生み出したのは日本の土壌がそういう悪を生み出すモノになってしまってるからです、土壌が原因なら土壌の環境を変えるしかありません、企業を国が徹底的に監視して法律を破らせない管理社会にするしかないでしょう。」
「管理者社会よりもこんな会社が存続できる社会の方がよほど悪質だと思います。」


つまり現状の無整備の労働環境よりも、労働環境が整備された管理社会の方が優れてると言いたいのです。

お礼日時:2013/06/07 20:53

国が個別の契約がどうなっているかなんて管理できませんよ。


国が従業員の訴えなく取り締まれるようにする場合は法律から少しでも違反していれば取り締まるということになります。
それは国に管理されるということです。
それが嫌なら、サービス残業に不満を持っている従業員が訴えればいい。
それだけのことです。
人間は超能力者ではないので相手が何を思っているかなどわかるわけがありません。
不満に思っているのならそのことを言う。
法律にも契約書にも反しているのなら訴える。
経営者が経営について勉強することも大事ですが従業員だって自分の身を守るために訴えることをしっかりと訴える姿勢は大事です。
自分は声を上げないが正義の味方が立ち上がって助けてくれ。
そんな都合のいいことは起きません。

自分が声を上げないでも国が助けてくれ。
そう考えるのであればそれは管理社会という秩序を求めることになりますよ。

ちなみにちゃんと残業代を出している経営者から見たら、サービス残業を頻繁にさせている経営者は困った存在です。
経営者のイメージも下げますし、残業代を払わない分コストが下がるので価格競争に勝てなくなったりしますから。
それでも、私は国がどんどん取り締まれとは思いません。
それは管理社会になる方が困るからです。

>これは借り物の理想を自分のモノに昇華ということにならないでしょうか?
これは他人が判断することでなく自分が感じるものです。
自分が昇華していると思えば昇華していますし、まだ足りていないと思えば昇華していないでしょう。
そのあたりは何か一つが絶対的な正解があることではないです。
他人がおかしいと思っても自分が正しいと思えばそれも正解です。
内容について他人に相談することではないと思います。

前のお礼で実感がわかないと書かれていたので昇華について書きました。
実感がわかないというのは未消化のままだからです。
消化し昇華できれば、自分の言葉に少し変えたほうがより実感もてるようになったり、そのままの言葉でもしっかりと実感できます。
また実感が出来なければ実践もできません。

この回答への補足

ブラック企業で有名な「ワタミ」をご存知ですか?「365日24時間死ぬまで働け」なんて狂った思想を持った経営者は日本においては珍しくないと思います、それはサービス残業が悪いことだとは思わない経営者全てに通じる思想でしょう。こんな経営者達を生み出したのは日本の土壌がそういう悪を生み出すモノになってしまってるからです、土壌が原因なら土壌の環境を変えるしかありません、企業を国が徹底的に監視して法律を破らせない管理社会にするしかないでしょう。

管理者社会よりも
「ワタミでは2008年に入社3カ月の女性社員が1カ月141時間の時間外労働で抑うつ症状
となり、飛び降り自殺。昨年2月に、過労による自殺として労災認定されている。
また、自殺の翌年から昨年にかけて、時間外労働の上限時間を超えて従業員を働かせて
いたとして、労働基準監督署から10件の是正勧告を受けていることも明らかになっている。」

こんな会社が存続できる社会の方がよほど悪質だと思います。

補足日時:2013/06/06 17:28
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この回答へのお礼

現状を認めることは絶対にできません、日本は労働に関しては発展途上国なのは間違いありません、それを先進国に進歩させるためならあらゆる手段を講じるべきです。

ああ、労働に関しては一度徹底的に管理したほうがいいですね、現状ではサービス残業が珍しくなく、訴えることができなくて過労死する人がたくさんいますからね。労働に関してのみ管理こそ優れてると思います、自由にさせた結果がこの現状なら日本は発展途上国のままです、一度サービス残業がないのが当たり前の社会を作ってサービス残業は間違っていると国民に周知させる必要があります、100年ほど立ったらまた自由に戻せば管理しなくてもサービス残業をさせる経営者なんていないでしょう、サービス残業なんていう間違ったものは存在しない健全な労働社会で育ったんですからね。

サービス残業しないと潰れる会社なら潰れたらいいんです、潰れるのは経営者の能力不足だからです。

お礼日時:2013/06/06 17:05

質問者さんは国が企業を管理してくれることを期待しているようですが、そうなると共産主義のような社会をお望みなのでしょうか?


確かにユートピアのように管理社会が人間の理想社会だと考える人もいるので、そのような考えは否定はしませんが、管理されるということは自由もなくなるということです。
自由を求めるのであれば、ある程度自分での責任も持つ必要があります。
おかしいと思ったことにおかしいと声を上げることもその責任の一つです。

労使問題というのは法律には違反していても労使間で問題が無ければ罪には問われません。
架空の例ですが、
会社が倒産しそうだ。この仕事をこなせばその会社から信用をいただけて会社を継続させることができる。この仕事だけサービス残業でぎりぎりの納期をこなしてくれないか。
今であれば、従業員たちがそれに納得してサービス残業してくれれば問題なく、そのことで会社がたてなおすことができます。
しかし、国が管理して強制的にサービス残業を取り締まれば、このようなこともできなくなり、結果会社はつぶれ従業員は職を失います。

>私の価値観は「秩序こそ正義」だそうです、自分で悟ったものではないのでイマイチ
実感が沸きませんが正しいと思います、

他人の言葉を使うことは決して悪いことではありません。
人間真似ることから始まって成長することも多々あります。
しかし、いつまでも真似ているだけではいけません。
そのことをちゃんと咀嚼し、消化し自分なりの意見などを付け加えて、自分の考えに昇華させる。
そのことが必要です。
コピーは劣化するだけでオリジナルを超えることはできない。
誰かの意見に影響を受けたのなら、そこから自分のものに昇華させてより良いものにしなければ発展などなく退化するだけ。

もしかすると、質問者さんは自分の考える秩序が出来上がっていないので実感がわかないのかもしれません。
最初にも書いた自由はないが自己責任もない管理社会が良いのか。自由もあるが自己責任がある今の社会がいいのか。自己責任があるということはどういうことなのか。
そういうことがまとまっていないと秩序とはどのようなものかわからないと思いますよ。
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この回答へのお礼

日本版ポリティカルコンパスをやってみたことがあります、私はかなり真ん中に近い保守左派でした。

自ら望んでサービス残業をするのなら全く問題はありません、圧力を掛けて強制的に契約書の内容と異なることをさせるのが問題なのです、ルールを破ることは許しがたい行為です。
サービス残業が前提にあるのならその旨を契約書に書けばいいのです、それなら問題ありません、有給休暇も同じです。
日本は労働に関しては発展途上国並です、先進国だというなら欧州のドイツなどの先進国を見習うべきです。

管理社会が良いとは思いません、私は理性的でもあり、感情的でもありますから、理性に偏った状態は好ましくありません。

これも他者から受け売りですが、私は「自分を必要な存在」と信じることができない弱い人間で、それは「役に立ちたい」「必要とされたい」と想う心から来ているそうです、それも正しいと思います。
自分に絶対的な自信を持ち、必要な存在だと信じられる強者は他者など関係ありません、「正義の味方」なんて自己犠牲、献身の理想など最も理解し難いモノのひとつでしょう。

大人になっても「正義の味方」に憧れ、自身の理想とする理由は私の価値観の根底には「正義」「秩序」そして上記の「役に立ちたい」などの献身的な性質を生まれ持っているからだと思われます。
それと「正義の味方」が献身の理想だとは今まで気づきませんでした、私は何の理由もなくただ奇麗だと感じたから憧れただけなのです。

「正義の味方」に憧れたおかげで仕事の他にも、恋愛をする理由、結婚する理由ができました、今まで私は理由がわからないけど恋をしたことがないので好みの女性がわかりませんでした、優しい献身的な善人こそ私の好みの人間だということに気づけました、その善人に尽くすことこそ私の人生目標だと思います。

これは借り物の理想を自分のモノに昇華ということにならないでしょうか?

お礼日時:2013/06/05 19:41

本来の質問内容とは違いますがサービス残業についての質問もあったので自分の考えですが書かせていただきます。



自分は労働にはいくつかの種類があると思っています。
その中で何の対価で給与をもらっているのかの違いはあると思います。
俗にブルーカラーと言われる人などは自分の時間を使った労働の対価で給与をもらっています。
こういう人たちは残業というその時間をさらに使う労働には残業という対価を支払うのが当たり前だと思います。

しかし、開発とか営業などは自分のアイデアを使った労働の対価で給与をもたっていると思います。
時間での労働の対価でないので残業が無いと考えます。かといって、あまりにも会社で遅くまで残られて仕事をされると電気代などのコストもかかります。
出来る限り就業時間に合わせて帰れるように、その点にもアイデアを出すようには言います。

なので、まずなぜサービス残業が発生するかの一つとして、日本の法律が実態に合っていなく、様々な報酬の支払い方に対応していない。
ということがあると思います。

続いて、時間を労働の対価として給与をもらっている人にサービス残業が発生している会社について考えてみました。

これは経営者が経営者としての哲学を持っていないというのが一番でしょう。
自分も就業時間に関係なく仕事をしているんだから、従業員もそう働くのが当たり前だ。という、経営者と労働者の違いが分かっていない人。
勉強、成長という名目があれば時間外労働も当たり前と考える人。
経営をしたいのでなく、金儲けをしたいだけなので、従業員をだまして儲ければいいと考える人。
本当に経営が傾いていて、残業代を出せる現金が無い。という会社もあるでしょう。

日本は経営者だけでなく管理職の教育が出来ていない企業も多くあります。
管理の仕方を知らない管理職だと、どのように管理すれば生産コストを高めないで必要な生産を行うか、またはこれ以上の生産は残業が必要だから生産コストが上がるか、などの計画も出来ない。
また、計画ができないから営業や経営者にその説明もできない。
なので、サービス残業をさせて無理やり生産を達成させる。
ということもあります。

また、先ほども書きましたが時間を使った労働の対価に給与をもらっているということは、昇給は年齢が上がったからでなく、短時間でその作業ができるようになって生産性を挙げたから昇給してもらえる。というのが本来の流れです。
しかし日本では年功序列でスキルが上がらなくてもある程度の給与は上がっていきます。
そのように単純に時間労働の対価で給与を支払っていないので、時間労働通りに支払う必要はないと感じる経営者もいるのでしょう。

総じて言えるのは、
経営とは単純に金儲けする行為ではない。
そこがわかってなく、儲ければいいのだろうと考えている経営者が多いのがサービス残業を増やしている原因の一つだと思います。

ただ、国はサービス残業を許していないですよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

詳しい説明ありがとうございました、どれもその通りだと思います。

法律が未だに整備されてないのが、本気で取り組んでるようには見えません。
被害者が会社にバレないようにサービス残業をさせられた証拠を集めて訴えるしか方法がないじゃないですか。自らサービス残業するアイデア関係は除いて、強制的にさせられるサービス残業をさせないように法律を整備するべきです、泣き寝入りしている労働者がどれだけいるはわかりませんが、少なくないと思います。

有給休暇だって使われなかった有給はお金に還元させることを法律で強制しないと意味がありません。
欧州のどこかの国ではそうやってると聞きました、だから会社から有給休暇が残ってると有給を取ることを言われるようです。現状では有給休暇は使ってはいけないものとおかしなことになっています。


話は変わりますが、私は自分を勘違いしていました、私は「道理」を信じているわけではなくて、ただひとつ社会的秩序を基本として作り上げた「オリジナルの秩序」でした。「道理」にも人それぞれ違っていて立場によって正論が変わると思います、道理は絶対に正しいですが、それだけで物事を決めることはできません。お互いが正論をぶつける状況は珍しくないと思います。

私の価値観は「秩序こそ正義」だそうです、自分で悟ったものではないのでイマイチ実感が沸きませんが正しいと思います、私の憧れるひとつ、アンパンマンなんかは秩序を守る正義の味方ですからね、アンパンマンはいつも悪さをしているバイキンマンを見かけただけで排除したりはしません、秩序を乱す悪さをした時だけ排除するのですから。

お礼日時:2013/06/05 06:35

No.2の元クリスチャンです。


なんだか盛り上がっていますね。
どなたかがおっしゃっていたように、「日本人は議論が嫌いというのは、間違った認識だ」というご意見の具体例ですね。

「和」を和英辞典で引くと"Peace and Harmony"であり、事なかれ主義とは違っています。
ちなみに「事なかれ主義」は"avoiding trouble(トラブルを避ける);letting sleeping dog lie(寝ている犬はそのままに);not rocking the boat(舟を揺らすな)”です。

調和(harmony)は、オーケストラのように違った楽器が個性を出しながら、曲を奏でるといった感じですから、争いを避けるために自分を殺すというのは、解釈をずっと捻じ曲げてきたということなのでしょうか?意見の違いから、暴力沙汰なんていうのは、ですから、和の精神に反すると思います。

村でも、ずいぶん寄り合いで話し合いをしていたようですし、江戸期の各藩も意見交換を大事にしていたようです。

私は、明治は列強に植民地化されないために、仕方なかったのかもしれないけれど、江戸時代より独裁的だったし、野蛮だったと考えています。

私たちの考える日本が、江戸期の日本の伝統なのか?明治の伝統なのか?区別して考える必要があるように思えます。

宗教とは、論点がずれてしまい、すみません。

この回答への補足

解釈をねじ曲げてきたというのは酷いですね、私は悪意のある人間とみなしますか?
単なる誤用です、悪意は全くありません、調和は誤用のようなので、訂正します

仲良く、争いを避けるがために「わがまま」「ごねる」行為を許すのでしょう?「和」のために他者に我慢や譲歩を強いるのは「和」の犠牲者と言えるでしょう、それは「道理」からして間違っています。
「我慢」や「譲歩」は決して他者に強いるものではありません、自ら望んですることが「譲歩」なのです。

和も事なかれ主義も日本語なので和英は必要ないと思います。「和」が道理が前提にあるのなら事なかれ主義とはは違うでしょう。

補足日時:2013/06/03 20:17
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no.13です。



私は経営者なので、より良い会社にし、社員たちに十分な給料を支払うことができ、お客様にもより良いサービスを提供していく。
そして自分の経営哲学が後の世代に行かされればいいと思っています。

明治維新や明治初期の不平等条約の解消やヨーロッパ諸国と対等な同盟を結ぶことが出来たりと、もともと日本は外交上手でしたよ。
英国首相の話は、日本が外交下手だったというよりも欧米がアジアを舐めていた。という面も強くあると思います。

和に関してですが、質問者さんが感じていることは同だと思います。
道理から外れているものに、そのものが道理を学ぼうとしていないのに、わざわざこちらから手を差し出す必要はないでしょう。
誰もが悪人を改善させる必要はない。
和とは和を乱す者も和に入れるように努力する必要はないですよ。
仲間とは質問者さんもおっしゃるようにお互い思想哲学が違っていても、お互いを切磋琢磨し成長しあう存在で、同じ意見の同調者ではないですよ。
同じ意見の同調者でも、何でも自分の意見にイエスしか言わない、本人の意見は決して言わない、そんな人は仲間になりません。
思想哲学は相手を言い負かすことが勝負ではないので、同じ意見の物が多いから勝ちという多数決の理論と違いますからね。
多数決や喧嘩の仲間でなく、ライバルというような仲間。
あれ会うことや傷を舐めあうことを仲間という同を大事にする人とはそれなりの距離を保っていいと思います。そうでないお互いを成長させる仲間を探していけば徐々に増えていくと思いますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

道理に則るという前提でなら和は立派です、良いと思います。先ほどの補足はなかったことにしてください
譲歩し続ける日本の外交は今も下手としか思えません、対米開戦は愚かの極みです。
今の日本が特殊だとおっしゃっていますが、今の日本と昔の日本の違いがわかりません。


経営者の方ですか、その心がけは立派です、サービス残業を認めていないのなら理想の経営者です。
経営者の方だということで新たに興味が沸きました、日本特有の悪行であるサービス残業はどうして存在するのですか?
残業の報酬を払わない悪徳経営者が存在することは憎悪さえ抱きます、政府から許される明確な悪はただただ憎いです。

お礼日時:2013/06/03 19:13

no.13です。



補足を頂いたので書かせていただきます。

自分ですが日本的な無宗教ですが、自分自身のなしたいことがありますので、それなりに精力的に人生を歩んでいます。

なしたいことを信じるものと言っていいのであれば、信じるものはあるでしょう。

宗教とはいろんな側面があります。
哲学的な面。
道徳的な面。
習慣的な面
もともと日本土着の神道は習慣的な面が強く、
そのあと入ってきた仏教も神道とくっつくことで哲学的な面などは薄れ道徳的な面と習慣的な面が強くなりました。

そのため、哲学的な面が強い宗教、宗派は日本では好まれていないところがあります。
そのため宗教を信仰するわけではないが、信仰心はあるという日本独特の文化が根付くことになったと自分は考えています。

そして質問者さんは哲学的な自分を裏付けるものが無いと、精力的に歩めないのではないかと考えているのだと思います。

日本人は宗教に哲学を求めていない代わりに先人の教えから哲学を考えるところがあります。
儒教などの様々な思想などがそうですね。
なので、無宗教でも哲学を持ち、何かを強く信じ精力的に生きていけます。

そして質問者さんは今自分の哲学を作っている最中なのだと思います。
それは非常に良いことです。
多少人ともめることはあっても自分の哲学を作り上げることはいいことですよ。
ただ、大事なのは哲学はJ人それぞれ違うので、違う哲学の人に会ってもそれはお互いを否定していることではない。
違う哲学が両立してかまわない。

哲学も自分の立場や時代によって変わるので、自分の成長とともに変わっていってよいものである。

そういうことを忘れてはいけないです。

最後にもともと日本人って事なかれ主義じゃないし、議論好きですよ。
火事と喧嘩は江戸の華という言葉がありますが、この喧嘩は殴り合いの喧嘩だけでなく議論も含まれます。
落語で将棋を見ているうちに見物者が次の差し手についての議論に花が咲き、実際にさしている人たちをほったらかしてしまうというものもあったりするように、議論が活発の社会でした。

歴史で見れば今の日本が特殊なのであって、質問者さんの考えは日本人の考えですよ。
ただ、それとともに、日本人は和を大事にします。
和とは馴れ合いとは違います。
お互いの意見をしっかりと主張しあうが、それをまとめるための努力もして共通な点を探していく。
そんな感じです。
馴れ合いは「同」と言います。
これはやってはいけないこととされています。

今の日本は和と同をまぜこぜにしてしまっていて、哲学も失っている人が多いのだと思います。

一匹狼ではダメですが、なれ合う必要もありません。
ちゃんと和が出来れば、同じ仲間が現れますよ。

この回答への補足

日本が「和」の国だというのは私も大いに納得できます。

和の意味

1 仲よくすること。互いに相手を大切にし、協力し合う関係にあること。「人の―」「家族の―」

2 仲直りすること。争いをやめること。「―を結ぶ」「―を講じる」

3 調和のとれていること。
「大いに身体の―を傷(やぶ)り」〈中村訳・西国立志編〉

4 ある数や式に他の数や式を加えて得られた結果の数や式。⇔差。


やはり「和」は「道理」とは相容れないモノのようですね、調和を取るがために「わがまま」「ごねる」行為を許すのでしょう?「和」のために他者に我慢や譲歩を強いるのは「和」の犠牲者と言えるでしょう、それは「道理」からして間違っています。
「我慢」や「譲歩」は決して他者に強いるものではありません、自ら望んですることが「譲歩」なのです。

それに反対し「和」を乱す人は迷惑で厄介者と見られる日本は事なかれ主義と何が違うのかわかりません。

補足日時:2013/06/03 18:59
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>自分ですが日本的な無宗教ですが、自分自身のなしたいことがありますので、それなりに精力的に人生を歩んでいます。
なしたいことを信じるものと言っていいのであれば、信じるものはあるでしょう。


そうですね、しかし残念です、その「信じるモノ」をお聞かせ願いたかったのですが、それは秘密にしたいのでしょうね、仕方ありません。

>ただ、大事なのは哲学はJ人それぞれ違うので、違う哲学の人に会ってもそれはお互いを否定していることではない。違う哲学が両立してかまわない。

私もその通りだと思います、争いになるのは私の主張を批判された時だけです、私は正当性を証明するために戦うのです。他人の哲学を否定する気は全くありません、それは正しくないし、そんなことをする意味がありません。

>最後にもともと日本人って事なかれ主義じゃないし、議論好きですよ。
>歴史で見れば今の日本が特殊なのであって、質問者さんの考えは日本人の考えですよ。

私は日本人が議論好きだとは到底信じることができません、日本が昔から外交下手なのは議論が下手だからだと思います、上手ければ第二次世界大戦だって避けられたでしょう・・。知っていますか?日本の海軍によってプリンス・オブ・ウェールズが沈められたと聞いた当時の英国首相は「そんなに力があるのなら教えて欲しかった」と言っています、日本がきちんと力を誇示することができていない証拠です。日本の外交は譲歩ばかりでとても下手なのです、譲歩できなくなったからっていきなり宣戦布告は馬鹿げています。

そして今の日本が特殊だとも思いません、どこが昔と違うのでしょうか?

私は「和」が大事だとは思いません、「道理」から外れていると判断したなら斬り捨てます。、例えば「和」から見れば悪人を改善させようとするのでしょうが、私はそんなことをする道理がないので斬り捨てるだけです。道理から外れる悪は排除するだけです、間違った行為も主張も同じで「道理」から外れるものは絶対に認めることはできません。

>ちゃんと和が出来れば、同じ仲間が現れますよ。

私の理想に同じ仲間は必要ありません、理想とは関係ない、共通の趣味を持つ、または高め合うことができる友達さえいればそれで十分です。

お礼日時:2013/06/03 17:53

30代女性。



>自身が憧れる尊い理想を胸に抱き、従うことで、
>初めて自分に価値を見いだせると思っています。それは宗教の信者と同じことだと思います。

なるほど。いわゆる日本的な無宗教もこういうもんですね。

ちなみに私は割と理想が低いです。
・今日のご飯がおいしければ
・子供が元気なら
・今日わたしが働けるほど元気なら
・父親を見送るとき一緒にいれたから
・年老いた、仲のよくない母親をできるだけ幸せに人生の終わりを見遅れたら
とか。あっと、今はこれも。
・わたしがこの回答を書くことで出会うこともないあなたの人生に
 蝶のはばたきほどのなにかでも伝えられたら

それでわたしはわりと結構幸せです。
そしてわたしは人生に価値を見出します。
人生はあと3-40年ですが40年×365日幸せなら、人生は幸せだと思います。
死ぬとき1日苦しくても、それまでの生きた日々が幸せなら幸せだったよなと思うだろう。
まあできれば苦しくないほうがいいのだが。

質問者様はストイックなので高邁な理想に身をささげる時間があるのだと思いますが
そのぶん苦しい時間もあり、その分幸福感が増すのでしょう。
自分が幸せになれるのならなんだっていいとおもいますよ。

私が書いてるのは、あなたのいう「宗教」にあてはまります?
そうかんがえるとあなたの定義では無宗教っていうのは存在しない気がします。

この回答への補足

訂正します、回答者ではなく回答者様です、失礼しました。

補足日時:2013/06/03 18:04
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

・今日のご飯がおいしければ
・子供が元気なら
・今日わたしが働けるほど元気なら
・父親を見送るとき一緒にいれたから
・年老いた、仲のよくない母親をできるだけ幸せに人生の終わりを見遅れたら

理想が低いとおっしゃっていますが、そんなはないと思います、これらはとても価値のあることです。
そもそも理想に高いも低いも優劣もありません、理想とは自分の定める最高の目標なのです。
簡単な目標は目標が低いとは言いますが、理想は言いません、理想とは自分にとって最高の目標だからです。自分とってそれが最高の目標なら、それは高いのです。

それにその一生モノの目標は長いです、達成は容易ではありません、常に自分と子供の健康に気を使い、ご飯を美味しく食べる努力をして、仲のよくない母親の幸せを願いつづけることは簡単にできることはではありませんし、何よりそれはあなたにしかできません、母親としての責務を果たすことはとても困難であり、同時にとても価値のあることです。

>とか。あっと、今はこれも。
・わたしがこの回答を書くことで出会うこともないあなたの人生に
 蝶のはばたきほどのなにかでも伝えられたら


? ありがとうございます?おかげで回答者の想いは伝わりました。

>質問者様はストイックなので高邁な理想に身をささげる時間があるのだと思いますが
そのぶん苦しい時間もあり、その分幸福感が増すのでしょう。
自分が幸せになれるのならなんだっていいとおもいますよ。


? いえ、私はストイックでも身を捧げてるわけでもありません、それは仏や神に仕えてる人のことだと思います。崇拝するモノの決めた掟に自らの意思で従い、禁欲をすることこそがストイックであり、身を捧げてることだと思います。

私は自分が幸せになりたくて理想を目指しているに過ぎません、理想を目指すのは我欲から来るものです。それに正しいことをするのに苦しくもなんともありません、逆に正しいことができないことがとても苦しいことなのです、自分の存在意義を疑うことになるからです、自分を見失うことは、それはとても辛いことです。


>私が書いてるのは、あなたのいう「宗教」にあてはまります?
そうかんがえるとあなたの定義では無宗教っていうのは存在しない気がします。

あなたのは宗教ではないと思います、宗教とは「崇拝」することです。
私は理想を崇拝しているので宗教と同じと考えたのです。

お礼日時:2013/06/03 17:33

こんばんは。



 興味深いので参加させて頂きます。

 無宗教です。他の方が仰っている、日本的な無宗教ですが。八百万の神々という考え方には敬意を持っております。(矛盾?)

 対して、現存する個人、または過去の人物を崇拝する宗教というか、考え方は苦手です。まあ、はっきり言えば嫌い。自分に害を与えなければ放っときますが、強制されるのは心底お断りです。
 まあ、神道も天皇が現人神とすれば、それに当てはまるかもしれませんが、強制される事は今の日本では無いですし、日本人ゆえかそこには違和感を抱きません。不思議ですかね。


 さて、私は今生きています。自信を持って精力的に、とは言いませんが間違いなく生きてここにいます。信じるものは自分自身です。宗教を含め、他のものに依存(あえて依存と申し上げます)しなければ生きていけない、という考え方は全くもってありません。

 仕事して、飯食って、酒飲んで寝るだけ。たまの休みは遊びに行ったり、ゲームしたり、本読んだり。音楽聴くのも好きだし、映画だって見る。自分だけの何とか、なんてたいした物は何も無いです。大雑把に言えばそんなことですが、別に何も悪いと思いません。


 自分の価値なんて他人に認めてもらわなくても構いません。仕事に対する対価は別ですが(笑)

 他人に出来るだけ迷惑をかけず、自分とごく身近な人が、心穏やかに楽しく、健やかにすごせればこれ以上の価値あるもの等ないでしょう。

 おそらく自分は大変な個人主義者であると思っておりますので、奇麗事を抜きにして申し上げますが、例え隣の国で戦争が起きたとしても、自分に影響が無ければ、”ああ、大変だな”とか"罪も無いのに亡くなる人がでるのは悲しいな”位です。

 そんな立派な人間でもないですし、そういう風にはなれないし、なる気もありません。

 だってそれが、自分自身だから。

 諦めとかではないつもりです。端から見てどう思われるかはわかりませんが。


 質問者様はご自身で、信者と同じと仰っていますね。理想を胸に抱き、従うと。

 
 私、その従う、ということがとても嫌なんです。もちろん仕事やルール等、従う事は沢山あります。それをやらない、嫌だ、というわけではないんです。

 自分自身の一番根っこの部分にどうしても譲れない何かがありまして(多分一般的にはプライドというのでしょうが、自分にとっては正しい表現とは思えない)、そういうものさえも覆してまで、もしくは100%共感、共鳴できるものであったとしても、自分以外の何か、誰かに従うということにものすごく嫌悪感を覚えるのです。それが自分にとって利益になる事でも、不利益な事であったとしても。

 まあ、大なり小なり誰しも同じだとは思うのですが。

 だからこそ逆に、質問者様のように自分自身ではない、"何か”、"誰か”を絶対視する人間、ないし行為に反発を覚えるのです。

 自分自身以上の価値を、他者やものに与えられる、ということが多分嫌いなんでしょうね、きっと。

 一番は自分だろうと。まあ、これも考え方の押し付けですかね?一応他人に強制はしないので勘弁してください。



 なんだか回答にもならなくなってきた気がしてきたんで、この辺でやめときます。

 長文、お目汚し失礼致しました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

あなたも神道というわけですか、多分これで3人目ですね、宗教は興味ない、または嫌いでも神道だけは別というのには何か感じるものがありますね。

私もあなたと同じように遊ぶことは好きです、楽しいことは色々あります、特に対戦ゲームが好きです、時点でアクションRPGです。ファンタジーな世界観に剣に魔法に憧れているからです。
ただ私は現実に生きているのでゲームで腕を磨こうと私自身に全く意味がないのです、かといって現実でやりたいことなんてありません、剣や魔法があれば現実は楽しいモノだと思えたでしょう。せめて侍か騎士になりたかったですね。

私は戦争については特に思いません、人間は戦う生き物ですから別段変わったことではありません、誰でも他人と争うことはあります、争い自体嫌いだという人もいますがそれも良しです、ただ戦争と個人の争いは本質的には同じです、ただ規模と掛けてるものが異なるだけです、私は命は絶対的に尊いとは思いません、私の命は尊くもなんともありません。ただ人であれ国であれモノであれ大切なものを、自分が犠牲になっても守ろうとする想いは尊いものです。それは私が最も強く惹かれる理想です。

私は奇麗なモノに特に惹かれるので美しい物語が好きです、そして尊い理想には強く惹かれます。「他者の受け売りですが、「正義の味方」には最も憧れています、ただどうしたらそれになれるかわからないので目指すこすらできません、しかし胸に抱きながら悩むことでいつかは答えを出せると希望、夢を持っています。

尊い理想には強く惹かれます、だからこそ私はそれに憧れ、目指したいのです、私は自己分析の結果「道理」「合理性」こそ私の全てだと思っています、私はそれに外れることが我慢ならないのです、ただ他者に押し付ける気はありません、自分の関わることだけは我慢ならないのです、もちろん私自身もそうです、何よりこれは私の本質に根付いたなものなんです。そしてそれを、貫ぬくことにも価値があるとも思っています。

「正しい事を指摘する、無駄を省く」など、事なかれ主義の日本においてそれは迷惑な存在だとしても私はそれを通します、それが原因で口論は何度となくありましたが、全く構いません、信念を賭けて争うことは望むところです。

ふむふむ、あなたは誰かに従うことだけは絶対に出来ないと、それは面白い信念ですね、ぜひその信念を貫いてください、信念という一本の槍を通すことは尊いものです。

理想を絶対視する私に反発を覚えるのであれば言いたいこと言ってくださって構いません、侮辱しない限り、それが嫌なことだとは全く思いません。私は合理的なので他者の意見は良いものであればなんであれ聞きます。

お礼日時:2013/05/31 22:15

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