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私自身はとくに関心がない、というか
どうでもいいことなのですが、気になったので質問します。
無知は無知なりの考えで、
これは憲法の「個人の信教の自由」に違反するような
気がするのですが、
実際のところ、こういう解釈は大間違いなのでしょうか?
そもそも憲法に違反するなら、通達自体違法ってことだし…
きちんとした理由なり解釈があるのだと思うのですが、
そのへんのところ、解説をお願いします。

A 回答 (12件中1~10件)

君が代と神道の関係はそれほど深くないように思いますので、信教の自由というよりは思想良心の自由かなと思います。


軍国主義を経験している日本では愛国心の強要は強く戒められていますしたが、最近は社会全体が右傾化しているので、どうなるかわかりません。国歌がどう評価されるかは裁判所の判断を待つ必要があるように思います。といっても誰かが裁判を起こさなければ結論はでないわけですが……
個人的には通達だけならともかく、処分は問題があるだろうと思います。
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この回答へのお礼

「信教の自由」など、何となくこんな感じ、で書いてしまい、
調べればわかることを間違えてしまいました。すみません。
個人的には、自然な連想の流れとして
君が代→天皇→神道
だったもので…。とにかく処分はどうなのかな、と。

お礼日時:2004/04/01 13:06

信教ではなく、思想、信条の自由に反するということですね?


彼らが、個人としてどのようなお考えをお持ちでももちろんかまいません。
しかし、一方彼らは公務員でもあるわけです。
「公務員法」により、職務の専念義務がありますし、政治活動も禁止されています。
したっがって、職務中に命令違反すれば処分されるのは当然のことです。
なお、法律により「君が代」はわが国の国歌であり、「日の丸」もわが国の国旗です。

関心がないとのことですが、わが国以外の国々で、その国の国旗がどれだけ大切にされているかをお考えください。
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この回答へのお礼

「信教の自由」など、何となくこんな感じ、で書いてしまい、
調べればわかることを間違えてしまいました。すみません。
命令違反といわれれば、まあそうかと言わざるを得ませんが、
私の感覚では君が代日の丸反対は「政治活動」というよりは、
「思想、信条の自由」なのです。
なので、どうなんだろう、と。

>関心がないとのことですが、わが国以外の国々で、その国の国旗がどれだけ大切にされているかをお考えください。

それは恐らく、学校や家庭でそういう教育がなされなかった為なのでしょう。
そのことの是非はともかくとして。
私も日本人のはしくれなので、サッカーやオリンピックなどで日の丸をみると、日本がんばれ、と
日の丸にある種の誇りを感じることもあります。関心がないなりに、思うところがなきにしもあらずです。
他国で国旗、国家が大切にされている理由のひとつは、
闘争のうえ勝ち取ったものや、その象徴だからなのでは
ないかと思うのですが、どうなのでしょう。
また逆に日本人にその敬意が薄いのは、その逆だからなのではないかと勝手な想像なのですが。

お礼日時:2004/04/01 13:15

今回、MLB開幕戦でアメリカと日本の国歌斉唱がありました。


こういった公共の場で国歌斉唱があるばあい、たとえ主義主張があったとしても、国旗に向かって起立脱帽するのは、大人の国際人としての「常識」です。
賛成、反対、は個人の自由ですが、それを公共の場で表現するのは常識のないことです。

MLB開幕戦やオリンピックの表彰式で、国歌に反対だからといって、後ろをむいたいり、座り込んだりするのは「変」なことです。
卒業式でも、座り込むのは「変」で、常識ある大人とは言えません。
高校を卒業して常識ある大人になるんですから、主義主張を表現するとしても場所をわきまえるべきです。

東京都(石原知事)としてはこの事を教えようと思っているのではないでしょうか?
だからといって、教員の処分は行きすぎだと思いますが。
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この回答へのお礼

「信教の自由」など、何となくこんな感じ、で書いてしまい、
調べればわかることを間違えてしまいました。すみません。

常識云々は、まったくその通りだと思います。
なんだかんだといったところで、自分も子供の公の場
(入学式、入園式など)では普通に歌いますからね。
また怒られそうですが、個人的にはどうでもいいことなのです。
だから公の場ではいわゆる常識にしたがって行動します。
起立もするし歌いもします。
それで別に自分の信条を曲げさせられた!とは思わないですし。

お礼日時:2004/04/01 13:19

大間違いではないと思いますが、



思想がどうこうではなく、
「国歌を歌う」という規律に反したことが
公務員なんとか法(すいません、忘れました)の何条かに反するから処分になるわけです。

悪法でも法律は法律、規則は規則ですから、それに反する行動をとれば処分されるのもいたしかたないと私は思います。

個人的には、思想どうこうをもちだして卒業式や入学式を乱すような行為をする大人がいることが信じられません。

「ネクタイ着用」がルールとなっている会社で、「なんでネクタイをしなきゃいけないんだ!個人の人権侵害だ!」とったところで、クビになったって、文句いえないですよね。それと同じことだと私は思います。
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この回答へのお礼

「信教の自由」など、何となくこんな感じ、で書いてしまい、
調べればわかることを間違えてしまいました。すみません。

>悪法でも法律は法律
それはそうなのですが、処分の根拠となる法の上には、
やはり憲法があると思うので…。

>個人的には、思想どうこうをもちだして卒業式や入学式を乱すような行為をする大人がいることが信じられません。
それは私も同感です。それこそ「大人げない」と思いはします。
が、そういう人たちをそこまで駆り立てる何らかの
「感情」がわき上がるようなものを、処分をふりかざして「強制」する、
というのは、やはり何か間違っているような気がしてならないのです。

お礼日時:2004/04/01 13:24

やはり、戦前の軍国主義教育から端を発していると思うけど、ここ10数年まえから急にクローズアップされてきたような気が・・・?。

何かで読んだけど「日の丸」も「君が代」も正式な国旗・国歌としては決められていなかったような話しもあってね。ただ、小さい頃からそう教えられてきたし、国際大会の応援では自然に「ニッポン・チャチャチャ」になっちゃうしね。特に「日の丸」はアジア諸国では第二次大戦の影響で評判の悪い年代も居るし、歴史の評価も「侵略」なのか「進出」なのか別れているし。ドイツみたいに、未だにナチスの戦犯を追いかけているかと思えば、戦死者と戦犯を靖国神社に合祀している国もあるし。解釈の違いもあるけど、じぶんたちは君=天皇と教わってきたので、君が代を教師に強要させて子供たちに歌わせるのは感心しません。ちなみに自分は公の場で君が代を歌う場面では、「民が~代~は~」と歌っていますけどね。
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この回答へのお礼

「信教の自由」など、何となくこんな感じ、で書いてしまい、
調べればわかることを間違えてしまいました。すみません。

社会全体が右傾化しているような風潮はありますね、確かに。
とくに若い世代に増えているような気がします。
自分のことを「わし」とかいう漫画家のせいでしょうか。

とにかく、強制することに非常に違和感を感じるんです。

お礼日時:2004/04/01 13:28

処分されて当然ですね。


法律に違反しているのですから。
そんなに嫌だったら、公務員を辞めればいいのです。
一般企業で働けば、いいのです。
こんなやつらが教師なんだから、
今の若者が好き放題やるのは、
当然の帰結ですよ。
だって、個人の自由なんだから、なにをしてもいいですもんね!!
革命思想の大人を見て、子供も真似をする。
反対だけなら、誰でもできる。
だったら、その代替案を提示しろっていいたい。
ま、無理でしょうけどね。
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No2です。



> 私の感覚では君が代日の丸反対は「政治活動」というよりは、思想、信条の自由」なのです。

彼らが何を心の中に思おうが自由ですが、その「思想」を他人に押し付けるのが政治活動です。
公務員が職務中に政治活動してはいけません。

> 他国で国旗、国家が大切にされている理由のひとつは、
闘争のうえ勝ち取ったものや、その象徴だからなのでは
ないかと思うのですが、どうなのでしょう。

もちろんそのような面もあると思います。しかし、一番の理由は子供のときからどの国でも「国旗、国歌を敬え。国に忠誠を尽くせ」と教育されているからです。
「世界中にこんな悪い国は無い」とようなことを教えるどこかの教職員組合が学校教育を牛耳る、情けない某国はまったく違いますが。

なお、蛇足ですが、中国や韓国で一番反日感情が強いのは実際に被害を受けた世代ではなく、強烈な反日教育を受けて育った戦後の世代です。教育の力はそれだけ大きいのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>その「思想」を他人に押し付けるのが政治活動です。
ここなんですよね、多分ひっかかってるのは。
要するに、妨害行為するような人たちは処分されて当然だと思うんですよ。
下のほうで言っていた方もいますが、法は法なのですから。
ただ、起立しないっていうのは、何も他人に強要してるわけではないですよね。
まあ退席は職務放棄でしょうが…。それでもやはり、それは政治活動とは違うような…。

>「世界中にこんな悪い国は無い」とようなことを教えるどこかの教職員組合が学校教育を牛耳る、情けない某国
そういう方も多いのかと思いますが、
実際現場では、もっとリベラルだとおもうんですが、どうなんでしょう?
かつてこんな悪いことをしたこともあった、と、あくまで資料からわかる事実を淡々と教え、
しかし日本という国はそんな悪い国ではないよ、と。
戦時というのは人、常識を180度かえてしまうわけで、
そのときはそれが常識だったんだ、と。
日本には優れた文化など世界に誇れるものがたくさんあるじゃないか、と。
私はそういう認識です。なので逆に、大虐殺はなかったとか、
そういったたぐいの話には「まだ言ってんのか」とあきれたりもするわけです。
(そのへんはまた別の議論なので今はこれ以上は無しということで)

お礼日時:2004/04/01 15:02

教職員の中に「感情」が湧きあがるものがある、それを処分を振りかざして強制する…


って書いていらっしゃいますが、そういう先生って単に自分の心情を教育と混同している愚かな人、っていうだけじゃないでしょうか。ただでさえ自分勝手な人間が増えてきて、モラルの低下とか犯罪の増加とかで世情が不安になっていますけど、そうなった原因のひとつは、こういう自分勝手な人たちがなぜか公務員になって、しかも「国家を愛することはいけないこと」「日本の国旗は軍国主義のシンボル」だとか勝手な理由で、大事に思っている人もいる国歌や国旗をないがしろにするような、子供っぽい教育のせいじゃないでしょうか。そう感じてる人は多いと思いますよ。

大体、今時これだけ世界経済とリンクした時代に、「日本が軍国主義化する」だのって、単なる情報無知としか思えません。自衛隊だってシビリアンコントロールされているし、日本が今さら侵略戦争して何の得があるんですかと問いたいです。
(軍国主義をいうんなら、チベットを武力で抑えつけて、台湾の民主的独立にも脅しをかけて、10年以上も軍事費が2ケタアップにしているお隣の大国こそそうじゃないんでしょうか。そっちにもまず言うべきことを言う人じゃないと、ダブルスタンダードで信用できないですよ)

思考停止した学校の先生がたには、社会にもし不満があるんなら、政治を通じて社会を変える努力をするべきだ、と言いたいです。公務員=社会の公僕になっておきながら、ほかの社会人がとるような社会的なプロセスをとらずに、子供たちに自分の心情を教育の名前でまぎれ込ませるのは反則行為。
自分の家族、住んでいる地域に自然な愛情を持ってどこが悪いんでしょうか。自分の家族、隣の家族、ってつながった先に日本という国もあるんだと思いますよ。先生方のいう『国家』は悪のかたまりにしか見えないらしいけど。
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この回答へのお礼

確かに、自分の子供に「国家を愛することはいけないこと」「日本の国旗は軍国主義のシンボル」だとか
たたき込まれたら、ちょいまち、と思いますね。
せめて「『かつては』日本の国旗は軍国主義のシンボル」ぐらいして欲しいものですが、
(実際侵略もとい進出された国々では現在もそう感じるひとがいるのかもしれませんが)
どちらにしても、自分の子供には自国の文化をもっと深く知って、
日本を愛する心を持ってほしいとは思いますね。
ただそれがエスカレートして、それこそ逆に小林某氏や某つくる会の方々にどっぷりはまった若い先生なんかに、
偏った情報をたたき込まれるようなことも勘弁願いたいですね。
>自分の家族、隣の家族、ってつながった先に日本という国もあるんだと思いますよ
それはもっともなのですが、例えば自分の家族を守るために、と思えば戦おうとも思いますが、
その先にある日本という国のために戦おうとは、今のところ私は思いません。
だからといって愛国心がないわけではないのですが。いや勿論ある方面の方々にとっては
「そんなの愛国心があるって言えねえよ!」と怒鳴られそうですが。

お礼日時:2004/04/01 15:19

 人に思想を強制することは間違いです。

yo-yaさんが言うように明白な憲法違反。公務員法以前の問題ですよ、あんなものは(笑)。
 国歌がいかなるものか、その解釈自体も個々人により異なります。国民であれば国歌を敬い歌うのは当然、というのも思想なら、別に歌う必要なし、というのも思想です。
 子供達を教える立場にある教育者であれば、個人の信条を乗り越えて歌うべきだというのも、一つの思想に過ぎず、思想の押し付け以外の何物でもないわけです。ですから、公務員法以前の問題です。
 子供達にしてもそうで、君が代をどう思うかはその子次第のはずです。子供には、君が代に好感を持たせなければならない、愛するように教育しなければならない、というのも、一つの思想であり、思想の押し付け、悪く言えば、判断力の弱い子供にそう教育することは洗脳するに等しいことです。
 また、君が代には賛否両論があり、歌わない事が国を嫌っていることを示すわけではありません。逆に、国を愛するが故に嫌う人もいます。歌わないだけで国を貶める人だと解する人がいるなら、もはや暴論の極み、君が代をすばらしいと考える自分の意見を押し付けているだけに過ぎません。短絡的過ぎます。人と自分との違いを受け入れられず、認められない偏狭な人達だと言って過言ではないでしょう。

 最近、薄気味が悪くて仕方がありません。どこを見ても愛国、愛国。愛国心という言葉を持ち出せば、どんな暴論でも否定しにくくなる。愛国心が家族愛や郷土愛などを背景とした純朴でささやかなものであるとするなら、ことあるごとに愛国心なる言葉など出てこないはず。本物の愛国心は、普段は心の内に秘められ意識されないもので、戦争などの特殊な場面でのみ表出するもの、今のような平時に愛国心なる言葉が跳梁跋扈するのは健全とは言えません。外国人差別が激化するなど民族主義が台頭する気配を見せ、歴史に興味のない人間が伝統という言葉を過度に使用するなど国粋主義台頭の気配も漂い始めている現在に、そういう現象が起きているのですから。
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アメリカの「国家への忠誠宣誓」に関しては例えばエホバの証人などが、偶像崇拝であり、国旗に対する誓約文が認められないという理由により拒否したことで退学になったりの際などにそのつど訴えを起こしています。


で判決に関しては
「国旗敬礼は、礼拝行為でもなければ偶像崇拝でもなく、まして宗教的な儀式ではない。国旗は宗教と無関係」「信教の自由という自由も、秩序ある社会を前提として成り立っており、その秩序ある社会を表象するのが国旗」「法の要求に応じたくないものは、彼らだけの学校を自由に作ることができる」 
まぁこの辺の判例は戦前のものなので、今現在だともう少し柔らかく言い換えられていますが、大体において訴えは全て却下されています。

で日本においてはどうかと言うと。
まずアメリカのような忠誠を誓う宣誓儀式の強制性などが問題になっているのではなく、卒業式などで歌うか歌わないか、掲げるか掲げないかのレベルでもめていますからねぇ。これが信教の自由を侵す行為なのかどうかということでしょう。
またこれらが教員側の当然の職務の範疇にはいるのかどうかというのもあるでしょう。

まぁカエルだってオケラだって、アナーキストだってテロリストだって皆生きている訳ですから、最低限の人権は保証されています。
反政府的な活動・運動も法律の範囲内においては認められています。将来のテロリストを育てる為に教員になった人の人権もある程度は保障されるべきでしょうが。
だからと言って相対主義に陥りあれもアリ、これもアリで何でも認めてしまうのは唯の動物でしかないかなと思います。

あーあと最後にひとつ質問になるんですが。
未だに侵略・進出の書き換えの「誤報」を信じていらっしゃるのも
まぁこれも個人の信条の自由と言ってしまえば自由というわけで認めるべきなんでしょうかねぇ?
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