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親鸞聖人は阿弥陀如来だけを信じて、外道は一切信じるな拝むなと教えを説いたそうですが、私にはそれが理解できません。
本当に親鸞聖人は外道を拝むな、信じるなと言ったのですか?
それとももっと奥深い意味があるのでしょうか?

阿弥陀様以外の信心は救われないとなると、他の神様を信じてる人(神道やキリスト等)から反感を買うのは必至。それが大きく発展するとアメリカ×イラクのような宗教戦争が起きてしまうと思うのです。
両者には各々の崇拝する神の元、正義を掲げてるのですから・・・。
宗教関連に詳しい方是非教えて下さい。

A 回答 (4件)

以前読んだ本の記憶の範囲で書きます。

もしかしたら、蓮如の話と混ざっているかもしれませんので、自身なしにしておきます。

他の宗派を信じている人に対して、論争を挑むなと言うことを言っていたはずです。

また、阿弥陀如来を信じたからその人が救われるのでなく、阿弥陀如来はすべての人(文字通りすべての人)を救ってくださる願いを立てた(弥陀の本願)。阿弥陀さまを拝むのはそれへの感謝の印であって、拝まないからといって救われないわけではないはずです。
と言うことで他の宗派とかなり異なる考えだと思っています。
また、親鸞は弟子を持たなかった(実質的な弟子はいるものの、「同朋」と読んで共に学ぶものという姿勢)とか、僧侶の妻帯を認めるなど、カソリックに対するプロテスタントの関係に似ていると思います。(プロテスタントでは聖職者は居ない。牧師は信者中の単なる代表であり妻帯もできる)
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この回答へのお礼

納得です。
胸がすっとしました。
別の本を探して読み直してみたいと思います。
回答有難うございました。

お礼日時:2004/04/12 18:47

私も#2さんと同様、法然や親鸞が排他的な主張をしているとは思いません。

個々の一言一句より、全体の流れで見ることが必要だと思います。

日蓮などは、鎌倉幕府に自分の教えを国教とするよう働きかけをしていますが、浄土系の宗派では極楽浄土をめざすのが基本だから、あえて現世で他の宗教と争わないんですが。
思想的に争うのではなく、一向一揆のように生活をかけた戦いはあります。(たとえば織田軍の石山本願寺攻めのときに、門徒でない雑賀孫一が本願寺がわに加わっている)
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この回答へのお礼

「図解親鸞上人」を読んで疑問がだんだん膨らんできたので今回投稿したのですが、別の書籍を探して、親鸞上人、蓮如上人の本を読んでみたいと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2004/04/12 18:45

>本当に親鸞上人は外道を拝むな、信じるなと言ったのですか?



 親鸞の師、法然が「ひたすら阿弥陀如来を信じて、念仏を唱えることによってのみ救われる」とする立場であったのは確かですが「外道は一切信じるな拝むな」という教えは法然にも親鸞にもありません。親鸞の主著に「歎異鈔」「愚禿悲嘆述壊」「教行信証」がありますが、確認できませんでした。

 当時「人を殺そうが、人の物を盗もうが南無阿弥陀仏を唱えれば救われる」という風にとらえた弟子が少なからずいて、法然を悩ませました。そういうことをのさばらす浄土宗の主として、朝廷や幕府から反感を買っていたのは事実です。

 質問者yuuka55さんの質問の意図では、矛先が、法然、一遍、良忍や日蓮ではなく、なぜ親鸞だけなのかと疑問に思いましたが、キリスト教や仏教は一般的には一神教だと言われていますので、回答者No.1さんのおっしゃるように布教の際、排他的要素を各教団が含んでいることは否定できません。

 過去、日本に於いてもyuuka55さんが心配されているように各教団同士の戦争もありました。
 それでも、日本が宗教国として発展しなかったのは、聖徳太子や織田信長、天皇崇拝による第二次世界大戦敗戦の影響が大きいからです。

 宗教は歓迎するが、宗教に盲目にならないように免疫をそなえているのが今の日本人の姿だと思います。宗教戦争に終止符を打つ鍵は日本人が持っているのではないかと思っているくらいです。

この回答への補足

ありがとうございました。
今「図解 親鸞上人」を読んでいて、親鸞の弟子が熊野大社へどうしても主人のお供で参拝しなければならない事になり、どうしたものかと親鸞に尋ねたところ参拝はならぬという返答をしたそうです(途中割愛します)。で次ページに阿弥陀様だけを一身を信じ、外道を拝まずと書いてあったのです。
すごく疑問に思ってしまって今回投稿したのですが、日蓮が他の宗教を激しく批判したとは聞いたけど、親鸞上人もそんな事を本当に言ってたのかと思って聞いてみたかったんです。
その本が過剰に書いてあったんでしょうか?
私の勝手な解釈ですけど阿弥陀如来ほど、慈愛に満ちた仏はいないとするならば全てを受け入れられるはず。他宗教を尊重をするのも受入れられると思うのですが・・・だから法然も親鸞もそうではなかったのかと・・・
最近宗旨かえをしたので、親鸞上人の事を勉強しようと思い分かりやすそうなその本を購入したんですけど、もしご存知であるならお勧めの書物がありましたら教えて頂けませんでしょうか?

補足日時:2004/04/04 13:57
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親鸞聖人の教えについては確認できませんでした。



ですが、宗教はもともと排他的なものではないでしょうか? 特に一神教の場合、それを信じるなら、ほかに神は存在しないわけですよね。だから、他の宗教は邪教、誤った考え、となってしまいます。だからこそ、宗教に関係する争いは過去から現在まで絶えないのではないでしょうか。

日本では、家に仏壇がありながら神社にお参りし、結婚式は教会で、なんて人も少なくないわけですが、宗教の教えを厳格に守るならばおかしいこと、となるのではないでしょうか?

もっとも、宗教の中には多神教もあるわけで、そういう宗教を信じる人は、他の宗教にも寛大、というのを聞いたこともあります。ギリシア神話や北欧神話の世界ですね。 
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
本当に日本人はおおらかですよね。
神も仏もキリストも上手に受け入れて、世界の人たちがお互いに他の宗教を認め尊重するようになれば戦争は避けられるのふではと思うのですが・・・
以前仏教、キリスト、他の宗教の指導者達が一同に集まり平和を願う集いがあったとNEWSでみました。
それが本当の宗教のあり方だと私は思うのですが・・・
話はそれましたが、今回投稿したきっかけはちょうど「図解親鸞上人」を読んで疑問に思ったので、本当にそう教えを説いたのか確認したかったので投稿しました。
ご意見ありがとうございました。

お礼日時:2004/04/04 13:57

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