最速怪談選手権

最近の絵本は暴力表現が抑えられ
変更されているものが多いと聞きます。

逆にあえてグロテスクで暴力的な表現の絵本で
子供の躾けに効果が有ったとする人達も居る様です。


個人的には、
暴力的な「表現」を知ると成長に付きものの葛藤の苦しさから
暴力的な「表現」を子供なりの解釈で他の子に使ってしまって、
保護者の目の届かない所で
叩いた 叩き返した 叩き返された などを誘発するのではないか?
人と衝突して人を避けたり、孤立や孤独を誘発しないのか?
と少し心配になるのですが、考え過ぎでしょうか・・・?
(根本的には絵本以前の
 保護者の選択、価値観やフォローの問題でしょうけれど。)


それに下手に恐怖などの感情を利用して躾けると、
感情が受け入れ難い言葉に耳を傾けなくなる弊害があります。

考え方が凝り固まり過ぎれば、自分の我を突き通して過ぎて
言い争いになったり、相手に勧善懲悪的な態度を取ってしまって、
相手の立場や気持ちを理解しようとせず、
いじめ加害者や一転孤立していじめ被害者になる事を誘発するのでは
とも思えるのですが。 ・・・考え過ぎでしょうかね。


子は親の前では嫌われまいと良い子を演じがちで、
問題は主に目の届かない所で起こるものだと思いますが、

絵本の暴力表現を保護者としてどうお感じになられますか?
子供は暴力表現をどう受け止めている様に見えますか?


客観的にご感想を頂けますと幸いです。
よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

ゆとり世代中に子育てしていた者です。



随分以前から、昔話の絵本の結末が残酷すぎて子供に読んであげられない。「殺す」以外の結末の昔話の絵本はないものだろうか…と話題になっていました。
人種差別につながると出版停止になった絵本もありました。
無差別な連続誘拐殺人や連続殺傷事件が起こると、どうしても差別語や過激な表現に敏感なるものです。

すでに世の中が『優しい結末』に変っていましたが、私は古くから読まれている絵本が手元にありましたので、それを子供に読んで育てました。
確かに一時期、汚い言葉を好んで使う年齢の時は汚い言葉を使っていましたが、ただ『死ね』『殺す』などの言葉は使うこともなく、それほど絵本からの影響は見られませんでした。
昔話の世界であり家庭では使わない言葉ですので、定着せず、架空の世界と現実が混同することがなかったからだとも思っています。

絵本の影響より、現実の生活の中で親や友達が使っていると、すぐに影響を受けます。
友達とゲームをするようになると、「ぶっ倒す」「死ね」「おらおらおら」…と互いに声を出し合い気持ちの高揚を楽しむようになると暴力表現が一気に加速しました。

叩いたり、友達と衝突したりすることが絵本からの影響とは捉えていません。
そういう衝突を止めず経験させた方が『加減』を知る良い機会だと思います。
怪我をさせるまでやらせる事は駄目ですが、いつも一方的に加害者、被害者でなく、相手の親も同じ教育方針で、力加減も同じくらいなら…など条件がいくつもいりますので、許される環境となってしまうことが前提ですが、経験不足は子供の成長不足になると思っていました。

オオカミはオオカミ同士の戦いの最中、相手が喉を見せ降参の姿勢を取ったら、たとえ狂暴な興奮状態であっても、喉をかみ切ることはしないそうです。小さいころから、兄弟や他の子供同士、じゃれ合いから喧嘩になり、やりすぎると大人のオオカミが止め諌めます。
群れで暮らす者には必要な訓練(経験)、こういう訓練を繰り返すことで自制心が育つのだそうです。
小鳥は相手が死んでいても攻撃を止めず、攻撃性の気が収まるかそこから退かすまで突き続けるのだそうです。弱いものほど加減を知らないという例えに使われる話です。

私流の子育てですが、心の中で思うことと言葉にして出すことの大きな違い、言葉にすることでその言葉が力を持つこと、力をもつことの怖さと人に向けてはいけない言葉を繰り返し教えてきました。
事が起こる前に先回りして防がず、言われたりされたりして嫌だったこと、未熟ゆえのトラブルで失敗したり怒られたりしたこと、その経験をたくさんしたから『加減』も『自制心』も育ったのだと思っています。嫌な事や痛いこと悲しかった悔しかったことは経験しないことには想像が出来ません。
絵本はあくまでも絵本の世界。その世界から想像性を育んでもらえるものと思うのです。
『こうしたら、された相手はどう思うか』
想像力と抑制力がきちんと備われば、大きな事件を起こすことはないと思って子育てしていました。
相当活発な子供たちも今や成人しましたが、「うざい」「うるせぇ」…使っているところを見たこともないですし、暴力的な面も全くなく育ちました。

ただ、恐怖心を突いて躾ることは私も認めていませんし、日常で暴力的言葉や行為に触れている子共にとって、絵本の暴力表現はリアルに受けとめるとも考えられます。なので『優しい結末』の絵本があっても良いと思っています。
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この回答へのお礼

加減を経験し知る。
想像力と抑制力・・。
ご回答ありがとうございました。
考えさせられます。

お礼日時:2014/01/29 02:15

3児の母です。

絵本については…うちはあまり表現は気にしません。またうちで気を付けていても保育園や幼稚園、小学校と沢山のお友達と会話する事で、怖い話や暴力的な事を聞いたり、見たりしてきます。大事なのは親がきちんと子供を愛してあげる事だと思います。そうする事で子供の情緒は安定して多少いきすぎた絵本の内容もきちんと理解してくれると思ってます。

話はずれますが、最近は保育園や幼稚園では給食は残しても怒られません。食事は楽しいと子供に思わせる為、嫌悪感を抱かせないためにです。

うちの子は白飯がイヤでいつも残しまくってます。やっぱりこれではダメと思い、「火蛍るの墓」を見せました。(人が死んだり、殴られたり、盗みのシーンもあります)きちんと内容をわかりやすく説明しながら。

理解は難しかった様ですがそれでもご飯を食べられるって幸せな事なんだとわかって欲しいからそういう教育は続けたいと思っています。

残酷な現実がある中で自分は幸せで恵まれていると理解させる事も大事と私は考えます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>うちで気を付けていても保育園や幼稚園、
>小学校と沢山のお友達と会話する事で、
>怖い話や暴力的な事を聞いたり、見たりしてきます。
そうですよね。
この世界は自然界の延長線上。
気付いていないだけで世界は凄く残酷ですから。

少しずつ、ちゃんと触れさせ考えさせ、
その先に待つ自分に跳ね返る事の意味も
少しずつ教えてあげる事が、きっと本人の為に。


傷付けられ苦しみの衝動が愛情を阻む人達は
どうすれば穏やかに愛せる様になるのか。
・・残酷なもので。


>食事は楽しいと子供に思わせる為、嫌悪感を抱かせないためにです。
なるほどですね。
・・私も個人的に気をつけなければならない様です。


色々気付かせて頂きありがとうございます。

ただ、
>自分は幸せで恵まれていると理解させる事も大事と私は考えます。
私もそう思うのですが、行き過ぎると
辛く苦しい時に自分の感情にまで嫌悪する理由になり、
苦しみからの言動が増すケースも有る様に思います。
自制と自己嫌悪。良い面悪い面が付きまとう様にも。

真面目に不真面目。
バランス良く笑い笑顔になれる事も大切かな と。

どれも大切で難しいですね・・。


ご回答ありがとうございました。
考えさせられます。

お礼日時:2013/08/28 01:22

押しちゃ駄目 って言われたボタンは、押したくなるものです


それは
未知への好奇心が有るからです

大人は色々な経験を持っているから、
禁止された事に、どのようなリスクが有るのか?を、
予測する事が出来ます

子供は経験や知識が無いから、「駄目」と言われても
なぜ駄目なのか?が、判らないと思うのです

子供はよく 「なんで?」って質問を、大人に投げかけると思います
それは
未知への好奇心を満たしたいからだと思うのです


これを踏まえて

私なら、子供が興味を持ったなら、読ませたいと思います
ただし
子供が道を踏み外さないように
子供が物語を、変な風に解釈しないように
まずは読み聞かせをして
この本はこんな物語なんだよ と、
子供の心を誘導していこうと思います

まぁ
あまりにも変な物は、身近に置かないようにするつもりですけどね
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

そうですね。
興味を持ったなら読ませてちゃんと誘導する。

全く知らないというのも
知らぬ間に知って陰でのめり込むなんて事に
なったりする可能性もあるのでしょうから。


でもそうはできない、そうはしない保護者も居るのですよね。
それも自由なのですけれど、
想いが空回りし悪循環になってる家庭もある為に、
絵本などの表現と上手く付き合えない人の為には
何が良いのだろう と考えさせられたりも。

参考になりました。 ありがとうございました。

お礼日時:2013/08/27 23:12

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