プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

よくカメラのページで「等倍でみると」と部分拡大の写真がありますが
等倍とはどういう意味ですか?
またそうしてみると、何か良いことがあるのでしょうか?
そうした人は、スーラなどの点描絵画も拡大してみるのでしょうか?
http://www.salvastyle.info/menu_impressionism/vi …

よろしくお教えください。

A 回答 (9件)

1.0倍(100%)のサイズで見ること


http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/247388/m0u/

500万画素で2560×1920
1000万画素になると3888×2592とかになります

一方PCだと、24インチで、画面サイズが1920×1200だったり、1920×1080
500万画以下の解像度しかありません
あなたにしては、部分的に拡大と解釈しているかもしれませんが、等倍は等倍です

2倍や3倍にすると拡大になります
半分にすると縮小となります
    • good
    • 0
この回答へのお礼

なるほどよくわかりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2013/10/05 00:46

>等倍とはどういう意味ですか?



拡大も縮小もしないで、等倍(1倍)で見ること。
例えば、PCのモニターが、1920x1080だったとします。
デジカメで撮影した写真が、(計算を簡単にするために、縦横x2倍の)3840x2160だったとすると
モニター一杯(フルスクリーン)に映したとしても、縦横各1/2に縮小して表示している事になります。

この場合、パソコンの処理で縦横1/2に縮小しているので、パソコンの縮小ソフトによって画質が変わります。
また。一般に縮小すると、元画像の粗が目立たなくなります。

なので、元画像(デジカメの画質)の良し悪しを見る(判断する)ために、等倍(1倍)で表示させるのです。

コンデジ(コンパクトデジカメ)は、一般ユーザーの誤解(メーカーも誤解させている?)から
1,000万画素以上が常識になっていますが、高画素化による弊害で数百万画素のデジカメより低画質になっています。
この弊害での低画質になっている様子が、等倍表示によって、一目瞭然になります。
なので、等倍表示の画像を表示するのです。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2013/10/05 00:52

等倍とは、pixel等倍表示の事。

画面一杯に表示する事ではありません。
画像のpixel(画素)とモニターのdotを1:1 比表示にすることで、細部の画質やピント・ブレの有無を確認する事が目的。

当然、ビュアーソフトの表示領域における解像度を超える画像は、部分拡大表示になります。
ですから、作品の観賞やレタッチ時には、このような表示方法はとりません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました、普通に見て判別できない部分的なところの
優劣を判断してどうするのでしょうかね?
作品を一つの絵としてみることができないのでしょうか?

お礼日時:2013/10/05 00:51

>等倍とはどういう意味ですか


ピクセル等倍という意味です。
つまり画像データの1ピクセルをディスプレイの1ピクセルにピッタリ合わせて表示するのが「等倍でみる」ということになります。
数値に関しては既に回答がありますので省きますが、ディスプレイによる差はあるとはいえ、とても大きく表示されることになります。
そうすると通常の表示では見えなかった微妙なブレやわずかなピンボケが分かるようになるので、写真の良し悪しを判定するときの一つの方法になるわけです。

三脚を使うなどして人為的な誤差を極力少なくしてやると、機材、特にレンズの性能を計る指針にすることもできるわけで、この機材はここがいい、ここがダメだ、という判断の材料にもなります。
こういうことに血道を上げている人を『等倍マニア』とか『等倍厨』と呼ぶことがあります。

>スーラなどの点描絵画も拡大してみるのでしょうか
絵画に携わる人でもない限り、それはしないと思いますよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ピクセル等倍の事なのですね
ありがとうございました。
>『等倍マニア』とか『等倍厨』と呼ぶことがあります

スーラの絵を点々だからよくないというようなものですね。
全く理解に苦しみます。

お礼日時:2013/10/05 00:49

"等倍マニア"という言葉を、自分で作っておいて


なんですか?も何もありませんけどね。

等倍は等倍です。拡大も縮小もしていませんが
写真用語としては、等倍は普通等倍撮影のことです。

どちらかというと、一般的なものではなく、銀塩フィルム時代の概念で
フィルムに写ったものが、実物の大きさそのままという意味で、等倍撮影という言葉があります。
いわゆるマクロレンズでしか、等倍撮影はできません。


等倍表示は、逆に一般的なものです。
というか、それがあたりまえ。
縮小表示したら、情報量が失われるんだから
縮小表示で、画質を論じることなんかできません。


というわけで、スーラの絵画を等倍撮影するのは、ナンセンスとも言えます。
絵画の評価は、全体によってのみ成り立つので
技法自体を撮影して、それを見たとして、それをすごいと考えることが
スーラの絵画の評価ということは無いでしょう。単に技法が特徴的なだけです。

スーラの絵画の全体を撮影して、その撮影データを等倍表示し
中心部から周辺部までを観察することは
レンズの評価において、ある程度有意かもしれません。

レンズには、必然的にゆがみが生じ、一般的には周辺部で
コマ収差とよばれる悪影響が現れることがあります。

スーラの絵画を、充分に撮影する性能が確認できるならば
等倍表示で観察することにも、一定の意味があると思います。


まぁ、写真には、機械としての視点と
芸術的な視点があるし
機械操作を含む技術と、感性の二面から取り組むものですよ。

#後者の不足を理由に、写真撮りはやめちゃいましたけどね
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2013/10/05 00:47

>普通に見て判別できない部分的なところの


優劣を判断してどうするのでしょうかね?
作品を一つの絵としてみることができないのでしょうか?

新しいボディーやレンズを購入した時や定期的に、AF精度や解像感・ヌケなどチェックするのは、マニアでなくても普通に遣る事です。
勿論、大伸ばしだと、そう言う部分も見えるから、チェックするのです。
調理人が包丁の手入れをする。同じ事ですよ。

だから、通常の観賞方法では無いと書いた筈ですが・・・
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとうございます。

>通常の観賞方法では無い
そうですね、単に
「このレンズはこんなにすごいんだぞ恐れ入ったか」
と自慢したいだけ。
「お前のレンズはこんな欠点があるんだぞ」
って難癖付けたいだけですよね。
包丁の手入れとは何の相似もないと思います。

大伸ばしだと分かるということは、その写真の一部分を見て
云々するということですから、すでに鑑賞じゃないのです。

自分の作った作品が隅々まで細かくチェックされても大丈夫って
自己満足以外何のためにこだわるのでしょうか?
写真の価値ってそんなものなのですか?

お礼日時:2013/10/05 05:54

写りの確認の意味で、等倍くらいまでの拡大はよくやります。


写真、意図したところにきちんとピントが合い、ぶれが少ないのが原則ですから。もちろん作品として見た場合、ブレなどが効果的なこともあります。また、たとえばまつげ一本一本まで完全に区別できるような写真が作品としてよいわけでもありません。ですが、ピントが意図したところに合っていないのは作品としてまずいわけで、その確認を行います。ブレも許容範囲か確認をしますし、トリミングしなくてはならない場合でもどの程度までの大きさでプリント可能か、確認をします。
私の場合、より良い作品を作るために等倍まで拡大する、ということになります。フイルム時代も高倍率ルーペで同じように確認していました。

念のため補足しておきますが、解像度が高いレンズが良いレンズではないですよね? 私も1本、女性を写すのに定評のある単焦点を持っていますが、解像度はF2.8クラスのズームレンズより低く、並みのズームレンズ程度です。でも、被写体によってはレンズの味が生きてくるので使い分けています。

ところで美術館に行くと、点描絵画に限らず至近距離で見ている人ばかりですね・・・。高さ3m近いような作品でも1m位のロープギリギリで見ている、そんな人ばかりです。私の感覚ではこの距離では作品として見えないと思うのですけど。(一部作品は近距離で描画方法などもつい見てしまいますけど)

この回答への補足

>「眼鏡はピクセル等倍ですよ」
「眼鏡は」は「元凶は」の間違いですごめんなさい

補足日時:2013/10/05 09:40
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとうございます
雑誌「日本カメラ」5月号対談記事に「那和秀峻」というかたが
「眼鏡はピクセル等倍ですよ」
「何でもかんでもピントが合って、露出があって収差がなくて
そういうのがいい写真だってなっている、そうじゃないだろう」
って言ってます。

同雑誌の「曽根原昇」氏のコラムでも、
「カメラ史初期のレンズに比べれば、今のレンズは比較的安価な
ものでも無収差と言って差し支えないほどに高性能(デジタル
収差補正の効果もある)。あまり細かな収差にこだわっていると
初期レンズで名作を残してきた先人達に申し訳なくさえ思えてくる」
と書いてらっしゃいます。

世間も徐々にピクセル等倍のナンセンスさを認識してきたようですね。

お礼日時:2013/10/05 08:54

縮小したらわからないけど、写真そのもののサイズで見たら違いがわかるというだけですね。



「遠くから見て同じに見える絵画なら、点描画でもそうでなくてもどっちでもいいじゃないか」という人がいてもいいとは思います。同じに見えるのに実は点で描かれているという点に価値を感じる人もいるのです。

違いがわからないのはあくまでも「縮小した時・遠くから見た時」に限定した話であって、等倍でもしくは近くで見たらすぐに違いはわかるでしょうしね。


ただ、細部まで記録できる事と、その写真がいい写真かどうかということは直接は関係のないことです。その2つを比較しても意味がないと思います。

細部まで記録できればいい写真になるかといえばそうではありません。しかし、だからといって細部まで記録できる事に意味がないと思い込んでしまうのは短絡的過ぎると思います。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとうございます。

>細部まで記録できる事に意味がないと思い込んでしまうのは短絡的過ぎると思います。

そうですね、これは既に芸術写真とは違う意味での記録としての写真ということなら
とても大きな意味があることはわかります。

ところが、世の等倍マニアたちは、芸術写真のジャンルにピクセル等倍の優劣を
持ち込むから困ったもので、また目のない指導者・審査員がそんなことを
コメントしたりするもんですから、どんどん変な方向に向かっていました。

今後は芸術写真の世界でそんなことにこだわる人間は淘汰されると思います。

お礼日時:2013/10/05 13:12

等倍の技術的な話はすでに書かれていますので。



芸術作品としての写真という場合、画面で見るのではなくA3やら四切といったサイズに印刷するのが普通だと思うのですが…。
ちょっと前まで主流だった1600万画素で拡大・縮小といった処理なしに印刷すると、ちょうどこれぐらいのサイズになります。画面上で等倍で見て予め確認することによって、印刷せずに撮影上の問題を確認できるわけで、そういう意味では意味のある作業だと思いますよ。高い専用紙を無駄にしたり、時間を無駄にすることが無くなりますから。
フィルム時代にはポジやE判に焼いたネガをルーペでじっくり確認してから大伸ばししていたわけで、それと同様の意味があると思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2013/10/06 03:10

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!