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京浜工業地帯の鶴見線。
今では鶴見~弁天橋・浜川崎はそこそこの本数がありますが、海芝浦方面、大川方面、扇町方面は2時間に1本だったり、大川支線に至っては休日3本となっていますが、最盛期にはどのくらいの頻度で運転していたのでしょうか?特に大川支線が知りたいです。全線で茶色い電車が走っていた頃など、ご存じないでしょうか?
お願いします。

A 回答 (2件)

1972年5月のダイヤをもとにしているという手元にある本(清水晶「たのしい時刻表」)によると、


「鶴見からは扇町行きと海芝浦行きがほぼ半々に発車し、朝夕は扇町行きの一部が武蔵白石行きとなる」
「鶴見-浅野 3-4(7-8) 浅野-武蔵白石 5(15-20) 武蔵白石-扇町12(15-20)
 浅野-海芝浦 6(10-15) 武蔵白石-大川 8(15-40)」数字は朝夕の運転間隔 カッコ内は朝夕以外
という記述があります。

また、
「武蔵白石-大川を往復するたった一台の電車は、・・・朝夕は休む暇ないピストン運転だが、昼日中は、いなかのバスそこのけののんびりぶりである。」
「時刻雨氷には通勤時間以外は約15分-40分毎とあるが、・・・運転間隔のいちばん長いところは、大川発14時09分から14時59分まで、実に50分もある。」
「ともあれ、たった一両編成で、市街電車じゃあるまいし、一つ車両の前と後ろに運転席があるというパンタグラフつき客車は、いまどき東京近郊では私鉄でもお目にかかれない珍品といえよう。」
といった記述もあります。

全体的に、「東京からたった30分のところに、鶴見以外は全部無人駅で、昼間はめちゃくちゃ閑散としている変な路線があるよ。」といったトーンの紹介なのですが、いまから見ると、「うわー鶴見線の弱小支線でもこんなに頻繁に運行してたのかよ!」という感じですな。ハハハ。
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この回答へのお礼

本数が想像以上に多いことにとても驚いています。
詳しくありがとうございました。

お礼日時:2013/10/18 17:42

さきにお答えの方とほぼ同じなのですが


昭和42年10月の時刻表でも大川支線の運転間隔は
朝夕が約8分毎のその他、約15分~40分毎と記述されています。
ここはご存知のとおり大規模事業所が立地している工業地帯、
朝夕は通勤客がありますので運転間隔がそこそこにあるのでしょう。
最盛期が何時ともおもいますが日本の高度経済成長期の頃でさえ
この運転頻度とお考えになればいかがでしょうか。

ちなみに昭和46年(1971年)春の時刻改正から国鉄の合理化策で
鶴見線から駅員の配置が鶴見駅を除きなくなったと
新聞で読んだ覚えがあります。

ご参考に。
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この回答へのお礼

曖昧な質問で申し訳ございません。
一番本数が多かった頃と言う意味でしたが、高度経済成長のころが一番多そうですね。
8分毎というのは今では想像できません。それ以外で40分とちうのもなかなかです。

鶴見線のえきはどこも少し寂しいですが、駅員がいらっしゃった時期もあったのですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2013/10/20 16:18

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