

No.18ベストアンサー
- 回答日時:
こんにちは。
量子力学とマクロな現象との相性の悪さを示すものに《シュレディンガーの猫》というネコのお話があります。
《シュレディンガーの猫》のお話は、
たとえば、
http://homepage2.nifty.com/einstein/contents/rel …
http://homepage2.nifty.com/einstein/contents/rel …
量子力学とマクロな現象とは、相性が悪いんですよ。
非常にパラドキシカルな状況が出現します。
『シュレディンガーの猫と観測問題』に書いてありますけれど、
「量子の状態を決めるのは、観測者の意思である」という物理学の学説も存在します。
《シュレディンガーの猫》と似たような話に《ウィグナーの友人》というものもあります。
http://homepage2.nifty.com/einstein/contents/rel …
現在においても、《シュレ猫》話は、エキサイティングでホットな話題です。
同時に、人間の知性の限界を教えてくれる、いいお話!!
☆☆☆☆☆☆
~~~~~~
全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、無限に詰め込むと存在確率の山が平らになって、無と等しくなります。
~~~~~~
これを言ったのは、たぶん、Pさんだと思うのですけれども、
これは表現として非常にまずい、誤解を生みやすい表現ですね~。
「全ての存在は、・・・無限に詰め込む」は、非常にまずい表現。
人間は、全ての存在の一つですから、この考え方に従えば、
☆人間を無限に詰め込むことなどは出来っこありません。
という反論が出て当然です。
Pさんのこの文章は、
それができる、
あるいは、
原理的には、それが行える、
という意味になるので。
Pさんの言いたかったことは、
「肉体を構成する電子や陽子といった素粒子は…」
だとは思うのですがね。
これならばできるのかもしれませんが、
車をハンドル、タイヤ、エンジンetc.とパーツに分解したら、
それはもう車ではないんですよね。
あるのは、ハンドルやタイヤ・・・などのパーツであり、そこで述べることができるのは、パーツについてのみ。実際にそれらを組み立ては知らせてみないことには、車については、何もわからない。設計どおりにはいかないし、予想しなかった不具合が見つかることもあれば、予想以上の性能を示したりもする。壊れないように設計したしたはずの部品が、突然、壊れたりもする(笑い)。
人間の作る機械ですら、この有様です。
まして人間ともなれば・・・です。
物理学をあまり買いかぶらない方がいいですよ。
物理学ってのが、所詮、いくつもの仮設の上に成り立つ、近似理論に過ぎないので。
ねむりねこさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。
◇ ~~~~~~~~~~~~~~~
Pさんのこの文章は、
それ(* 人間を無限に詰め込むこと)ができる、
あるいは、
原理的には、それが行える、
という意味になるので。
〔* 表現として非常にまずい、誤解を生みやすい表現ですね~。〕
Pさんの言いたかったことは、
「肉体を構成する電子や陽子といった素粒子は…」
だとは思うのですがね。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ ですね 取り敢えず。
参照サイトは ミクロスコピックな現象への片寄りもマクロスコピックなそれへの片寄も 極論に過ぎるとも言っていますね。
ふうむ。厄介であり複雑ですね。
● シュレーディンガーの猫と観測問題 ~~~~~~~~~~
ミクロ系とマクロ系を認めなければ、まず”観測の連鎖”を観測対象側と観測者側とに分ける切断点は上下どちらにでも自由に移動できる。検出器上などに特定される理由はないわけだ。
さらに、彼らは量子力学を、とくにその核心である「重ね合わせの原理」を、厳密に適用すべきだと強硬に主張する。これもミクロ系とマクロ系の区別を拒否するところから出てくる。
あとで詳しく議論するように、「重ね合わせの原理」(* 量子力学的には生状態と死状態の重ね合わせ状態にあるはずだ)に固執するかぎり、量子力学的測定の完成を意味する「波動関数の収縮」は実現しない。したがって、”観測の連鎖”がどこまで続こうと、観測者側を分ける切断点をどこにもっていこうと、物理過程としての量子力学的測定は完成しない。
結局、彼らは”観測の連鎖”の終端に”抽象的自我”とか”意識”を導入し、主体的観測者の「自我」が測ったと意識したときに、波動関数が「収縮」して測定が観測するといったのである。これにはちょっと驚く。形而上学的第三者の導入だ。ここにも不動の自然に対する人間の主体性復活という思潮が見える。
● ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ミクロ系とマクロ系を原理的に峻別しようという考えはやはりおかしい。すでに前章の「シュレーディンガーの猫」の項で述べたように、マクロ系も構成要素に分解すれば、ミクロ系の集団になり、量子力学の適用対象だからである。ミクロ系にもマクロ系にも区別なしに量子力学を厳密に適用すべきだとしたのは、ノイマンとウィグナーであった。
● ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
いずれにしても、ミクロ系とマクロ系の峻別や完全同一視はあまりにも単純な理想化であり、単なる観念的遊技に過ぎない。
現在、物理学はミクロ(スコピック)でもなくマクロ(スコピック)でもない両者の中間にあるメソスコピックという現象を現実に見つけつつある。
ミクロとマクロの間には、はっきりした境界はない。私たちは、これから、この種の問題までを視野にいれながら、測定過程の物理に即して観測問題の核心に踏み込んでゆこうというのである。(量子力学入門 並木美喜雄 岩波新書より)
● ノイマン-ウィグナー理論と「ウィグナーの友人」 ~~~~~~~~
パラドクスの変形として、ウィグナーの友人というパラドクスがあるが、これは一段と面白い。猫の代わりに「ウィグナーの友人」を箱の中に入れるのだ。
「友人」を殺してはまずいから、毒ガスの放出装置の代わりにランプをおく。放射性同位元素が励起状態にあって放射線が出なければ、検出器の信号電流はなくランプは点灯しない。基底状態に遷移して、信号が出ればランプは点灯する。
すなわち、ランプの点灯と非点灯は、基底状態と励起状態に対応しているわけだ。「友人」はランプを凝視して記憶または記録する。たしかに、これも立派な放射性同位元素の状態測定である。ただし、箱は密室であり、ウィグナー先生は外にいるので、ランプの点灯状況を知るには、電話をかけてその友人に聞く必要がある。ただし、その友人は物理学者ではないので、ランプの点灯の意味を知らない。
この装置による測定をノイマン-ウィグナー理論によって考えてみよう。その場合、測定による「波動関数の収縮」いつ起こるのか、という問題を考えるのだ。
ウィグナー先生が「友人」に電話してランプの点灯状況を知ったときか、それとも「友人」がランプを見て記憶に留めたときか?
前者だとすれば、「友人」とランプが「シュレーディンガーの猫」の代替物だから、ランプの点灯と非点灯はウィグナー先生が電話するまでは決まらないことになる。そんなバカなことがあるだろうか!
後者だとすれば、”観測の連鎖”は「友人」のところでうち切られてしまう。
その次の段階、すなわち、ウィグナーの先生が電話をかけるという操作は、放射性同位元素の状態測定に何の影響も与えない。
したがって、この操作はその放射性同位元素の状態測定に関する(ノイマン-ウィグナー理論の意味での)量子力学的測定とはいえない。少なくとも、”観測の連鎖”の連結点の均質性が損なわれたことだけは明らかだ。
● ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
結局、このパラドックスはノイマン-ウィグナー理論の破綻を意味していると、私は思う。
だが、ウィグナーには、そこでも人間存在に単なる自然現象を越えるような意義を与えたいという思いがあるようだ。ウィグナーは自分の理論をあえて”正統的理論”という。
ノイマン-ウィグナー理論はその結論の奇矯さにもかかわらず --- いや「そのために」というべきかもしれないが --- かなり多くの物理学者や哲学者を魅了した。また、逆に激しい反発を買った。そこには明らかな哲学的立場の反映がある。
しかし、その理論に与(くみ)する人も反対する人も、ノイマン-ウィグナー理論を観測問題の議論の出発点に据える場合が多い。六十年にもわたる観測問題をめぐる論争は彼らの理論から始まったのである。それほどこの理論の影響力は大きかった。(量子力学入門 並木美喜雄 岩波新書より)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
けっきょく
● メソスコピックという現象を現実に見つけつつある。
☆ このあたりに課題が見出されているのでしょうか。
No.19
- 回答日時:
No.8です。
人間存在、という言葉にどのような意味を持たせているのかがよくわかりませんね。
「人間は水分を中心にタンパク質、リン酸カルシウム等の化学物質で構成されています」が科学の世界の物の見方。
例えば、「肉体、精神、魂に分けることができる」のが魔術・呪術等の世界の見方。
どちらの見方に寄っているかで回答は大きく異なります。
科学サイドに寄っている場合、物理法則で完全に説明がつくか?との問に対する回答は現状ではノー。将来的にはきっとイエス。
人間にかぎらず、全ての生物の体内は各種ホルモン、イオン、電子以外にも完成した化学物質と未完成の化学物質が入り乱れ、混沌としています。
これを完全にシミュレートし、説明することは現在の科学技術では不可能です。
なので、西洋医学の薬がどのように作用しているのかは複雑な系である人間の体を極端に単純化して、有効成分と人間の体組織や体内の化学物質がどのように作用するのかを説明します。
しかし、それだと有効成分が明らかでない漢方薬がどのように作用しているのか説明できません。
人間そのものに関する説明が不完全である一方で、物理法則に当てはめればマクロな世界の出来事ならほぼ完全に説明が可能ですし、TVゲームの様な架空の環境においても物理演算を駆使して空気や水の流れ、質量、摩擦を再現し、実世界に近づけることにも成功しており、ある意味では世界を創造するところまで行き着いたとも言えます。これまでの技術の進歩を鑑みれば、これに近いことが今後数十年で人間そのものに対しても起こりうると思われます。
世界を作り出すには資源も時間も膨大にかかりますが、人間の場合は違います。完全なる説明さえ付けば、遺伝子組み換え人間等のカスタマイズ人間ではなく、誰とも血縁関係を持たず、精子も卵子も介在しない、元素レベルから造られた人造人間誕生まではあと一歩です。そうなった時人間と砂糖、自動車の区切りは成分以外に無くなります。
魔術サイドによっていればノー。というより魔術的な世界観においては物理法則などというものには元から大した意味はないのです。
より古くからある魔術・呪術等の世界観に根ざした物の見方は人間を肉体・精神・魂等に分割して考える、非常にシンプルで秩序だった解釈に基づいています。
これは世界に関する理解が進んでいなかったために現象に対する説明が付かなかった結果ですが、物体が地面に向かって落ちるのも、四季の移り変わりなど複雑な現象が起こるのも神様や悪魔が世界の舞台裏で神秘的な力や呪いで世界全体を操っているせいだと解釈され、これも非常にシンプルです。
シンプルである以上に大雑把であり、地域によって世界についての解釈が異なることもザラですが、そんなこと気にする人はいません。
そんな魔術サイドにおいては物理法則もまた、ひとつの考え方に過ぎず、「へーそうなの」程度の扱いなのです。
合致する部分は信じますが、世界観に反するなら信じません。
そして、曖昧な概念の存在も許容するので、非常に間口の広い考え方です
このようにどちらの世界観に属する人間かによって回答は異なります。
考え方が少なくとも中立以上には科学サイドに寄っていないと、物理にかぎらず、全ての科学的な理論の意味は無くなるでしょうし、議論もまた意味を成さないでしょう。
なんちゃっていさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。
ですが 今回は 前回No.8のお礼欄でのわたしの応答で いまいちどお応えすることになると思うのですが どうでしょう?
ご自身の人間観ないし世界観にしたがって ご回答なさってください。
それなりに対応してまいります。
質問はと言えば
○ 人間を無限に詰め込むことなどは出来っこありません。
これを根拠として
○ 人間を物理現象に還元して捉えることは マチガイである。
というたたき台になっています。それについて さらに詳しい情報や異なった見解あるいはぎゃくに同感だといった回答を寄せていただくのが 趣旨です。
どうでしょう。
No.17
- 回答日時:
○ 人間にとっての《現実》 ~~~~~~~~~~~~~~~~
(あ) 人間存在= 自然本性(身と心)
一般に 心(精神)において 現実を捉える。
身(感性)において知覚したものをも 心で認識して概念として扱う。
(い) 人間としての《現実》= 事実 + 主観真実(*)
* 主観真実= 事実認識 +ウソ(想像・虚構)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
質問者が定義する(あ)人間存在=自然本性(身と心)は、人間は《肉体》と《精神》でできているという意味でよろしいでしょうか。
《肉体》には、五感を感じる感覚器官、それに伴う感受が備わっており、《精神》である理性や感性が育つのではないかと思われます。
また、(い)人間としての《現実》=事実+主観真実(*)は、質問者の定義からすると事象を意味するのではないですか。例えば、株が暴落して損をしたという《現実》は、株が暴落《事実》+損をした《主観》。
その場合、人間としての《現実》を、無限に詰め込めないのではという問いは、論点がずれているのではないかと思われます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
人間には理性と感性とがあると分析することと 人間は理性であるのみ――しかもそこから 理性万能にまですすむ――というのとは 別です。
物理の現象を要素に持つことと そのモノの現象に還元してしまい 人間はモノであるのみとするのとは 別です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
命題では、「人間には理性と感性がある」とも、「人間は理性であるのみ」とも定義していないように見受けます。素直に読むと、《自然界としての宇宙》を物理的に定義していると思います。
この命題では、物理現象を切り口として、《自然界としての宇宙》>人間の《肉体》を述べているのであって、人間は感性はなく肉体のみという、モノであるのみと決めつけるのは性急ではないかと感じました。
また、観念論・唯物論は、《精神・神》が先か、《自然界としての宇宙》が先かの問題であって、以上でも以下でもありません。唯物論とタダ物論は、区別しておく必要があります。タダ物論は、拝物主義や拝金主義に陥りかねません。
らくすたらさん あらためまして こんにちは。ご回答をありがとうございます。
( a )★ その場合、人間としての《現実》を、無限に詰め込めないのではという問いは、論点がずれているのではないかと思われます。
☆ 舌足らずだった点は この次の( b )として取り上げますが この( a )にかんしては 弁明できます。
というのは 《無限に詰め込めない》というのは 《人間という存在》のことです。すなわち命題が 《全ての存在は》と言っているとき その存在に人間という存在も含まれると考えざるを得ないからです。
この《人間という存在》が 自己の内に《人間としての現実》をふくむことは言うまでもありません。
さらに 次についても 弁明を持ちます。
( b )★ また、観念論・唯物論は、《精神・神》が先か、《自然界としての宇宙》が先かの問題であって、以上でも以下でもありません。唯物論とタダ物論は、区別しておく必要があります。タダ物論は、拝物主義や拝金主義に陥りかねません。
☆ 《非経験なる神は 経験事象たる精神ではない》については もう繰り返しません。
そして唯物論が タダ物論とは別であるという論点は 共有しますが 唯心論との異同にかんしては 次のように捉えています。
すなわち ものごとは 形と中身とから成る。言いかえると 形相と質料とから成る。いま 想像をたくましくして(=形而上学として考えるなら) 質料のない形相のみの存在を想定したとき それは 第一形相としていわゆる世界精神であり ぎゃくに形相のない質料を想定するなら それが 第一質料としての・固有の意味での物質である。
言いかえると 物質も世界精神も 形而上学の概念として同じものである。物質と言っても 世界精神がそうであるように 精神の産物であるに過ぎない。
つまりは 唯心論と唯物論とは まったく同じ枠組みの中のそれぞれ観念論である。
さて 舌足らずだった論点は次です。
★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
( c ) 命題では、「人間には理性と感性がある」とも、「人間は理性であるのみ」とも定義していないように見受けます。素直に読むと、《自然界としての宇宙》を物理的に定義していると思います。
( d ) この命題では、物理現象を切り口として、《自然界としての宇宙》>人間の《肉体》を述べているのであって、人間は感性はなく肉体のみという、モノであるのみと決めつけるのは性急ではないかと感じました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ これは 確かにおっしゃるとおり 舌足らずでした。
ここでもなお弁明せざるを得ない論点はあって これを先に取り上げます。
つまり ( d )の
★ 人間は感性はなく肉体のみという、モノであるのみと決めつけるのは・・・
☆ 微妙ですが 最初の命題が《人間は モノなり》と決めつけていることになると言ったわけです。
その意味は モノの現象を例に出し さらにはこれにもとづき人間の存在についてまで語っている。〔その証拠は ( c )について扱うときに出します〕。このゆえにということを言っています。
そしてその場合には人間については
★ 感性はなく肉体のみ
☆ ということすら言わないのが いまの命題の提示者であると捉えています。少なくとも 感性も肉体も けっきょくモノの現象に還元されて あとは《無》に帰すると――これはまだ不案内ですが――言っているはずです。
【Q:絶対無=不確定性無限 か?】
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa8209998.html
さて ( c )については 大幅に舌足らずでした。
この種の主題および問いは じつはいくらか以前よりつづけて来ています。理由になりませんが それにかまけて 舌足らずになってしまいました。
【Q:人間は 物理学の捉えたモノなる存在に還元されるか】
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa8214837.html
あるいはつまり 回答を得て 趣旨説明の示し得なかった事柄として派生するところまた帰結するところについても主題の幅を広げ得て 論点はさらにいっそう明確になると思ってのことでした。
すなわちつまり 回答No.1および4が じっさい得られています。その内容が 予想したところです。つまりは きわめて横着な質問の設定であったと――確信犯なのですが―― おわびします。
すなわち ( c )についての弁解は 次の投稿内容をもって成すところです。
◆(回答No.1) ~~~~~~~~~~~~~~
根源的な自我仮説(記憶=時間の流れ=過去)
と
時空仮説(予測=空間の広がり=未来)
の相補分化において、
肉体に付属した感覚器官に依存して発生する意識が、
真の自己としての宇宙の認識を深める過程は、
「分化」の無への還元としての物理なのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 分かりづらい文章ですし わたしもよく分かっていませんが おそらく自己の心(《自我仮説》)と環境(《時空仮説》)との相補性を言っており これは そのまま人間なる存在にも当てはまる議論として提出されている。こう捉えてのことです。
すなわち
☆☆ 最初の命題が《人間は モノなり》と決めつけていることになると言ったわけです。
すなわち
★ 素直に読むと、《自然界としての宇宙》を物理的に定義していると思います。
☆ ということ以上の内容をふくむ。と結論づけているわけです。舌足らずではありました。
もしよろしかったら 質問を別にもうけましたので そちらへ移っていただくのも 一法かと思います。もちろん ご自由に投稿してください。
No.16
- 回答日時:
この質問の論点は、かみ合ってないように感じました。
(1)全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、無限に詰め込むと存在確率の山が平らになって、無と等しくなります。(命題)
(2)なぜ人間を物理現象に還元して捉えるのか?(質問)
(1)の「全ての存在」が、物理=《自然界としての宇宙》を意味しているならば、(2)の「人間」を論点にする場合、《肉体》としての人間ととらえるべきではないでしょうか。
「人間」といっても、《肉体》としての人間を表しているのか、《精神》としての人間を表しているのかを整理した上での、命題への質問でなければ、質問者自身、混乱して迷宮に陥るように感じました。
つまり、命題は、《自然界としての宇宙》>《肉体としての人間》を意味していて、量子的からみると、物理の問題ではないでしょうか。
また、観念論=《精神・神》が先か、唯物論=《自然界としての宇宙》が先かは、謎であり人間には不可知であると思います。
らくすたらさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。
★ (1)の「全ての存在」が、物理=《自然界としての宇宙》を意味しているならば、(2)の「人間」を論点にする場合、《肉体》としての人間ととらえるべきではないでしょうか。
☆ これはですね。すでに次のように質問者としては反応しています。
◆(回答No.1) 「人間(心理) vs 物質(物理)」という対置構造は、 / 本質の追求において、成立しません。
☆ という反批判に対して次のように答えたところです。
☆☆(No.1お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~
★ 人間(心理)
☆ という規定が きわめて狭いものです。
考えてもみてください。身と心とから成るとすれば 《物質(物理)》も含まれているぢゃありませんか。
一般に 質問の趣旨が立つ前提としては こうです。
○ 人間にとっての《現実》 ~~~~~~~~~~~~~~~~
(あ) 人間存在= 自然本性(身と心)
一般に 心(精神)において 現実を捉える。
身(感性)において知覚したものをも 心で認識して概念として扱う。
(い) 人間としての《現実》= 事実 + 主観真実(*)
* 主観真実= 事実認識 +ウソ(想像・虚構)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★ つまり、命題は、《自然界としての宇宙》>《肉体としての人間》を意味していて、量子的からみると、物理の問題ではないでしょうか。
☆ これは これまでにも説明してまいりました。
すなわち
要素に分けて捉えることと その要素に還元して捉えることとは 別です。
人間には理性と感性とがあると分析することと 人間は理性であるのみ――しかもそこから 理性万能にまですすむ――というのとは 別です。
物理の現象を要素に持つことと そのモノの現象に還元してしまい 人間はモノであるのみとするのとは 別です。
★ また、観念論=《精神・神》が先か、唯物論=《自然界としての宇宙》が先かは、謎であり人間には不可知であると思います。
☆ 先ほど方程式のごとくに説明しましたが 《人間の現実》を だれも《観念論=〈精神〉》として扱ってはいません。まして 《神》は精神ではありません。
神は 不可知ではなく 非知です。《知り得ないと知った》ものは 経験事象です。神は 経験世界を超えています。
人間の精神は うつろい行かざるを得ない経験事象です。
No.14
- 回答日時:
【QNo.8300024農地をサラリーマンに開放すべきではないでしょうか】
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8300024.html
副業禁止の規定
http://www.ku-cavaliers.com/category23/
就業規則の副業禁止規定が無効の場合もある
副業はどこまで認められるのか? [就業規則]
http://takai-sr.blog.so-net.ne.jp/2013-03-07
No.13
- 回答日時:
ブラジュロンヌさんこんばんは。
面白そうな議論が始まっていたのですね。
私はいつもブラジュロンヌ三派なのですが、今回はどこでも一度しか現われないサイテックスさんがここに2度も書き込まれたので、やはり彼としてもいつもになく力が入っているのかなと感じました。
私はいつもサイテックスさんの文章を緻密な散文詩として面白く感じているものですが、多分ブラジュロンさんはそこをあくまで論理的につきつめたいという生真面目さがここでのすれ違いになっているのではと思ってみました。こんな感じ方はブラジュロンさんとしては許されないでしょうか。
私はサイテックスさんのような高等数理的な知識を持ちませんし、ブラジュロンヌさんのような宗教哲学の広い知識を持ちません。しかし、それらの間には必ず何らかの確かな関連性があることを疑っては居りません。
たとえばですが、サイテックスさんが表現したかった人間存在の不確定性をブラジュロンさんの分野である仏性の極致とされる無へ導くために首記の詩をでっち上げたのだ、と考えてはいかがでしょうか。
そういえば眠りネコさんも回答のなかで法華経の一節を引用されておられますから、私の印象もあながち間違っては居ないと思うのですが。
何らかのご参考になれば。
★ 今回はどこでも一度しか現われないサイテックスさんがここに2度も書き込まれたので、やはり彼としてもいつもになく力が入っているのかなと感じました。
☆ 思わず微笑んでしまいましたが こまあす88さん お早うございます。いつも ご回答をありがとうございます。
筋をはづしては ダメでしょうが 今回は かんたんに問うたことがよかったのでしょうか。
★ そういえば眠りネコさんも回答のなかで法華経の一節を引用されておられますから、私の印象もあながち間違っては居ないと思うのですが。
☆ この内容に顧慮しつつですが 次の規定としての命題は まだわたしには内容が明らかにはなっていません。
★ 仏性の極致とされる無
☆ これです。
たぶん・おそらく ニルワーナ(滅度・寂静・さとり)としての《無》を前提されているのだと思いますが そうだとして基本的に言って わたしは このニルワーナ説(その定説)には立ちません。
《ブッダター(仏性)》がはたらくならば それは《わたし〔の特には 自由意志〕》を立てるのだと思います。ワタシをして自由意志を建てさせ 無の世界よりもあやまちうるワタシなる有の世界をこそ立てるのではないか。
無の世界は シガラミの中に生きるワタシたちにむしろ義理立てする。のではないか。
それほど 人間とその存在は とうといものではないか。
きよらかなおそれを抱いて この命題――まぼろし?――を受け取るのが ワタシたちの生きる道ではないか。
こう考えるなら おそらく――無限遠点においてまじわればよいかとも思いますが―― かの人の《無》観とは 平行線であると言いますか 方向が違っているように感じられてなりません。
いづれにしましても わたし自身は奇想天外・奇妙奇天烈な想像を提出しているだけですから なお互いに・みなさんにとっても 問い求めの余地があるかと考えます。
進展していくなら さいわいです。
No.11
- 回答日時:
ひとやまいくら
↓
十把一絡げ
↓
二束三文
↓
二足のわらじ
『二足のわらじ』の解説
二足のわらじとは「二足の草鞋を履く」が略されたもので、もともとは江戸時代に博打打(ばくちうち)が十手を握り、捕吏になることをいった。ここから同一の人が異なる二種の業を兼ねること、また、単純に二つの職を持つことを二足のわらじという。ただし、二足のわらじは異なる種類の職・担当を兼ねるという前提にあるため、昼はパチンコ屋・夜はゲームセンターで働くといったものや、塾の講師をしながら家庭教師もしているといった、同種・類似の職の掛け持ちに対しては基本的に二足のわらじとは言わない。
http://zokugo-dict.com/22ni/nisoku-waraji.htm

No.10
- 回答日時:
ちょいと独り言、呟き、
ひ・と・り・ご・と!!
☆全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、無限に詰め込むと存在確率の山が平らになって、無と等しくなります。
◇これは、
全ての存在に対して、
「それは無限に積み込むと存在確率の山が平らになる」→「それは無である」
でしょう。
(「→」は、「ならば」の意味)
「それは無である」の真偽が定まらないから、
これは命題にならない。
「それは無である」の真偽判定ができませんから。
論理の問題にはならない、と思うんですわ。
それにこれは、論理の言葉で言えば《推論》になるので、
前提となる条件が間違っていたら、
結論に該当する「それは無と等しくなる」は何の意味も持たないでしょう。
前提I:「ネコはカラスである」
前提II:「カラスは空を飛べる」
故に、
結論:「ネコは空を飛べる」
三段論法なので、これは論理としては正しい。
でも、
こんな推論、こんな結論、何の意味もないでしょう。
独り言、ひとりごと、
ひ・と・り・ご・と。
ねこさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。
◇ 「それは無である」の真偽が定まらないから、 / これは命題にならない。
☆ それも そうですね。
《無》について 単純に捉えていました。
《闇》との異同も問われるでしょうし。
◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~~
前提I:「ネコはカラスである」
前提II:「カラスは空を飛べる」
故に、
結論:「ネコは空を飛べる」
三段論法なので、これは論理としては正しい。
でも、
こんな推論、こんな結論、何の意味もないでしょう。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ つまりいま問題なのは
前提I:「ネコはカラスである」
の部分が 分かりづらい表現で述べられているので それについての検証を ややもするとすり抜けて行くことがある。ということでしょうか。
人間という存在は それがいくらモノから成っているからと言っても モノの現象にすべておさまってしまうとは ちょっと考えられないと思われます。
モノの心が分かれば まだしもです。
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