人生のプチ美学を教えてください!!

言葉は悲しみを解決しない
時に、何も言わないことが「耐える」という言葉を伝えることであるように思います。
悲しみは耐えるもの・・という
無言の言葉がふさわしいように思います。
いかがでしょうか?

A 回答 (8件)

貴方が決める事

この回答への補足

悲しみって不思議ですね。
自分に無い時には人にあって、人に無い時には自分にある
いつもそんな感じで付きまとっているように思います。
結局、感情の波から人は逃れられないのでしょう。

重いのもあれば、軽いのもある・・
重すぎ・・
というのが一番困る
そういうのに直面した時、言葉が無くなってしまいます。
言葉が無くなり、消えたところにあるもの
それはそのままで、無理に言葉に替える必要もないのでしょう。
きれいなものを、何もきれいに言う必要もない・・
そんな感じです。
愚直でいい・・
スマートに成りきれない私には、どうやらそれしかなさそうです。
ありがとうございました。

補足日時:2013/11/17 20:55
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この回答へのお礼

ですね。

私にはそれしかできなかったし
それ以上できるとも思えない
何かをしてあげたいのだけど
全部 X印のような気がする。

結局、うわべだけの言葉は使いたくない、っていう気持ちがあるわけです。
でも・・何か迷ってる・・もどかしい
まあ・・こんな感じでいいといえば、いいのかもしれませんが




雑感になりますが・・
本人にしてみれば、ですが
どんな言葉も受け付けない感情の中にいると思います。
そうゆう、いわゆるドン底の中で見つけるもの、というか
そんなものもあるんじゃないでしょうかね。

ごまかしようのない悲しみに直面して、それを見つづけなければならない、という
そこから
悲しみから感謝へと転ずる心の閃き、みたいなものが生まれてくるのかもしれないと思います。
きれいな言い方だと・・

もう一人の自分の発見
とか
ベストマイフレンドとの出会い
って言うんでしょう。



悲しみにかける言葉のベストの言葉は
ベストマイフレンドの言葉に違いない

とは思うんですが・・
まあ、せいぜい私なんか
おせっかいにならないようにと、慎ましく

いいのかもしれません。

ありがとうございました。

お礼日時:2013/11/16 22:35

貴方が貴方に出会う事

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この回答へのお礼

そうなんですよ。
つまりはそうなってしまう。

もう一人の自分からの言葉とは、自他の隔てがない

悲しんでいる人に、「耐えなさい・・耐えてください・」
なんて、口が裂けても言えるはずがありません
でも、心の奥底からそうした言葉でない言葉が聞こえてくるような感じがします。
呼びかけです。
あまり信仰的な事は言いたくないんですが
「超越的無意識」というものでしょう。

普段、自分自身とは認識していない自分からの呼びかけを受けてしまう
そういった事があるかと思います。
超越的無意識という、自他を超えたベストマイフレンドからの言葉を受け取ることがあると思います。
それを、そのまま表せば・・
「何も言わない」
という場合もあるのではないかと・・

耐えるという祈りを、もう一人の自分から受け取る時
沈黙という形にならざるを得ない
愚直にして心ある形です。

そんな気がするんですが・・

お礼日時:2013/11/17 19:41

悲しみは影。


後ろに引けば、いつまでも着いて来る。
留まれば悲しばり。

仕方ない事はいつもある。
花は枯れて実を結ぶ。
実は落ちて芽を出す。
自然に生きれば、涙で芽は伸びる。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>自然に生きれば、涙で芽は伸びる。


自然ですか・・
そうですね。
悲しみを乗り越えた明るさ、
いつか訪れるんでしょうね

悲しみよ こんにちわ

と言える時が来るんでしょう。
失った悲しみから、残していったものへの感謝に変わる時が来るような気がします。

お礼日時:2013/11/16 18:11

先日、若い娘から、おじさん歳だよね と言われ 悲しかったけど


でも オニ上手だからたまんない と言われ 悲しみは吹っ飛びました
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2013/11/16 17:57

 言葉は悲しみを解決しない


時に、何も言わないことが「耐える」という言葉を伝えることであるように思います。>

 何も言わないことにしか解決の言葉が見つからないときは、悲しみの淵に沈んでいる状態を許す、受容する、が自然な感じます。
 悲しみの淵に沈むと、無気力になったり、自暴自棄になったり、被害妄想になったり、最悪は死を選択します。
 とても、とても、辛い状況にあるはずです。それを本人が「耐える」という心にいながら、人からも「耐える」と捉えられるのは辛すぎるのではないでしょうか。見守られ、少しでも、温かさを感じたら、本人から、話し始めることもあります。その時、静かに横で、耳を傾ける、そこから、言葉という手段を使った解決が導かれると感じます。
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この回答へのお礼

時間でしょうね
時が解決してくれる・・という言葉があります。

>見守られ・・

だまって見守る事しか、私にはできないように思います。

暖かい言葉ありがとうございました。

お礼日時:2013/11/15 21:45

 こんにちは。




 この問いは 少々複雑です。

 次の三つの場合に分けられるはずです。

 1. 自分の悲しみにかける自分自身の言葉

 2. 自分の悲しみにかける他人からの言葉

 3. 人の悲しみにかける他人からの言葉


 ★ 言葉は悲しみを解決しない
 ☆ と捉えたというのは おもに――おもにですが―― (2)の場合を言っているようです。

 (1)の場合なら たとえ解決しないとしても 自分に言葉をかけたりかけなかったりするよりほかにないからです。

 (3)の場合なら 当てはまるとしても 自分にその問いが振られて来るのでなければ 放っておくのがふつうだからです。



 ★ 時に、何も言わないことが「耐える」という言葉を伝えることであるように思います。
 ☆ これは 《伝える》と言っているからには (1)の自問自答の場合を別としてもよいのでしょう。

 ですが これは 先の三つの場合のほかにさらにもうひとつの場合を用意しているように思われます。

 4. 自分の悲しみを他人に伝えることを自制しつつ しかもその無言のうちに 他人にどう伝わるか。いや やっぱり伝わらないか。と思案している状態。

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~
 悲しみは耐えるもの・・という
 無言の言葉がふさわしいように思います。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ これも したがって(4)の場合を言っているようです。


 いまこの(4)の場合に それでもさらに細かくいろんな場合があることを知るとよいでしょう。


 いくつかには もう分けません。
 問題は 伝えようとする相手に安心をあたえること――もっと欲張れば チカラづよさを印象づけること――です。

 たぶん 《耐える》という信号は 伝えられるでしょうが――じゅうぶんなほど伝わって行くでしょうが―― それでよいかです。それが 自分のこころであるのかです。


 そこらあたりのもんだいが なおよこたわっているのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

Bさんありがとう。
元気でなによりです。


私の友人で、奥さんに先立たれた人がいます。
直後に会ったとき、面と向かって、私の名前を一言言ったきり、何も言わない
ただ、す-と顔に落ちるものがありました。
私はだまって頭を下げて、しばらくそのままでした。

その後、仕事の関係もあって時々会っていますが
亡くなった奥さんの話はほとんどしません。
暗さはあまりないようにも感じます。
でも・・
幾日か前に電話をかけたときですが
声が違っていました。
明らかに泣いていたと分かる声でした。
仕事の話をしているうちに、いつもの張りのある声に変わってゆくのが感じられました。



大切なものを失った悲しみに、私はかけてあげられる言葉がない、なかった
ただ、そうか・・
と黙って頷いてあげることしかできなかった
今もそうです
痛いほど分かりながら、それしかできなかった
それでいいのだろうか・・という問いです。

お礼日時:2013/11/15 21:40

悲しみを言葉にして外に出したり、文章化すると


心が客観化されて、悲しみが癒やされることが、心理学的に
実証されています。

黙って耐えるよりも、泣きわめいたり、人に話を聞いて
もらったり、こういう処に書き込んだりした方が
よいと思います。

先人達も、悲しみを唄や詩にして、乗り越えて
きました。
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この回答へのお礼

悲しみの中にいる人にとって、その耐え方はいろいろだと思います。



>悲しみを言葉にして外に出したり、文章化すると・・

これをやっている人は多いと思います。
書いて、書いて、とにかく書いて・・というような話も聞いたことがあります。


>人に話を聞いてもらったり・・

親しい人でも、一度に話す気になれず少しづつ
というケースが多いような感じがします。

ありがとうございました。

お礼日時:2013/11/15 21:02

悲しみを裡に秘めて



身近な者にさえ

その悲しみを理解さえ

憶測さえしてもらうことなく、

愚か者と蔑まれながらも

愚直な笑いと冗談ばかりを口にして

その悲しみは隠し続ける。

他人にも。

自分にさえも。

隠し続ける。

無言、というのは必ずしも

静謐を意味しない。

多くの無意味なことを語りながら

その悲しみだけを語らぬこともまた

無言の言葉と云うのならば

それもまた耐えることと呼ぶに

ふさわしからん。

昨日まで朗らかであった、

今日、自死に至ったあの骸が

生前人知れず苦しんでいた悲しみは。

笑顔で朗らかに苦しみなど知らぬような。

悲しみとは、そういうものと表裏一体ではないかと。

全ての明るい人も事柄もまた、

同時にとても悲しいことでもある。

あらゆる場所に あらゆる時間に

人が認識するしないにかかわらず

悲しみが満ちている。

そう思う時がしばしば、あります。

人ごみが、寂しい。

楽しい場が、とても悲しい。

それらは孤独や失われる空虚の

裏返しの真実そのものですから。

いつも、心の底に、深い悲しみの

黒々とした静かな泉があるような

そんな感覚です。

いつでも、満天の星空を映している

漆黒の水をたたえた泉です。

天の川が広がる夜空が、本当に

悲しいのです。
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この回答へのお礼

>愚直な笑いと冗談ばかりを口にして

その悲しみは隠し続ける。



あるんですね
そういうことが・・
人が 悲しいピエロに見えるときがあります。
後ろを向いて 顔を手で拭うときがある
どこか、ちぐはぐな悲しみがある
お前も涙を見せないなら・・
おれも見せないよって・・


きれいな詩をありがとうございました。

お礼日時:2013/11/15 20:50

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