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いわゆる思想家や哲学者と呼ばれる人たちの評論や文章を読むのが好きなのですが、あまりに彼らの思想レベルが高すぎて、たまについていけなくなります。ラカン、ヴァレリー、ドゥルーズ、などです。
そこでふと、彼らはどうやってそのレベルに至ったのか?とふと疑問に思いました。自分がなりたいわけではなく、ただ理解したいだけなのですが…。

本を沢山読んで(理解しきれなくても)、沢山考えて(答えが出なくても)いれば、いつの日か彼らの文章を理解出来る日が来るのでしょうか?

子供のような質問で恥ずかしい限りですが、そう言った本を好んで読む方の理解力が知りたいので、回答お待ちしています。

A 回答 (5件)

彼らは病人です、、、と言うと問題ありますが


世の中にはそういう事を考えると楽しくてしかたがない人が居ます
たとえば、いつも曲のことを考えてしまって
ついつい作曲してしまう音楽好きなども同じですね

それと同じで
考えるの楽しい→これ、どういう事だ?→結果がおもしろい→考えるの楽しい
というループに入って抜けられなくなると、思考実験を始め
傾向を考え、それをまとめて思想として作り上げる
ということになっていって、作り上げていったのが
現在の知識といわれるものですね

私自身はあまり読まないですが
そういう思想とかを考えるのが好きなので書かせてもらいました

あなたが理解できるかどうかは何ともいえませんが
経験は重要な資料です
資料に整合性を見いだす事ができれば理解できると思いますが
どのような整合性を見るか、いつ整合性を見いだすか、資料の量はどれくらいか
というのは、人それぞれだと思います
早い話が、自分なりに理解するしかないし
人はそういう方法でしか物事を理解する事が出来ないんではないでしょうか

この文章が回答になってれば幸いです
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この回答へのお礼

病人!面白い、でも的確な例えかも知れませんね。
その思考実験を通して思想として体系化してしまうプロセスは一体どういうものなんでしょうか。

「整合性」、とても腑に落ちました。
きっといつか閃きのきっかけになることを信じてこれからも読み続けたいと思います。

回答どうもありがとうございました!

お礼日時:2013/11/26 09:08

>文章を理解出来る



 文章であれば理解できると思っていますか?

 文章は、理解できるのか・・なのです。この文章を含めてです。

 特に哲学は抽象概念の嵐。
 意思や方法、手順などは文章で正確に伝わりますが、存在、意識、正義、愛など哲学の課題となると受け手側のレベルが表現者と同レベルでないと同レベルで伝わりません。

 また、受け手側が「理解した」と思うレベルもあります。

 あなたは、コンピュータを知っていますか? 理解していますか?

 単に電気屋さんで、形と色を知っている人(ワープロとパソコンの区別がつかない)から、メインフレームからパソコンまでハード、ソフトに精通しICの設計まで行うレベルの人まで一括りに、コンピュータを知っている人です。
 それぞれの人が、コンピューターについて知りたいだけ知るという満足するレベルが違うんですね。

 哲学書をよんで、ああ、わかったと思うレベルも同じです。
 そして、理解したと感じるレベル以上には、理解しないという限界があります。

 さらに、抽象概念について言うなら、表現者の文章表現以前の表現したかったその内容を、表現された文章から正確に捉えることは出来ないのです。

 したがって、あなたは、生活の実体験と、沢山の文章の中で、自分が理解したい事柄を理解したい分だけ理解するに留まるんです。

>本を沢山読んで(理解しきれなくても)、沢山考えて(答えが出なくても)いれば、いつの日か彼らの文章を理解出来る日が来るのでしょうか?

 図書館で本を何万冊貪ってもその日は来ませんよ。
 文章なんてのは単語の羅列ですからすぐにも理解できるでしょう。しかし、理解できないと感じるのはやはり抽象概念だからです。文学的表現の追求ではないのですが、文章の行間にある膨大な経験と知識のバックグラウンドが表現者と同じレベルでないとダメなことに気づくはずです。

猫について

 図書館にいてもダメですね。単語だけの猫。
 DVD、写真なら多少は知ることができます。
 猫に触り、鳴き声を聞き、何年か飼ってみてはじめて猫を知ったことになるのかな。

 専門的には、生態を観察、記録、考察したり解剖したりするってことでしょう。

 この専門家の文章を、猫を知らない人は理解出来るわけがありません。
 DVDや写真で知っているだけの人にも正確に伝わりますが、猫を何年も飼ったことのある人の実感とは全く異質の理解をするのです。
 
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分らないものを、無理して読む必要はないでしょう。


好奇心さえあれば、自分の知りたいものをどんどん
摂取していく事で、いつか高いレベルに到達できます。
それが古い哲学者と同じものかどうかは分りませんが。
哲学とは、世界についての理解であって、それは書物
の中にあるものではないのですから。
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>自分がなりたいわけではなく、ただ理解したいだけなのですが…。



できるようになると思います。

理解は、理解したいと思い相手の意図や気持ちを汲もうとするところから理解が始まります。
理解のための手段や方法を探して、あれこれと迷いながらでも近づく努力を続けていくこと。
理解が強く深まっていく一番の方法は、自分を理解していくこと。


今理解できないことでも、この先もずっと理解できないと言うことは無いと思います。
日常的に理解を深めていくことを自らやっていけば、十分に到達可能だと思います。

いろいろとトライしてみてください(^^)
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>病人!面白い、でも的確な例えかも知れませんね。


個人的にもその気があるので話しますと
私自身は物が壊れるというプロセスがすきなんです
正確には破損する、破壊するなどという系統ですね
割り箸が割れる事も破損するプロセスで
左右に広がってるうちはひっついていようとがんばってます
その後耐えられなくなった時に一気にヒビがが進んでわれる、木目に沿ってですね
そして、その木目が途中で切り替わってる所を見ると避けてたりする場合があって
これはどうしてそうなったのだろう、と考えてしまうわけです
ええ、非常に馬鹿馬鹿しい事です、生活には役に立たないかもしれません
でも楽しめてしまうのです
これで寝食を忘れて打ち込みだしたら、確実に病人だと思われます(笑)


>その思考実験を通して思想として体系化してしまうプロセスは一体どういうものなんでしょうか。
そうですね、最近面白い話を見ましたので、一例として上げましょう
ある学生グループの話としておきます
道で物を拾って交番に届けると、礼金がもらえるってありますよね
2割ぐらいだったと思います
そこで、そいつらは考えたんです
80歳のおばあさん拾ったらどうなるんだ?と
そこで一つの回答が浮かびました80の2割で16
16歳ぐらいの女の子がもらえるんじゃねぇか? という話になりました
もの凄く馬鹿馬鹿しいですが深い考えがあると思います
もし本当におばあさん拾って16歳くらいの女の子だったら、赤ん坊だったらどれくらいになるんだろう
おじいちゃん拾ったら?など、条件を変更してあるルールに当てはめて考えてみる訳です
今度はルール自体を見直して、厳密に年齢だけをもらえるとします
ばあさんが16歳若返り、自分が16歳年を取る、、美味しくないですねぇ
それに急に年齢が増えて居ては困ります、途中の経験が無い訳ですから
じゃあ肉体は、、、切り取ったらその瞬間その物はその人から関係なくなるのか?
という事も気になります、貰った方もどうすりゃいいんだ?という事になるでしょう
じゃあ、おばあちゃんの代わりに金銭は?これはどうにかなりそうですが
おばあちゃんと釣り合う金銭ていくらになるのでしょうか?
まあ、こんな感じで色々と考えてしまうのです
そもそもおばあちゃんを拾って届けたとして持ち主は誰だってのが解決されませんけどね

こうして考えてみた事をゆっくりと見ていくと
おばあちゃんと言われるものについての考察が出来てきます
おばあちゃんの持ち主はおばあちゃんだから拾うというのは妥当性が薄いとか
昔に戻る姿は考えられるが、先に進む姿を考えるというのは難しい
これを人というものは、どのようなものなんだろうと考える時にそれぞれつなげていく訳です
そうすると、実生活に合った人間というものが規定されていくと思いませんか?
年齢を若返らせる話はよくあるが、年を取らせるという話は
肉体的な話で記憶はは若いままで書く人が多いですよね
これは、難しいんではないかという事になります

そんな事をつらつらと考えてみると、なんとなく体系的にまとめられそうになって
まとまったのが思想と言われるのかなと
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