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私はある宗教の熱心な信者なんですが、
日本人は宗教に対してどんな印象を持っているのか、
気になりました。
だいたいの年齢と性別を添えて宗教の印象をお答えください。
世間の意見ではなく自分の意見で答えてください。

A 回答 (11件中1~10件)

30代、男。



私は、そもそも「宗教」という言葉が2つの意味を持っているのではないか? というのを常々思っています。
その2つとは、「思想としての宗教」と「団体としての宗教」です。


「思想としての宗教」というのは、物事の判断基準とか、価値観とか、そういうものを規定するものです。これは、誰しもがもっており、日本人も、皆、それを持っていると思っています。
例えば、朝、各局の情報番組ではどこの局でも「今日の運勢は~」というコーナーをやっています。星座、血液型、誕生月……色々と分類はありますが、それぞれ、いくつかにカテゴライズし、「今日のラッキーアイテムは○○」とか、そういうものを示しているわけです。星座にせよ、血液型にせよ、同じカテゴリの人間は日本だけで何百万人、何千万人といるわけですから、明らかに根拠などはないのは明らかですが、にも関わらずこれだけどこでもやっている、というのは、そういう根拠のない支え、つまり、宗教的価値観を持っている、という表れだと思います。
勿論、他にも宗教的価値観を持っている、という例は沢山あります。例えば、大事な試験とか仕事とかのときは、かならずこの食べ物を食べる、とか、こちらの脚から靴下を履く、なんていうゲン担ぎをしている人は多いでしょう。これも、基本的には、それをしたからと言って何か効果がでることではありません。しかし、そこに意味を見出して、それを実行する、というのは宗教的価値観そのものであると思います。
その他、キリスト教方式で結婚式をし、仏教方式で葬式をする。一方で、正月などには神道方式の初詣に行く、なんていうのも、それぞれの宗派の考えの一部の切り取りではあるものの、日本人が「思想としての宗教」に対して極めて身近な存在であることを示す一例としてあげられると思います。


一方で、日本において「宗教」というのが嫌われる原因は、「団体としての宗教」の存在が大きいと主増す。
創価学会やオウム真理教というようなカルト宗教もそうですし、もっと広く広がっているキリスト教や仏教などでもそうなのですが、どのような宗教にしても「団体」となると問題が発生します。
具体的には、憲法で、思想の自由、などが歌われているにも関わらず、「団体としての利益」を優先するが故に興味のない人間に無理やりな勧誘を行う。運営費などを捻出するためにお布施やら何やらを要求する。はたまた、団体内の権力構造により、様々なセクハラ、パワハラなどを抱えてしまう(キリスト教カトリックの聖職者の中で、性的虐待などが横行していたことが判明し、法王が交代に追い込まれたのは記憶に新しいところでしょう) そのような問題が明るみになっているだけに、「宗教」というとネガティヴなイメージがつくのだと思います。


私個人としては、「思想としての宗教」については、全く問題ないし、今現在、日本人のほとんどは、それぞれの宗教の教えの断片をつなぎ合わせただけかもしれませんが、各人が個別の教義を持った「教祖」のような立場にいるのではないかと思っています。そして、それは決して恥ずかしいことでも何でもないと思います。
そして、その一方で、そういう自らの判断を捨て、団体が言っているから、と従う人に対してネガティヴなイメージを抱いているのではないか? と考えています。
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この回答へのお礼

日本のような思想としての宗教がこれだけ浸透している国も珍しいですよね。
説得力のあるご意見ありがとうございます。

お礼日時:2014/01/18 04:18

40代 男性です。


まず、もし誤解があったらごめんなさい。

そもそも宗教や信仰は熱心になるものではありません。それを「狂信」「盲信」といいます。生活習慣や風習など、生活の一部と言えるのかもしれませんが、信仰を生き甲斐としたり、信仰のために生きるようなものではないということです。

もちろん、個人がどのような信仰のスタイルで生活しようが、他人に迷惑をかけなければ自由でしょう。
見えない何かを信じるのも、先祖に感謝するのも基本的には自由です。
それに、一時的に信仰にすがる、依存するということがあってもよいと思います。人生、努力だけではどうにもならないこともあるからです。

ですが、宗教や信仰を指導する立場(日本で言えば宗教法人ですね)の人間が、信仰に依存するような指導ばかりをするなら、それは指導者失格(宗教家ではない)ということです。

現実にはそのような教団がたくさん、宗教法人として活動しています。布教=勧誘と誤解(または都合のよい解釈)し、何も解らない末端の信者に勧誘をさせています。
当然、人間関係を壊したりということが起こるわけですが、それでも「正しい」という思い、価値感が勝ってしまいます。

宗教は、「真理」や「法」などと言われるものに向かうものでもありますが、「正しい」とか「幸せ」とか「敵、味方」「右、左」など、概念に捉われる人間の「心」や「精神」を学び知るものでもあります。決して、「勧誘は良い行いであり、幸せになれる」などと、教団にとって都合のよい価値感を植え付けるようなものではありません。

つまり、宗教(または教団)ごとに、違う神(絶対者という意味で)がいたり、違う真理があったり、違う幸せ、違う正義などがあるならば、それらはどれも偽者ということになります。そして「こっちが正しい」と他の信仰を批判したり争うようになります。
くれぐれも信じるだけの「狂信」にならないようご注意ください。
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この回答へのお礼

確かに神を崇めているだけでは何もしないのと同じです。
私は神と共に高みを目指す、という感じなので大丈夫ですよ。
真剣に本音を話してくださりありがとうございます。

お礼日時:2014/01/16 17:04

30代前半、女です。


自ら信仰したくて入信し、熱心に信仰されるのであれば、それはとても素晴らしい事です。
宗教とは本来そういうものであり、縛られるものではありません。
私は特に宗教は信仰していませんが、祖母の仏壇に毎日手を合わせています。
それは、祖母を尊敬し、私や子供を、祖母の持ち得た知恵でお守り頂きたいからです。

ですが、いくらその宗教が素晴らしくても、他人に押し付けたり、高いお金をつぎ込んだりするのは間違ってると思います。
神様ともあろう存在が、決して裕福とはいえない人間から、お金を欲しがるものでしょうか?
信仰する気がない人間を、我が手中に収める事を良しとするでしょうか?
その辺りが納得いきません。
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この回答へのお礼

確かに悪い宗教があるのは事実ですね。
しかし押し付けやお金をとったりする宗教だけではないのも事実。
納得できる宗教に入るのがいいですよね。

お礼日時:2014/01/16 17:07

その宗教を信じる者には希望を与え


信じない者には恐怖を与える。
 そして「無知」に対して「不可知なもの」の適当に説明。

その為、教義が深くなると必ず矛盾が出てくるが、
 いつも決まって『神を信じよ』というおきまりの言葉でごまかす。
詐欺の手本


40歳代 男
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この回答へのお礼

貴重なご意見ありがとうございます。
確かにそういう宗教もありますよね…。

お礼日時:2014/01/16 06:01

 私は男性で40代です。



 私は学生の時から考えて居たのですが、宗教とは「杖」だと思って居ます。常に杖に頼っていると自分で歩く力が弱くなる。本来は自分の足でしっかり立つ事が大切。でも、人は楽を考えてしまい安易に宗教に頼ってしまう。人間弱いときが出てきます。その時には宗教の力。杖の力があると助かります。
 だから、宗教を手放すことも出来ないが、かといって全て宗教に依存する気は無いです。

 また、信者という言葉も嫌なんです。私は信者の方達は模倣者でしかない。教祖の言葉などをまねするだけの人々。もっと根本的な物はなにかを自分に問わないのです。模倣者が模倣者を造り続けている。だから、本来の姿から違った物になっていると。

 私は神や仏の存在は信じています。しかし宗教となるとすでに述べたように頼る気にもなれないのです。なぜ信じるかは、そういった神や仏が常に見ているという状態で有れば悪い事も出来ないでしょう?
自分を律する為に神や仏を信じて居ます。

 日本は神道や仏教もなにもかもが同居する世界です。ごく自然に神や仏が身近にある感じでしょうね。特別な存在でありながら、友人にも似た存在。家族という存在。それが日本の宗教なのかもしれませんね。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。
私も信者という言葉は妄信って感じで嫌です。
質問では一般的にわかりやすい言葉を使わせていただきました

お礼日時:2014/01/15 18:22

66歳、男性、多くの日本人は仏教と言えば葬儀の時にしか縁が無いものだと思っています。

中には七五三は神社で結婚式は教会で葬儀は仏教でという方もいると聞きます。また中には宗教の行き着く先はみな同じなのでどれでもいいという人もいます。これは、ガンの注射も風邪や腹痛の注射も同じだと思っている言るほど乱暴な話です。教えが違い崇拝するものが違うのだから同じはずが無い。日本人は長い間、お寺、神社、教会と同居して来た。そのために仏教も神道もキリスト教も何となく分かったような気になっている。しかし、殆どの人が宗教に関して何にも知らない。これは戦後、それまで国教扱いだった神道を捨てた時に、無意識のうちに仏教も捨てたからだと思われる。話を戻すと「仏教」は葬式をするための教えでは無い、そうではなく仏教は宇宙における真理を説いた教えであり、特に人生に関して人間がいかに生きるべきかを説ききった教えである。夢を持つ事、夢をつかむ事、命の大切さ、誠実な心や真実の心の尊さ、清浄な心の力強さ、あらゆる病魔を跳ね返す生命力の強さを教える最高の教えである。と私は思います。
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この回答へのお礼

熱意ある意見ありがとうございます。
確かに習慣になりつつあるんですよね…。

お礼日時:2014/01/15 18:19

「熱心な信者」



だから、何?

という印象があります

本当に困ったときに助けてくれましたか?

私は、名付けの先生に見てもらうタイプです
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この回答へのお礼

確かに周りの人からみれば藁にすがっている蟻みたいなものなのかもしれませんね、私。

お礼日時:2014/01/15 06:51

人間の愚かさの象徴だと思っています。



いっこうに無くならない【宗教的対立】、バカバカしいにもほどがあります。

私は、創価学会員ですが…、

【洗脳ほど悲惨なものはない】

と、小説「人間革命」の出だしを書き換えました。


反逆者への悪口雑言を公然と言い放ち笑ってる宗教団体を、信じるわけにはいきません。

脱会も、めんどくさいので幽霊会員してます。


先人たちが説いた「人間らしく生きるための知恵」にすぎない教えは、

本来は、大人達が家や学校で、子供に教えるべきことであって、

狂信者を作り上げる「洗脳」に使われるべきものではありません。

【信じることが力になる】というのは、わからなくはないですが、宗教に頼らなければ、120%の力が出せないのは、情けないと思っています。
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この回答へのお礼

>本来は、大人達が家や学校で、子供に教えるべきことであって、
私も同じ意見です。
当たり前のことを宗教なしで学校で教えられたらいいんですがね…。

お礼日時:2014/01/15 06:50

40代 主婦 ダンナ・娘ありです。



宗教の印象は一言で言ってしまうと
「面倒だけど否定できない」

理由は、キリスト教と創価学会の
集まりに参加たことがあり、いわゆる教義を説明され、
どっちもいまひとつだなーと思ったから。
母方は母も祖父母もキリスト教だし、
父方の祖父母は創価学会で、父は「やるきがないかんじ」
という環境だったんです。
なんというか、どっちかに偏る気になれなくて。
両親や叔母夫婦の仲人が牧師なのに、
どっぷり創価学会という祖父母も理解できないし。

加えて、嫁ぎ先は曹洞宗。
あきれるくらい法事をやらない家なので助かりますけどね。
仏壇も義父の所ですしね。
特にユルイお寺みたいで、何もいわれたことありませんしね。

否定できないのはそういうものの上に
日本はもちろん、人間が成り立っているとは
思っているので。
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この回答へのお礼

日本は数少ない宗教が定まっていない国ですからね。
いい意味でも悪い意味でも自由なんです。

お礼日時:2014/01/15 06:47

商売です。


信者は、自分の欲望を叶えるために、お金をたくさん宗教に持っていきます。
上に立つ人は、信仰心は薄く、持ってきたお金で優雅に暮らしています。

宗教をする人たちは、欲望の固まり、欲望が大きいほど宗教にはまりこみます。
欲望の少ない人は、信仰をしません。

男性、高齢。

他人の行動をみて思うことは、日常の行事のように見えます。
話をしていても、信仰心のないひとが多いです。
信じていれば、賽銭に1円とか、10円なんてあり得ないでしょう。
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この回答へのお礼

確かに本当の意味で信仰心を持っている人は少ないかもしれませんね。
貴重なご意見ありがとうございます。

お礼日時:2014/01/15 06:46

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