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デカルトのこの言葉、どこかおかしい気がします。反症できますか?

A 回答 (15件中11~15件)

『我思う、故に我あり。

』この言葉は理性とか知性とかでだけで語られていると感じます。肝心な情や『深い意識の底』つまり、自分自身の『実存』と言う深いところにまで届いていないと感じます。

頭で理解したとしても、身体が付いてゆかない程度の段階、と言う意味です。

自分の心の奥底=無意識の自分自身を含めた、全体像ではこの言葉は未だ『半分しか表現出来ていない』と感じているからかも知れません。

本当の”心”に届いていないと言う気が致します。更に言うなら『哲学的な回答』と言う意味になりますが、その後に出てくる『実存哲学』と言う分野がその足りなかった部分を補っていると思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2014/02/17 09:17

私は哲学に関して無知ですので、なにか間違えがあるかもしれません。



「私は今考えている」ー>「考えていること自体が私の存在の証明である」ならば、
・考えることの出来ない(岩、石、砂、塵)などは存在の証明をし得ないのか?し得ないのならば、なぜ彼や意識がある生物だけにこの命題は当てはまるのか?
・本当に考えているのか?そして「私」とは何か?もしデカルト自身の記憶が誰かの記憶と知らずに交換されたならば、以後考える彼は元の記憶の持ち主、それともデカルトとして考えているのでしょうか?

詳しくは「http://ja.wikipedia.org/wiki/我思う、ゆえに我あり」に載ってあるようですので、そちらを見てみてはいかがでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2014/02/25 02:11

仏陀に聞いたらわかるでしょう。

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>故に



ここでしょう。
じゃあ寝ている人には人格を認めないのかって話になるから
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2014/02/17 09:17

反証では?

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この回答へのお礼

そうでした。w

お礼日時:2014/02/17 09:16

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