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いろいろ読んでて思うのですが

自分が死んだらこの世も消えると考える人もいるようです。

僕はそうは思わないですが(何故なら他人が亡くなってもこの世が消えた例がないからですが)

自分が消えたらこの世も消えると思う人 そう思わない人

もし持論があったら簡単にお聞かせください

長文苦手なのでぜひ簡潔にm(_ _)m

A 回答 (17件中1~10件)

そうですね。


他人がなくなってもこの世はなくなっていませんよね。
自分が死んだらこの世も消えるというのは、自分の意識の中でこの世が無くなるという事なのではないでしょうか。
自分がこの世を作った人ではない限り、自分が死ぬと同時にはこの世は消えないでしょう。
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この回答へのお礼

そういう事でしょうねえ。唯心論的には世界は消えるが

実際には消えない 客観的にはこの世は消えない ですね

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/02/23 18:02

「霊魂」をどう理解するか?ですね。

いわゆる五感がない死の状態で 霊魂だけでどれだけの感覚があるのかですから、答えはほとんどが 「わからないが死んでも魂はあってほしい、いやあるはずだ」かと思います
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この回答へのお礼

霊魂というものが実際にはどの様なものか分かりませんが

魂というものはあるのでしょうね

死んだ後にはこの世に、現実の世界に記憶や影響や色々なものが残ってることしょうねえ。

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/02/23 18:13

>自分が死んだらこの世も消えると考える人もいるようです


 ・自分にとってはそうでしょう
 ・自分の存在しない、この世は存在しない・・で正しい
>僕はそうは思わないですが(何故なら他人が亡くなってもこの世が消えた例がないからですが)
 ・この世にとってはそうでしょう(この様に生存する個人にとっては)
 ・この世は消滅するまで存在するのですから・・正しい
  この世の中にある一個人が消える事は、この世にとっては何ら関係のないことです
・自分から観るか、この世から観るか(この世に生存する一個人から観るか)・・視点の違いです
 視点が違うだけですから・・どちらも正しい
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この回答へのお礼

自分にとっては世界はない。

電車などに飛び込んで自殺する人がいますが

自分は死んでも莫大な損害賠償金が残ることを考えると

自分にとっては存在しないでは済まないような気もしますねえ

どちらも正しいという考えはわかりますが

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/02/23 18:20

我、感じる故に、我在り


我、感じる故に、世界在り
人は自分が感じているから、その存在がある事を信じているが
何も感じなくなれば、その存在は無に等しい。

又は
世界は自分自身が得た外からの情報(五感に受ける刺激)を脳内にイメージとして再構築したものだから。
自分が考えたり、感じたりしている世界とは、その本人の頭の中の世界のイメージにすぎないので、
自分が死ねば、自分が知っている世界が消えてなくなるのと同じ事。
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この回答へのお礼

その「無に等しい」とか「同じ事」が全く同じなのか?

様なものなのかが問題であり 

その考えによっては大問題になります。

自分が死んだら無に等しい 思って鉄道自殺すれば

家族はドン底になるような賠償金をはらわなければならなくなるかも

それを等しいと言えるかどうか?この世が悪い世界だと感じ

世界を終わらせてしまえと 自殺する人もいるかもしれません

世界は終わるどころかほとんどが何事もなかったかのように進んで行きます。

そして苦しむのは家族や友人知人です。

その辺の違いを哲学はたたき出さなければ成らないのではないでしょうか?

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/02/23 20:48

NO.4です。



極論を(極論にしたほうが、その思想が分かりやすいから)言ってしまいますが、
つまり、哲学では
『世界というものは、その個人の頭の中にしか存在しない』
という考え方なのです。
あなたが言っている『世界』も、あなた自身が自分の頭の中に作り出した『世界』なのです。
あなたが死んだら、あなたの頭の中の世界も消えてしまうでしょう。
しかし、その周りで生きている人達の世界は消えません。
そして、その周りの日で生きている人達は、それぞれの頭の中の世界で、あなたの死を悲しみ、悼みながら、彼ら個人個人の世界は動き続けていくでしょう。

その個人が、頭の中に悪い世界を作り出してしまえば、それはその個人にとって現実の世界の姿にしか見えません。
誰かが自殺してしまえば、その誰かの頭の中にあった世界は消えてなくなります。
しかし、その頭の中にあった世界は、その誰かにとっては世界の全てです。
残念ながらこれは事実です。
自殺した人の家族は多額の賠償金を払う破目になるかもしれません。
友人や知人はとても悲しむでしょう。
だからといって自殺を無理やりに引き止める事がその人のためになるでしょうか?
その人は『誰か俺を殺してくれ』と叫びたいほどに心の中に苦しみや痛みを抱えているかもしれません。
そう言い出せないのは、誰かを殺人犯にするのがしのびなくて言い出せないだけなのかもしれません。
しかし、その苦しみや痛みは、その本人にしか分かりません。
あなたは『いや、わかる』と、おっしゃるかもしれません。
しかし、それもまた、あなたが頭の中で想像し、感じている貴方だけの感覚であり、あなたの頭の中だけの真実なのです。
相手の頭の中の真実は、どう足掻いてもあなたから見ることは出来ません。
また、あなたの頭の中の真実も相手からは見えないものなのです。
つまり、それを確認する事は不可能なのです。

この不条理、苛立ち、無力感、私達は一体これをどうすればいいのでしょう。
人はお互いに完全に分かり合い、完全に理解しあうのは不可能です。
しかし、完全に近づくこと、お互いに深く理解しあう事は不可能ではありません。
会話をすることによって、自分の世界を話し聞かせ、理解させ、相手の話を聞き、理解する。
お互いのお互いに対する認識を高めていく
…こうすると何が起こるでしょう?

最初に書きましたが、人は自分が感じ、経験してきた事で自分の頭の中に世界を造り上げます。
彼に向けられて行ったあなたの言葉(あなたが彼に与えた経験)によって、彼は彼の頭の中の世界を再構築していくのです。彼の頭の中にある悪い世界をあなたの言葉によって変える事が出来るのです。
同じ様に、彼の言葉によって、あなたが彼から受け取った情報によって想像されている頭の中の仮想の彼は、より本物に近づいていき、彼の頭の中にある世界がなんとなくあなたにも見えてくるようになります。

人と人が分かり合う、理解しあうと、この様な事(相手や自分の世界を変える事)が出来る。

それが哲学が出した答えのひとつです。
もちろん、これだけが正解な訳ではありませんし、本当に正解かですら分かりません。
哲学の中のホンの一つの事例を極論にして書いただけです。

長文になって申し訳ないです。
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この回答へのお礼

いや、わかるとは言いません

ただいい加減にこのような主観と客観の違いを擦り合せないと

哲学は何も出来ない。何の役にも立たない。倫理も真実も示唆できない

役立たずの汚名を払うことが出来ないのではないかと思います。

私は哲学会行きたかったのに 父に拒否されて行けませんでした。

役に立たないからです。この辺で少しは役に立つ哲学を見出せないものでしょうか?

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/02/24 19:10

あなたの死後も世界はあるけど、あなたから感知できなくなるということだと思います。


夜、ぐっすり寝ているとき、意識のない間(夢も見ない時)、世界はどのように見えていますか?
何も感じないですよね。死後はそんな状態が続くのだと思います。
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この回答へのお礼

死後はもっと何もないのではないでしょうか 本人にとっては

しかし世界は何事も無かったように回り続ける

問題は自分が死んだら何もなくなると思って生きることが

よくない 間違っている

自分は先へ続く世界のために何かを残したいと思う人がいるほうが健全です

でなければ世界は悲惨な未来を迎えるでしょう。

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/02/24 16:40

「あなた」が死んでも、この宇宙は消えません。


「わたし」が死んだら、消えます。
あなたが死んでも宇宙は消えると言うかも知れませんが、
「あなた」にとって、わたしと同様に宇宙を認識している
という事を証明する、あるいはその宇宙がわたしにとって
の宇宙と同じである事を証明する、方法はありません。
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この回答へのお礼

「あなた」が死んでも、この宇宙は消えません。
「わたし」が死んだら、消えます。
あなたが死んでも宇宙は消えると言うかも知れませんが、
「あなた」にとって、わたしと同様に宇宙を認識している
という事を証明する、あるいはその宇宙がわたしにとって
の宇宙と同じである事を証明する、方法はありません。

と言う事ですよね。

普通に考えればそうなりますね。しかしどうでしょうか?

私はあなたと私が死んでも 宇宙はあり続けるように思えて仕方ないですけどね。

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/02/24 18:54

自分の世界とは自分の脳が認識する世界です。


人は死を迎えるとそれは消え去るだろうと自分は考えます。
よって自分にとっては死は世界が終わると考えても良いでしょう。
皆と共通する世界が終わるのではなく自分の世界が終わるそんな感じでしょう。
自分が死んだ後に続く世界を自分が知る術はありません。

生まれる前を考えればわかりやすいかと思いますよ。
自分が生まれる前は当然だけど記憶も何も無いです。
しかし世界は存在した…でもそれは他人から聞いたり学校で学んだり、映像を見たりと言う知識でしか無いです。
自分の世界は経験と記憶で作られる物だと思います。

自分なのか世界なのかどっちを主体として物を見るかって事でしょうね。
他の人からすれば自分が亡くなっても世界は何も変わらず存在し続ける。
自分に取っては自分が頭で描く世界が全てですから、人としての終焉と共に自分の世界も終焉を迎えるのだろうと考えます。
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この回答へのお礼

妥当な意見でしょうね 

僕は人間は同じような意識を持ってると考えてますが

哲学の限界がこの辺にあるような気がします

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/02/24 18:57

若いころにバスの中でつらつら考え事をしていてひょんに俺が死んでも社会は何も変わらずに営みを続けていると気づいてショックを受けました。

いい、思い出です。

宇宙は私あってのものですが、同時に宇宙はすばらしい。汚してはならないもの。
あなた方の知らないおぞましいものも存在していると知っています。←あぁ、そうですかでいいのです。
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この回答へのお礼

そうなんですか おぞましいものが?

私もおぞまし妄想は見たことがありますがね

私在っての宇宙なのか 宇宙在っての私なのか

それが問題ですね。

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/02/25 15:36

ハイ。


あなたの死をもって世界は完全消滅します。
ですから、安心して死を迎えてください。
もし死後があるとするならば、それはアセンションと言う無駄な抵抗で、死後世界が転生し、世界そのものが死になると言う意味です。
そのようにして既に死んだ世界に成仏しきれずにさまようのが万人です。
あなたはそんな世界の救世主です。
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この回答へのお礼

私が救世主ですか?死んだ後のあの世まではどうにもなりませんがねえ。

私が死ねば世界は消滅するという意見ですね

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/02/25 15:39

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