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※※大前提※※

産みたいけれど身体上の理由で産めない女性は該当しないものとします。

※※※※※※※

基本的に生物は、子を成し遺伝子をつなぐことを目的としてつくられており、
またほとんどの生物は(人間の都合でペット化された一部の動物以外)
それを主目的として生きているとおもいます。

人間は「そうじゃない選択」が明確に、自分の意思で行えますが、その選択は
生物のありかたとして間違っているのではないでしょうか?

また、生まない女性だけではなく、正常な能力があるのに子を成そうとしない男性も同様です。

これまで脈々と遺伝子を受け継いでこの世界に誕生したのに、自分の世代で
自分の意思でその生物の理を断ち切ろうとする、その行為は社会を構成する
一員として間違っているのではないでしょうか。
それに対して罪悪感を抱かない心、そういう風潮が許されてしまう社会は、
生物として許されないのでは?
現に、それが許されてしまっている日本は、少子化による問題が多分にあります。

みなさんのご意見をお願いします。

A 回答 (12件中11~12件)

私も同意見です。



日本の衰退を招く、危険因子です。

もっと罪悪感を持たせるように国から発信をすべきだと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

子供を産みづらくしている社会状況にまずは問題があるとおもいます。

お礼日時:2014/05/14 12:06

子孫繁栄は間違いなく生物の使命です。



ですが本能での話であり、人間社会は理性を地盤に構築されています。
そして人間は生物で唯一本能と修正ではない社会に属して生きています。

社会を構築する上での認識上子孫と呼ぶべきものは後任者・後継者であり、血縁は問題になりません。

確かに少子化問題は社会的問題ですがそういう風潮を作ったのは社会であり生物論ではないので、
反社会的とはいえないと思います。


極端な話、年金等で保護するべき老人がいなければ年金の呪縛がなければレベルの家庭経済も楽になり子供も育てやすくなるわけですが、老人を無くすと言う行為は必ず反社会的行為に該当する。

動物社会ならそのあたりも冷酷で「狩が出来なくなったら群れから離れる」とかありますが、それもしないのも理性
にて構築された人間社会の特色ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>老人を無くすと言う行為は必ず反社会的行為に該当する。

たしかに、淘汰も自然界では当たり前に行われていますね。
生み出すことに意識がいっていましたが、淘汰も同様に俎上にのせるべきでした。

お礼日時:2014/05/14 12:07

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