プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

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仏は常にいませども 現(うつつ)ならぬぞあはれなる
人の音せぬ暁に ほのかに夢に見えたまふ
遊びをせんとや生まれけむ 戯(たはぶ)れせんとや生まれけむ
遊ぶ子どもの声聞けば わが身さへこそ揺(ゆ)るがるれ

『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』にある今様(いまよう)の一節です。
NHKの大河ドラマ「平清盛」にも、この今様は何度も登場したので、ご存知の方も多いと思います。

そこで、お伺いします。
わたしたちは、遊びをするために、戯れるために生まれたのでしょうか?
この今様で歌われている《遊び》とは何なのでしょうか?
そして、
子供は遊ぶために生まれてきたとも解釈される、こうした考えの思想・文化的背景は、何なのでしょう?


少なくとも、
産業革命後のイギリスにおいては、子供は労働力。
日本とは、決定的に違っています。
この違いは、何に由来しているのでしょうか?


教えてください。
ヨロシクお願いします(ペコリ)。

A 回答 (13件中1~10件)

ご質問の「遊び」は生きる事だと、私は解釈します。



正解かは判りませんが・・。


イギリス云々では、基督教の教義に見る事が出来ます。

基督教の教義では、人はエデンの園から追放された時に労働の義務を課せられました。

児童労働自体は日本でも欧米でも同様だと思いますが、スタンスは大きく違います。


日本では労働する事によって、幸せになれる。

基督教では生きる為に労働しなければならない。

日本の思想では労働も楽しみの一つとして、「労働の喜び」という考えがあります。

この思想は世界的に理解されていないです。

この回答への補足

日本人にとって、
仕事は単なる賃金を得るための手段ではなく、
自己実現の何かなのかもしれませんね。

ひょっとしたら、
『荘子』に見られる勤労観が日本人の勤労意識に強い与えているのかな。
○○道みたいな考え方が根底にあるのかしら???

補足日時:2014/06/23 21:37
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。


1830年代のイギリスでは、9才の少女が工場で一日19時間の労働をさせられていたという事例もあるようです。

http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/kindai/67-sangy …

英国議会が児童労働の実態を調査した際の正式な記録です。
かなり劣悪かつ過酷な状況で長時間労働を強いられていたようです。
このためなのでしょう、
当時の一大工業都市のマンチェスターの平均寿命は、なんと15歳。

ひどい話ですよね。

お礼日時:2014/06/23 21:26

NemurinekoNya様、こんばんは。




>「産業革命後のイギリスにおいては、子供は労働力。」

まあ、大多数に大雑把に見れば、そうなのかもしれないですが、
そうでない(施す側の)子どもも居たかもしれません。


「欧州の羊飼いは、牧童を雇った」というのを見たことがあります。
良くも悪くも、「自然とのタタカイ」だったのでしょう。
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この回答へのお礼

ヨーロッパの中世は、
子供を可愛いと思わなかった時代
http://blogpal.seesaa.net/article/42161114.html


そういうお話、学説があるとか、ないとか。


新大陸アメリカからトウモロコシがヨーロッパを救った、という研究者もいたりして・・・。
あと、ジャガイモ。


回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/06/24 01:05

お礼ありがとうございます。



追加としてちょっと独自の考えを述べようかと思います。

正確には日本と他の民族の労働意識の違いは知らないのですが、あくまでも個人の偏見と独断でちょっと書き込ませて下さい。


どうしてかは知りませんが、日本では神社に「労働」を「奉納」する事が可能です。

他にも舞等の「歌舞音曲」も奉納出来ますし、相撲等の「演武」も奉納します。

正に生きる営み全てが、何がしかの神の喜ぶ物だと言う考えがあります。


古代日本には古代ギリシャの奴隷同様に「」と言う奴隷制がありました。

しかし律令制の崩壊と共に、消えていきました。

年季奉公としての形で後々まで続いていきますが、子孫まで続くものではなく、また、幾度も時の政権によって、人身売買の禁止令が出され続けています。(つまりは有ったと言う事でもありますが・・)


私は日本人の労働に対する思想が、奴隷制を受け入れなくとも繁栄出来るシステムを構築して来たのではないかな?と勝手に思っていますw


他の民族では、日本と違い他民族と境を接している場合が殆どで、常に異文化を感じ続けていました。

この点が他者に対する対応の差になっているのではないかと考えます。

つまり言葉や文化や神が違う人間が、一つの生活圏に存在した場合に取る態度が奴隷なのではないかと。

日本では早い段階で、本州から九州までが統一されて、以降「内乱」の家臣同士、同族同士のイザコザはあっても、異文化の国家間での戦闘は無くなります。

ここいら辺りが奴隷制を維持出来ず、また、政権も禁止令を出せた理由ではないでしょうか?

例えばアメリカの南北戦争は奴隷解放の為の戦争とされていますが、日本では禁止令に表立って反対し立ち上がった例は、少なくとも私は知りません。


他の民族では「労働」は身分の高い人間は行いません。

中国・朝鮮では貴人が爪を伸ばすのが、良く流行りました。

身の回りの食事から排泄まで、全てを使用人に任せる文化だからこそのファッションです。

纏足も歩き回らずとも生活が出来る身分を証明するものでした。

日本でも貴人は働かないのは同様ですが、流石に此れは無いです。

「箸より重いものは持った事が無い」と表現される様に、自分の身の回りの全てを他者に丸投げする文化は、日本には無いのです。


実は手紙等も「書く」事を洋の東西を問わず、貴人はしないものでした。

対して日本では和歌を謡えないのでは、教養を疑われる事であり、筆を扱うのは当然の嗜みです。

日本の識字率の高さの一端を現しているのだと、私は考えます。


朝鮮出兵からの撤退の折に、虜囚として日本に連れ帰った技術者たちは、後の徳川政権時に朝鮮通信使との両国間での取り決めで、帰国事業を進めましたが、儒者の多くは帰国をし、陶工等の技術者の多くは日本に留まったとされております。

これは朝鮮での技術者の扱いが低すぎる為に起きた事とされています。


最後に輪廻転生の死生観を上げて終わろうと思います。

日本とインドとエジプトは典型的な生まれ変わりの死生観を持っています。

この生まれ変わりが、他者との繋がりの垣根を低くしている思想の理由だと思われます。

しかしインドでは生まれ付きで身分の決まるカースト制があります。

インダス文明では明確な身分制度を示す証拠は発見されていませんので、アーリア人による異民族支配から、区別する為のカースト制が確立して行ったのでしょう。

エジプトでもやはり生まれ変われるかどうかは、生前の行いで決まるとされており、これも民族間での戦の続いた事から来る、区別で起きた事かと思います。

この中で日本とチベット仏教だけが、無条件の生まれ変わりの思想を持っています。

チベットは土地が痩せており、養える人口が限られます。

ですので、家族を出家させる事で人口抑制をし、永続的な繁栄に繋げていると思われます。

家族の為に出家をするのだから、皆が互いを思って生きている思想なので、無条件の生まれ変わりを信仰出来るのでしょう。

日本でも他民族が回りにいませんから、生まれ変わるのは必ず日本人だと言う前提の発想になります。

そうなると奴隷身分が周りにいるのは都合が悪いのです。

しかも他者に辛く当るのは罪ですから、余計にばつが悪い。

だから日本では身分が流動的で、奴隷制も維持が出来なかった。



等と私は考えております。

長々と駄文にお付き合い下さりありがとうございましたw
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この回答へのお礼

日本の場合は、人口が過密なので、労働力としての奴隷を必要としなかった、という事情もあるのだと思います。
また、律令制というのは、基本として、奴隷の存在を前提にしていない制度でもあった。
有力な豪族に仕えている奴卑などを除けば、人々は国家から平等に田畑を与えられた。
そして、本家である中国以上に厳格にこのことが行われた。
建前として、皇族や豪族を除けば、他人は平等な存在なんですよ。
こうしたことも、関係しているのでしょうね。

回答、ありがとうございました。


付け足しです。
明治以来、日本政府は、奴隷制に対して、一貫して反対の態度を表明していた。
遊廓などに働く女性の存在という内部矛盾を抱えながらも、これは日本の変わらない立場であり、外交方針であった。

お礼日時:2014/06/24 18:40

かういふ質問の仕方をするのが、大人なのでせう。

そして、かういふのが、ほんとうの「遊び」なのかもしれません。

思つたことをすぐに口にだすのは、
子供、いや、

「子供なんですよ」というと、子供さんに失礼なのかもしれないので、
未だ人間以前の状態なのではないでしょうか。

>>産業革命後のイギリスにおいては、子供は労働力。

このあたりは、一時代的なものではないでせうか。ビクトリア朝時代の子供を神聖化する風潮がそれにつづきます。

>>子供は遊ぶために生まれてきたとも解釈される、
>>こうした考えの思想・文化的背景は、何なのでしょう?

遊女についての歌だとする解釈もあるやうですが、やはり、子供とするのが素直な見方です。

子供はおそろしい、とおもひます。

Richard Hughes, A High Wind In Jamaica, 1929
リチャード・ヒューズ『ジャマイカの烈風』小野寺健訳

私の愛読書です。女の子が船旅の途中で、海賊に襲われます。その海賊によつて、虐待を受け、悲惨な目にあふ、といふ話ではありません。海賊はみなやさしく、海賊船での平穏な生活がつづきます。あるとき、なりゆきで、この女の子は、捕虜を殺してしまひます。もちろん故意ではなく、ほぼ無意識のままに。

その後、海賊は海軍に拿捕され、裁判にかけられます。無邪気な女の子は、証言台に立ちます。まつたく嘘をつきませんでした。子供は素直に事実を語りました。私の下手な文章はうまく書けません、実際に殺人を犯したのは女の子ですが、海賊は死刑になりました。裁判官は海賊が殺人犯だと認定したのです。すべて真実が語られたにもかかはらず。

無邪気な子供にはそんな力があります。迷惑なものです。

私は「未だ人間以前の状態」ですが、だれにも自分の真似をしてほしくないと、思つてゐます。これまで何度も書いてきたとほりです。そして、私以外にももうひとり、推測ですが、自分の真似をしてほしくないと考へてゐる人がゐるのではないかと、おもひました。
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この回答へのお礼

☆未だ人間以前の状態なのではないでしょうか。
◇わたしはネムネコ、そして、サナダムシです。
ヒトじゃ~、ありませんよ(ニコニコ)。


☆このあたりは、一時代的なものではないでせうか。ビクトリア朝時代の子供を神聖化する風潮がそれにつづきます。
◇海外(欧米)で暮らしたことがないので、本当か嘘か、確かめようがないのですが、
欧米は、
 子供 = 小さな大人 or 未成熟、未完成な大人
らしいです。
日本のように子供を特別な存在とは考えない、らしいです。
ですから、
欧米(アングロサクソン系の白人ですよ)の子供は、行儀がいい。
小さい頃から、ビシバシ躾けられるんで。
日本人の子供のように、電車やバスの中ではしゃいだりしない。

日本は、小さな子供は、神さまですんで。
人よりは神様に近い存在と考えられていたので、基本的に何をやっても許される(笑い)。
周囲の大人は、その元気な姿を見て、「よしよし、いい子だ」と目を細める。

お祭りなんかで、稚児さんがお祭りの重要な役割を与えられ、役割を果たしますよね。
小さい子供は、神様に近い存在だからなんだそうです。

小さな子供は、我が子でありながら、同時に、神様からの預かりものなんですよ。
ですから、
猫が我が子を可愛がるように、猫かわいがりする。
そして、周囲もこれを是とする。
たぶん、こうした文化的な背景が、日本の子供王国を作っている一因になっているんであろうと・・・。


☆子供はおそろしい、とおもひます。
◇子供は(日本の)神さまですから。
日本の神様には、《荒魂》(あらたま・あらみたま)と《和魂》(にきたま・にぎみたま)の二つがあるんですよ。
神様も、時には、荒ぶることもあるんでしょう。
その《荒魂》が現われたものなのではなかろうかと・・・(ニコニコ)。


☆無邪気な子供にはそんな力があります。迷惑なものです。
◇《荒魂》を有していますから。
でも、他人に迷惑をかけよういう悪意は欠如していると思います。
「まぁまぁ、子供のやることですから」
と如何にも日本的論理を使う(ポリポリ)。


回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/06/24 17:24

 お早うございます。



 ◇ わたしたちは、遊びをするために、戯れるために生まれたのでしょうか?
 この今様で歌われている《遊び》とは何なのでしょうか?
 ☆ そりゃあ――と言って 大人げない振る舞いに及びますが・・・おっと 《子どもげない》振る舞いでしょうか つまりいぢわるぢぢいの登場ですが――
 ▽ 仏は・・・ほのかに夢に見えたまふ
 ☆ ゆえなる遊びなのでしょうね。そうとしか考えられないようです。


 ということは 思考の領域だけでは味わえない仕組みになっているかと。





 このところ こんなものを引っ張り出しました。

 ▲ (《バガワ゛ッド・ギーター》 2・46)~~~

 あたり一面が洪水に見舞われた。
 そこに池もおおわれた。

 ならば ブラフマンにとって 
 あらゆる知識(ヱ゛ーダ)は
 この池のようなものである。

 〔紀元前五世紀ごろ〕(辻直四郎訳)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 どう見るか?

 ブラフマン(ないし ブッダ)にとっては 《あらゆる知識としての池》が洪水に遭っているような状態であり なおその外にも水は満ち溢れている。

 池も洪水も 水が共通である。池の水たる知識について 池の外つまり知識を得ていないところ つまり無知(未知)の領域にもその水たる知識があたかもおよんでいる。ということなのだろうか。

 もしそうだとしたら それは 飛躍をもともなって広く《あそび》なのであろうと思われます。無知も既知もいっしょであると。


 




 は消えましたが 根拠のない隠れた身分制は のこっています。
 子どもはこれを どう見ましょうか?

 【Q:およその身分は平民の七分の一に相当】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6070243.html

 【Q:えた・は 天皇の子どもが その地位に落とされ 制度としても成ったのではないか?】 
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6023047.html

 【Q:民・在日朝鮮韓国人・暴力団についてのもんだい】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5995036.html

 この人たちの《労働》をも合わせて考えないと 日本人としてのかんばせが失せるでしょうね。
 つまりまだわたしたちは あそぶ資格は得ていません。
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この回答へのお礼

こんにちはです。

わたしにとって、哲学は《あそび》です。
数学も、物理も《あそび》です。

これといった理由などなく、ただただ楽しいからやっていま~す。

そりゃ~時に、「何で、オレはこんなに頭が悪いんだ!!」とみずからの能力、才能の欠如を嘆き、それに絶望もします。
二度とこんな苦しい世界には戻らない、と、正直、投げ出したくなることもある。
何度も投げ出した。
でも、好きだから、楽しいから、ヒョコヒョコとすぐに舞い戻ってしまう。

禁断の《あそび》の味を知ったせいなのでしょうか。


回答、ありがとうございます。

お礼日時:2014/06/24 17:34

哲学的な回答は私には無理ですし、日本語も少し怪しいので、割り引いてお読みください。



私はこの歌を聞くと、平清盛よりも、彼のお父さんと強いご縁のあった後白河法皇を思い出します。彼の場合の”遊び”は、まつりごと全般だったでしょう。

仏は、おられる、とは聞いているが、現世(うつしよ)では、みたことも聞いたことも、気配を感じたこともない。それならば、一か八か、子供たちが戯れているように、生きてみようではないか。

という風に、読んでおりました

独断と偏見です。

階級制度のあった時代には、どこの国でも被支配者階級の子供たちは、徒弟制度などのお世話になりながら、十歳になるかならずで、親の仕事を手伝うか、”手に職をつけるために”親方に弟子入りするか。。。日本でも第二次世界大戦前はそんな風だったと思います。階級制度のせいでしょう。

アメリカ在住ですが、私と同年代の男性でも、小学生のときから親の牧場の手伝いで、忙しかった、と聞いています。”牛のお産の時には、崖にお尻を向けたまま、陣痛が始まったことがあって、大変だった。。。”なんていう話は、何十年経っても、生々しいです。

ご質問の意図が汲めていないようにも感じます。サッカーの見すぎで、目も少し怪しいので、この辺で失礼します。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。


日本では、江戸時代の中期くらいには、庶民階級の子供は寺子屋に行って勉強をするような社会になっていた。年齢的には、5才~12才くらいでしょうか。
月謝もかなり格安で、誰でも通うことができた。
村落では、お坊さんや村の庄屋さんが、先生役を努めることもあったそうです。
江戸時代の時代劇などで、町人の子供が寺子屋に行っていますが、これは歴史的な事実なんですよ。ウソじゃなくて、本当の話。

丁稚奉公先などでは、
仕事が終わってから、
番頭さんなどが先生の役割をし、読み書きソロバンの他に商人としての心得や道徳などを教えていたそうです。


☆アメリカ在住ですが、私と同年代の男性でも、小学生のときから親の牧場の手伝いで、忙しかった、と聞いています。”牛のお産の時には、崖にお尻を向けたまま、陣痛が始まったことがあって、大変だった。。。”なんていう話は、何十年経っても、生々しいです。
◇地域によっても違いがあるのでしょうが、アメリカはそうらしいですね。
子供にも、小さい時から、家事などの分担を与え、それを行わせるようですね。

ただ、インディアン社会の子供は、日本の子供に近いようですが。


回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/06/24 17:53

こんにちは、起きているねこさん。



梁塵秘抄は今年の全国吹奏楽コンクールの課題曲でしてね、
娘がこういうのを聴き比べては練習しています。



「遊び」は、好奇心にもとづく能動性・積極性の発露すべてと、
そこにある「驚き」「気づき」「発見」すべてと、
そこからの副産物の感情、
喜びとか痛みとか楽しさとか口惜しさとか、すべてだと思います。

人生を初めて間もない人の方が得意なのは当たり前だと思います。
お風呂さんから拝借しますが、
モノを知るほど、モノが分からなくなっちまうんです。
観察や思考を省略してしまうんですね、駱駝から。
おいらは満月を見て「空に穴が開いているかもしれない!」
なんていちいち考えなくなったし、
豆腐はどの面を見ても長方形に見えてしまうのですよ。



こんなことを言うと世界中の親と子どもから叱られそうですが、
何歳であれ子どもにとってさほど親は必要ないけれど
(大人が少しと仲間が少しいれば子どもは生きていきます)、
親が子どもを必要としている、のぢゃないでしょうか。

うちには12歳と10歳の子どもがいますが、
遊んで笑っている姿を1日1回は見ないと病気か?
と心配になります。
言葉遊びでもいいし、おいらの服に洗濯ばさみをくっつけるなど
いたずら遊びでも何でもいいんですけれど。
そういえば娘も息子もティッシュペーパーを延々と引っ張って
部屋中を雪景色にしたりはしなくなりました。
ティシュペーパーの使い方を教えられたし、
ついでにそういうことをするとオカンが怒ることも分かったし。

あらつい余計な話までしちゃいましたけど、
子どもが笑っていることを喜ぶという親の勝手な期待、ですかね。
こんな期待をぶつけられた子どもはたまったもんぢゃない。
親は独り言としてうたにでもしちゃった方がよろしいでしょう。


子どもたちが「ゴミを拾って売る」という労働をして
生計を立てている国がありますが、
遊びを見つけて人間の生活になったそうですよ。
モノクロの世界に色彩が溢れ出したような。
https://www.youtube.com/watch?v=OeK1mCvRvRM
 
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この回答へのお礼

お久しぶりでございます。

いい曲ですね~、《梁塵秘抄》という曲。
やっぱ、わたしは、日本人ですね~、
すんなりとこの楽曲の世界に入り込んでしまいます。


「遊び」は好奇心(の発露)ですか。
なるほど、なるほど、
そうなのかもしれませんね。


最近、回答で『枕草子』を引用したりするのですが、
「ちごは、あやしき弓、しもとだちたる物などささげてあそびたる、いと美(うつく)し。車などをとどめて、いだき入れてみまほしくこそあれ」
「こころときめきするもの、雀の子飼。ちごあそばする所の前わたる」
こうした感性など如何にも日本的だなと思ったりします。
neutralさんも、清少納言と同じく子供の母親ですから、私以上に共感なされるんだろうな、と思います。

小さな子供(たって歩けるようになったくらいの子供)がよちよちと歩き、床に落ちているゴミか何かを見つけて、「何だろうか?」とそれを拾い上げ、興味深そうにしげしげと見つめる。

こうした光景を目にしたら、清少納言でなくても、
「か・わ・い・い(うつくし)」
と、すべての日本人は思ってしまうに違いない。
これこそ、日本人が古来から大切に守り伝えてきた《萌え》です(ニコニコ)。


回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/06/24 18:10

7番です。

どうでもいいんだけど追記。
モノクロの世界に色彩、とか書いてたらこんなの思い浮かべました。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/98_15 …
列車の窓から弟に食料を放り投げるなんて愉快すぎるぢゃないか。
こういうの、最高の遊びなんぢゃないの?気持ちいい。

明治生まれのおいらのおばあちゃんも15歳から奉公に行ったのだそうで、
この話が書かれたころなんぢゃないかな。
畑仕事が好きで好きで労働していないと落ち着かないみたいだったけど
おいらたち孫ともよく遊んでくれたし曾孫ともよく遊んでくれました。
どうもお邪魔しました。3番、参考になったのでポチしました。

 
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この回答へのお礼

私の母親も、畑や田んぼ仕事に励んでおります。

田んぼは、ハッキリ言って、収支的には大赤字です。
───人件費抜きでです(笑い)───

真夏の炎天下のもと、畑や田んぼの草むしりなどに、毎日のように出かけておるようです。
母の畑仕事・田んぼ仕事は、すでに趣味を越えて、道楽の域に達しています。

私の目には、バカなことをしているように映りますが、
母の趣味や道楽ですから、如何ともし難い(笑い)。
熱中症にならないようにと祈っております。

損得を抜きにしてでも、何か仕事をしないと、
わたしの母は、精神や情緒が不安定になってしまうに違いない。


回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/06/24 18:22

ねこさん、ご返事ありがとう。


おいらも労働してますがちっとも黒字ぢゃありません。苦笑。
移動時間・予習時間・許可費・CD代・衣装代。
けど辞められないんですわ、楽しくてありがたくて。
あ、労働する日は5リットルぐらい水分とってます。


子どもは「小さな大人」ではないと当たり前に思っていたので
4番のお礼を見てびつくりしましたが、


そういえばアメリカ在住の友人が
生後数か月の子どもと別の部屋で寝ていると聞いて
やつぱりびつくりしました。
それがアメリカでは当たり前だと言われもつとびつくりしました。
日本でそんなことをしたら虐待と呼ばれそうなので。

その友人の話ではアメリカでは「夫婦を保つ努力」
を大切にしているのだそうです、
子どもは血がつながっているけれど夫婦は他人だからだそうです。


しつけ方もずいぶん違うみたいですよ。
日本では子どもが大人の万年筆で落書きをしたら
「それ、母ちゃんの大事!」と情に訴えて伝えるけれど、
アメリカでは「いけません!」とまず伝えるそうですから。


あまり関係ない話になっちゃいましたね。


もうひとつ関係ないかもしれない話。
スポーツの語源はdeportare、desportで
港から離れる・憂いを持ち去る・気晴らしをする・遊ぶ、
そんな意味だそうです。必死 でやるほど面白い はず。
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この回答へのお礼

ゲルマン系でも、ドイツはアメリカとはちょっと違うみたいですね。
ドイツは、日本と同じで、マザコンの男性が結構多いらしいです。
たぶん、ドイツでは、アメリカよりも、母親は子供を可愛がり、スキンシップも多いんでしょう。
イタリアはもっともっと。
そして、トルコはもっともっと、さらにスゴい。
───たぶん、トルコの男性は、マザコン度世界一・・・───


母親としたら、マザコンの息子は誇らしい息子なのだろうか、
気持ち悪い息子なのだろうか?


回答、ありがとうございます。

お礼日時:2014/06/24 22:53

ねこさん、何度もすみません、



>車などをとどめて、いだき入れてみまほしくこそあれ
:はい、そうなんですが。
おいらは生後2か月ぐらいのの赤ん坊が布団の上で
自分の手や足を不思議そうに眺めて遊ぶ姿とか
「全身で遊んでる~」って感じがして、
かわいくてしかたがなくて、つい抱きたくなるのですが、
大人の都合で勝手に抱いて、子どもの遊びを中断するのは
0歳児にとって迷惑なのだそうですよ。
                                
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この回答へのお礼

女性・母親ならではの視点ですね。
男には、これが分からない・・・。


回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/06/24 22:43

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