街中で見かけて「グッときた人」の思い出

 ネットで親が子供を蹴り飛ばしている動画が話題になっているようですけど、正直親として子供にイライラして蹴り飛ばしたくなることって、奇麗事な教育論として否定されますけど、実際はありますよね?

 私はずっと一人身で子育てをしたことがありませんし、まず子育てなんて大変なこと自分にはできないでしょうし、若い頃からあきらめてます。

 先日、そこそこ行列のあるラーメン屋で食事をしていたら、となりにいた家族連れでお母さんが食べるのが遅い子供にすごいイライラしていました。待っているお客さんがたくさんいるのに、子供は麺を一本ずつズルズルと食べ、必要以上に水を飲んいまして、お母さんが「もっと早く食べられるでしょ。そうやって水飲みすぎだから、お腹がふくれて食べられなくなるの」と怒ってました

 子供は自由奔放で周りを気にしない一方で、大人は常にスケジュールで動き、社会人として効率性を求めてしまうのは仕方のないこと。ワイドショーのコメンテーターは「虐待する親は許せませんね」という傾向の発言をすると思いますが、実際育ててる親は仕事と家事・子育てに追われ非効率な出来事に対してイラだってしまうもんじゃないですかね?

 実際子育てに格闘しているヒトからすれば、子供を家畜のように蹴り飛ばしたくなるのも解らなくはないというところありませんかね?

 もちろん自分が子供だったら、体罰は簡便してくれとは思いますし、成長に悪影響が出る可能性もあるので、肯定はもちろんできませんが。

A 回答 (12件中1~10件)

例え専業主婦であっても


終わる事の無い繰り返しの日々が死ぬまで続く様な感覚には
気が狂いそうになる程苦しくなる場合もある様ですね。

女性も働き効率を求められ時に罵倒されたり、
精神的、時間的余裕を失えば子に当たる事も増えうるでしょう。

自分が叩かれたり蹴られて育てられた人は、
叩いたり蹴りたくなる衝動が生まれやすく、
我慢しても暴言や無視など形を変えて表れやすくなります。
共感できるか否かは
どれだけ幼少期に恵まれた環境で育てたか?
でかなりの差が出ると思われます。

自分が叩かれも蹴られも怒鳴られもした事が無く、
話しながら気持ちを紐解いて貰い
理解できて納得できて行動できる様に育てられた人なら
「叩いたり蹴ったり怒鳴ったりしない解決方法」
を理屈ではなく経験で知っていますので、

例えイライラしても別の解決方法がある精神的余裕から
イライラしても暴力的な衝動までには至らない
という人もそれなりに居るでしょう。
それが育児において常に良い結果を齎すかはさておき。

雇用の事情などから核家族しやすく、
育児の負担が母親に集中しやすい環境も多い様で。
核家族化と地域社会の希薄化で
幼い頃から育児や経験者の知恵に触れる機会も乏しく、
経験も知恵も乏しいまま一気に本番に突入し、
パニックになる人も増えがちなのでしょう。

パニックになり目先の解決を望んでつい
否定ばかりで育児をすれば、
子が抑圧から反発する悪循環に陥り問題を深刻化複雑化し
余計にパニックになり子の将来に不安を感じ、
焦りから虐待家庭まっしぐらの悪循環という事もあります。

教育などでフォローするしかないのかもですが。

けりたくなるか否かは、
その人がどういう目に遭い育って来たかによりそうです。
否定ばかりで育てられ抑圧された感情を抱えていたなら、
その捌け口が暴言や手や足で出やすくなる。
それは一種のPTSDと言えるのかもしれませんので、
適切な治療をすれば変わりそうでもありますが。

上手く生きれる人を育て増やせる社会になれたら良いのですが。
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この回答へのお礼

今回の動画の一軒でも、児童相談所と警察が連携して対応しているそうですが、
世の中のお父さん・お母さんは子供を作る前から教育とはなんぞやという理念なんてないまま、(子育てしたことないしなくて当たり前)なりゆきで親になった人もたくさんいるでしょう

児童相談所が社会にあるべき教育を指導する使命を担っているということですかね

お礼日時:2014/07/04 13:47

母親に蹴られた自分だから言えるが、


お前には親の資格はない。
親として未熟、覚悟がないし、大人になるまでに我慢する忍耐力が養えていない。
お前の頭は小学生低学年、そう言い切ってやる。
たった一度でも蹴れば、子供に一生残る心の傷を負わせる。
子供は親に対して面従背反の一生になる。(顔を向いている時は、笑顔や従って、ひとたび背中を向けたら、刃向かうと言う事。)
一生本当の親子関係は構築出来なくなる、と覚悟しろ。
子供もバカじゃないから自分の親は両親しかいない事を分かっているから、
心を許せないお前にも、養わせる為に偽りの親子を演じるようになる。
一度でも蹴れば必ずそうなるから、
お前のようなバカには断言しておく。
自分都合で(自分が好きで)子供を作っておいて、
蹴りたいとは。
あきれてお前のような、バカに塗る薬はない。
そんな事もわからないなら、
とっとと、子供を捨てて出て行け!!!
その方が子供は育つ。
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この回答へのお礼

大丈夫です。
私は子育ては無理なダメ人間だと十分自覚してます

そもそも、子供もいませんし、作ったこともありません
自分ひとり生きるのに必死ですし、社会的・経済的にも胸を張れる大人でもありません

お礼日時:2014/07/04 13:28

こんにちは。



今の世代の親御さん達は、「怒る」ことはできても「叱る」事が苦手なようですね。
おそらく、自分たちが「叱られずに」育てられたためでしょう。

蹴りというのは、たいていの格闘技でも禁止されているほど危険な行為です。
ですので、「蹴りたくなる」時点で、その方は”痛み”を経験せずに育ったと言えるでしょう。

「お尻を叩く」というのがベターな方法でしょうね。
私の時代には「ケツバット」と言って、教師にお尻をバットで叩かれました。
勿論、ボールを打つような力ではありませんよ。
尾てい骨を骨折してしまいますので。

ビンタやお尻を叩くことは、「言って聞かせてもわからない」子供には必要ですよ。まだ人間になりきれていないので、痛みでわからせるほか無いわけです。

怪我をさせない範囲で、「言ってもわからない子供」を躾けることは大切です。
手を上げることの一切を禁じてしまったために、
学級崩壊などという、最低最悪の事態にエスカレートしていったのでしょうね。

本来、躾は親の責務ですが、それを国家公務員である教員に丸投げした時点で、
子供に対する愛情も、同時に捨て去ったことに気が付かないのでしょう。

反感を買うことが怖くて、家では甘やかし放題。
そんな子どもたちが義務で教室に押し込まれるわけですから、
崩壊して当然と言えば当然ですね。

蹴るのは絶対に駄目ですよ。
これは綺麗事でも何でもなく、怪我をさせてしまっては躾も何もありません。
空手道場に一日体験入門為さって、蹴りを喰らってみてください。
子供を蹴ろうなどとは思わなくなりますよ。

ではでは。
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父親ですけど・・・・一度も無いなぁ。

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この回答へのお礼

すばらしい父ですね
親子関係も良好なのではないでしょうか

お礼日時:2014/07/04 13:40

蹴りたくなったことはありません。

人間ですから腹が立つ時はあっても、それが暴力には繋がりません。感情に任せて暴力を振るっていたら、その辺のチンピラと同じですから。子どもを育てると、親の方も凄く成長するものです。
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この回答へのお礼

親の成長というのは
親にならないと実感として理解できない感覚でしょうね
私は損得で考えるんで、辛い想いをして自分の成長と考えられないでしょう

お礼日時:2014/07/04 13:36

子供は散らかしながら食べ、好きなものから食べ、食べるのは少量だし遅い。



自分は大人だから既に昔の自分を忘れている。もしくは自分を思い出してイラつく。

怒りの根源には期待があるから、その期待は「大人のように静かに早く食べる」だったり自分に都合がいい。

自分の五感を刺激する騒音・振動・光・悪臭などでなければ後は自分で自分の期待と目の前の現状の違いに一人で戸惑っているその困惑の感情が怒りになるに過ぎない。

始めから「この子には5分余計に時間をかけよう」と想定していれば余裕ですよ。計画外だから自分で困惑するのです。

親の暴力はともして自分の思い通りにならない人間を言うことを聞かせる為の恐怖政治と同じ手段です。

教育には相手の能力を読み取ってできることから一段ずつたたみかけて教えて行く我慢許容量が必要ですから、爆発しやすい人間は教育の仕方や人間間のコミュニケーション力の不足です。教育力の不足です。

が、まだ学べます。やる気があれば。けれど親である自分と相手は小さな子供で立場の上下関係にあぐらをかいていると、下の人間は鬱屈します。

結果、鬱屈した人間を作り出していると認識すべきです。その場の気持ちの吐き出しの行き着く先を暴力行使者は見ていません。
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この回答へのお礼

より、理想に向かっていける向上心がないと理性的な教育って難しいですね
結局、人間は自分の利益や都合を一番に考える利己主義が一番強いと思うんで、それとは間逆に感じられ貫くのが大変ですね

お礼日時:2014/07/04 13:42

わからなくもないですが、逆に子供のそういう天真爛漫さに助けられることもあるんです。


物事がうまくいかなかったときなどイライラしたり落ち込んだりしますが、そういうときに子供の明るさに心が癒されることもあります。
身内が亡くなって悲しみに打ちひしがれているときも子供はお構いなしですが、そのちぐはぐさで心のバランスが取れて救われたこともありました。

子供は親や周囲の大人を手こずらせるもんです。
誰しもが通ってきた道なのに、大人になると忘れてしまうんですよね。

「親は子によって育てられる」とよく言いますが、ほんとにそのとおりだと思います。
子供はその場の空気も読めないですし、時にはわがままを押し通したりしますが、それによって親も我慢強くなりますし、いろんな面で鍛えられます。

子供の存在って有り難いもんです。
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この回答へのお礼

確かに、子供のかわいさは大人の発想ではありえない、無邪気なところですよね
時にかわいく思え、時には憎たらしく思える感じですかね

お礼日時:2014/07/04 13:34

あなたもTVに出てくる視聴率と人気を稼ぎたいだけの評論家と同じで


体罰と暴力と躾の区別が出来ないようですね。

>私はずっと一人身で子育てをしたことがありませんし、まず子育てなんて大変なこと自分にはできないでしょうし、若い頃からあきらめてます。

一生貫いてください。

この回答への補足

「体罰・暴力」と「躾」は別のものとなんとなく理解してるつもりですが
親というのは365日24時間教育者としての倫理をもって、子供には自分のエゴではなく、教育者として接しないといけないとなると、ほんとに大変な苦労する立場ですよね

補足日時:2014/07/04 13:32
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>子供けりたくなることありますよね?



そういうふうに思っちゃうのと、

実際に行動に移すのとでは、

違います。


正直、子供に対して変なことを思っても、それを行動に起こさなければ良いのです。気持ちを抑えて、隠しておけば良いのです。
それを実際にやった時点でアウトです。
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この回答へのお礼

思うのに、
理性で止められる人は教育する側として求められる資質かもしれませんね
私は感情的な人間なので、耐えられないと思います

お礼日時:2014/07/04 13:29

>子供けりたくなることありますよね?



ねーよ。
同意を求める言い回しなのは、あなたにその気が満々だからさ。
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この回答へのお礼

暴力はないにこしたことはないでしょう
その方が望ましいです
私はその気がある人です
共感とまではいかないものの、親が子供にイラついているのには、解らないでもないと感じてしまうので、子供を教育する立場に向いてないと思います

お礼日時:2014/07/04 13:21

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