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思えば、ヒトの時間が進むにつれ、あらゆる分業が同時に進展してきました。職業、道具、学問などの分業は、今は、木の枝、乃至は、葉とも言えるところにまでやってきたのではないでしょうか。

質問です。

分業化はヒトにとって、どんなものなのでしょうか。そして、上の喩えの通り、分業の歴史が、木の根から葉への道のりと同じとするならば、葉のところまで分業しきった後、その先の歩みはどうなるのでしょうか。

聞かせてください。

A 回答 (8件)

生きる事は、物質=肉体として生き即物的利益を求める、


という事と、意識=認識において精神的充足を求める、
という2つの側面がある。
それらは対立するものではなく、認識の深まりによって
生産性は向上し、それによって生活は向上して認識の
深まりも可能になる。

その中で、物質的な生産性の向上のためには、分業化
して決まった仕事をくり返しする方が、熟練して早く正確
にできるようになる事から、工場制手工業が発達し、
さらに工業生産による大量生産のスケールメリットに
おいて、市場の拡大に基づくさらなる分業化が進行した。

それと同様の事が、環境の認識においても起き、実験
器具や観察器械の発達において、日常生活&一般常識
とは異なる特殊技術や専門的知識を前提として、細分化
した学問に分かれた。
一般的に、そうした学問は「科学技術」として、物質的
利益に還元される事に意味があると考えられがちだが、
その実、冒頭に述べた「即物的利益を求める」とは別の、
「精神的充足を求める」の面において、細分化された
専門的知識を再び総合して、世界観や価値観に反映
する必要がある。

一般的に「精神的充足」は、意志の強さとその達成度に
基づくと思われがちだが、自販機がお礼を言っても真に
喜んでいるのではないように、そうした意志のベクトルを
描く基底である認識の深まりが重要な要因である。
それは単に達成を感じる深さという受動的な意味だけ
でなく、長期的なビジョンに基づいて環境や自己の他の
欲求と矛盾しない意志という能動的な意味でも充足量
の増大に貢献する。
社会的に歯車として使役されるための実用的知識とし
てより、認識(感じているこの宇宙の存在感)の深まりと
しての方が、大事だと言える。
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”分業化はヒトにとって、どんなものなのでしょうか”


    ↑
分業により、効率化され、専門家され
今の豊かな社会になりました。

反面、労働は機械化され、労働者から
誇りと生き甲斐を奪いました。



”葉のところまで分業しきった後、その先の歩みはどうなるのでしょうか。”
    ↑
分業化の欠点は全体を見渡すのが困難に
なることです。
今後、分業化は葉から細胞へと更に細分化されると同時に
統合化、鳥瞰化の要求が強くなると思われます。
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#1の者です。


分業化というと、人間だけのものに思いがちですが、原始の
海水中において単細胞生物として、1個の細胞で運動器官
や感覚器官、摂食器官を兼ね備えていたものが、それぞれ
単機能に特化すると同時に、神経やホルモンに対して反射
的に行動する事で、多細胞生物として「分業化」する事で
我々個体が生まれた経緯(生物進化)と、同じ必然の上に
乗っているに過ぎない。
同じ事は、さらに昔の原始の海水中で、太陽光や熱水鉱床の
エネルギーによる分子の重合・分解の中で、安定した高分子
が蓄積され、その中から安定した自己合成反応が存続して
細胞を成した、いわゆる化学進化の延長でもある。
同じ事が、最小のエネルギー単位である量子の定常波=
超弦の相互作用の中で安定したクォークが生じて、その相互
作用によって素粒子が、その相互作用から原子が、分子が、
といった具合に、ある単位の相互作用の中から安定した反応
が新たな上位現象の単位となる階層現象化こそが、その
本質である。

では、かつて細胞単位で環境と相互作用していた細胞が、
神経やホルモンによって他律的に操られる歯車になったよ
うに、人類も社会生命としてお金や出世といったアメ、法規
やモラルといったムチによって他律的に生かされる歯車に
なるのだろうか?
おそらくその時、生物としての生きる意志は、法規や制度、
教育や文化といったミーム(社会性遺伝子)に移転し、社会
全体を覆う情報ネットワークの中に高次元の意識が生まれる
のかも知れない。

上記は、物欲や拝金主義によって他律的jに生かされる
「アリ型進化」の行き着く果て。
認識の発達により、自己の生命の社会的拡張を自覚化し、
自律的に社会行動をとる(お金をもらうために働かされるの
ではなく、助け合いとしての労働)事で、迅速な適応や環境
の改変を可能にしてきた「ヒト型進化」において、その生きる
目的である「精神的充足の最大化」において、上記のような
「他律的な生」は死に等しく(低認識&苦痛から逃げる事に
よる生)、もし、まだ自己の意志において将来への選択を
する主体的な力が残っているならば、選ぶべきは明らかだ。
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分業化はヒトにとって・・


自分をただの部品にさせるものか、よりたかみを見る為に利用できるもの、じゃないかとかんがえました。そのままですね。


この先、いづれ幹から折れてみんな実際に、地面に足を着けるとおもいます。

幹が以外と丈夫で折れなかったら、葉っぱがかれたら、春にはまた新芽が生えて、枯れて・・の繰り返し。また、根っこに戻って、新しい木を育て始める人だとか、木から脱離 するひとは、今と変わらずいると思います。

大きな木の下だと、陽も栄養も届かないから(みんな忙しくってろくに相手をしないから、善いものよりも、コスパのいいものを買うから)みんなで栗拾いにでもしに地面におりるのがいいかな。手間はかかるけれど、ジャンクフードよりも栗のほうがおいしいです。

と、考えました。

この回答への補足

非常に素敵なお話です。

僕はちょうど一年程前に高校をやめました。これは木から落っこちた事になりますかね。この場合の木は僕が想い描いていた木と違うけど、木の喩えは、この場合にも、またあらゆる場合にも、使えますね。

栗のお話、良いですね。同意できますし、心がほっこりする。

ありがとうございました。

補足日時:2014/08/07 21:47
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ext1219様、こんにちは。




>「分業化はヒトにとって、どんなものなのでしょうか。そして、上の喩えの通り、分業の歴史が、木の根から葉への道のりと同じとするならば、葉のところまで分業しきった後、その先の歩みはどうなるのでしょうか。」

基本が大事と思います。

この回答への補足

詳しくお願い致しますm(__)m

補足日時:2014/08/07 21:38
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>分業化はヒトにとって、どんなものなのでしょうか。

そして、上の喩えの通り、分業の歴史が、
>木の根から葉への道のりと同じとするならば、葉のところまで分業しきった後、その先の歩みはどうなるのでしょうか。
この質問の答えを哲学で求められるでしょうか。
経済とか産業とかのカテゴリーだと思いますが。

一昔前までは、市場の製品もサービスも単純なものでした。今は大変複雑なものに発展しています。
貴方が使っているパソコンも一社で部品を製造しソフトを開発しネットへ接続出来るなどしていたら
今日の発展はなかったでしょう。

喩を木に例えるのも現実には合わないと思います。
分業化は、一枚の紙に二次元的に表示できるものでもなくなっています。
三次元以上の状態にあるのではないでしょうか。
人は自分が見える世界の範囲で理解したいと思いがちですが、すでにその範疇を超えています。
一例ですが、中国の期限切れ食肉も問題です。
マクド側に管理責任があるとも言えますが、中国側に倫理を問う必要もあります。
哲学的には、人としてやってはいけない事とやるべきことの判断です。

>分業化はヒトにとって、どんなものなのでしょうか。
人類の進化の過程で必要不可欠なもの
それとともに分業化された作業を管理する技術も必要となる。
分業を任されたものの中には、信頼を裏切るものがいる。
信頼を裏切ってはいけないという考え方(哲学)浸透と
裏切ったものへの処罰を決める法体制など整備ではないでしょうか。

別の質問で、ここは日本か?という質問もなされていますが
分業化の流れの中で、人として何が正しいのかをしっかり守っている国
日本だと思います。
資本(資金)主義を主張する欧米の国々もあれば
中国、韓国のように、文明の進化に精神がついていかず、自己中な国々もあります。

この回答への補足

>>「分業化は、一枚の紙に二次元的に表示できるものでもなくなっています。三次元以上の状態にあるのではないでしょうか。人は自分が見える世界の範囲で理解したいと思いがちですが、すでにその範疇を超えています。」
具体的にお願い致します。

補足日時:2014/08/07 21:37
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>葉のところまで分業しきった後、その先の歩みはどうなるのでしょうか。


ITが無かったら、崩壊していたでしょう。だがITが「来た」。来るべくして来たのだが非常に大切。
昔なら「葉」は「捨てられた」、だが今は「葉」の「情報」は幹にも「根」にも伝わる。
もちろん伝わらないほうが良い場合もある、ITがらみなら「ディスプレー」CPUにはどんなディスプレーがぶら下がって居るかの情報は行くが、「正常か否か」の情報は行かない、なぜならディスプレーにはCPUが入っていない、から「現状」を報告しない、何がぶら下がって居るか分るのは、メモリー内に書いてあるのをケーブル経由でCPUが読むからだけ。ディスプレーにCPUが付いていたら、本体のCPU(通常専用CPU)は忙し過ぎて速度が落ちる、バグが反映される、外部から乗っ取られる。
だからデスクトップのディスプレーにはCPUは要らない。
だがノートや「何だか忘れた、一枚に全部入っている奴」の場合、ディスプレーはタッチパネル、植物のたとえで云えば「サボテン」タッチパネルに異常が起きたら全てがダウンする。
このように分岐、分業が進む方向は既に「終わった」。
一番分かり易いのがコンビニ、売れ行きはバーコードで全世界から集められ、最近流行のビッグデータになる、だがただ集めている訳では無い、分析ソフトが各店舗で「どのパート」が「いつ」扱った「どの製品」の「売り上げ」は「利益を出しているか?」「このパート」に任せるのが良いか「他のパートに任せ」「こいつは別の仕事をさせるべきか」「首にすべきか」、そもそもこの店の「目玉」はこれで良いか「店で揚げ物」はこの店に「寄与しているか」「流通システム」は最適か「どの雑誌が売れ」「どれは外す」「この店舗の周りにある」競合店は何処か「この店の駐車場は充分か、それとも無駄か」「この重役は適任か、クズか」「うちは企業として最適化されているか」「存在する意味が有るか」「どこかかを買収すべきか」「逆に身売りすべきか」「身売りするならどこが一番高く買ってくれるか」「食品事故の影響はどこで大きくどこで小さい」
等々マイクロ秒単位で全てを計算し、場合によっては「社長の首を切る」

ITが介入してきたお陰で全てが変わって仕舞った。

この回答への補足

こんばんは。回答ありがとうございます。

>>昔なら「葉」は「捨てられた」、だが今は「葉」の「情報」は幹にも「根」にも伝わる。
認識のすれ違いがあります。少し違うと思います。

大変申し訳ないのですが、喩え、具体例が全体的に分かりにくく、ほとんど理解できません。もちろんこちらの無学に拠るところもあるでしょうが。何か他の言い方はありますか。せっかく回答してくださったから、仰りたい事全てを理解できたほうが良いです。

補足日時:2014/08/05 18:54
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 分業化は表出としての現実を的確に把握する過程という解釈もできます。

それがある程度までできたら、それらがいかに見えない部分で影響を及ぼし合っているかを考察すると、それぞれが全か無かのものとしてある程度は意味を持ちあっていることに気がつけると思います。
 そして、そこから新しい枝葉が繁り新たな分業化が始まる可能性が広がるし、その中から幹に相当するほどの大きな枝分かれが生じる可能性も出てきます。
 ここまでの歴史を見てみると進歩とはそういうものだという見方も可能だと思います。
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