No.10
- 回答日時:
お礼有難うございます。
もう2点補足させていただきます。その前に、
>日本のクラシック・ファン(素人です)の間では、
絶対音楽(?)こそ最高の音楽とされており、標題音楽(?)は劣るものとみなされています。
この情報源はどこですか。インターネットですか。ネットの情報が多数派のものだとは限りません。こういうことを書くと怒られるかもしれませんが、私は、ネット上で音楽愛好家が自分のホームページなどで展開している持論は、原則無視です(笑)。佐村河内事件の時も、あまりに不毛な議論があふれていて、目をそむけました。絶対音楽こそ最高の音楽、という考え方は、クラシックにかぶれたばかりの初心者がかかる、熱病のようなものでしょう。
>◇その昔、グルダもジャズの曲を作曲し、自作を披露していましたね♪
日本の多くのクラシックファンは、グルダのこうした行為に、
「神聖なるクラシックを冒涜する行為だ」とカンカンだったように思います。
変な話ですね。近代以降の作曲家で、ジャズから影響を受けた作曲なんて山ほどいますよ。ラヴェル、ラフマニノフ、ストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチ、バーンスタイン… あまり知られていませんが、ラフマニノフはジャズが好きで、自宅ではよく弾いていたそうですよ。曲を聴けば、ある程度想像がつくことですけれどね。私も高校生の頃、友人に頼まれて、バンドのキーボードをやったことがあって、高中正義とかハービーハンコックとか弾いたことがありますし、ジャズ風の曲を作曲したこともあります。ヨーロッパの音大で使っていた作曲の教科書にも、ジャズの章がちゃんとありました。クラシックファンのこういう態度は、クラシックの聴衆が少ないためのひがみでしょうかね。私なんか、能、歌舞伎、文楽、雅楽、日本民謡などもたくさん聞いてきましたし、アジア、ヨーロッパ各国の民族音楽も相当量聞いています。最近は、カナダのジャズシンガー、ニッキー・ヤノフスキーのライヴのDVDなどもよく見ますし、東京ジャズ・フェスティヴァルの放送も時々見ますよ。ポップの方も、なんとか賞を取ったシンガーと聞けば、興味を持ちます。
>ビバルディーの『四季』も色物扱いで、クラシックの入門向けの曲で、通(?)の聞く曲ではないとされています。
そんなのばかげていますよ。じゃあ、カルミニョーラとヴェニス・バロック・オーケストラの「四季」なんて、まがい物の極致なんでしょうね。私は面白くてしょうがないんですけれど。
さて、標題音楽を一段低く見る、という考え方は、ヨーロッパにもあります。しかし、一つの音楽作品が、標題的か標題的でないかは、作曲した本人にしかわからないのです。題名に標題が付いているかどうかは全く関係ありません。これについては、留学中、私の師から面白い話を聞きました。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲についてなのですが、絶対音楽の信奉者から見れば、拝んでも拝みきれない宝物のようなものでしょう。ところが、ベートーヴェンはシェークスピアの愛読者で、弦楽四重奏曲の原稿を調べていくと、シェークスピアの言葉が書き込まれていたりするそうです。「だからベートーヴェンの弦楽四重奏曲だって標題音楽だよ」と冗談めいて言っていましたけれど、題名に惑わされるなど愚かなことです。しかし、そういう話だと、マーラーの「巨人」も「復活」も、ゲーテのファウストを使った第8もみなダメなんですか?
もう一点の補足は、シューベルトの交響曲についてです。初演についてはわかっていないことが多いのですが、アマチュアオーケストラによって初演された、という記録があるのです。それが、仲間だけのために書かれたものという誤解につながっていると思います。しかしシューベルトは、ベートーヴェンやモーツァルトと違って、親が音楽家だったわけでもないし、貴族のパトロンもいませんでした。しかも性格が内向的で、自ら自分の作品を大きな場所で発表するための活動をほとんどしなかったのです。ですから、ほかに発表する機会がなかったと考えるべきです。先ほど、作品は作品として評価するということを書きましたけれど、シューベルトはベートーヴェンをたいへん尊敬していて、死ぬ前に会いに行っているのは有名なエピソードです。シューベルトの交響曲の楽譜を1曲ずつ丁寧に見ていくと、本格的な交響曲を目指していることがよくわかり、アマチュアを意識して書いている形跡はありません。そういうところを丁寧に検証せずに評価するのはおかしいですよね。
☆この情報源はどこですか。
◇Wikipediaの絶対音楽の記述が参考になるかと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B6%E5%AF%BE% …
池辺晋一郎が、本当にこうしたことを言ったのかどうかは分かりませんが、
こういう芸術至上主義(?)的な雰囲気があるんですよ。
だから、オペレッタは低く見られる。
☆変な話ですね。近代以降の作曲家で、ジャズから影響を受けた作曲なんて山ほどいますよ。ラヴェル、ラフマニノフ、ストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチ、バーンスタイン… あまり知られていませんが、ラフマニノフはジャズが好きで、自宅ではよく弾いていたそうですよ。
◇だから、
ガーシュインの「ラプソデイ・イン・ブルー」やグローフェの「大峡谷」などは、
日本のクラシックファンから、
真っ当なクラシックの曲として扱ってもらえない。
セミ・クラシックの扱いです♪
は言いすぎかな。
オペラ『ウェスト・サイド・ストーリー』は
http://www.tamakimasayuki.com/musica/bn_114.html
クラシック《通》のヒネリなんですよ、ヒネリ!!
オペラ版は、日本で公演されましたっけ?
☆そんなのばかげていますよ。
◇馬鹿げていますよ。
ですが、
何しろ「通俗名曲」という言葉のある国ですから♪
http://desktop2ch.tv/classical/1223272203/
~~~~~~
19 「この曲好きだけど言うの恥ずかしい」
なんて思わずにどんどん晒しましょう。
ちなみに、スレ主の恥ずかしい1曲
オッフェンバック 「天国と地獄」序曲
~~~~~~
なんですよ。
「天国と地獄」序曲を好きというのは、
クラシック通にとって人に秘すべき恥ずべきことなんですよ♪♪♪
回答、ありがとうございました。
No.9
- 回答日時:
一つ大事なことを書き忘れました。
>シューベルトのこの欠点を解決したのは、ブルックナーになるんでしょうかね。
この二人の交響曲は、非常によく似ている、と思っています。
これは、オーストリア人気質に関係することです。日本の音楽ファンは、ドイツとオーストリアの作曲家を十把一からげにして、ドイツ的な音楽、と思っていないでしょうか。同じドイツ語を話していても、ドイツ人とオーストリア人は、気質が全く違います。正反対といってもいいような部分もあります。ですから、ベートーヴェンやブラームスなどの、堅固でドイツ的な交響曲と、シューベルトの交響曲を比較して優劣を言うこと自体がナンセンスです。シューベルトの音楽を理解するには、オーストリア文化、オーストリア人気質を理解しなければならないのですが、そのレベルでの議論は日本ではできていないと思います。これは、ドイツ人、オーストリア人両方と直接付き合ってみないとなかなかわかることではありません。
☆これは、オーストリア人気質に関係することです。
◇これは、本当にそう思います。
ハイドン、モーツアルト、シューベルト、ブルックナーは、似ていると思います。
やっぱオーストリア人なんだな、と常々思っております。
ドイツも、北と南ではかなり違うんでしょうね。
R.シュトラウスを聞くと、そんな感じを受けております。
回答、ありがとうございました。
No.8
- 回答日時:
(続きです)
シューベルトの評価が分かれているのは、日本での通俗的な評価がぶつかり合っているだけじゃないんですか。長年ヨーロッパにいた者から見ると、奇怪な議論が多いですね。ちょっとついていけないという感じなんですが。
それから、シューベルトの交響曲がアマチュア的、という見方も、ある意味日本的な見方です。作品の評価というのは、その成立過程や事情をいったん切り離して、純粋に音楽作品としてだけ見て価値判断をしなければいけません。これが、日本ではまだ徹底されていない。先ほど、初期の交響曲を聴いてみたとお話ししましたが、技術的にも音楽的にも非常に優れたものです。ヨーロッパでは、7番、8番以外も演奏されます。
それから、インターネットを見ていて気になるのですが、最近の音楽愛好家は、情報量だけはすごくたくさん持っているのですが、正しいものとそうでないものの区別がつかず、思い込みの激しい人が多いようです。
日本人作曲家の留学先にまで話が及ぶとは思いませんでした。初期の作曲家たちは、ドイツが多いです。ある時期から、フランスに集中します。理由は、パリ音楽院で行われているアカデミックな教育法だと、要領よく技術が身につくということがあります。あとは、ドイツ語圏では、十二音技法など、難解な音楽が出てきたことと、フランス近代の音楽が日本人作曲家の好みにあったという事情があります。私自身も、当初はフランス希望でした。ただ、フランスの現代音楽も行き詰ってきて、留学先はあまり重要ではなくなりました。現在は、中心的な国というのはありません。なお、私が学んだ頃の芸大は、作曲の講座が3つあり、一つがフランス系、あとの二つがドイツ系でした。また、フランス帰りの作曲家も交響曲は書いていますし、黛敏郎にしても「涅槃」と「曼荼羅」の2曲の交響曲を書いています。ですから、この辺の事情と、最近の交響曲偏重を結びつけるのは、考えすぎのように思います。
音楽愛好家が特定のジャンルに偏るのはしょうがないことだと考えています。変えるのは難しいと思います。また、音大で勉強している人が、自分の専門分野に偏っていて、ほかのジャンルを知らないというのも、日本で特に顕著なことです。ただ、これは個人のレベルの問題です。聞く人はいろいろ聞いています。聞かなかった人は、音楽家としてはまず大成しません。ヨーロッパの音大では、複数の専攻が許されるので、事情が全然違います。私の知り合いの一人を例に挙げると、その人はオーケストラのティンパニー奏者でしたが、作曲も少しし、ピアノの前に座ればシベリウスのピアノ曲を暗譜で弾き、ジャズのCD をかけ、今日はこれから歌曲のリサイタルを聴きに行くのだと言う。日本の音楽家はまだそういうレベルではないということです。それから、日本のクラシック愛好家が、クラシック以外の音楽を低級なものとみなすという話ですが、昔から比べれば減っているのではないでしょうか。このサイトを見ていても、何でも聞くという人が結構いるように感じています。私は、ごくわずかの例外を除いて、音楽と名のつくものなら何でも聞きます。
最後にまとめますが、日本におけるシューベルトの評価など気になさる必要はありません。評価は定まっていますし、過大評価もされていません。欠点はほかの多くの作曲家にもあり、それぞれ認識されています。
☆ヨーロッパの音大では、複数の専攻が許されるので、事情が全然違います。私の知り合いの一人を例に挙げると、その人はオーケストラのティンパニー奏者でしたが、作曲も少しし、ピアノの前に座ればシベリウスのピアノ曲を暗譜で弾き、ジャズのCD をかけ、今日はこれから歌曲のリサイタルを聴きに行くのだと言う。
◇その昔、グルダもジャズの曲を作曲し、自作を披露していましたね♪
日本の多くのクラシックファンは、グルダのこうした行為に、
「神聖なるクラシックを冒涜する行為だ」とカンカンだったように思います。
ということで、
初音ミク バッハ(6声のリチェルカーレ)
https://www.youtube.com/watch?v=3iCSdZzsARg
回答、ありがとうございました。
No.6
- 回答日時:
No.4です。
面白い議論なので、もう一言、言わせていただきましょう。(日曜日の午後、まったりしながら書いています)>モーツアルトが最もモーツアルトらしさを発揮しているのは、オペラなのに。
オペラとオペラ作曲家の評価が低すぎます、日本は。
同感です。
日本のクラシック愛好家は、「交響曲派」(コンサート派)、「合唱派」(自分でも歌う方が多い。オペラ愛好家とかなり重なる)、「ピアノ派」(自分で幼少時から弾いていることが多い)に分かれるように思います。そして、この3つの派は、互いに相手の領域に範囲を広げることをあまりしないようです。
特に、ピアノで音大を出るような人は、交響曲や管弦楽曲、オペラや歌曲をほとんど知らずに育っている、と聞いたことがあります。
日本では「観賞する人」がほとんどなので、「交響曲派」(コンサート派)が最も多数派のようです。これが「家でCDを聞く」場合にも反映されていると思います。
それから、日本にはオペラ劇場がありませんね。せいぜい「多目的ホール」で上演する程度です。
ヨーロッパでは、コンサートホールと歌劇場は別物で、構造や仕掛けが全く違います。中小の地方都市でも、コンサートホールとオペラ劇場が独立して存在するのが当たり前です。
そんな「音楽環境」も影響しているのでしょうね。アメリカでも、オペラはマイナーですし。(唯一、ニューヨークの「メトロポリタン歌劇場」が気を吐いている程度)
>シューベルトは8曲、交響曲を書いているんですから。
でも、第6番以前は、ほとんど「習作」に近く、一般の演奏会で演奏されることを想定せず、アマチュアの仲間うちで演奏するために作曲されました。公開初演されたのはほとんどがシューベルト没後です。
(6番以前で最も完成度が高い第5場番でも、下記のような状況です)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF% …
その意味で、広く世に問うものではなく、「シューベルティアーデ」と呼ばれる「仲間うち」の演奏会のために作曲した歌曲やピアノ曲と同じようなものです。
広く世に問うことを目的に作曲が開始された第7番「未完成」は結局放置されましたし(当然生存中には一度も演奏されていない)、初めて気負って作曲したであろう第8番ハ長調「ザ・グレート」も生前には演奏されることなく、没後にシューマンが「発見」して初演したものです。
ということで、私はシューベルトは交響曲作曲家ではないと思っています。仲間うちのために作曲した、一種のアマチュア作曲家だと思います。(否定的な意味ではなく。少人数の親しい人に聞いてもらいたくて作曲した)
ピアノソナタも、その位置付けで私は大好きです。特にケンプの弾く第17番D.850や第21番D.960など。コンサートホールやリサイタルではなく、私邸のサロンで聴いてみたい曲です。
>日本人のクラシックファンは、番号の付いていない交響曲を聞きたがらない、という傾向があるように思います。
「番号の付いていない」というよりは、「タイトルの付いていない」「評論家が取り上げない」ということでしょうか。
ベートーヴェンですら、「英雄」「運命」「田園」「合唱付き」以外では、第7番が聴かれる程度でしょう。
むしろ、「幻想交響曲」はメジャーだと思います。
>しかも、フランスの偉大な作曲家サン=サーンスの交響曲は、ドイツ人作曲家の交響曲より数段価値が劣るものと考えられている。
第3番の『オルガン付き』もイロモノ扱いだし…。
オネゲルは五曲書いているのに…。
フランスでは、やはり「交響曲」はマイナーな存在です。交響曲を書いたのは、ワーグナーの影響を受けた「ワグネリアン」世代程度でしょう。1871年の普仏戦争敗北(プロイセン王ヴィルヘルム1世が、このときパリのヴェルサイユ宮殿で「ドイツ帝国皇帝」に即位した)によって、ドイツを越える器楽音楽を作ろうというナショナリズムの元に組織された「国民音楽協会」(サンサーンスやフランクが参加)のもとで作られたものの、結局はあまり根付いていないと思います。(サンサーンス、フランク以外には、デュカやショーソンやダンディなど)
オネゲルはスイス人で、宗教的にもプロテスタントで(フランスはカトリック国)、バッハを尊敬してたので、精神的にはドイツに近かったのでしょう。
>日本の作曲家である黛敏郎は、『未完成』を第8番のハ長調より高く評価していたみたいですけれどね。
日本の作曲家は、ドイツではなくフランスで学んだ人の方が多いのです。黛敏郎氏も、短期間ですが、フランス政府の留学生としてパリ国立高等音楽院に学んでいます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%9B%E6%95%8F% …
20世紀以降においては(特に第1次大戦以降)、ドイツは(というよりクラシック音楽自体が)作曲・新しい音楽の中心ではなくなっていると思います。(そういった中にあっても、今でも「クラシック愛好家」は映画音楽やポップスを低級の音楽とみなしています)
そういった立ち位置の黛敏郎氏が、ドイツ偏重、交響曲偏重の価値観とは別の価値観をお持ちだったことは、当然のことだと思います。
現代日本のドイツ偏重、交響曲偏重のクラシック音楽愛好家が、黛敏郎氏の音楽をどの程度愛好しているかを見れば分かると思います。
☆日本のクラシック愛好家は、「交響曲派」(コンサート派)、「合唱派」(自分でも歌う方が多い。オペラ愛好家とかなり重なる)、「ピアノ派」(自分で幼少時から弾いていることが多い)に分かれるように思います。そして、この3つの派は、互いに相手の領域に範囲を広げることをあまりしないようです。
◇なるほど。
わたしが想像した以上に、根深い問題が存在しているように思います。
☆ということで、私はシューベルトは交響曲作曲家ではないと思っています。仲間うちのために作曲した、一種のアマチュア作曲家だと思います。
◇プロの作曲家として世の中に認められていたように記憶しておりますが…。
作曲家としての知名度もかなり高かったようですよ。
交響曲の作曲家として同時代の人に認められていなかったのではないでしょうか。
回答、ありがとうございました。
No.5
- 回答日時:
興味があまり無いので詳しいことは言えませんが、「過大評価」な作曲家という話になると、専門家の間でもよく名前が挙がる一つがシューベルト・・・ということは一応伝えておきます。
個人的にもそう感じることはよくありますが、「過小評価」と感じたことはありません。それは「交響曲の印象が無い」以前の話です。
それから、音楽を「(ある種の形式に縛られた)交響曲として、有名か否か」等で「偉大」だの「天才」だのと判断するなんて本当に馬鹿げた話だと思います。音楽の世界というものは本当に広いものであり、音楽は格式でもましてや形式でもなく単なる「表現」、それ以上でもそれ以下でもありません。
音楽の中でクラシックだけを安易に「芸術」等と例える人がいますが、もし「芸術」というものがあるなら、それは何かの型に縛られた「格式」や「形式」とは相反するものです。音楽に限ったことではありませんが、今に名を残すヨーロッパの偉大な芸術家達はみんなそういう存在であり、「形式や格式から飛び出した、普遍的な評価を得た」からこそ名が残ったのです。ヨーロッパで今特にアートや音楽といった世界にいる人達は(音楽が格式・形式に縛られていたような時代とは違い)これをよく理解していますが、日本の自称「文化人」達は化石となった古典時代の価値観を未だにそのまま引きずっているかのようで、こういったことすらいまいち理解出来ていないような気がします。
それと、どんなに優れた作品を残していようが、一般クラシックファンは上から数えた1つ2つの人気作品しか知らないというのは、殆どのクラシック作曲家に言えることだと思いますよ。
特に、日本のピアノのお稽古の生徒さん達は、あれやこれやと様々な時代の作曲家に手を出しますが、結局キャッチーでわかり易い1,2曲をつまみ食いして満足するだけなので、その作曲家(もっというならクラシック音楽というものそのもの)の本質に触れることすら無く終わる・・・というのはよくあるパターンだと思います。
こんにちは。
☆興味があまり無いので詳しいことは言えませんが、「過大評価」な作曲家という話になると、専門家の間でもよく名前が挙がる一つがシューベルト・・・ということは一応伝えておきます。
◇シューベルトの評価は、両極端に分かれているように思います。
ですから、
質問いたしました。
☆日本の自称「文化人」達は化石となった古典時代の価値観を未だにそのまま引きずっているかのようで、こういったことすらいまいち理解出来ていないような気がします。
◇化石ですか…。
☆それと、どんなに優れた作品を残していようが、一般クラシックファンは上から数えた1つ2つの人気作品しか知らないというのは、殆どのクラシック作曲家に言えることだと思いますよ。
◇なるほど、なるほど。
ネットをやる自称・クラシックファンの人には、ネットラジオのクラシック専門チャンネル(24時間、クラシックの名曲を垂れ流し)などを聴き、できるだけ多くの曲に触れてほしいものです。
ウィンドウズのおまけソフト、ウィンドウズ・メディア・プレーヤーでも、簡単に聞けるんですけれどもね。
ちなみに、私は現在、Beethovenの弦楽四重奏曲、作品番号29をネットラジオで聞いております♪
回答、ありがとうございました。
No.4
- 回答日時:
日本のクラシック音楽界では、ドイツ音楽の、その中でも「交響曲」が最高の音楽とされています。
当然のことながら、最も「偉大な作曲家」はベートーヴェンです。
交響曲が最大の評価ポイントですから、次に偉大とされているのが、「交響曲の父」ハイドン(104曲以上の交響曲を作曲)、そして41曲の交響曲を作ったモーツァルトです。
バッハは交響曲を作りませんでしたが、それはまだ「交響曲」という形式が確立していなかったからで、その元を作ったということで「音楽の父」として「偉大」とされています。
ベートーヴェンが偉大とされているのは、ピアノソナタを32曲も作ったからでも、弦楽四重奏曲を16曲も作ったからではありません。偉大な交響曲を作曲したからです。曲数は9曲と少ないですが。
ハイドンやモーツァルトも、ピアノソナタや弦楽四重奏ではなく、「交響曲」によって大作曲家とされているのです。
(以上の理論は、本当は正しくはありませんが、日本の音楽界の偉い先生方、そして「音楽愛好家」を名乗る人たちには、そう考える人が多いのが事実かと思います)
それ以降では、シューマン(交響曲4曲)、メンデルスゾーン(交響曲5曲)、ブラームス(交響曲4曲)、ブルックナー(交響曲9曲)、マーラー(交響曲9曲)といったところが、「偉大」な作曲家でしょう。
みんな、何故かドイツの作曲ということがお分かりでしょう。ドイツ以外では、「交響曲」のような「重厚長大」な音楽は好まれなかったのです。
ドイツ以外では、チャイコフスキー(ロシア、交響曲6曲)、ドボルザーク(チェコ、交響曲9曲)、シベリウス(フィンランド、交響曲7曲)あたりが有名でしょうか。
フランス音楽は「軽妙」で「洒落て」いるが、深みや精神性、構築感に欠けるとか、イタリア音楽(オペラが中心)は軽薄で薄っぺらで痴話話ばかりとか、、結局日本で評価や人気が高いのは、ドイツ音楽、そして交響曲なのです。それに次ぐのが、「ドイツ音楽」をお手本に交響曲を作った「後進国」の音楽なのです。
シューベルトの交響曲は、「未完成交響曲」(第7番)が有名ですが、それは「わが恋の終わらざるが如く、この曲も完成することなし」とい文学的な解釈によるところが大きいと思います。
シューベルトの交響曲として、真に「偉大」とみなされているのは、最後の「第8番ハ長調」(昔は第9番と呼ばれていた)だけではないでしょうか。第6番以前の交響曲は、演奏されることが極めて少ないです(私は好きですが)。
つまり、シューベルトは生存中も現在も、「交響曲の作曲家」とはみなされていないのです。
ですから、必然的に「大作曲家」とはみなされないことが多いのです。(歌を歌う方々には人気が高いですが)
日本のクラシック音楽の世界は、奇妙な「権威」や「定説」「評価」が大手を振ってのさばっています。
そういう評価に惑わされず、そして「コアなクラシックファン」の過激な意見などにも惑わされず、ご自分の感性と美学でご自分の世界を築き上げて行くことをお勧めします。音楽や芸術とは、そういったものだと思います。
私の意見も、そういった「過激な意見」の一つかもしれませんが・・・。
こんばんは。
☆日本のクラシック音楽界では、ドイツ音楽の、その中でも「交響曲」が最高の音楽とされています。
◇これが不思議なんですよ。
モーツアルトが最もモーツアルトらしさを発揮しているのは、オペラなのに。
オペラとオペラ作曲家の評価が低すぎます、日本は。
☆それ以降では、シューマン(交響曲4曲)、メンデルスゾーン(交響曲5曲)、ブラームス(交響曲4曲)、ブルックナー(交響曲9曲)、マーラー(交響曲9曲)といったところが、「偉大」な作曲家でしょう。
◇シューベルトは8曲、交響曲を書いているんですから。
☆ドイツ以外では、チャイコフスキー(ロシア、交響曲6曲)、ドボルザーク(チェコ、交響曲9曲)、シベリウス(フィンランド、交響曲7曲)あたりが有名でしょうか。
◇かねがね、不思議に思っているのですが、
日本人のクラシックファンは、番号の付いていない交響曲を聞きたがらない、という傾向があるように思います。
ベルリオーズの『幻想交響曲』やR.シュトラウスの『アルプス交響曲』はバッタもん扱いされ、
番号の付いていないチャイコフスキーの『マンフレード交響曲』は見向きもしない。
しかも、フランスの偉大な作曲家サン=サーンスの交響曲は、ドイツ人作曲家の交響曲より数段価値が劣るものと考えられている。
第3番の『オルガン付き』もイロモノ扱いだし…。
オネゲルは五曲書いているのに…。
☆シューベルトの交響曲として、真に「偉大」とみなされているのは、最後の「第8番ハ長調」(昔は第9番と呼ばれていた)だけではないでしょうか。第6番以前の交響曲は、演奏されることが極めて少ないです(私は好きですが)。
◇日本の作曲家である黛敏郎は、『未完成』を第8番のハ長調より高く評価していたみたいですけれどね。
私は、グレートの方が好きですけれど。
☆私の意見も、そういった「過激な意見」の一つかもしれませんが・・・。
◇いえいえ、穏当なものだと思っております。
回答、ありがとうございました。
No.2
- 回答日時:
ねこさん、こんばんは。
いやいや、昨日と今日、ぶらげろさんのために、クリュソストモスの聖書注釈の翻訳をして、一息つこうと思っていた矢先の御質問です。でも、お答えしないわけにはいきませんね。
シューベルトは、もちろん音楽史上重要な大作曲家で、評価は高いです。日本での評価、というのをあまり意識してきませんでしたが、専門家の評価と、クラシックファンの間での人気とでは、たぶん温度差があると思います。何しろシューベルトは、本格的なオペラとか、華やかな協奏曲を書きませんでしたから、オーケストラの曲で演奏されるものといえば、第7番「未完成」、第8番「グレイト」(以前は第8番と第9番でしたが、第7番は存在しないというのが定説となり、現在はこういう番号になっています)の2曲にほとんど絞られます。あとは、せいぜい第4番、第5番、「ロザムンデ」の序曲や間奏曲(指揮したことあります)ぐらいになってしまいます。そうなると、後は歌曲、弦楽四重奏曲、そしてピアノ曲、あるいは宗教曲ということになります。
「歌曲王」といわれるのは、数が多いからだけではありません。シューベルトは、歌曲の作曲法を根底から変えた人です。それまでは、ドイツの歌曲といえば、民謡風の簡潔なメロディーをつけただけのもので、伴奏はほんのつけたりにすぎませんでした。ピアノのパートに、歌詞の内容を表現するような音楽を書いたのはシューベルトが最初で、その後のすべての作曲家に受け継がれました。シューベルトは、ゲーテをたいへん尊敬していて、ゲーテの詩に作曲した曲を本人のもとへ送りました。1816年、シューベルトが19歳の時でしたが、ゲーテが理想としたのは、先ほどお話ししたような、素朴な歌曲です。ゲーテは、何のコメントもなしで、楽譜を送り返してきました。その中には、「糸を紡ぐグレートヒェン」「野ばら」「海の静けさ」「魔王」といった傑作が含まれていたのにです。1821年に、再びシューベルトは、ゲーテに楽譜を送りましたが、やはり返事は来ませんでした。ゲーテの音楽観にも問題はあると思いますが、それくらい革新的だったということです。シューベルトの音楽、特に後期の作品には、大胆な転調があります。それが表現するものには、恐ろしく深いものがあります。「冬の旅」や「白鳥の歌」の音楽は、凄味があり、人生の深淵を見るがごときものです。ただ、一般の聴衆は、華やかなオペラのアリアは聞いても、地味な歌曲はなかなか聞く人がいません。しかも歌詞は外国語です。その点が不利ですね。シューベルト以外の作曲家の歌曲、御存じですか?
シューベルトの弦楽四重奏曲は、一般の聴衆にもわかりやすいと思うのですが、そもそも、室内楽というジャンルが、通にしかわからないもの、という風潮があります。シューベルトに限らず、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、さらに一気に下ってショスタコーヴィチなどは、みな、弦楽四重奏曲の傑作を残しているわけですが、どれだけの人が聞いているでしょうか。ベートーヴェンの晩年の弦楽四重奏曲などは、作曲家たちの間では神品と呼ばれ、一生かかってもあのレベルに達したいと思うようなものですけれど、クラシックファンでこれらの曲をよく聞く人はほとんどいないのではないかと思います。
ピアノ曲にはまた別の問題があります。シューベルトは、あまりピアノが上手ではなかったので、いわゆる技巧的な部分がありません。ピアノといえば、みなベートーヴェン、ショパン、リスト、ラフマニノフなど、技巧的なものに興味が集中しますので、内省的で、深い表現で勝負しているシューベルトのピアノ曲は、なかなか人気が出にくいのだと思います。また、技巧的な曲でないがゆえに、演奏には高度の音楽性、芸術性が求められるので、なまじ技巧的なものより演奏が難しい面もあります。また、構成がベートーヴェンのように堅固でもなく、ドラマティックでもないので、全体をまとめるのも大変です。ですから、ピアニスト自身も、ほかの作曲家と比べると、シューベルトを手掛ける頻度は少ないと思いますし、演奏が良くなければ、聴衆も退屈するものになってしまいます。
もうだいぶ前のことになりますが、ドイツで、ドイツ歌曲の夏期講習があって、通訳および日本歌曲についての講演者として参加したことがあります。その時、ベルリン芸術大学の教授のセミナーと講演の訳を担当したのですが、そのなかで、ベートーヴェンとシューベルトの比較がありました。著作権の問題で、そのまま引用できないのですが、要点はこういうことでした。
ベートーヴェンにおける「古典的なもの」は、主観と客観が一体になったもので、この主観的なものは、常に主観的普遍性として把握され、強い自我の力と確信に背負われてゆく。ベートーヴェンは、フランス革命と啓蒙主義の申し子であった。また、ベートーヴェンの場合は、音楽上個別のものが総合され、分解不能の一体性を築き上げる。
それに対して、シューベルトにおいては、この主観と客観の一体性が崩れている。個別のものが独立し、一体性が失われる危険を持っている。時代も、社会的硬直、反動的抑圧と主観的無力へ向かっていた。シューベルトを象徴するイメージは、さすらい人の姿。シューベルトも、ベートーヴェンのように、ソナタ、弦楽四重奏曲、交響曲をしっかり構築し、品格を与えたかったが、うまくいかなかった。ただし、その失敗からまた、主観的なるものの全く新しい質を引き出すことになった。
シューベルトのハンディキャップの一つは、若いころ、対位法という作曲技術、複数の旋律を同時に絡み合わせる技術、を習得しなかったことです。シューベルト自身、この欠点はよくわかっていて、後年独習してはいますが、やはり大規模な器楽曲をドラマティックに、堅固に構成するためには、対位法の技術の欠如は不利になります。しかも、シューベルトの器楽曲は、結構長いですからね。
ねこさんには、ほかの日本のクラシックファンは無視していただいて、どんどん聞いていただき、みんなが知らないすごい曲を自分は理解しているのだという優越感に浸ってください(笑)。
御参考に、ゲーテが信頼していた作曲家の歌曲を少しご紹介します。
ライヒャルト「ミニョン」
同「羊飼いの嘆き」
https://www.youtube.com/watch?v=Ta3PO4JwTxQ
ツェルター「心のあいさつ」
https://www.youtube.com/watch?v=AuUNWG2m1_s
同「休みない愛」
https://www.youtube.com/watch?v=bfzPj98wKGg
とりあえず、一般的な視点から回答させていただきました。書いている途中で、plapotaさんが御回答なさったようです。「人間の内面の暗い部分を、ベートーベンやブラームスのやうに重くならずに、優しく表現する」というのはいいですね。ただし、先述の晩年の歌曲は相当重いです。「冬の旅」をシューベルトが仲間内の集まりで初めて発表したとき、シューベルト自身は相当自身があったようですが、聞いた人たちは、その暗さにかなり戸惑った、と読んだ記憶があります。
以上、御参考になれば幸いです。
☆せいぜい第4番、第5番、「ロザムンデ」の序曲や間奏曲(指揮したことあります)ぐらいになってしまいます。
◇個人的には、5番は瑞々しくて、結構な名曲だと思うんですが。
モーツアルトの25番や29番くらいには評価されてしかるべき曲だと勝手に思っています。
☆「歌曲王」といわれるのは、数が多いからだけではありません。シューベルトは、歌曲の作曲法を根底から変えた人です。
◇ですね。
ドイツ・リートを芸術の域に高めたのは、シューベルト♪
交響詩というジャンルを確立したリストも日本での評価は低いんだよな~。
不思議だよな~♪
~~~~~~
シューベルトは、ゲーテをたいへん尊敬していて、ゲーテの詩に作曲した曲を本人のもとへ送りました。1816年、シューベルトが19歳の時でしたが、ゲーテが理想としたのは、先ほどお話ししたような、素朴な歌曲です。ゲーテは、何のコメントもなしで、楽譜を送り返してきました。
(中略)
ゲーテの音楽観にも問題はあると思いますが、それくらい革新的だったということです。
~~~~~~
ゲーテは、後日、このことを後悔していますよね。
─────────
ゲーテは最晩年、ソプラノ歌手ヴィルヘルミーネ・シュレーダー=デフリント(英語版)が『魔王』を歌うのを直接聞いたが、その際にゲーテは「私は前にも一度この作品を聴いたことがあるのだが、そのときはぜんぜん気に入らなかった。だが、あなたがいま歌ったように演奏されると、曲全体が一幅の絵となって目に見えるようにみえる」と、過去に低い評価を下したことを悔いた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%94%E7%8E%8B_ …
─────────
ですが、私にとって不思議なのは、
『魔王』のピアノ伴奏の素晴らしさが、なぜ、ピアノソナタに生かされていないのかです。
この曲は時代を突き抜けていると思うんですがね。
☆シューベルト以外の作曲家の歌曲、御存じですか?
◇シューマンとR.シュトラウスを少々。
ワーグナーの『ウェーゼンドンクの歌』は、結構好きです。
☆シューベルトに限らず、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、さらに一気に下ってショスタコーヴィチなどは、みな、弦楽四重奏曲の傑作を残しているわけですが、どれだけの人が聞いているでしょうか。
◇バルトークを忘れていますよ♪
日本のクラシックファンは、ほんと、弦楽四重奏曲を聞かないですね。
名曲はいっぱいあるのに、何でなんでしょう?
不思議でなりません。
交響曲以上に、ベートーベンを強く意識し、弦楽四重奏曲を作曲しているのに。
~~~~~~
シューベルトのハンディキャップの一つは、若いころ、対位法という作曲技術、複数の旋律を同時に絡み合わせる技術、を習得しなかったことです。シューベルト自身、この欠点はよくわかっていて、後年独習してはいますが、やはり大規模な器楽曲をドラマティックに、堅固に構成するためには、対位法の技術の欠如は不利になります。しかも、シューベルトの器楽曲は、結構長いですからね。
~~~~~~
シューベルトのこの欠点を解決したのは、ブルックナーになるんでしょうかね。
この二人の交響曲は、非常によく似ている、と思っています。
どちらもやたらと長いし、そして、メロディアス♪
回答、ありがとうございました。
No.1
- 回答日時:
私は、日本および欧米、その他の国国での評価については知りません。
すぐに回答がつくかと思つてゐたのですが、いまだ未回答ですので、少しだけ。そのうち作曲家の先生がプロとしてのご意見を書いてくださるはずです。学校で習ふのは、質問文にある程度なのだと思ひます。
個人的には、NemurinekoNyaさんの指摘どほり、ピアノソナタが好きです。好きになつたのは、内田光子さんのCDを聞いてからです。モーツァルトのソナタとコンチェルトは、ずいぶん昔からいちばんのお気に入りだつたのですが、シューベルトのソナタも、内田光子さんに合ふとは意外でした。
シューベルトは、若くして世を去つたといふ以外にも、いくらかモーツァルトに似たところがあります。伝へられる日常生活はちやらんぽらんなモーツァルトで、天国的な明るさのある曲を書くだけではなく、人間の内面の暗い部分を、ベートーベンやブラームスのやうに重くならずに、優しく表現する、そんなところが私は好きです。シューベルトもモーツァルトほどの極端さはなくても、甘い旋律と暗いものへの優しさを見てとれます。内田光子さんは、そのあたりの表現がお上手なのだと思ひます。
T先生からお叱りを受けるやうな内容でしたら、通報して削除しておいてください。
回答、ありがとうございます。
Tastenkastenさんが回答に書かれていらっしゃるように、
「シューベルトはピアノソナタがちょっと弱いな~♪」と思っております。
───内緒話ですが、わたし、ピアノソナタが大の苦手なんです(ポリポリ)───
ですが、
「楽興の時」は素晴らしいですね。大好きです♪
よく聞きます。
特に第6番♪
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