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入力が大変でした。
誤字脱字がかなりあるかもしれません。

水野弘元のパーリ語文法に出てきた
カターヴァットゥがネットにありました。

ですが、アビダンマの項目にあったので、
マガダ語とかいわれても、それはブッダのことばと関係ないのでは?
水野弘元の説明は無理がありませんか?

なぜアショーカ王の時代の言葉が使われたと説明せずに
無理やり、ブッダの言葉と結び付けているのでしょうか?


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Collection: Pāli Theravāda Abhidhamma
Division: Kathāvatthu (Kv)

http://suttacentral.net/kv

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Kv 1.1Puggalakathā
http://suttacentral.net/pi/kv1.1



[PTS Vol Kvu 1] [\z Kv /] [\f I /]
[PTS Page 001] [\q 1/]
[BJT Vol Kvu 1] [\z Kv /] [\w I /]
[BJT Page 002] [\x 2/]
Abhidhammapiṭake
Kathāvatthuppakaraṇaṃ
http://www.xin-yuan.com/Pali_Tipitaka_utf8_html/ …


この2つのサイトでテキストが微妙に異なっていました。

さらに本では文字の表記がṁでした。サイトではṃで異なっていました。


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(12)パーリ語とマガダ語との間には、上述のような顕著な差異が認められるけれども,然しパーリ語の中にも,
rであるべき場合にマガダ語的にlとなつていたり,または男性や中性の単数主格の語尾がパーリ語本来の-oや-aṁでなくして,マガダ語的に -e となつていたりする場合が時にあるのである。この例として特に著しいのは,アソーカ王時代にマガダの首都パータリプッタ(Pāṭali-putta)で行われた第三結集
(仏典編纂会議)で,議長モッガリプッタ・テッサ(Moggaliputta Tissa)によつて作られたとせられる
論事(Kathā-vatthu)におけるものである。
本書は他部派の異説二百十七項目に対する問答論破をなしたものであるが,その問答の中に屢々マガダ語的色彩が現れているのである。それはこの問答がマガダの地で行われたために,その面影を伝えるためにマガダ語的口調を残したのかもしれない。

パーリ語文法 水野弘元 著

山喜房佛書林 平成12年5月23日 第10版

25ページ

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論事の中に見えるマガダ語的口調には次の如きものがある。

vattabbe=vattabbaṁ 又は vattabbo 「言わるべきである」(KV.p. 1 ff.)

niggahetabbe=niggahetabbaṁ 「論駁せらるべし」(KV.p.2;p.4 etc.)


ese ce dunniggahite = eso ce dunniggahito 「若しこの論駁が不十分ならば」(KV.p.3; p.6 etc.)

ye kate niggahe se niggahe dukkaṭe, sukate paṭikkamme = yo kato niggaho so niggaho dukkaṭo, sukataṁ paṭikkammaṁ

(kv.p.4;p.7etc.)


ese se ekaṭṭhe same samabhāge tajjāte = eso so ekaṭṭho samo samabhāgo tajjāto
「これはそれであり,一義であり,同様であり,同分であり,同じ種類である」(kv.p.26ff.)

パーリ語文法 水野弘元 著
山喜房佛書林 平成12年5月23日 第10版
25ページ

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http://suttacentral.net/pi/kv1.1 では niggahetabbāだったが他のサイトではniggahetabbaṃがあった。 
http://www.xin-yuan.com/Pali_Tipitaka_utf8_html/ …

http://suttacentral.net/pi/kv1.1 では ye kate niggahe se niggahe dukkaṭe. Sukate paṭikamme. 本ではpaṭikkammeあるいはpaṭikkammaṁで、サイトではpaṭikamme。kがどうなっているのか。)


http://suttacentral.net/pi/kv1.1 では esese ekaṭṭhe same samabhāge tajjāteti?であり、eseseだったり、?があったりする)


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A 回答 (4件)

Thera-vadaの主張する「第三結集」が本当に行われたのかどうかが、そもそも疑わしい。


説一切有部の伝承には、この結集のことは書かれていません。

Thera-vadaがかつて存在したとされる分別説部かすら疑わしい。その流れを本当に伝えているかどうかも極めて疑わしい。


現在存在するThera-vadaの伝承よりも、滅んだ説一切有部の伝承の方が後世の改竄の度合いが少ない分、正しい可能性があるんじゃないかな。
しかも、説一切有部は紛れもなく分別説部から分派した一派で、その素性がはっきりしています。第三結集が行われていたならば、このことについて嘘をつく必要もありませんしね。

また、水野説は南伝系の第三結集がマガダ国で行われたという前提が成り立たなければ成立し得ない。
この前提となる根拠が極めて薄弱ですから、胡散臭いという感がしますね。

活用語尾がパーリと異なっているようですが、その事実を以って、マガダ語的色彩、口調といえるのか、これも疑わしく思われます。
マガダ語でない他の言語の影響の可能性がありますから。

したがって、
「そうかもしれませんね。その可能性は否定できませんね」
くらいのことじゃないんですかね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
第三結集で検索してみるとなんだか微妙なようですね。

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第3回[編集]

南伝によれば、ブッダ入滅後200年にあたるマウリヤ朝第3代アショーカ王(阿育王)の治下、華氏城(けしじよう、パータリプトラ)で1000人の比丘を集めて行われた(千人結集)。紀元前3世紀半ばとされる。

北伝の説一切有部の伝承では、紀元後2世紀頃クシャーナ朝のカニシカ王のもとで、カシミールの比丘500人を集めて開かれた結集があったとされる。

他の部派の記録には3回以降が行われた記録は見当たらない。


伝承の異同その他[編集]

第3回の結集については南伝仏教と北伝仏教では伝承の内容が一致していない。

なお、結集には大乗経典の伝説もあり、文殊菩薩と弥勒菩薩が阿難とともに鉄囲山の外で行われたなどともいわれているが、これも、あくまでも言い伝えであって確証されたものではない。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%90%E9%9B%86

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お礼日時:2014/10/14 22:20

お礼、感謝です。




☆第三結集で検索してみるとなんだか微妙なようですね。
◇水野説を支えるマガダ国での第三結集という根拠そのものが疑わしい。
これは南伝のみに伝わる伝承なので。

説一切有部には結集の歴史を捏造する理由がそもそもないんで。
カニシカ王のもとでの編纂が三回目であろうが、四回目であろうが、説一切有部の正統性の根拠は揺るがない。
異説が生まれたので、正しい仏説を定めるためにカニシカ王のもとで○回目の結集が行われ、その結集の三蔵を伝えているのが我々・説一切有部である、と言えばいいので。

Thera-vadaはその成立過程が極めて不確かであるにもかかわらず、
南伝の伝説が北伝の伝説よりも正しいとするのは、学術的にはどうかなと思いますね。


仏教の歴史、思想は、ゴータマを中心に回っているのではなく、説一切有部を中心に回っている(笑い)。
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「お礼」ありがたうございました。



>>私にとってokwaveはかなり精神に余裕がないときついので、
>>すぐに削除したりしてしまいます。

他の人とは異なる視点のkazamidori365さんの投稿文が好きなので、削除は残念です。

先日化学カテゴリで冗談のつもりでラテン語の回答文を投稿したら、削除されました。kazamidori365さんもお気をつけください。

>>チューラ・ニッデーサの質問を再掲載しました。

ニッデーサにつきましては、その復活したページに書きました。kazamidori365さんの御指摘のやうに、第5章と第1章第三「犀の角」は別モノだと思ひます。

>>犀の角なのか象なのか?

おもしろい問題があるものですね。『ダンマパダ』との関連は初めて知りました。ニッデーサとの関連で「犀の角」の箇所が古いといふことならば、「犀」なのでせうけれど。

浅学にして、推測しかできません。ご容赦ください。
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こんばんは。



チューラニッデーサの質問は削除なさつたのですか。私では回答できませんが、興味はありましたので残念です。kazamidori365さん同様、原始仏典の編纂については、不思議に思ふところがいくつかあり、ニッデーサのやうな解釈本がなぜクッダカニカーヤの中に収められてゐるのか、知りたいと思つてゐました。アッタカターやアビナバティーカーなどとどれほど違ふといふのか。

スッタニパータの初期段階で第5章と「犀の角」がセットだつたのか、チューラニッデーサの著者がきまぐれで結びつけたのか、kazamidori365さんの御意見があれば御教示ください。


今回の質問の

>>アビダンマの項目にあったので、
>>マガダ語とかいわれても、それはブッダのことばと関係ないのでは?

も言はれてみれば、さうですね。スッタならばともかく、アビダンマですから。もちろん、スッタでさへブッダとどれだけ関係があるのか怪しいものですけれど。

私はプラークリットはまつたくわかりませんので、これ以上は書けません。

この回答への補足

お礼を読み返したら誤字がありました。
ほかにもあるかもしれませんが質問者側だと訂正しようがないので困った。

誤:チューラ・ニッデーサの第五章はバラモンばかりでてきます。
正:スッタニパータの第五章はバラモンばかりでてきます。

それからマハー・ニッデーサのほうがまとまっているという表現もいいかげんですね。
『犀の角』のような別の章の注釈をしていないということです。

補足日時:2014/10/14 22:51
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

チューラ・ニッデーサの質問を再掲載しました。
私にとってokwaveはかなり精神に余裕がないときついので、
すぐに削除したりしてしまいます。

マハー・ニッデーサのほうがまとまっているから、
スッタニパータの第四章のほうが、核心のような気がするのですが

チューラ・ニッデーサの第五章はバラモンばかりでてきます。
ブッダとバラモンの弟子の対話です。バラモン教っぽいです。
あと、ブッダの弟子にヴァッカリとか出てきます。

肝心なサーリプッタとかは出てきません。

それはともかくブッダと弟子たちがいて集団になっています。

それに対して、犀の角は、一箇所、
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45 もしも汝が、<賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者>を得たならば、あらゆる危難にうち勝ち、こころ喜び、気をおちつかせて、かれとともに歩め。

46 しかしもし汝が、<賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者>を得ないならば、譬えば王が征服した国を捨て去るようにして、犀の角のようにただ独り歩め。
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「かれとともに歩め」がありますが、ほとんどは、「犀の角のようにただ独り歩め。」です。

犀の角のようにただ独り歩めですから、
スッタニパータの第五章とは雰囲気がずいぶん違います。
なんともいえなくて、質問してみたのでした。
私はニッデーサは読めないから、何が書いてあるのかわかりませんから。


スッタニパータのその詩句はダンマパダの詩句とパラレルになっているようです。
それで気になるのは、犀の角なのか象なのか?


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ダンマパダ 第二三章 象

328 もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことができるならば、あらゆる危険困難に打ち克って、こころ喜び、念いをおちつけて、ともに歩め。

329 しかし、もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことができないならば、国を捨てた国王のように、また林の中の象のように、ひとり歩め。


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ガーンダーリーの詩句を比べてみると

British Library Fragment 5B
http://gandhari.org/a_manuscript.php?catid=CKM0007

たぶんこれ。間違っていたらすみません。

25. (25a) sayi labhea ṇivago sahayo (25b) sardhacare sas̱ovihari dhiro (25c) (*abhibhuya) sarvaṇi pariṣeaṇi (25d) carea teṇata­maṇa svad(*ima ·)

26. (26a) ṇo ya labhea [ṇ]ivag(*o) sahayo (26b) sa[rdha]care sas̱o­vi[ha]ri dh[iro] (26c) (*raya va raṭha) [v]iyidaṃ prahae (26d) eko care kharga­viṣaṇa­ga[p]‍(*o ·)


こちらのサイトによるとダンマパダの328と329のガーンダーリーの詩句はないみたいです。
http://www.ancient-buddhist-texts.net/Buddhist-T …

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それからこれの質問の
http://okwave.jp/qa/q8714459_3.html?by=datetime# …
回答No.10にごちゃごちゃ書いています。

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『スッタニパータ』犀角経第11詩句をめぐって(岸英司名誉教授追悼記念号)The 11th Verse of the Khaggavisana-sutta in the Suttanipata(In Memory of the Late professor Emeritus Hideshi Kishi)
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006487361

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お礼日時:2014/10/14 22:11

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