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症状に苦しんでおられる方がいましたらすみません。

特技に当たるのか疑問ですが、トンネルとか高いところ行くと耳ぬきしますよね?
私はつばを飲んだりあくびをしたりしなくても必要になった瞬間何の気なしに耳ぬきできるんです。多分カチッとかプチッとかいう音がして耳抜きすると思うのですがその後持続できて、自分の声が大きく聞こえたり喉を通る呼吸の音や僅かな首辺りの筋肉の動きとかも聞き取れます。

調べてみたらこの状態がずっと続くのが耳管開放症らしいのですが辞めたいと思ったらやめられるし自分でもちょっと不思議です。

耳抜きのやり方とか耳ぬきできない人がいる等見かけるということは普通の人は耳抜き中の状態を維持できないものなんでしょうか?

A 回答 (2件)

No.1の回答者さんが、すっかりお答えになっていると思います。


ヒトといっても、100人百様、1000人千様で、すっかり同じというヒトを探すのは難しいでしょう。見た目でわかるのは顔形ですが、耳管についても顔形のようなもの、脳も一人一人違うのだと思います。

> 耳抜きのやり方とか耳ぬきできない人がいる等見かけるということは普通の人は耳抜き中の状態を維持できないものなんでしょうか?
 
普通のヒトと普通ではないヒトとより分けるのは難しいのでしょうが、《○○症》のような括りで何かを認識するという場合には、《○○症とはいえない》というヒトの数の方が圧倒的に多いので、ある特徴を識別出来る該当の症状や症状を持っている比較的少数のヒトを《○○症》というのだと思います。
私は、以前・一時期自分でやりたい(?)と思ったときにはいつでも簡単に耳抜きができましたが、耳抜きをしたままの耳管開放状態を意識的に継続することは出来ませんでした。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%B3%E7%AE%A1% …
耳管開放・閉鎖・状態維持を自分で好きにコントロールできるヒトは、耳管開放症の人数よりは一段と少ないのだろうと想像します。
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この回答へのお礼

小学生の頃1人だけ同じことができる友人がいました。
その後他の人にも確認したり話したりしたことがなかったので疑問に思っていた次第です。

ありがとうございます。

お礼日時:2014/11/02 15:14

耳が塞がる様な痛さを感じたら、


私もつばを飲んだりあくびをしたりしなくても耳抜きできますが、
痛みが無くなり耳に空気が通る感覚がするだけで、
閉じてるとか開いてるとかはよく解りません。
それ以上の制御もできません。

これが普通なのかどうかは解りませんが、
困っている人ほどよく話すので目立ちますね。
そういう人の方が少ないのも現実ですが。
どのあたりが普通の人になるのかちょっと解らないものですが、
質問者さんほど細かく制御できると仰る人は
今まで聞いた事がないので普通とは違うのだろうと私は思います。


以下は質問者さんの持つ個性についての考察の長話となります。
ご興味が無ければこれ以下は読まれなくて大丈夫です。

世の中には色々な個性を持つ人が居ますよね。
・先天的な大衆障害から筋肉の制御が
・極端に苦手になる人や、極端に精細な制御ができる人。
・何十年という習熟で色で温度を見極める人。
・指ざわりで機械が作った凹凸を見つけ均す人。
・1/1000度を正確に測れる人。
・自分の意思で火事場の馬鹿力を出せるアスリート。
・自分の意思でスローモーションの様に世界を見れる人。
・膨大な情報を瞬時に記憶できる人。
・一瞬見た光景を鮮明に記憶し精細に描画できる人。
・今まで会った全ての人の顔を記憶している人。
・一度聞いた曲を一度で完璧に弾ける様になる人。

もっと微妙なものを挙げるなら、
・誰とでも仲良くできる人。
・どこでもどんな所でも眠れる人。
・運動が苦手で危険を避けて来た人。
・少ない睡眠時間でも平気な人。
・時差ぼけしない人。

色々な人が居ますね。
真似しようとしても出来ないものは世の中沢山あると思います。

動物の世界に踏み込むともう、
尻尾で枝を掴んで全体重でぶらさがれる動物やら、
超音波で地中の昆虫を見つけて食べる動物やら、
音の衝撃波で獲物を気絶させて食べる動物やら、
発光できる、電気を流せる、音で地形を測れる、
まぁ多種多様でどう進化して来たやらと思えるものが沢山ですね。


ともあれ、
生物は環境に最適な生き物がより確実に命を繋いで行きます。

光の見える範囲。音の聞こえる範囲。匂いの感じる度合い。
生存に有益な情報を感じれる事はプラスに働きますが、
生存に有益ではない情報も感じれるからと反応すると、
体力(食料)を浪費し生存に不利に働く事もあります。

また、生存に必要ではない感覚器や脳や内臓に
体力(食料)を浪費し続ける事も
生存には不利に働く事もあります。


そして環境は絶えず変化し何が生存に有利に働くか解らず、
「多様性」で多くの生命は生存して来ています。人間社会も。
その多様性が外れる事もあれば、当たる事もある。
人類の能力の多様性もその1つなのではないかと思います。

群れで暮らす事が有益に働く群れ動物の場合、
群れから除外されうる才能が生存に不利に働く事もあり、
ややこしい事になっている様でもありますが。


他の動物が人間とは明らかに違う個性を持っていますが、
それに至る過程には膨大な多様性の犠牲があったはずです。

しかしその多様性が無ければ生き延びれなかったんでしょう。
そして一番都合が良い範囲の個性を持つものが
何代も何代も何代も命を繋ぎ、
そうでないものが命を繋げず、今に至るのだと思います。
ここに生まれているだけで
ある意味奇跡なのかもしれませんが、
多様性という宿命も背負っていると言えるのかもしれません。


ただ、感覚過敏など一種の病気と言われるものもある様です。
農薬が脳の神経細胞の成長に影響がある・・とか
色々な話がありますので。
将来多様性ではなく病気と分類される様な個性も中にはあるんでしょう。
どう受け取るかは人それぞれなのかもしれませんが。

以上です。考察の長話失礼しました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
自分の意思でスローモーションの様に世界を見れる人いるかもしれないですね、体験してみたいです。

お礼日時:2014/11/02 15:13

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