出産前後の痔にはご注意!

信じていたのに…
大和くんは、フランス ダンケルク級をおもっくそパクっている!
...?
艦橋の纏め方、位置、せり上がった船体…なにもかもだ…orz

戦艦ダンケルク(1935)

同艦ストラスブール(1937)

戦艦比叡艦橋大改装(1940)

戦艦大和(1941.12)

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8739199.html
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8734584.html

「戦艦大和くんだけは、日本オリジナルの造形」の質問画像

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A 回答 (5件)

戦艦「大和」の設計には何人かの技術者が携わっていますが、そのお一人が「牧野茂」海軍技術大佐です。


この人は帝国大学の船舶工学科を卒業して海軍に入り、艦艇の設計に携わりますが、その後、フランスに留学します。学んだ先は「フランス国立造船大学」です。
その留学の数年後に「牧野茂」氏は「大和」の設計に携わります。
ですから、フランスの設計思想の流れが「大和」に入っていると言われても別段おかしくはない話です。
さらに、「牧野茂」氏は1937年5月20日にイギリスで行われた「ジョージ6世戴冠記念観艦式」に参列しています。
この観艦式にフランスは戦艦「ダンケルク」を派遣して世界中の注目を浴びました。
何せ「ダンケルク」は就役したのが観艦式と同じ月の5月1日という最新鋭艦です。
当然、「牧野茂」氏も「ダンケルク」を見たでしょう。
ちなみに戦艦「大和」の建造はこの年の11月から始まります。
つまり、「牧野茂」氏が「ジョージ6世戴冠記念観艦式」で見た最新鋭戦艦「ダンケルク」の構造を帰国後に急いで一部分でも「大和」に反映させたとしても不思議ではありません。

ただ、そうした「ダンケルク」の実物を見て「大和」の設計に活かした事実が実際にあったかどうかという点については私も浅学なものでしてわかりません。
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No.2です。

 念のため、ダンケルクを検索してみたけど、外見も全然大和に似てないし、装備も全く違うね。 なんでパクってるって言えるの?

この回答への補足

http://okwave.jp/qa/q8739199.html

http://okwave.jp/qa/q8734584.html

艦橋も御覧の通りだが、大和の前艦橋15m測距儀の位置(船体サイド喫水線長ど真ん中)も、フランスのダンケルク級戦艦を参考にしていると思われます。

>装備も全く違う...

それは当たり前やろw
てゆーか、俺は真実を知りたいだけ。
なんでパクってるって言えるの?とか言う必要あるの?
大和くんを過大評価し過ぎでは?
46センチ砲もドイツの旋盤無しでは絶対に造れなかった。

補足日時:2014/10/30 00:39
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>戦艦大和も、日本独特の「形」ではないのですよ。

そこには必ず西洋からの…いや、西洋技術の集大成とするべきなんです。

私は『「日本」と「西洋技術」の集大成』だと思います。
起源となったオリジナルのみが素晴しく、それ以降は些末な変更に過ぎないというのであれば、某半島やその元宗主国の「くされ儒教」と変わりありません。
※添付画像が削除されました。

この回答への補足

補足日時:2014/10/29 20:15
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No.1さんへの回答を見ると、これは質問じゃなくて、質問者の意見開陳のようですね。

 まぁ、しょうもないネトうよの意見開陳なんかじゃないから、いっか。

この回答への補足

ネトサヨでもありません。

補足日時:2014/10/29 13:09
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 軍艦について詳しいわけではありませんが、正面からの写真だけでは何とも言えません。

合理性を追求すればある程度似た形状もやむを得ないかと思います。
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この回答へのお礼

基本的なレイアウトや、合理的な設計などは、全て西洋から学び取ったものです。
別に私はパクったなどとヤラシイ言い方をしているわけではありません。
勘違いされているかたが多いようですが、性能を突き詰めていけば、みんな似た様な形になってくる…というのは完全な誤りですよ。
設計には「センス」というものが必ずあるのですよ。
戦艦大和も、日本独特の「形」ではないのですよ。そこには必ず西洋からの…いや、西洋技術の集大成とするべきなんです。
御回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/29 04:38

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Q戦艦大和は本当に.....

「日本的」ですか?
何処らへんがですか?

Aベストアンサー

46センチ砲を備えて大鑑巨砲主義の象徴ですから
まさに「日本的」です

Q男性のかたへ 大和艦橋のまとめ方は「日本的」・・・

・・・ではなく、5年前のフランス ダンケルク級を参考にしたもの・・・かも?
参考にするのは、決して恥ずかしい事ではござらぬ!

僕的には… ダンケルク → 比叡 → 大和 …です(^^;;

http://azuazupapa.blog119.fc2.com/blog-entry-130.html

Aベストアンサー

Maria-Ludwig 様、確かに、写真を見る限り、フランス戦艦のダンケルク級と巡洋戦艦 比叡と超弩級戦艦 大和の艦橋は似ていますね。 これまでの日本の戦史や造艦に関する書籍にはフランス戦艦ダンケルク級より技術を得たと言う記載は見たことがありませんので、ご質問を拝見して、一瞬、「おや、これは・・・」と考え込みました。

私の知識の範囲でお答え致しますと、金剛型高速戦艦(同型艦として、比叡、榛名、霧島)と超弩級戦艦大和は、平賀 譲 海軍技術中将が設計に参加しています。平賀中将は大変な勉強家でして、イギリスに駐在中に戦艦ダンケルクの資料は入手できる分を全て入手してチェックしていたと推測できます。

戦艦金剛はシーメンス事件と言います金剛の造艦受注に関与して、金剛の部品を供給するドイツのシーメンス社と金剛を造艦したビッカース社の海軍関係者への贈賄事件ですが、ここで、ドイツが関わってきます。ドイツも日本への技術供与は可能な範囲で惜しまなかったと推測できます。金剛の造艦を受注したイギリスは当然、可能な技術供与を日本側に行ったものと推測できます。ひょっとしたら、金剛を受注した時点で超弩級戦艦大和の造艦計画もイギリス側は薄々知っていたかもしれません。

Maria-Ludwig 様が、「僕的には… ダンケルク → 比叡 → 大和 …です(^^;;」と考えられているのも、可能性としてはありますね。平賀海軍技術中将はダンケルクについても参考にしていたものと考えても、それもありかなと思いましたね。今回は小生に新知識を有難う御座いました。この回答欄にて、貴殿に御礼を申し上げます。

★蛇足ですが、日露戦争時の日本海海戦ではロシアのバルチック艦隊はフランス製の戦艦でした。日本海軍はイギリス製の戦艦を使用しましたので、日本ではイギリスの方が知名度は高く、フランス製となると今一の観がありますが、フランス現在でもEU諸国内では主要な兵器生産大国です。戦艦ダンケルクも当時の技術水準の粋を集めた大変強力な戦艦であったと想像できます。

Maria-Ludwig 様、確かに、写真を見る限り、フランス戦艦のダンケルク級と巡洋戦艦 比叡と超弩級戦艦 大和の艦橋は似ていますね。 これまでの日本の戦史や造艦に関する書籍にはフランス戦艦ダンケルク級より技術を得たと言う記載は見たことがありませんので、ご質問を拝見して、一瞬、「おや、これは・・・」と考え込みました。

私の知識の範囲でお答え致しますと、金剛型高速戦艦(同型艦として、比叡、榛名、霧島)と超弩級戦艦大和は、平賀 譲 海軍技術中将が設計に参加しています。平賀中将は大変な勉...続きを読む

Q戦艦大和の甲板について

子供の頃に読んだプラモデルや雑誌の説明に、
戦艦大和は敵の○○○キロ爆弾にも絶えられる装甲をもっている。
などと書いてあったのを覚えています。

でも、最近ふと思ったのですが、
大和の甲板って「木製」じゃなかったかしら?
雑誌で調べてみても、確かに木製のようです。
これでは、爆弾でなくても耐えられないのでは?

装甲が丈夫だというのは、甲板以外の部分を指していたのでしょうか?
それとも私の記憶違いだったのでしょうか?

Aベストアンサー

『大和』の甲板は、上から、『最上甲板』・『上甲板』・『中甲板』・『最2中甲板』・・・となっていますが、このうち、『中甲板』に200mmのMNC甲鈑が使われています。(『最上甲板』・『上甲板』は"防御装甲"と呼べるほどの強度はありません。)

当時、アメリカ海軍の艦上爆撃機が搭載する爆弾が1,000ポンド(453.6kg)だったので、日本海軍が使用する500kg爆弾の直撃に耐えられるようにされたと言われていますが、設計当時は、撃角55度、最終撃速の"砲弾"の直撃に耐えられるように研究されたようです。

MNC甲鈑というのは、モリブデン入りのニッケル・クローム鋼に特殊な熱処理を加えたもので、それ以前の日本戦艦に使われていたNVNC甲鈑(ニッケル・クローム鋼均質甲鈑)では強度不足ということで開発されたものです。

ちなみに、舷側水線上にはVH甲鈑410mm、水線下はNVNC甲鈑200~50mm(深くなるほど薄くなります)が、それぞれ、傾斜角20度と14度で取り付けられています。

以上、『丸』'93年2月号別冊『図説大和/武蔵』より抜粋しました。

『大和』の甲板は、上から、『最上甲板』・『上甲板』・『中甲板』・『最2中甲板』・・・となっていますが、このうち、『中甲板』に200mmのMNC甲鈑が使われています。(『最上甲板』・『上甲板』は"防御装甲"と呼べるほどの強度はありません。)

当時、アメリカ海軍の艦上爆撃機が搭載する爆弾が1,000ポンド(453.6kg)だったので、日本海軍が使用する500kg爆弾の直撃に耐えられるようにされたと言われていますが、設計当時は、撃角55度、最終撃速の"砲弾"の直撃に耐えられるように研究されたようです。

MNC...続きを読む

Q空母のカタパルトは、米国でしか造れない?

ここしかないのでお訊きします。だいぶ前なので、現在は状況が違うかもしれないですが何度か空母のカタパルトについて、イギリスやフランス・ロシア等が開発しようとしたけど無理で米国だけだと本で見たような。これ自体は軍事や戦略等から見ると大した話ではないでしょうが、事実ですか?単に、米国以外は大型のジェット戦闘機を空母から飛ばそうとしなかったり目的・戦略が違っただけとか。それに何年か前に、フランスの今までの原・水爆実験で得た情報と米国の情報を交換するとニュースで見たり、エシュロンという世界規模の盗聴網で米・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド・イギリスの白人クラブがあるとEUの議会で取り上げられたのを見るとカタパルトの技術くらい教えそうですが。
それに現在は、先進国間で留学等の知の交流があるし物質工学や工作機械や設計・加工技術等の差がそんなにあるのか疑問ですが。

Aベストアンサー

シャルル・ドゴールのカタパルトはアメリカ製のようですね。

というか、アメリカ以外の最近の空母でカタパルトで離艦するのってってシャルル・ドゴールだけじゃないでしょうか。
なお、フランスの旧艦ですが、クレマンソー級の蒸気カタパルトはイギリス製のようですから、アメリカでしか作れないと言うことではないようです。

ただ、現在、イギリスやロシアの空母はカタパルトではなく、スキージャンプを使った離艦です、おそらく、今後のアメリカ以外の空母はSTOL能力の高い機材で運用というのが世界的な流れでしょう。アメリカにしても、強襲揚陸艦などにはSTOL+スキージャンプというのが登場するかもしれません。

アメリカ以外で蒸気カタパルトを作らないのは、空母の思想が変わってアメリカ以外での需要がないからだと思いますよ。外国で作ったとしても売れなきゃどうしようもないですから。

Q旧日本軍はどうして潜水艦を強化しなかったのでしょうか?

第二次世界大戦もののDVDを観て思ったのですが、
潜水艦の役割は重要です。
攻撃にしろ、防御にしろ威力絶大と感じました。
とくに太平洋に飛び飛びにある島の防衛などは、潜水艦を配備していれば強化できたと思います。
日本の潜水艦のことはあまり聞きませんが、
海軍は、どうして潜水艦の開発に力を注がなかったのでしょうか?
海を制したかったら潜水艦が不可欠ではないでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

日本海軍は、甲標的艦を完成。実戦に投入しました。
2人乗りの水中高速型の潜水艦の開発に成功していたのです。

この事実に米軍は驚愕しました。

時の水上機母艦は、甲標的艦母艦として即座に改装可能なように設計、建造されていました。

潜水艦に対し相当力を注ぎ込んでいたようです。

日本軍では潜水艦とは、
隠密行動を取り、単独で侵入し、敵艦船を攻撃する為の兵器でした。(特攻に近い思想)

艦隊戦では、艦隊の前で哨戒に当たらせ、
平時は、敵の基地付近の哨戒任務に付かせました。

一方、米軍の潜水艦は日本軍のそれよりはるかに劣ります。
酸素魚雷の開発もまだでした。

米軍は、
潜水艦を3隻一組とする狼狽戦法で弱い輸送船団を襲う事に専念します。
彼らは、日本軍の海防艦が、殆ど使い物にならない木造船である事を知っていました。

日本軍は
駆逐艦を重雷装する事により重巡洋艦と匹敵する戦力としようとします。
重巡洋艦は、重雷装させ、戦艦と互角で戦える事を目標としました。

その結果、被弾に対しては極めて脆く火災、誘爆が多かったのです。

米軍は、無理な雷装や、無理な作戦より、
より効果的な運用方法を目指しました。

追い詰められ、
潜水艦に戦艦が沈められるようになると、
日本海軍も、もう終わりだな。
こう言う空気が流れます。

潜水艦に対する防御、発見方法、攻撃方法などが確定していないと言う、根本的な問題でした。

>とくに太平洋に飛び飛びにある島の防衛などは、潜水艦を配備していれば強化できたと思います。

潜水艦は、常に最前線に投入され、後方は無視されました。

>日本の潜水艦のことはあまり聞きませんが、
海軍は、どうして潜水艦の開発に力を注がなかったのでしょうか?
海を制したかったら潜水艦が不可欠ではないでしょうか?

上層部は、敵艦隊を攻撃する事しか頭にありませんでした。後方、補給よりも、最前線でした。
援護の無い、単独攻撃は、犠牲も大きかったようです。

日本海軍は、甲標的艦を完成。実戦に投入しました。
2人乗りの水中高速型の潜水艦の開発に成功していたのです。

この事実に米軍は驚愕しました。

時の水上機母艦は、甲標的艦母艦として即座に改装可能なように設計、建造されていました。

潜水艦に対し相当力を注ぎ込んでいたようです。

日本軍では潜水艦とは、
隠密行動を取り、単独で侵入し、敵艦船を攻撃する為の兵器でした。(特攻に近い思想)

艦隊戦では、艦隊の前で哨戒に当たらせ、
平時は、敵の基地付近の哨戒任務に付かせました。

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Qセロ戦の飛行高度は当時世界最高だったのですか?

沖縄の慶良間でうかがった話ですが、第2時世界大戦当時、アメリカのグラマン機(と聞いた記憶がありますが、間違ってましたら失礼します)を上回る高度をゼロ戦は飛行できた、ということなのですが、それは全世界の戦闘機中においても最高度なのでしょうか? 
であるとするならば、アメリカ軍はなぜそれを上回る戦闘機を開発しなかったのでしょう?

Aベストアンサー

>アメリカ軍はなぜそれを上回る戦闘機を開発しなかったのでしょう?

 戦艦大和の話なんかでも出てくると思いますが、
航空機が兵器として使われたのは第一次世界大戦が
最初で、太平洋戦争初期は軍艦の時代だったんです。

 それとエンジン製造技術はアメリカのほうが
上だったんで、何でゼロ戦の運動性能があんなに
いいのかアメリカ側には見当がつかなかった
んです。
 
 

>それは全世界の戦闘機中においても最高度なのでしょうか? 

 確かドイツのメッサーシュミットのほうが
性能が上でした。ドイツはジェット戦闘機も
第二次世界大戦で使っているし、航空機の
性能という意味では、戦前、戦中もドイツが
トップだったと思います。
 戦争が終わるまで、アメリカは日本がドイツの
技術協力のもと、戦闘機を作っていると思って
いたと言われています。終戦後、アメリカは試作機も含め
日本の戦闘機をできる限り全機種、航空母艦に
乗せて本国に運び、研究したと言われていて、
日本の飛行機に対する警戒は相当なものだった
ようです。

 戦争中にゼロ戦が殆ど無傷でアメリカ側の
陣地に不時着した事があって、それでゼロ戦の
秘密がばれたんだと言われています。
 ゼロ戦は短時間の迎撃用に設計されていて、
急発進、急上昇を主な目的で作られていた
ため、装甲を薄くするなど軽量化が測られていた
んです。

 太平洋戦争末期には、アメリカの飛行機の
性能のほうが上になったため、他の方の
回答にもあるB-29の高度までゼロ戦は上昇
できませんでした。

 

>アメリカ軍はなぜそれを上回る戦闘機を開発しなかったのでしょう?

 戦艦大和の話なんかでも出てくると思いますが、
航空機が兵器として使われたのは第一次世界大戦が
最初で、太平洋戦争初期は軍艦の時代だったんです。

 それとエンジン製造技術はアメリカのほうが
上だったんで、何でゼロ戦の運動性能があんなに
いいのかアメリカ側には見当がつかなかった
んです。
 
 

>それは全世界の戦闘機中においても最高度なのでしょうか? 

 確かドイツのメッサーシュミットのほうが
性能...続きを読む

Q戦艦大和の主砲発射時 甲板での衝撃は?

以前、なんらかの本で戦艦大和の主砲発射時、甲板上で生身の人間はその衝撃に耐えられない。(ウサギを金網に入れ実験したところすべて死んだ)という事を読んだ記憶があります。映画「男たちの大和」では、機銃座の兵員はヘルメット以外なんの防具、耳栓などしていないようなのですが、主砲の三式弾打ちまくっていましたね。実際のところどうだったのでしょうか?

Aベストアンサー

映画は観ていませんが、主砲発射時に剥き出しの機銃座にいれば吹き飛ばされてしまうので、そんなシーンがあったのなら、それは映像表現上の嘘でしょう。
大和の場合、主砲発射の衝撃と爆風があまりにも激しいので、高角砲や高射機銃座等は全てドームで覆う設計を施してあります。後期の改修で露天式の物も取り付けられましたが、これを使用するのは、飽くまで主砲を使用しない時だけです。主砲発射の際には、甲板に警報が出て、機銃要員は最寄のハッチから甲板の下に退避するのです。
余談ですが、大和の前にも、戦艦長門が竣工した際(大正時代)、主砲(40センチ砲)の一斉射撃を行った時、艦橋最上部の露天艦橋に人が立っている事が出切るかどうか、志願者を募って実験したそうですが、全員柱にロープで体を繋いでから一斉射撃を行った所、射撃の瞬間に吹き飛ばされて床や壁等に叩き付けられ全員失神。気が付くと軍服のボタンが爆風ですべて弾け飛んでいたそうです。それ以前の日本海軍では、戦闘時の指令部は露天艦橋で指揮を取るのが日露戦争以来の伝統でしたが、これを機会に防御の施された艦橋内で指揮を取るように改まったと言います。

映画は観ていませんが、主砲発射時に剥き出しの機銃座にいれば吹き飛ばされてしまうので、そんなシーンがあったのなら、それは映像表現上の嘘でしょう。
大和の場合、主砲発射の衝撃と爆風があまりにも激しいので、高角砲や高射機銃座等は全てドームで覆う設計を施してあります。後期の改修で露天式の物も取り付けられましたが、これを使用するのは、飽くまで主砲を使用しない時だけです。主砲発射の際には、甲板に警報が出て、機銃要員は最寄のハッチから甲板の下に退避するのです。
余談ですが、大和の前にも...続きを読む

Q戦艦大和、今再現するならお値段いくら

大和の建造には当時の国家予算の数パーセントの巨費が投じられたそうですが、今全く同じ物を作るならどれくらいのお金がかかるんでしょうか。素人考えだと、今の技術から見れば大きな鉄の塊みたいなものだからもちろん国家予算レベルにはならないし金額もはちゃめちゃな数字にはならなそうだと推測しますが。でも100億くらいはかかりますかね。実際いかほどのもんでしょう。

Aベストアンサー

だいぶ前の本ですが、この質問の答に近い本が出版されています。

http://www.amazon.co.jp/dp/4195552710/
よみがえる超戦艦「大和」―史上最強の巨艦「復元計画」
戦争考古学研究会 (著)
徳間書店 (1993/08)

古本が適価で買えますからぜひお読み下さい。
私もこの本を読みましたが、No6さんが言われるように「主砲の砲身」と「防御甲鉄」が最大の難関になります。いずれも、現在は世界のどこにも製造できる工場が存在しません。製造技術も断絶しています。

戦前の日本では、戦艦・正規空母・重巡洋艦の建造は呉工廠・横須賀工廠・神戸川崎造船所・三菱長崎造船所の4箇所で同時に4隻可能でしたが、戦艦の主砲と防御甲鉄は呉工廠でのみ製造可能でした。
三菱長崎造船所で建造された武蔵については、呉工廠で製造した主砲の砲身と砲塔を運ぶために専用の輸送艦が用意されたくらいです。

「同じ物が作れればいいので作成方法は問わなくていいと思うんですが」
ということですが、「同じ物」を作るには、製造技術を再構築し、製造する工場そのものを新たに建設しなければなりません。何しろ、同じ物を作る工場も技術も消滅しているわけですから。

また、大和は溶接工法ではなくリベット工法で作られていました。巨大な船をリベット工法で作る技術も現代では断絶しています。

最初に紹介した本では、
「外見は大和を忠実に再現。実際に発射可能な18インチ砲9門を備える。甲鉄や機関や射撃指揮装置については大幅に妥協。リベット構造は不可能なので溶接構造で建造」
として、あくまでも本の上ですが「大和を現代に再現」していたと記憶します。

ちなみに、戦艦を建造する設備が現役で稼動していた時代でも、例えば戦艦の主砲身は非常に高価でかつ製造に時間と手間を要するものでした。イギリスが第二次大戦後の1946年に就役させた、戦艦としての性能ではイギリス海軍史上最高とされる
ヴァンガード
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%89_(%E6%88%A6%E8%89%A6)
は、15インチ主砲の砲身は、第一次大戦中の1915年頃に製造されたものを使用しています。砲身は古いですが、砲塔は完全新設計で、射撃指揮装置もレーダーを使う1946年当時の最新のものです。

「倉庫に眠っている15インチ砲を利用して、最新設計の戦艦を作る」
ことが合理性を持つくらい、戦艦の主砲砲身というのが様々な意味で「貴重なもの」だということです。

だいぶ前の本ですが、この質問の答に近い本が出版されています。

http://www.amazon.co.jp/dp/4195552710/
よみがえる超戦艦「大和」―史上最強の巨艦「復元計画」
戦争考古学研究会 (著)
徳間書店 (1993/08)

古本が適価で買えますからぜひお読み下さい。
私もこの本を読みましたが、No6さんが言われるように「主砲の砲身」と「防御甲鉄」が最大の難関になります。いずれも、現在は世界のどこにも製造できる工場が存在しません。製造技術も断絶しています。

戦前の日本では、戦艦・正規空母・重巡...続きを読む

Q急降下爆撃は何故敵艦に対して縦に侵入しないの?

太平洋戦争での敵艦に対する急降下爆撃機は見てると敵艦の腹に対して向かっています。
でもそれだと、雷撃ならいいけど、爆撃ではちょっと間違うと爆弾が敵艦を素どうりしてしまいます。(飛び越してしまう)

それよりも敵艦に対して縦に侵入したほうが、船は縦に長い長いから外れにくいと思います。

どうして縦に侵入しないのですか?

Aベストアンサー

艦船の甲板は厚い鋼鉄でで守られて、少々の攻撃ではダメージを与えられません。
勿論、甲板上であっても艦載物に被害を与え、操舵室等に命中すれば航行不能には出来るでしょう。
それに対して、側面は大変薄く小さな破壊を受けただけで沈没などの大きなダメージがあります。

さらに、正面からの攻撃は上下は的として大きくなりますが、その代わり少しでも横にずれるとダメージを与えるどころか斜めに滑ってしまいます。
その点側面からの攻撃は、上下の正確さえ有れば左右はかなりずれても確実に大きなダメージを与えることが出来ます。

戦闘機の操縦的にも、左右の調節は機体を傾けるなど難しくなりますが、上下の調節は操縦桿の前後操作だけで瞬間的に調節でき、目標を捉える確立も高くなります。

戦闘機を攻撃する船側にしても、船の構造上縦揺れは少なく横揺れが大きくなります。
当然船の前方から来る敵機には照準を併せやすく、横から来る戦闘機は揺れの関係で狙いにくくなるでしょう。

Qミッドウェー海戦の敗因を教えて下さい

ミッドウェー海戦の敗因を教えて下さい。なぜあんなに強かった日本軍が負けてしまったのですか?理由を教えて下さい。ちなみに僕は戦史に関してはド素人ですので、その辺はご了承ください。

余談ですけど、先日新聞を読んでいたら「アベノミクス第三の矢はミッドウェー」とかいう記事が載っていて、要するに第一、第二の矢(経済政策)はうまくいったが問題は第三の矢で、これが日本の今後の経済趨勢を決するという内容でした。

それで僕は、緒戦の快進撃から一転、大敗北を喫したミッドウェー海戦の敗因とやらをどうしても知りたくなった次第です。

Aベストアンサー

○日本には防衛研修所戦史室 (現在の防衛省防衛研究所戦史部の前身)が編纂した「戦史叢書」という全102巻にも及ぶ太平洋戦争について書かれた公刊戦史がありまして、ミッドウェー海戦について書かれたものは、その第43巻が「ミッドウェー海戦」として出されています。
「戦史叢書ミッドウェー海戦」・・・市立や県立図書館でも置いてるところは結構あります。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E6%B5%B7%E6%88%A6-1971%E5%B9%B4-%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%8F%A2%E6%9B%B8-%E9%98%B2%E8%A1%9B%E5%BA%81%E9%98%B2%E8%A1%9B%E7%A0%94%E4%BF%AE%E6%89%80%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%AE%A4/dp/B000J9GX1M

この本によると次の6項目が大きな日本軍の敗因として取り上げられています。

(1)情報戦の大敗。日本海軍の暗号が解読され、米軍は日本軍の計画を察知していたのに、日本軍は敵情がよくわかっていなかった。

(2)心のゆるみ。開戦以来の戦果から心にゆるみが生じ、作戦の計画と実行に慎重さを欠いた。

(3)山本長官の出撃。山本長官が戦艦に座乗して出撃したので、その位置を秘匿するため、無線の使用が制限され、作戦指導に支障を生じた。

(4)航空戦様相の事前研究、訓練の不足。索敵、偵察、報告などの地道な訓練及び、空母の被害局限対策の研究が足りなかった。

(5)5日の航空決戦の指導の誤り。二度の兵装転換によって弱点を作った。

(6)戦艦主兵思想の転換の不十分。戦艦部隊が後方遠く離れて航空決戦に寄与できなかった。


○ちなみに当時、敵であったニミッツ太平洋艦隊司令長官は戦後に出した著書の中で、「勝利は主として情報による。・・・日本軍は奇襲を試みようとして日本軍自体が奇襲された」と述べています。また日本軍が空母戦力を分散してアリューシャン作戦を行った事を批判し、その戦力分散が無ければ米艦隊が敗北していた可能性があると述べています。

○なお、アメリカ海軍公刊戦史を編纂したサミュエル・エリオット・モリソン少将はミッドウェー海戦について、日本の空母が最も脆弱な状態の時に、米爆撃隊が偶然に日本の空母を発見し攻撃できたという、幸運に恵まれた事から「100秒足らずの時間に起こった事実の相違で、日本軍はミッドウェイに勝ち、太平洋戦争にも勝利をおさめたかもしれない」と日本軍にも勝利の可能性が十分あったことを述べています。

○英国の著名な戦史家リデルハートはその著書で日本の敗因について、十分な数の索敵機を出さなかったこと、戦闘機の援護不足、空母の防火対策が不十分、空母での兵装転換時に敵に向かって航行したこと等、他にも色々指摘していますが、最後は「・・・これらの過失は自信過剰から生じたと言っても過言ではない」と述べており、日本軍の「自信過剰」を問題視しています。

○日本には防衛研修所戦史室 (現在の防衛省防衛研究所戦史部の前身)が編纂した「戦史叢書」という全102巻にも及ぶ太平洋戦争について書かれた公刊戦史がありまして、ミッドウェー海戦について書かれたものは、その第43巻が「ミッドウェー海戦」として出されています。
「戦史叢書ミッドウェー海戦」・・・市立や県立図書館でも置いてるところは結構あります。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E6%B5%B7%E6%88%A6-1971%E5%B9%B4-%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%8F%A2%E6%9...続きを読む


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