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戦争とか舟艇に関するカテゴリーが見当たらないので、ここでお聞きします。

軍艦というと○○級駆逐艦とかいう具合に名づけられていますが、この○○級って具体的に何のことを指しているんですか?
船の規模とか大きさ、あるいは製造した場所とかでしょうか。
知っているかぎりでは、地名が多いようですね。

A 回答 (4件)

欧米及び海上自衛隊では『○○級』、旧日本海軍では『○○型』と呼びますが、どちらも、ネームシップ(一番艦)の名前から付けられ、同型艦の総称として用いられます。



例えば、旧日本海軍の『大和』と『武蔵』の2隻は、装備等に若干の違いはありますが、基本的には同型艦のため『大和型』と呼ばれます。

アメリカ海軍や旧日本海軍の艦に『地名』が多いのは、アメリカ海軍は、戦艦に『州名』を使用するのが慣例だったためであり、旧日本海軍は、戦艦には『旧国名』、重巡洋艦には『山の名前』、軽巡洋艦には『川の名前』を付けるのが慣例だったからです。
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この回答へのお礼

積年の謎が氷解しました。
追加のご回答と併せてお礼を申し上げます。

お礼日時:2005/02/21 18:10

同型艦を多数作る理由に軍艦は4隻で1単位という考え方があります。


速力、攻撃力、防御力が等しい4隻で一戦隊を組むということです。
ですから、戦艦金剛型には榛名、霧島、比叡と4隻です。
長門型は陸奥しかありませんが、加賀、土佐が充てられていました。(軍縮で没、加賀は空母にされた)
大和型も武蔵、信濃(空母に変更)4号艦(名前未)です。
駆逐艦も4隻で1駆逐隊となりますが、同型艦は16隻とか4の倍数になってます。

それに対して、世界的に同じクラスの主力艦は、ド級(ドレッドノートと同じクラス)超ド級(主砲36~38cmクラス)
ポストジェットランドクラス(主砲40cm)などに3段階に別れていました。
第二次大戦の頃にはド級戦艦はなく、超ド級(金剛型、扶桑型)ポストジェットランド型(長門、陸奥)条約明け型(大和、武蔵)の3つのクラスで日本は戦いました。
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この回答へのお礼

詳しい情報をありがとうございました。
4隻で1単位というのは初耳でした。

お礼日時:2005/02/21 18:21

軍艦の命名に○○級というようになったのは、同じような艦を多数建造するようになったからで、最初英国が歴史的に有名なドレッドノートという戦艦を建造したことから始まったようです。


この戦艦と同様な仕様の艦を世界がこぞって建造したのでこれらを総称してドレッドノート級とよびました。
我が国でも同種同設計の複数の軍艦が建造される場合一番艦の名前をとって○○級と呼ぶ慣習です。
駆逐艦以下は気象(風、雪など)、潜水艦は重量により伊、呂に番号をつけました。
しかし艦種が複雑になった現在はこの習慣は途絶えているようです。
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この回答へのお礼

その系統で一番初めの船の名前からとって、船の名前自体は風習に従ってつけるということですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/02/21 18:18

ANo.#1の補足です。



下記の参考URLに、旧日本海軍や自衛隊、アメリカ海軍の命名法の慣例について載っています。

『Wikipedia:船名』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%B9%E5%90%8D

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%B9%E5%90%8D
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