ふと思い立って、趣味の範囲で漢詩を作りたいと思っています。
1.漢詩に対する国語力は、かろうじて大学受験の漢文が読めるかどうか・・・程度です。漢詩を作るに際し、何から学べば良いのでしょうか。
2.平安時代の貴族の男性は、漢詩を読み書きするのが教養だったと聞いておりますが、彼らはどのようにして漢詩を学んだのでしょうか。
3.明治時代くらいまでは、漢詩を味わい、かける人がいたようなのですが、明治時代の人はどのような過程を経て漢詩を作ったのでしょうか。

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A 回答 (1件)

 1.漢詩の規則を覚えてください。


 2.漢文を専門にしている家(文章博士・菅原・大江氏など)について、学びました。
 3.幼時のころより、四書五経を学んでいましたし、漢作文も必須でした(藩校・寺子屋など)。また、常識人の書籍は漢文ですので、漢字に関する知識、漢詩の作法、表現に巧みになるのは自然のことでした。漢詩と言うのは、形式と表現を覚えれば、割合簡単に作れます。日常用語を漢語に変換する和漢辞書のようなアンチョコもありました。

参考URL:http://www4.freeweb.ne.jp/novel/sousyu/
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。早速、HPを見てみました。まずは漢詩の規則ですね。そういう教育をまったく受けてこなかったので最初はわけがわからなそうですが、少しずつ学んでいこうと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2001/06/12 09:18

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時間が余りなくて、インターネットで検索してみたのですが、上手く探せません。
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Aベストアンサー

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白雲在天山際    白雲 天山の際に在り
自出道里悠遠    自から道里に出で悠遠す
山川間之将子    山川の間之将子
無死尚復能来    死して尚ほ復た能く来る無し

  西王母吟
徂彼西土爰H其所
虎豹為群為鵲與処
嘉命不遷
我惟帝女彼何世民
又将去予吹笙鼓簧
心中翔翔
世民之子惟天之望

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お年が分からないのですが、高校生以上ですか? でしたら、高校の日本史の教科書の平安時代のページに社会的背景やら後の時代への影響やら代表的作品やら作家やらが簡潔に載っていると思いますので写すといいですよ。

Q漢詩を作る

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2.平安時代の貴族の男性は、漢詩を読み書きするのが教養だったと聞いておりますが、彼らはどのようにして漢詩を学んだのでしょうか。
3.明治時代くらいまでは、漢詩を味わい、かける人がいたようなのですが、明治時代の人はどのような過程を経て漢詩を作ったのでしょうか。

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 1.漢詩の規則を覚えてください。
 2.漢文を専門にしている家(文章博士・菅原・大江氏など)について、学びました。
 3.幼時のころより、四書五経を学んでいましたし、漢作文も必須でした(藩校・寺子屋など)。また、常識人の書籍は漢文ですので、漢字に関する知識、漢詩の作法、表現に巧みになるのは自然のことでした。漢詩と言うのは、形式と表現を覚えれば、割合簡単に作れます。日常用語を漢語に変換する和漢辞書のようなアンチョコもありました。

参考URL:http://www4.freeweb.ne.jp/novel/sousyu/

Q平安時代、月を見ることは悪いことだったの?

源氏物語』の「宿木」で、八月十六日の夜、匂宮は二条院の中の君に「一人で月を見ちゃいけないよ」と言い置いて、六条院に出かける。中の君は夜更けまで月をながめ、老女房が「月見るは忌み侍るものを」と嘆く。みたいなところがあると思われるのですが、平安時代は月を見るのがあまり良いとされなかったんですか?そして、もしそうなら、それっていつからの風習(?)なんでしょう?わかる方、教えてください。

Aベストアンサー

やはり「白氏文集」が影響しているのではないでしょうか。
白氏文集は唐の白楽天の漢詩集ですが、平安時代にはなかば常識とさえ言えるほど貴族の間で流行して、単に「文集(もんじゅう)」と言えばこれを指したとされます。

その文集の巻十四に、「莫対月明思往事 損君顔色減君年」という一節があります。「月の明かきに対して往事を思うなかれ。君が顔を損じ、君が年を減ぜん」ということで、月明かりの中でのもの思いを戒めるような内容になっています。
恐らく、当時の貴族の間でよく知られていたこの部分を下敷きにして、「月を避けなさい」と女房に言わせたのでしょう。文学的素養をベースにした一種の洒落、エスプリ的なニュアンスが多分に込められているように思えます。

紫式部は幼くして父の為時も驚くような漢籍の吸収ぶりを見せたエピソードが知られています。当然この文集を始め古今の漢籍に通じていたはずですし、特に、同じ白楽天の長恨歌は源氏物語の素材としてよく指摘されるぐらいですから、白氏文集の内容が引用されたとしても全く不思議はありません。

Q漢詩を教えてください

 
「自分一人が耐えるだけで済むならそれでいい――」

そんな内容の漢詩はありませんか?


また、座右の銘になりそうな漢詩や、漢詩の見つけ方、
漢詩について調べやすい・学びやすい本などを知っている方は教えてください!

Aベストアンサー

学びやすいどころか笑っちゃう!

桃白歩美「関西弁で愉しむ漢詩」
  子どもの未来社刊 寺子屋新書 

Q漢詩を作っていた日本人の音声感覚

漢詩の「韻」を感じる必要があると思いますが、昔の漢詩を作っていた日本人は、中国語発音にも通じていたのでしょうか?もし、そういだったら、「韻」というものを実感できていた貴重な人たちだったなぁと思います。

Aベストアンサー

実に断片的な知識で申し訳ないのですが、
奈良時代から平安時代にかけて大学寮という公的機関があり、そこで中国語の発音も科目としてあったらしいです。
が、全員が学ぶものだったのか、それとも専攻として学ぶものだったのかは失念しました(^_^;)。
ある程度は全員がやったのではないかという気がしますが。
なお、当時は公文書は漢文で書くのが基本でした。
(藤原道長などが書いた日記も基本的には漢文。が、道長はおおらかな性格だったらしく、けっこう適当な漢文になっているそうです。)

Q漢詩

ある特定の漢詩の特色・文学史上における位置について調べたいのですが、どのようにして調べればいいのか分かりません。

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お願いします。

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以下のサイトが参考になるかもしれません。
Web漢詩大系
http://kanbun.info/index.html

漢詩の世界
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Renge/8328/cha/kanshi.htm

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平安時代の家集「忠見集」に「うちの仰言にて父忠岑が歌奉れと召しあるに書き集めて奉る」という記述があるそうですが、この意味を教えてください。
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よろしくお願いします。

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うちとは「内」で「上」と同じで天皇の事を指します。忠見は村上天皇の御代に活躍した歌人ですのでこの場合は
「村上天皇が父の忠岑の詠んだ歌を提出するようにと私に御命じになったので父の歌をまとめて献上した」という様な意味になります。村上天皇は他にも中務に母・伊勢の歌集を奉れと命じて歌を献上させています。

Q素敵な漢詩を教えてください!!!

 こんにちは。
 私は高校生なのですが、授業で習った漢詩の孟浩然の『春暁』が大好きになりました!白文でも字の並びがきれいで、読んだときのリズムが好きです。それで素敵な漢詩をもっと読みたいです!!私は漢詩とか漢文とかは初心者なので、文法とかも高校レベルなのですが、これからどんどん知っていきたいと思ってます!!こんな私に素敵な漢詩やおすすめの漢詩を教えてください!!!お願いしますっ!

Aベストアンサー

おおお、いいですねえ。高校生で漢詩を愛するとは。
わたしがその年齢だった当時は、どーも漢文が苦手で、漢詩もあまり面白いとは思えませんでした。今から思うと教科書に載っているのがあまり好きじゃない系統のものだったから、ということもあるようです。
授業でお気に入りの詩に出会えた質問者さまは幸せですね(^o^)。

よーやく最近漢詩にも食指が動くようになってきて、ちょこちょこ読んでます。とはいっても初心者(^o^)なので、質問者さまに決定版をおすすめ!というわけにはいかないのですが、わたしが気に入っている本は

講談社学術文庫「唐詩歳時記」「唐詩の風景」(どちらも植木久行)

です。
これは詩がメインというより、詩に出てくる地名や語句、行事を説明した本なのですが、関連する詩も豊富に載っています。わたしにとってはこういうスタイルが面白く読めるようです。口語訳もうるさくなくさらっと書いてありますし。

華やかな詩が好きですね。字面を眺めているだけで唐の都のにぎわいが目に浮かぶようで。ぱっと思い浮かぶのは李白の「少年行」でしょうか。
ああ、あと詩ではないのですが、同じく講談社学術文庫の「長安の春」(石田幹之助)の表題作にもお目通し下さい。(ちょこっと詩も載っています)
都のきらぎらしさが描かれていて、憧れます~(*^。^*)。

授業で習って好きだったのは「涼州詞」ですねえ。
特に一行目の「葡萄の美酒 夜光の杯」は、呟くだけできらきらした魔法がかかるような気がしました。(全体の内容はカナシイものですが(^_^;)。)
あとは誰でも知っていますが、白楽天の「長恨歌」……途中まで暗記したほど好きでした。これもきらきらなんですよね。特に前半は。

漢詩も数多くあると思いますので、手当り次第に読んでみましょう。時代や詩人で「これが好き!」というのがわかってくると思います。
図書館に行くと、漢詩のコーナーは充実していることが多いので、気が合いそうな本に出会えると思いますよ。

では失礼します~(^^)/~~~。

おおお、いいですねえ。高校生で漢詩を愛するとは。
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Q明治時代の文学の環境

今漱石の「それから」を読んでいるところです。読みながら思ったのですが、漱石は当時流行作家だったんでしょうか?「それから」や「三四郎」や「こころ」などは何部くらい売れたのでしょうか?
「それから」を読んでいると決して読みやすいわけではないし、結構哲学的な内容でもあるし、現代なら一般大衆に受ける(一部のインテリに受けるならともかく)という性格のものでもないように思うのです。それが沢山売れた、となると明治時代の人は今よりずっと文学にたいする造詣が深かった、ということになるのでしょうか?
現代で東野圭吾や宮部みゆきの本が沢山うれるのはそれなりにわかるのですが、夏目漱石の本がたくさん売れるのはなかなか想像しにくいのですが・・・・

Aベストアンサー

近松秋江の没年は昭和19年でした。従って「亡くなるまで漱石には否定的だった」に訂正。ちなみに、マイナーな作家とみられていた近松秋江は、近年再評価されて立派な全集もでています。まずは講談社文芸文庫「黒髪・別れたる妻に送る手紙」を一読されたし。好きになります。

さて漱石ですが、イギリス留学から帰国すると、ラフカディオ・ハーンの後任として東京帝国大学英文学講師の職を得、同時に第一高等学校の講師も勤めて、年俸あわせて千五百円。このように教職が本業、小説は余技。そのようにして「我輩は猫である」「坊ちゃん」などの作品が誕生しました。

そして数年後、不向きを感じていた教職をなげうって作家専業に。といっても、ただの物書きの道を選んだのではなく、「朝日新聞社員」という肩書きを得たうえでのことでした。採用された際の条件は、「月給200円。新聞に連載小説を書く。一年に一作、百回くらいの長編を」。

そうして「虞美人草」をはじめとして、未完の「明暗」にいたるまで作品がつぎつぎと連載されて、「それから」もそのようにして生まれた作品でした。とそのように考えてくると、下世話な話、たとえ本が売れなくても、漱石の暮らしの豊かさは保障されていたので、漱石の身なりと本の売れゆきは関係ないでしょう。そして「それから」のような一般受けのしない作品は、地味な売れ方をしたと想像してまちがいないでしょう。直接的な答えにはなっていませんが。

近松秋江の没年は昭和19年でした。従って「亡くなるまで漱石には否定的だった」に訂正。ちなみに、マイナーな作家とみられていた近松秋江は、近年再評価されて立派な全集もでています。まずは講談社文芸文庫「黒髪・別れたる妻に送る手紙」を一読されたし。好きになります。

さて漱石ですが、イギリス留学から帰国すると、ラフカディオ・ハーンの後任として東京帝国大学英文学講師の職を得、同時に第一高等学校の講師も勤めて、年俸あわせて千五百円。このように教職が本業、小説は余技。そのようにして「我...続きを読む


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