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どこへいっても通じるとか移動の自由とか浅く広いとかたくさんの情報というのが、市場主義的な人かと思います。


反面、家族や深い人間関係をもって、ホームゲーム的な得意あるいは保護された環境でのメリットデメリットあると思います。


最近はたとえば、異性関係は一対一なので、もし市場主義だと相手をいい悪いで判断しても一対多数ではないので、一人と親密さが問われて家族主義的のほうがあっているように思えます。


また、市場主義的だと全体的に人の距離が遠かったり、心の助け合いは存在にくいと思います。逆にいつでも浅い人間関係って流れやすいですけど補充できたりするとは思います。


横にウイングを伸ばすのもいいですけど、情報や広さを得る前者に対して家族主義的というのはどういう良さがあるのでしょう。

A 回答 (4件)

人類は群れを作って生活していましたが、その一方で縄張りの強い動物なのです。

好きという感情は群れ生活には必要で、嫌いという感情は縄張り生活には必要なのです。職場や学校での群れの中の縄張り問題は人間関係にいつも出てくる問題です。

人類の発展にはこの相反する行動が必要であったのです。群れ生活はたとえばシマ馬などは群れで生活し、数も増えて大発展をしますが、ひとたび環境が激変すると絶滅する危険性があるのです。その一方でゴリラのような縄張り生活は大きな群れは作れないが食物不足に見舞われても群れ単位で生き残れるのです。チンパンジーやその一種であるボノボは人類と良く似て群れの中に小さな縄張りがある生活をしています。

質問者の市場主義的人間関係は群れ生活の人間関係で、家庭主義的は縄張り生活の人間関係なのです。良い環境下では群れを作ることは発展につながるのですが、厳しい状況下に置かれた時には群れはバラバラになるが、縄張りである家族主義は絆が強く助け合って生き残れるという良さがあるのです。
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この回答へのお礼

群れと縄張りっておもしろいです。

生物学的な解説が多分一番理にかなっているように思えます。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/11/21 17:10

家庭内のやりとり、子育てやセックスには、市場原理は


働かない‥‥利益目的でやっているのではないからだ。
市場経済以前の原始共産制=助け合いのための社会が、
まだ家庭内には残っているのだ。
好きな人であっても、最初の内は費用対効果を考えて
お金を使い、相手の心をつかむという点で、市場主義的
だと言えるが、ステディな関係になった途端に相手の
ために行動するようになり、結婚に至って制度的にその
共有性が保証されるようになる。
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この回答へのお礼

なるほどと思いました。

家族内が市場原理というのはおかしいですよね。

最初のころの恋人の市場感覚でも交際が深まった時期、あるいは結婚したのちは基本として市場原理が働いたらおかしいですね。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/11/21 17:17

☆最近はたとえば、異性関係は一対一なので、もし市場主義だと相手をいい悪いで判断しても一対多数ではないので、一人と親密さが問われて家族主義的のほうがあっているように思えます。


◇哲学カテ一番の底意地の悪さを発揮することにしますか(ポリポリ)。
一目惚れや付き合ってくるうちに次第次第に自然発生する相手への愛情は違うでしょうが、
例えば、相手から告白をされたような場合、これまでの経験に基づき獲得された(価値)基準に従って、その相手の容姿などから受ける印象などを参考に、相手の値をつけます。
であるから、異性関係が1対1であるから、市場主義と無縁とはいえません。
そこには、「自分の値は○○で、相手は△△だから××」という市場原理が働いているからです。
 ───自分がつける自分の値は、一般的に、客観的な市場価格よりもかなり高くつけられている、ということには注意が必要です。───

また、
ホニャララさんと、ホニャララ君と付き合っていることが周囲にバレたとき、自分の値、自分の株が下がるような場合、よほどの理由がなければ、告白された相手と付き合ったりしないものです。
人間には他者から承認されたい、高く評価されたいという承認願望があるためです。

洋の東西を問わず、異性選びに世間体は大切なポイントです。
この事実を忘れてはいけないと思います。



☆また、市場主義的だと全体的に人の距離が遠かったり、心の助け合いは存在にくいと思います。逆にいつでも浅い人間関係って流れやすいですけど補充できたりするとは思います。
◇このような社会では、
圧倒的多数の人間は取り替えることができる、代替可能な存在に成り下がっているということですよ。
このことを恰好つけていうならば、《人間の疎外化》という。


☆横にウイングを伸ばすのもいいですけど、情報や広さを得る前者に対して家族主義的というのはどういう良さがあるのでしょう。
◇家族主義的な社会は、構成人員が少ないですから、《人間の疎外化》は起こりにくいでしょうね。その意味において、人間は人間らしく生きることができる。また、その社会や組織の構成員は共通の価値観、道徳観を有しているので、意思疎通が容易で、かつ、構成員の心情を共感しやすい───つまり、思いやりのある社会や組織になりやすい。同時に余計なお節介、他者からの不要な干渉なども多くなることが予想されます───、といった特徴も有するのでしょうね。
しかし、同時に家族主義は基本的に排他的なもので、外部の者に対しては冷淡になったり、無関心になったりする。また、保守的で、競争が起こりにくく、それゆえ、その発展を妨げるという弊害が発生しやすい。進歩・発展よりも、組織、集団の和の方が重視されるので、この和を乱すのであれば、進歩・発展を犠牲にすることを厭わないからです。
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この回答へのお礼

>代替可能な存在に成り下がっている
>《人間の疎外化》

わかりやすい単語です。

家族主義、保守主義は進歩よりも和や道徳が重視されるんですね。

ただ、進歩に追われてしまうと犯罪のない世の中になったことのないので性善説は考えられず、やはり道徳を養う時期がないと倫理が削られていってとなるんでしょうね。

技術革新すれば、モラルが向上するわけではないので。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/11/21 17:14

こんばんは pkuobe99さん



>家族主義的というのはどういう良さがあるのでしょう。

「案ずるより産むが易し」でしょうね。
善さも悪さも、結婚してみれば分かると思うよ。
第一印象らしい。
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この回答へのお礼

確かにそうです。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/11/21 17:10

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