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ラジオを聴いていたら、

(うろ覚えですみませんが)
・ジャーナリストのスタンスは批判をする
・代案は出さない

と言っていました。

私個人の感覚では、ダメだとダメ出しするなら、その前提としてもっと良い案があるからこそ批判につながると思うのです。もっとよい案(代案)が無いのだとしたら、根拠もなく批判していることになります。それは論理的におかしいです。

それに、自分の案を出すということは、矢面に立つことになりますし、それ相応の覚悟がいります。代案を出さずに批判だけをするというのは、感情的なことを言えば卑怯とも言えます。

批判というのは当然あるものと思いますので、批判自体は否定するつもりはないですが、代案を出さないというのはどういう話なのでしょうか?

A 回答 (13件中1~10件)

新しい提案への批判は別にいいとおもいます。

それは「現状維持のがマシ」と言う意見でしょうから。

ただ「原発再稼動反対」かつ「電気代値上げ反対」
これはありえんと思いますw
こういうどっちに転んでも反対と言う輩は代案出せといいたくなりますね。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございました

お礼日時:2014/11/21 21:43

No.2です。



(Q)ある部分が足りてないということは、言い換えれば、その部分を改良すれば良い案になります。
ジャーナリストはなぜ、一歩踏み込んで、改良案を提示することをしないのでしょうか?
(A)ジャーナリストは、何が足りないのか、
ということを指摘するのが役割です。

ジャーナリストが対案を示して、それに向かって
導こうとするならば、それはジャーナリストではなく、
「政治家」のすることです。

つまり、ジャーナリストが答えを持っていてはいけないのですよ。
答えるのは、政治家であって、
疑問を出すのがジャーナリストの役割なのです。
答えを持っていることは、「予断」を持っていることです。
自分の思っている方向へ導こうとすることです。
それは、政治家のすることです。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございました

お礼日時:2014/11/21 21:43

#6,8です。


#6の補足を拝見しました。

>「いや」とだけいうのは、(no.6様の言葉を借りるなら)エゴの塊が背景にあるような気がします。
もちろんその通りです。
国民一人一人のレベルの話であれ、ジャーナリズムのレベルの話であれ、国民一人一人が政治から最大限かつ平等に利益が行き渡っていないから批判するのであって、背景どころかエゴが原動力です。
エゴもなしに批判していたら、単なる天邪鬼です。

>残されたロジックは「現状維持」か「代案、対案」しかないですよね。
いいえ。
すでに#6の回答にありますが、何のために政治家や官僚がいるのでしょうか。
論理的に考えれば「自分の要望が満たされる解決案を他の人に考えさせる」の選択肢が抜けていますよ。
そのために投票して税金を払っているのですから。
それは私たちも日常生活で行っていることであり、僕はいつも料理を例にするのですが#10さまが分かり易い例を出してくれている通りです。

何かを議論するとき、バカの提示する対案というのは、それに対立する利口な人間にとって、とても都合がいいです。
なぜなら、ただひたすらに対案を潰していけばいいのですから。
その対案とやらが常識や良識どころか、法律や憲法に反している、現状を正しく理解していないのなら論破は簡単です。まさに官僚無双(強い奴が弱い奴を次々なぎ倒していくゲーム)でしょう。

幸いにして日本では、国民は憲法に規定された権利を認められています。
「私の幸福のためになんとかせよ」というのは、立派な権利です。
何も対案なんてものを出して、具体的に対策を指定なんかして、選択肢を狭めなくてもいいのです。

もちろんですが計画者、実行者である政治家レベル、官僚レベルの議論は批判する以上は対案が必要です。

この回答への補足

政治で例えると、政治家官僚レベル、ジャーナリストレベル、有権者レベル、などと立場の違いで言える内容が変わるということでしょうか?
ジャーナリストは政治家と有権者の中間という立ち位置なんでしょうか?

補足日時:2014/11/19 21:18
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2014/11/19 21:18

それがジャーナリストとしての本来あるべき姿だということなのだとおもいます。

ある意味納得できます。何の批判なのか対象がはっきりとしませんが。

例えば映画。「つまらない・駄作」と評価したとして、監督が怒り出して「じゃ、どうすりゃ面白くなるんだ、お前作ってみろ」とキレるのが妥当かどうか。どうすれば面白い映画を作れるかわからない、批判されないようないい映画にしようという気がない、人に言われたことしかできないような人なら監督になる資格はないと思いますし、どうすれば面白くなるか監督より詳しいのだったら、ジャーナリストではなく監督になった方がいいでしょう。

政治でも同じです。政策を批判されて対案を出せなどと言い出すのなら、その人は政治家としての資格は薄いと思います。よりよい政策を作ろうそういう姿勢のある人が政治家になってほしいと思います。逆に、言われたことしかできない、対案のない批判を言うことを許さないというような、言論の自由を奪おうとする考えの人なら政治家になってほしくないです。


どんな職業でも一緒ですが、「批判するなら対案を出せ」「対案を出せない人間は批判をするな」というのは、プロ意識が低い人のように感じます。

ただ一方で、監督同士や政治家同士など、同業者同士の会話での批判なら対案を出してあげてアドバイスをしてあげるなどするのがいいと思いますが。

この回答への補足

政治で例えるとすると、ジャーナリストは政治家と有権者の中間という立ち位置なんでしょうか?

補足日時:2014/11/19 21:11
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2014/11/19 21:11

No.2です



(Q)ジャーナリストはいいと感じても批判するのでしょか
(A)そうですよ。
世の中、パーフェクトなんてことはあり得ない。
ならば、何が足りないのか、批判できる目が
ジャーナリストの目ですよ。

「99%は、彼の言うことが正しいと言えるが、
1%足りないのは、○○が抜けているからだ」
と、言えなければならない。

この回答への補足

ある部分が足りてないということは、言い換えれば、その部分を改良すれば良い案になります。
ジャーナリストはなぜ、一歩踏み込んで、改良案を提示することをしないのでしょうか?
それは政治家の仕事だからと線を引いているのでしょうか。
他の回答者様のの言葉を借りると、どうもジャーナリストという単語が引き起こすかっこいいイメージよりも単なる評論家という枠のような気がしてならないです。

補足日時:2014/11/19 21:05
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2014/11/19 21:41

#6です。


ちょっと僕の回答、ズレてましたね。

まぁでもどんな政策でも100点満点というものはないので、減点要素は明示した方がいいでしょうね。
そして対案についてはメディアがそれを言うと、受け手の方が思考停止を起こしてしまいメディアの対案以外に考えなくなるからではないのでしょうか。
だから仮に対案を報じるにしても、どこぞの専門家の意見を使い、ジャーナリスト自体は中立で変に民意を誘導しないというスタンスになるのではないかと。

とはいえ、直接的にではなく、間接的に誘導していると思われることは少なくないですけどね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2014/11/19 20:57

ジャーナリズムとは事実をありのまま伝えることであり、私見を含めないことにある。



週末のテレビで群れて話している愚か者は批評家であり、ジャーナリストではない。

報道にはベクトルがあることを認識しましょう。

この回答への補足

認識しました

話が脇にそれるのですが、最近心理学の本をよく読んでいます。人間は主観の中で生きているそうです。
私見というフィルターを通さないで、ものごとをみることは可能なのでしょうか?

補足日時:2014/11/19 12:52
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2014/11/19 12:52

「増税すると生活が苦しくなるからやめてくれ!」


「じゃ、代案は?」
と聞かれて、筋の通った代案を出せる人はどれほどいるでしょうか?
公務員の給料減らせ、人を減らせというのはわからないでもないです。が、具体的に何%カットすればいいか(どれだけ減らしても支障がないかの検証)を提示できる人はいないと思います。
他の税金を取れという人もいますが、その人の主張はだいたい「自分の財布に直接関連のない税金」というのが大前提です。それは果たして合理的な代案なのでしょうか…

批判することで伴う代案で、高度に検証してあるというのは稀だと思います。
そしてそのほとんどがエゴの塊や理想論です。

何のために政治家がいて、官僚がいて、国民がいるのか。
知恵を出し合うためでしょう。
(まぁキレイごとではありますけど)
特定の情報や高度の知識を持った人による代案を含んだ批判でないとダメというのは、一部の特権者のみによる支配につながります。

どうしたらいいのか分からないけど、とりあえず嫌なものは嫌!というのも大事なことだと思いますよ。

この回答への補足

問題や課題があるから、法案や議論があるのだと思います。
問題や課題を解決する「案」に対して「いや」と言うからには、残されたロジックは「現状維持」か「代案、対案」しかないですよね。
「いや」とだけいうのは、(no.6様の言葉を借りるなら)エゴの塊が背景にあるような気がします。

補足日時:2014/11/19 12:43
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2014/11/19 12:43

"ダメだとダメ出しするなら、その前提としてもっと良い案が


あるからこそ批判につながると思うのです"
   ↑
そうとは限りませんよ。
・それには、これこれの副作用や問題点がある
 と指摘することを批判する理由は無いでしょう。
 例え代案がなくても。
・問題点があるから保留しろ、とりあえず現状維持
 ということだってあるわけです。
・もっと良い案が無ければ、批判するな、という
 のはあまりに狭量です。


”もっとよい案(代案)が無いのだとしたら、根拠もなく
 批判していることになります。それは論理的におかしいです。”
    ↑
替えるな、現状でいい、ということもあり得ますから
理論的に問題はありません。


”自分の案を出すということは、矢面に立つことになりますし、
 それ相応の覚悟がいります。
 代案を出さずに批判だけをするというのは、
 感情的なことを言えば卑怯とも言えます。”
    ↑
代案があれば、勿論その方が良いでしょうが
代案が無ければ批判するな、というのはどうかと
思います。
そんなことをされては困るから止めてくれ、という
のがどうして卑怯なのか理解に苦しみます。


”代案を出さないというのはどういう話なのでしょうか?”
    ↑
現状で我慢する、思いつかない、ということです。

この回答への補足

>・それには、これこれの副作用や問題点がある
> と指摘することを批判する理由は無いでしょう。

とても楽な商売という印象を受けます

>替えるな、現状でいい、ということもあり得ますから
>理論的に問題はありません。

替えるな、現状でいい、という視点が抜けていました。
しかし、メディアを見ていると、「現状でいい」と意思表示するジャーナリストを見たこと無いという印象です。それならそうと意思表示すればいいのに、と思ってしまいます。
また、「批判(否定)※」=「現状維持」という図式で理解していいのでしょうか

※批判という言葉には、良いと評価する、も含まれるとのことですが、現状、批判には否定のニュアンスが強いと感じます。

>そんなことをされては困るから止めてくれ、という
>のがどうして卑怯なのか理解に苦しみます。

現状でいいと意思表示する必要はある気がします。
(憲法9条で、社会党などが護憲の意思表示していたのは理解できます)

補足日時:2014/11/19 12:24
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2014/11/19 12:24

野党の多くと、ジャーナリストは代案を出さずに批判だけします。



代案なんて考えるのは時間がかかりますが、批判だけなら簡単です。

ジャーナリストなんて、批判は受けたくないが、周りから注目を浴びなければ、仕事がもらえませんので、批判だけはする。と言う職業だから仕方ないのですけどね。

この回答への補足

>代案なんて考えるのは時間がかかりますが、批判だけなら簡単です。

たしかにそう感じます

補足日時:2014/11/19 12:56
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2014/11/19 12:06

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