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ラジオを聴いていたら、

(うろ覚えですみませんが)
・ジャーナリストのスタンスは批判をする
・代案は出さない

と言っていました。

私個人の感覚では、ダメだとダメ出しするなら、その前提としてもっと良い案があるからこそ批判につながると思うのです。もっとよい案(代案)が無いのだとしたら、根拠もなく批判していることになります。それは論理的におかしいです。

それに、自分の案を出すということは、矢面に立つことになりますし、それ相応の覚悟がいります。代案を出さずに批判だけをするというのは、感情的なことを言えば卑怯とも言えます。

批判というのは当然あるものと思いますので、批判自体は否定するつもりはないですが、代案を出さないというのはどういう話なのでしょうか?

A 回答 (13件中11~13件)

ジャーナリストで代案を出せるような方だったら政治家に転向しています。



なれないから政治評論家やっているんでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2014/11/19 11:48

例えば、政治家Aと政治家B、それにジャーナリストのCが


いたとします。

政治家Aと政治家Bならば、お互いを批判するだけでなく、
対案を持つことが重要です。

しかし、ジャーナリストCは、批判するだけで良いのですよ。
そのかわり、政治家Aと政治家Bと両方に対して、
批判ができなければならない。
それが、「中立」ということです。

政治家A、政治家Bは、相手の批判はしても、
身内はかばい合います。
一方、ジャーナリストは、ジャーナリスト同士で
お互いの批判もすることが重要です。

この回答への補足

ジャーナリストはいいと感じても批判するのでしょか

補足日時:2014/11/19 11:47
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2014/11/19 11:47

代案と対案の違いかなと思います



よりよいが代案だとしたら、それはダメが対案で、そこには代案はなくても良いというロジックです

つまり、反対する活動だけで飯が食べられてしまう左形態も存在しますので、論理的にはおかしく見えますが、稼げて生きていけるのですから、「よりよい=現状維持」と考える人がいます

批判というスタンスについては、長らく日本は与党が変わらず政権を維持していた歴史から、日本のマスコミなどのジャーナリストは、評価として批判する形態しか持ち合わせておらず、与野党が逆転した時にはそのような主旨が崩れて報道がメチャクチャでした


>卑怯とも言えます

魚屋に「この魚、もっとうまく料理できないのか?」と客が言います(批判)

そこで魚屋(プロ)が「じゃぁ、お前がつくってみろよ」(代案をだせ)とはならないので、代案を要求するだけが正しいとは言えません

普通、その魚屋は「じゃぁ違う店にいけよ」と言うでしょう

選挙になればそれは、「違うところを選べ」となるので、具体的な代案を持ってない候補者にも票が集まってしまうことは、おうおうにしてあるということでもあります

具体的な確定的な案もないのに、反対するだけの知事が当選するのは、そのような仕組みです
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この回答へのお礼

魚屋のたとえ話わかりやすかったです
ありがとうございました

お礼日時:2014/11/19 11:46

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