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神社の二拝、二拍手の意味を教えてください。

なぜ神社は二拝二拍手一拝なのでしょうか?

寺の参拝は合掌して一拝だそうです。

お寺の参拝方法は何となくそうなんだろうなあと思いますが、なぜ神社が二拝するのか?二拍手するのか?分かりません。最後の一拝は何となく分かります。神様によろしくお願いしますの一拝でしょう。

神社の二拝、二拍手の意味を教えてください。

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A 回答 (3件)

二拝


人様にお願い事をする際に三拝四拝と言ってペコペコ頭をさげますよね
ペコペコ頭を下げて願い事をするという習慣を儀式化しただけです。
二拍手
お相撲の土俵入りでも手を打ちますよね
何かをする前に手を打つという行動は非常に古くからある日本人の習慣です。
理由づけはいろいろされていますが、よく分かっていません。

拍手 (神道) - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/拍手_(神道)

日常的には余りお目に掛かりませんが礼手(らいしゅ)と言ってお神酒を頂く際や神饌を食べる際などの直前に手を打つ作法があります。

御神酒のいただき方
turugamine.com/omiki.html

家を新築する際の地鎮祭のあとの会食(直会(なおらい))の際に良くやられますので工務店など建築関係の方のなかには御存知の方が沢山おられます。

>なぜ神社は二拝二拍手一拝なのでしょうか?
必ずしもそうとは限っていません
神社によって違います

出雲大社での参拝マナー、間違っていませんか? - ハピズム
happism.cyzowoman.com/2013/07/post_2649.html

参拝について 八幡総本宮 宇佐神宮
www.usajinguu.com/worship.html

伊勢神宮ガイド~知っておきたい、正しい「基本」の参拝方法~ | 三重県 ...
guide.travel.co.jp/article/1760/

まぁ~おおどころがそれぞれ違っていますからいちいち拘ることもないでしょう
常識だのルールだのと言っているのは、明治政府が勝手に決めた国家神道なるものの名残りです。
国家神道などというものはもうありませんから無視しても一向に差し支えはありません。
神社本庁などという神主さんの組合が権威づけのためにマナーだのなんだのと言っているだけです。
庁と名乗っていても国家の政府機関ではありませんので誤解なきよう願います

明治の国家神道なるものが現れる以前はお寺も神社も一体でした。
八幡大菩薩とか呼ばれたり僧形八幡という彫像も沢山造られて祀られています。
この八幡様にお詣りするのに手を打ちますかね、合掌するんですかね、よくわかりません。

わざわざお参りに行って神主さんと喧嘩してもはじまりません
神主さんのテリトリー内でのことですので、神主さんが決められたことに素直に従ってください。
キリスト教の教会へ出掛けて行ってわざわざ団扇太鼓を敲いて法華経を読む人はいないでしょう。
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この回答へのお礼

みなさん回答ありがとうございます。

やはり明治時代以降の天皇崇拝から出てきたまがいもののマナーだったんですね。明治時代以前は拍手という文化が神社、寺にもなかった。寺の参拝に拍手がなく合掌の方が歴史的に正しい。神社は笑える宗教です。

お礼日時:2014/12/31 12:03

二拝二拍手一拝ですね。



明日は元旦なので、しっかりと教えますね。

1 拝殿の正面に立ったら、軽く会釈をし、鈴を鳴らします。⇒鈴鈴は邪なるものを祓う力があると考えられており、鈴の音によって邪気を払うので、きちんと音を鳴らします。
2 賽銭箱に賽銭を投げ入れます。⇒捧げものとして神前に米を撒く風習の名残り。大事な米や銭を何の代償もなしに散ずることは私欲があっては出来ないことなので、賽銭を投げることによって心の靄を祓うという意味があります。
3 二拝(2回頭を下げておじぎをする)。⇒神への敬意を表します。
4 まずは胸の高さで掌を合わせ、右手を少し下にずらして二拍手。その後、指先をきちんと合わせて祈りを込めてから手を下ろします。⇒掌をずらすのは、神と人とがまだ一体になっていないということ。二度手を打つことで神を招き、その後掌を合わせることで神人が一体となり、祈願を込めて神の力を体得するからだそうです。
5 最後に一拝をして終了。⇒もう一度おじぎをすることで神を送り返します。

と、こういった意味がありますので、きちんと行いましょう。
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二拝(2回頭を下げておじぎをする)


神への敬意を表します。

右手を少し下にずらして二拍手。その後、指先をきちんと合わせて祈りを込めてから手を下ろします。
掌をずらすのは、神と人とがまだ一体になっていないということ。二度手を打つことで神を招き、その後掌を合わせることで神人が一体となり、祈願を込めて神の力を体得するからだそうです。

だそうです。

ちなみに、神様は「お願い事」を聞いて叶えてくれるわけではありません。
自分自身の「誓い」を聞いてくれます。
自分が努力していないのに、お願い事を叶えてくれるなんて事は無いです。
自分が誓いを立て、それに努力したとき、ちょっとだけ神風を吹かしてくれるだけ。

>最後の一拝は何となく分かります。
そう??
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Q神社参拝の際、「祓い給い 清め給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?

神社参拝の際、「祓い給い 清め給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?

以下のホームページを見ると、次のような神拝詞(となえことば)があるようです。
http://allabout.co.jp/gm/gc/4971/2/

<神拝詞(となえことば)>
祓い給い 清め給え(はらいたまい きよめたまえ)
神ながら(かむながら)
奇しみたま(くしみたま)
幸え給え(さきわえたまえ)

そこで、質問です。

神社参拝の際、上記の「祓い給い 清め給え・・・(中略)・・・幸え給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?
また、個人的なお願いごとは、上記の神拝詞(となえことば)を唱えたあとに、お願いすればいいのでしょうか?

それとも、個人的なお願いごとをする場合は、上記の神拝詞(となえことば)を唱えなくてもよいのでしょうか。よく、神社やパワースポット関係の本には、参拝作法に、上記の神拝詞(となえことば)を唱えなさいと書かれていないと思います。

ただ、時々、神社に行ったとき、拝殿の御賽銭箱の近辺に、上記の神拝詞(となえことば)のうち、
「祓い給い 清め給え(はらいたまい きよめたまえ)」と書かれた表示物を見たことがあります。

そもそも、参拝の際に、神前での願い方について、何を唱えればいいか、何が正しいかわかりません。

よろしくお願いします。

神社参拝の際、「祓い給い 清め給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?

以下のホームページを見ると、次のような神拝詞(となえことば)があるようです。
http://allabout.co.jp/gm/gc/4971/2/

<神拝詞(となえことば)>
祓い給い 清め給え(はらいたまい きよめたまえ)
神ながら(かむながら)
奇しみたま(くしみたま)
幸え給え(さきわえたまえ)

そこで、質問です。

神社参拝の際、上記の「祓い給い 清め給え・・・(中略)・・・幸え給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?
また、個人的なお願...続きを読む

Aベストアンサー

私は、宗教が神道ではない者として、口を挟むつもりはありませんでしたが、書かざるをえない気がしました。出来れば、新興宗教の方は、その身分を明らかにしてほしいものです。知っている人には分かります。教義に書かれていた内容は、必ずしも一般的な情報とは違いますから、読み手は間違った認識を持ってしまいます。私自身は宗教団体には関係してませんが、生まれながら、仏教と神道の狭間で、相矛盾した中で割り切れない問題を背負って育ってきましたが、ある意味で時代に翻弄された一人だというしかありません。

昨年でしたか、大相撲の朝青龍が、手刀を切り、懸賞金を左手で受け取り、大ひんしゅくをかいました。相撲というのも、神の御前でする神事ですが、形から入り、心が入り、そして、そこに美と調和が生まれるわけです。これを「様式美」と言い、ただ、勝てばそれで良いというわけではない、という端的な例を表しています。

神社では、鳥居の前で脱帽し、礼をし、二礼二拍手一礼のマナーというものがあります。また、手水舎(てみずや)で片方ずつ手を清め、口をすすぐというのは常識ですが、直接、ヒシャクに口をつけてはいけません。今は、常識が常識でなくなってきているようです。確かに、出雲大社などでは違う作法があるところもありますが、それは注意書きが入っていたはずですし、こういう作法は、混沌としているということでもありません。明治以降、二礼二拍手一礼(二拝二拍手一拝)を一般としてしてきているわけですから、それに従えば済むことです。知らなければ、覚えれば済む話です。この作法は、明治時代に作られた「神社祭式」を根拠としています。

また、女性は、柏手(かしわで)を鳴らさないというのは、占い師の細木数子氏が言ったそうです。しかし、女性は鳴らさないというようなことはありません。柏手は、神様を呼び出すという意味を持っているのですから、死者の前(葬式やお墓)では鳴らさない時(しのび手)があるという常識さえ知っていればよいことです。また、お寺では、二礼二拍手一礼はしないということも心がけてほしいものです。

それが、いつの時代に作られたものであれ、統一されたものなら、それに従わないということはありません。マナーのひとつとして、ぜひ、守って欲しいものです。それを守らなかったら、どうにかなるということではありません。日本的な表現ですが、「美しくない」ということです。

それから、祝詞というのは、簡単にいうと、「かむながら」という言葉がある通り、「神の御心のままで」という意味ですから、もともとは、「神の言葉として上から下に申し伝える言葉」だったわけです。唱え詞(となえことば)で一般的に知られているものは、

「祓い給へ 清め給へ 守り給へ、幸(さきは)え給へ」
というものです。私は、特に参拝客が声を上げて唱えるという話は聞いたことがありませんが、神社に詣でたときに、どこかに書かれていたら、黙読し、心の中で、「清い心で、神様の御心のままに、みなを守り、みなが幸せになれますように」と祈ればよいと考えています。

なお、浄土真宗の話に触れておきます。
日本の宗教の中で、戦前戦後、妥協を許さなかった宗教であり、西洋哲学でいうなら、日蓮宗が日本型の強者の理屈を持つ宗教なら、(浄土)真宗は、それに対抗する弱者の宗教です。

浄土真宗は、現代まで靖国神社を反対している唯一の仏教団体です。ここでは、日蓮系の新宗教団体は除きます。明治政府は、事実上、仏教と神道を分離しました。祝詞を唱えると願いが叶うという発想は、空海の真言密教を起源とする両部神道であるかもしれませんが、仏教色が残るものとして、これ自体も廃仏毀釈運動によって排斥されました。

浄土真宗の「南無阿弥陀仏」と唱えることは、日蓮宗のように題目を唱え利益(りやく)が得られるというような意味合いを持ちません。念仏は念仏を唱えること自体に意味を持ちません。それは、信仰そのものの現れだと考えています。

真宗大谷派大阪教区『銀杏通信』靖国神社に対する考え方。
http://www.icho.gr.jp/faq/q_a_042.htm

明治の初期、森有礼の建白書や浄土真宗の島地黙雷僧侶が、明治政府に信仰の自由を訴えましたが、逆に神道側は、その体制を整えることになりました。

明治憲法が発布されたとき(明治23年)に、神道とは国家神道として、別格な地位を得て、「国民の道徳」としました。断じて、浄土真宗が、神道に影響されたり、政府に擦り寄り、神道に影響を与えたなどということはありません。

また、見えない霊自体を肯定するかどうかは別としても、霊体が危害を加えようとするという、オカルティズムは、私たちの一般社会には馴染まない考えだと思います。

参考:国家神道

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%A5%9E%E9%81%93#cite_note-6

私は、宗教が神道ではない者として、口を挟むつもりはありませんでしたが、書かざるをえない気がしました。出来れば、新興宗教の方は、その身分を明らかにしてほしいものです。知っている人には分かります。教義に書かれていた内容は、必ずしも一般的な情報とは違いますから、読み手は間違った認識を持ってしまいます。私自身は宗教団体には関係してませんが、生まれながら、仏教と神道の狭間で、相矛盾した中で割り切れない問題を背負って育ってきましたが、ある意味で時代に翻弄された一人だというしかありませ...続きを読む


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