見学に行くとしたら【天国】と【地獄】どっち?

人生の目的を語るのは宗教かもしれません。
しかし、キリスト教や仏教などに明確な人生の目的の教えはありません。
人は如何に生きるかということですね。
私は「人生は思い出作りの旅」と思っています。
今日、明日の一つ一つの思い出作りが幸せかなと感じます。
皆さんはいかがお考えでしょうか。

質問者からの補足コメント

  • 皆さんから、多くの回答をいただき感謝しております。

      補足日時:2015/04/05 08:15

A 回答 (13件中1~10件)

早速のお礼ありがとうございます。



口を挟む事になり、申し訳ないのですが
私が感じている事を書かせて下さい。

>しかし、そう感じていない人が多いのは、日本が如何に金銭的、物質的に貧しかったかということを感じます。

私もそう思います。
年配の方に聴くと、本当に何も無く貧しかったと言われます。
そして、その頃はとても幸せだったと。

ずっと後になって気がついたのは、今は物が溢れていて
心が貧しいのだと思います。
貧しい心は物欲を生みだします。

そう思うのは、過去の私が心が貧しかったからです。
だから物に執着していました。
物に執着が無くなっていくと、逆にお金も物も入ってきます。

執着を手放せる(諦めでは無い)と、発想が豊かになり
懐も豊かになります。

金銭欲や物欲は社会が持つのではなく、個人が持つものですから
個人の心が豊かになれば、上手く回るようにできているようです。
そういう人が増えれば、社会も豊かになったと皆が感じるのでしょうね。
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。
「口を挟む事になり、申し訳ないのですが 私が感じている事を書かせて下さい」
→どうぞ どうぞ(笑)
「年配の方に聴くと、本当に何も無く貧しかったと言われます。そして、その頃はとても幸せだったと」
→おっしゃる通りです。
「今は物が溢れていて心が貧しいのだと思います。貧しい心は物欲を生みだします」
→その通りでしょうね。
「執着を手放せる(諦めでは無い)と、発想が豊かになり懐も豊かになります」
→同感です。今の私もそうです。
「金銭欲や物欲は社会が持つのではなく、個人が持つものですから個人の心が豊かになれば、上手く回るようにできているようです。そういう人が増えれば、社会も豊かになったと皆が感じるのでしょうね」
→その通りだと思います。
40代以下の人達に「結局、世の中は金だ」「お金さえあれば何とかなる」という考えが見受けられます。これはその上の世代(私を含む)が悪いのでしょうね。

お礼日時:2015/04/02 17:00

思い出は、旅に出た後に思い起こすと中々楽しいものですが…。



死んでからは思い起こせないのでは??
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「死んでからは思い起こせないのでは??」
→その通りですね。
でも、死んでから思い出す必要はないでしょう。
自分が生きている時に思い出して楽しければ十分だと思います。

お礼日時:2015/04/04 19:46

「神が与えた目的などありません。

少なくともキリスト教信者以外には、そんなもの通じません」
→しかし、人生の目的を語る各回答者の方々、そして私もキリスト教信者ではないと思われますが。
  ↑
人権とか、民主主義などというのもキリスト教的考え
ですが、こういう概念は日本人の間にも広く行き渡っています。
神といえば、ほとんどの日本人がキリストの神を念頭において
しまうでしょう。

人生の目的云々も、キリスト教の影響の結果です。
だから、そんなもの、信者でもない人間は、無理に探したり、作ったりする
必要は無い、ということです。

ただ、合った方が面白いよ、良いと思えば、取り入れれば
いいだろう、というだけです。

似たような議論に「正義論」てのがあります。

善悪は神が定めた。だから、古今東西通じる普遍的な
正義というものがあるはずだ、として、欧米では
未だに正義論が盛んなのです。

ところが、日本は違います。
善悪など時代や立ち位置によって変わる場合がある
だろう。
それで問題ないだろう。
だから、日本では正義論は流行らないのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「神といえば、ほとんどの日本人がキリストの神を念頭においてしまうでしょう」
→日本では神といえば、神社の神と考える人が多いと思いますが。
「善悪は神が定めた」
→初めて聞きました。
「善悪など時代や立ち位置によって変わる場合がある」
→そうかもしれませんね。
経済活動や道徳面では世代によってかなり違います。
「日本では正義論は流行らないのです」
→流行らないですか。
私などは常に正議論です。
悪いものは悪い、駄目なものは駄目という考えです。
特に自由に関しては、他人の嫌がる、他人が迷惑と感じることをしても自由という人間には厳しいです。

お礼日時:2015/04/03 09:55

人として限界のある身なりに


「人間性を否定することは良くない」
くらいのことを意識において
生きたいと思っています。

人間性から遊離せずに
平和という方向を見失わずに。

そういうことを基本にしてもがくことが
何かにつながるのだと思っています。
自分にとっても社会にとっても種にとっても。

そして、その何かを体感しながら生きることが
目的と言っていいのかもしれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「人間性を否定することは良くない」
→一番大切なことでしょうね。
「その何かを体感しながら生きることが目的と言っていいのかもしれません」
→「体感しながら生きる」
 いい言葉ですね。

お礼日時:2015/04/03 09:20

世の中に「生きた爪痕を残す」ことが、人間の「動物としての目的」ではないか??と考えました。


あなたがいっている思い出とはこれのこと??
「人倫の道をのぼること」ではないか??と考えました。
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世の中に「生きた爪痕を残す」ことが、人間の「動物としての目的」ではないか??と考えました。


あなたがいっている思い出とはこれのこと??
「人倫の道をのぼること」ではないか??と考えました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「生きた爪痕を残すことが、人間の動物としての目的ではないか? あなたがいっている思い出とはこれのこと??」
→いえいえ、私が質問に書いた思い出はただの思い出です。
痕跡など残してもいずれは忘れられます。
忘れられてもいいのです。
多くの人がお墓を作りますが、それを守ってくれるのはせいぜい孫までです。
その後は無縁仏になり、墓石は撤去されるのです。
農家や地元で長年商売をしている家は代々守り続けるのですが、サラリーマン家庭ではせいぜい3代までです。

お礼日時:2015/04/02 22:31

いつまでも子供心のまま、冒険したいです。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「いつまでも子供心のまま、冒険したいです」
→同感です。
かなりのおじさんの私ですが、楽しかった小さな頃を忘れていません。

お礼日時:2015/04/02 21:47

人生の目的とか意義、なんてのがそもそも


極めてキリスト教的な考えです。

キリスト教では、神は己に似せて人間を
創ったとされています。

なぜ、似せたのか、といえば人間は特別な
存在だからです。
特別な存在だから、神が与えた目的やら意義が
あるはずだ、と考えるわけです。

だから、人生の目的は人それぞれで、俺はこう考える、
文句あるか、では答えにならないのです。

神が与えた普遍的、客観的な目的意義があるはずだ
ということになります。


”皆さんはいかがお考えでしょうか”
     ↑
神が与えた目的などありません。少なくとも
キリスト教信者以外には、そんなもの通じません。

ただ、目的が有った方が、人生楽しいことも確か
です。
だから、目的を創った方が、というだけです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「人生の目的とか意義、なんてのがそもそも極めてキリスト教的な考えです」
→そうですか。知りませんでした。
「神が与えた目的などありません。少なくともキリスト教信者以外には、そんなもの通じません」
→しかし、人生の目的を語る各回答者の方々、そして私もキリスト教信者ではないと思われますが。

お礼日時:2015/04/02 20:25

こんにちは。

私もよく、人生の目的について考えます。
ほんの持論ではあるのですけれども、
私は人生は死ぬためにあると思っています。
死は、誰もが若いうちは受け入れられない恐ろしい存在であり、
それを自分自身が受け入れるための時間だと思っています
その為に、様々なことをして自分とは何かを知り、満足行くまで探り続けることが私にとっての人生の目的と、今は考えております。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「私もよく、人生の目的について考えます」
→そうですか。
「人生は死ぬためにあると思っています」
→なるほど。
「死 それを自分自身が受け入れるための時間だと思っています」
「様々なことをして自分とは何かを知り、満足行くまで探り続けることが私にとっての人生の目的と、今は考えております」
→死という結論から遡っていくと、そういうことかもしれませんね。
でも、その「探り続ける」プロセスは楽しくなさそうですね。

お礼日時:2015/04/02 20:17

のんべんだらりと毎日楽しく居たいってところでしょうか。



何時かは死にますし、今まで3,4回は事故や病気で本気で死ぬ寸前まで行ったことがあるのでもしあと数日の命だとしても
「ああ、あのときは楽しかったな、この時は大変だったな」
と、どんなことも思い出になるように日々やれることをやってるだけです。

宗教にはまっても大変な人生送ってる人を何人も身内で診てるので、むしろ教えも教義も関係ない
ゆるーい人生でいい気がしてます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「のんべんだらりと毎日楽しく居たいってところでしょうか」
→いいですね~。
「あと数日の命だとしても ああ、あのときは楽しかったな、この時は大変だったな」
→私も同感です。
「宗教にはまっても大変な人生送ってる人を何人も身内で診てるので、むしろ教えも教義も関係ない
ゆるーい人生でいい気がしてます」
→そうですね。
立身出世を夢見ても、見なくても、過ぎて見れば大した差はありませんからね。

お礼日時:2015/04/02 17:54

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