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お恥ずかしい話なのですが、わたくし今まで戒名とか法名については一般的にネットで載っている「お釈迦様の時代には戒名は存在しなかった」って説を信じていたんですが、つい先だって『律蔵』大品の解説書を読んでいたら「舎利弗(サーリープッタ)」って本名じゃないようなんですよね。はぁーそうなんだと思って読んでいたのですが、その時思い出したのが『スッタニパータ』の中でも「ニグローダ・カッパ」って名前もお釈迦様がつけたって書いてあるのを思い出しました。
 だだ、『スッタニパータ』の注釈文献なんかには「阿羅漢果を得た記念にニグローダ・カッパと名付けてくれた」となっているようで、入門の時名前を変えたわけではないともいえます。確かに『中部』なんかでも、「初転法輪」のところで、五比丘が「ゴータマさん」とか「同輩」みたいな呼びかけをしたら、お釈迦様が「如来に対して、悟る前の呼び方をしちゃだめよ」ってとこがありますから、悟ったら名前を変えるってこともあったのかもしれません。(ただ、ニグローダ・カッパの場合、阿羅漢果を得た記念に名前をもらっているとしたら、『スッタニパータ』の「ヴァンギーサ経」の中で「ニグローダ・カッパは輪廻してるのか、していないのか?(要約)」みたいな疑問は生まれないと思いますがね)
 そうなるといろいろ疑いだしてきて、(1)仏弟子の名前って本名なんですかね?本名じゃないなら、私たちが知っている名前はあだ名ってことになるわけですが、このあだ名は誰がいつつけたんですかね?

 また、確かに「戒名」なる言葉に関しては、パーリ・サンスクリット等においてそれにあたる言葉はないわけですが、戒名という名前ではないにしても『増一阿含経』や対応の『増支部』には「釋子と名乗んなさいな」ってことはありますし、戒名の原型のようなものはあったんじゃないかと思うわけです。ですので、私の中でもう一度考え直したいのですが(2)最初にあげた「お釈迦様の時代に戒名は存在しなかった」という一般的に信じられている説って誰がどのような論拠をもって提唱したんでしょうか?論文等々を探しても書いてあるものが見つからなくて困っています。こんな本で読んだとかあったら教えてください。

 戒名等々に関してはほかにも多くの問題をはらんでいることは重々承知していますが、今回は文献的なところを中心でお願いします。恥ずかしながら、初期の経典を読むのは好きなんですが、いかんせんそれをどう解釈していけばいいかというノウハウに乏しくて、、、とほほです。お分かりになる方よろしくお願いします。

質問者からの補足コメント

  • へこむわー

    どうも私は文章が下手なので文意が伝わらなかったようで自分の未熟さを感じます。今一度、端的に質問だけここに書き直します。

    (1)釈尊在世当時の仏弟子たち(例えば、十大弟子等々)の名前は本名であるのか?本名でないのであれば、いつ誰がつけた名前であるのか?

    (2)現在ネット上で「戒名」について検索すると「お釈迦様の時代に戒名は存在しなかった」と書かれているものをよく見かけるが、この説は誰がどのような論拠をもって提唱した説なのか?書籍や論文等があればご教授願いたい。

    この二つの質問に対して答えをお願いします。

      補足日時:2015/06/24 16:30

A 回答 (5件)

こんばんは、baka-hageさん



検索したら、下のようにありました。ただ《沙門釈子(しゃもんしゃくし)》(出家者として平等なシャカムニ仏陀の子)とのみ称す。
お釈迦様は、平等を目指したようです。
今の仏教は?戒名はお金の多さで?

http://www.bunet.jp/world/html/busshin/13_08/200 …
☆大河は大海に至れば、以前の名と姓とを捨てて、ただ<大海>とのみ呼ばれるように、四つの階級、<バラモン>・<クシャトリヤ>・<ヴァイシャ>・<シュードラ>は、如来の説き給うた法と律とにおいて出家したならば、以前の名と姓とを捨てて、ただ《沙門釈子(しゃもんしゃくし)》(出家者として平等なシャカムニ仏陀の子)とのみ称す。(『律蔵』四、「小品」)

http://blog.goo.ne.jp/fukujukai/e/08c03f79c2f70e …
☆戒名の起源には三つの説があります。「釈尊帰一説」、「中国習俗帰源説」、「印度発展説」です。しかしいずれにせよお釈迦様の弟子になった証拠に戒名をつけるという点は共通です。

参考までに三つの説を書いておきます。
ア、まず釈尊帰一説です。お釈迦様の時代、出家して戒律をうけるとみな釈という姓にしました。
『増一阿含経巻二十一』に「たとえばもろもろの大河あり。いわくガンガー、ヤムナー、アチラヴァテー、サラブー、ミヒーなり。これらは大河に至らば前の名姓を棄ててただ大河とのみ号す。かくのごとく、バハーラーダよ、クシャトリア、バラモン、ヴァイシャ、シュードラの四姓あり。彼等、如来の説くところの法と律とにおいて出家せば前の名姓を棄ててただ沙門釈子とのみ号す」とあり、また『高僧伝巻五道安伝』には「初め、魏晋の沙門は師によりて姓となす。故におのおの同じからず。道安もって大師の本釈迦より貴きはなしとし、すなわち釈をもって氏に命ず。後に増一阿含を得るに果たして称せり。四海に入りてまた河名なし。四姓沙門となり皆釈種を称すべしと。すでにはるかに経て符す。ついに永式となす」とあります。

イ、 次に中国習俗帰源説です。中国では古来名のほかに字(あざな)ももっていてこれを戒名にしたとするもの。湛然は荊渓に住んでいたので其の居場所をさして「荊渓」といわれました。他にも「南嶽」「青原」「百丈」「黄檗」「天台」「慈恩」などおおくの例があります。

ウ、3番目の印度発展説は、戒名は経典の「授記」の思想から発展したと見る説です。これは将来、佛号、法号を授けられて佛になることを保障することをいいます。教団にはいり仏弟子となれば階級差別の激しいインドでも平等に佛号をさずけられたのです。法華経法師品に「仏前において妙法蓮華経の一偈一句を聞いて、一念も随喜せん者には、我また阿耨多羅三藐三菩提(正覚)の記(佛号、法号)を与え授く」と法号授与の資格まで示されています。日本史上最初に聖武天皇が「勝満」という戒名をつけられたのもこのためかと思われます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。なるほど、そういう三説があるんですか。
1)釈尊帰一説
 これは、真宗系で使われる「釋号」の原型として知られるものですが、果たして戒名の原型となりうるものかは難しいところです。『増一阿含経』でそのように説かれており、対応するパーリ『増支部』にも同様の文章があるようなのですが、私はパーリ語素人で見つけられない現状です。ですので、漢訳の「沙門釋子」が、パーリではどうなっているのかが問題になってきます。そんな分からない私が、気になるのが『テーラーガーター』で、仏弟子ヴァンギーサ尊者が自分自身の事を「ゴータマよ」と自問自答し、アナン尊者に「ゴータマよ」と呼びかけるところがあります。これが『増一阿含経』でいるところの「沙門釋子」ではないかと分からないなりに考えていて確かめたい部分です。もし、『テーラーガーター』のヴァンギーサ尊者の「ゴータマ」なるが言葉が、『増一阿含経』の「沙門釋子」と同じ意味であるならば、これは戒名の原型にはなりえないと思うのです。『増一阿含経』の文章は、四姓制の名を捨てるということは言えても、ヴァンギーサやアナンなる名前がある上での『沙門釋子』は戒名にはなりえないのではないかと思います。
2)中国習俗帰源説
 これに関しては、確かに戒名との関わり合いは深いように思います。しかし、これは戒名の原型というより、その発展過程のように思います。この説を採用されている方は、サーリープッタやニグローダ―・カッパのような、名を改めた、もしくはお釈迦様につけてもらった直弟子たちの名前があることを無視して、中国に起源を求めるのはいかがなものかと思います。もちろん「戒名」なる名前は中国産でしょう。
3)印度発展説
 これは授記思想からきているって説も確かに面白い。燃燈仏授記の物語においても、確かに儒童梵士(前生のお釈迦様)に燃燈仏が「君は将来釈迦仏になるぜ」って言ってますからね。しかし、サーリープッタやニグローダ・カッパが授記としての名前かどうかを考えると、ちょっと難しいですかね。ただ、パーリ聖典にも登場する未来仏である弥勒仏なんかについて考えると、仏の時も菩薩の時も名前が同じだから、関係性はあるのかな。しかし、この説も直弟子に適用できるかは難しいところですね。
いろいろ、参考になりました。ありがとうございます。このあたりを手掛かりにしてみます。

お礼日時:2015/06/25 10:35

ただの印象、でしかありませんが十大弟子の名前は戒名ではないでしょうか。


あだ名と云うよりもやっぱり戒名とした方が無理のない解釈のように思いますが。

質問文から、その趣旨はしっかりと読めとれますので、回答、いや解答したかったのですがなんせ無知だから、ただの印象しか言えないのが残念です。

問題なのはネット上などで「お釈迦様の時代には戒名は存在しなかった」との説があると云う事のようですが、この場合の"戒名"がどのような意味で取り扱われているか、ですね。

釈尊の時代と今では戒名なる言葉の使われ方が違ってきてはいませんか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>>問題なのはネット上などで「お釈迦様の時代には戒名は存在しなかった」との説があると云う事のようですが、この場合の"戒名"がどのような意味で取り扱われているか、ですね。
>>釈尊の時代と今では戒名なる言葉の使われ方が違ってきてはいませんか?
 ここでは、戒名=死後戒名の事ではないかということですよね?確かに、ネット上で最終的に否定したいのは死後戒名の事です。しかも、問題は金銭的な問題で、その文章の趣旨は戒名どうこうでは実はないこともわかっています。
 しかしながら、その論理展開を一つを例に挙げれば、
(1)お釈迦様の時代には戒名なんて存在しなかった

(2)戒名は中国でできた

(3)死後戒名は日本の風習

結論、このように戒名はお釈迦様の教えではないから必要ない
となっています。しかし、サーリープッタやニグローダ・カッパという名前に関して考えみると、(1)と(2)の前提が間違っているわけです。
 また、こんなのもあります。
(1)お釈迦様は死後を説いていないし、戒名もない

(2)死後を説いたのはのちのボーズども

(3)そのボーズ達が死後戒名をつけるに至る

結論、このように戒名はお釈迦様の教えではないから必要ない
となったますが、お釈迦さまは『スッタニパータ』読んだって死後について語ってるし、『スッタニパータ』最古層を読んだって死後の輪廻を前提にして説います。(1)(2)の前提は誤りです。いまだに「釈尊は死後を説かなかった」という宇井伯寿先生や和辻哲郎先生の影響を感じますが、けどこの「釈尊が死後を説かなかった」ってのも「現代人が理解しやすい仏教」であって「仏教の現代的理解」とは似て非なるものだと思うんですよ。
 そんなことを考えているときに戒名の否定も決して学問的ではない理由(金銭的な問題)なんだなぁってことを思うわけです。にもかかわらず、学問的な顔をして「戒名はお釈迦様の教えではない」ってのは気にくわない。なら、素直に「高い」「お金払いたくない」っていう人の方に共感します。
 ですから、この問題って結局はやっぱり金銭的な問題なんですよね。これからの私を含めた仏教界の課題です。どうもありがとうございました。

お礼日時:2015/06/25 11:54

こんばんは。


 ぶらげろと来たら どこか棘のある投稿をすると決まっているようなのですが。

 ★ 「初転法輪」のところで、五比丘が「ゴータマさん」とか「同輩」みたいな呼びかけをしたら、お釈迦様が「如来に対して、悟る前の呼び方をしちゃだめよ」ってとこがありますから、悟ったら名前を変えるってこともあったのかもしれません。
 ☆ ここで、問題はですね。誰がいつどのように変えても名前を変えることに何ら問題はないと思われます。思われますが ひるがえって《悟りを得た人には 悟る前の名で呼んぢゃだめ》という命題についてはその根拠を明らかにすること。ではないでしょうか?

 漠然と心機一転なのだということでしたら 理論としてはこのご質問に意味はない。となりませんか?

 むろん それでも問い求めることには まったく問題はないでしょうが。そして それへの参加は 人それぞれ自由であるのだと。

 つまり ブディズムのよさとは関係ないことを尋ねていらっしゃる。戒名・法名は どうでもよい。これが 理論ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

御無沙汰してます。こちらにいらっしゃったんですね?教えてgooが新装開店してからお顔が見えないので、他のサイトへ移られたのかとさびしく思っておりました。回答ありがとうございます。
 回答の意図は読み切れないところがございますが、
>>つまり ブディズムのよさとは関係ないことを尋ねていらっしゃる。戒名・法名は どうでもよい。これが 理論ではないでしょうか。
確かにおっしゃることは何となく分かります。しかし、この質問は私としては一昔前の仏教学に対する疑問でもあります。一昔前の仏教学においては、「これは釈尊の教え」「これはあとからの付け足し」という見方が多くありました。もちろん、これにも経典的論拠や考古学的論拠、文献学的論拠があるのでしょうし、そういった研究によって私の受けた恩恵も計り知れません。しかし、その論文等を読んでみると自分の理解できるところだけを切り張りしているにすぎず、自分の理解できないものは後代の付け足しと切り捨ててしまう。それって結局「自分が一番仏教を理解している」という思い上がりでしかないのではないかと思うわけです。その中で、戒名等の事については大変ないがしろにされていたことの一つのように感じます。
 ですから、仏教を理解していない私には戒名・法名がどうでもいいとは思えない。それが、どのように生まれどのような経緯をたどったのかは大変興味深いとも思うのです。確かに「ブディズムのよさ」ではないかもしれない。けれども、仏教学的に研究の価値のないものではないということです。

お礼日時:2015/06/25 09:29

本来の戒名あるいは法名とは、仏弟子につける名前。



しかし、仏弟子でなくても死んだらみな仏弟子という扱いで、死亡した時に名付ける習慣になったのだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。しかし、私の文章の拙さのために文意が伝わらなかった様で申し訳ありません。ご自身のお考えを述べていただいたところ申し訳ないのですが、私の必要とする回答は含まれていないようです。

お礼日時:2015/06/24 16:54

戒名は、仏弟子となり得度を得た修行僧が、法主から戒名を頂くものです。


宗教・宗派によっては戒名無しの場合が有ります。
日本では、国民の今でいう戸籍を作る為に江戸幕府で各寺院に割り当てました。
こうなれば寺院も商売です。
葬式の時に附ける戒名は高い布施を取るのが主流となりました。
寺を経営するにも経費が必要です。
現在では有名な「創価学会」は戒名は附けませんし、白木位牌も葬式の時だけです。
その為に過去帳が有ります。
本部長以上の役職を持った学会員(儀典部)が、導師を務めます。
勿論、無料です。
参列も、香典とかは必要が無く、気持ちでシキビ代くらいです。
会員の皆が、一緒になって唱題するだけです。
葬式の費用云々は式場だけの経費だけです。
後は、参列者の食費や、精進落とし等の費用となります。
仏壇も、浄土真宗から比べると質素なものです。
仏壇は、御本尊を祀る為で、故人を祀る場所ではないのです。
遺骨は、仏壇ではなく、段を少し下げて祀ります。
納骨も家長の判断で、家で祀るのも構いません。
戒名代に何十万・何百万も出して、故人が喜ぶかどうかです。

現在では、法華経は正法・像法・末法で区別すると、末法の時代です。
なお、日本では法華経を唱える宗派は3,000を超えると聞きます。

最後に、日蓮が日本に法華経を広めました。
この為に、何回も法難にあっています。
法難での悪人は、良観が始まりです。
法華経は、元々武士のみが許されたお経です。
少々、横道にそれました。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。しかし、私の文章の拙さのために文意が伝わらなかった様で申し訳ありません。一生懸命書いていただいたようですが、私の必要とする回答は含まれていないようです。

お礼日時:2015/06/24 16:40

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