電子書籍の厳選無料作品が豊富!

『暖かい家族④』


ある勤勉な青年は沢山給料がもらえるように残業も惜しみなくこなしていた。
しかし、何年か経過すると彼の経済力が良くなるとは裏腹に、借金が出来てしまった。

友達に気を使って「社会の税金」として奢っていたのに、
誰に相談しても借金の手助けをしてくれず、
お金がなくなるとお金を求めまわり、
愚痴っぽくなってしまったのである。

母はお坊さんの説法のメモを読んで聞かせた。

「幾ら収入があるかは重要ではない、幾らあまるかが重要である」
「わが子よ、沢山もらえるのに少ししか余らないというのは
、笊(ざる)で水を掬うようなものよ。
籠(かご)が水の中にあるときは、笊に水が満ちているのに、
笊を水から上げると、水が残らないの」

「でも、少なくもらえても沢山あまるというのは、
茶碗やスプーンで水を掬うのと同じよ。
茶碗やスプーンが水の中にあるときは、水が満ちている。
水から上げてもまだ満ちているわ」

「我が子よ、徳は何も助けてくれないと言ったね。幾らお布施を幾らしていますか?」
「1年で2.3000バーツになります。」
「良い事だわ。次々にお布施してください」
「でもね、借金が一杯あるということは、破滅への道へ給料を払っているの」
「今死んで地獄に落ちなければ幸いよ、破滅への道は急いで止めないと、
誰も破滅への道に夢中になっている人を助ける事ができないわ」

破滅とは繁栄することなく衰えるもの。
自分で即にそれらを引き止めなければ仕方ないのである。
人は誕生日にお母さんのお乳を思い出さなければならないのに、
お酒を思い出してしまうとはどういうことなのか考えてみなければ。

友達や強制されていない女性たちにお酒を振舞うより、
育ててくれた母に礼拝した方が良い。
母と同様に女性の価値を見下していると徳を積むことが出来ない。
母親は子供を育てる時には教育費を払うための苦労を沢山したので、
お布施を十分に出来なかったのである。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

恋愛は博打に似て、投資になるか勉強代となるか、破滅するかである。
仲間と会して「支払いは個別で」「割り勘」にするのは妥当かもしれません。

しかし、良い聞き手や労わったり慰めたり、微笑んだりの存在にお値段つけられない。
結果破滅に至るにしても!?
過程での感謝は忘れてはいけない。それも人徳として得るものなはず。

奢るのを「社会への税金」と捉えるのをどう思いますか?
日本でも昔は男性が女性に奢るというのが一般的であったようですが、
今はその習慣があまりないのは何故なのでしょうか?

A 回答 (4件)

登録したばかりで、プロフィールまで考えが至りませんでした。

聞いてくれてありがとう、私は男性ですよ。
ニュースを見ても、人生の博打がうまくいかなくて、精神を病んでしまう人が多いようで、事件が絶えませんね。自分の生きようとする意志が失われるというのは怖いことだし、集団の中から生贄を出すような狂気もまた怖いですね。変な価値観や道徳観や性についての見方をすり込まれてしまうと、他人を物として見てしまう傾向があるんでしょうかね。
何といっても、人は物事の動きを純粋かつ正確に見ることはできないから、いろいろな面で余裕が無いし、目的や価値観をもって見てしまう。これに尽きるのかもしれません。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

時代が生贄を欲している?
哲学に負けセンス?損も利益の調節となれば嫉妬しない。
これが普通に無理っぽらしくて、だから理解されなくて
感情と感覚が正常でも嘘つき呼ばわりされます。

逆説のような哲学を語ると成績を下げることになる。
出世や名をあげることからも無縁になる孤独になれる(苦笑)。
でもそれが幸いして妙なレッテルも貼られない(誰も見ない)ので、
言いたい事が自由に言える環境となってる。
博打は勝つものじゃないから、それ自体を楽しむためにしときます。
あこりんさん気前のいい男性ですね。ありがとう。

お礼日時:2015/07/09 14:00

教育にお金がかかることも改善されつつあるわけですね。

できれば短大や専門学校までは無料で行きたいなあと、高校生だった頃は思ったものです。私は放課後と土日だけ働きながら高校へ通わせてもらったものですから。それも嫌味を言われながらでしたけどね。

税金はよく払いましたねえ。当時は甲種を選択して高い税金を払いましたよ。そのほか、取引先の社員の方ともせっせと付き合いに参加して、友好的な関係を築いたけれども、それでも結局この会社はダメだと判断したときには、もう辞めるしかなかったですね。それでも辞めてからも取引先だった社員のかたからは、近くに来た時に連絡を頂いたり、一緒にご飯を食べたりはしてましたね。仕事をするってことは、つまり博打なのではないかとも思ってました。

下品、中品、上品ですか、私は中品までは行ったんですが、みずからドロップアウトして下品になりました。当時の悪いもん勝ちの世の中に、隷従しようとは思わなかったのです。なぜだかわからないけれど、当時はディオゲネスになりたいと思っていたので。だけど今考えると、隷従してた方が楽に稼げたのかもなあと、時々思い出しては考えることがありますよ。

日本の価値観についてなんですけど、残業しないやつは社員の資格が無いとか、倒れるまで働くのが名誉だとか、子供を優先するやつは仕事ができないだとか、そんな考え方が蔓延しているうちは、救いようがないですねえ。選民思想は世界中どこへ行っても通用するわけないのに。なんか愚痴っぽくなってしまいました。

私はギャンブルをやっていた頃は、つきがいいので賽銭もしていたのですが、今はもうギャンブルはやらないので、賽銭もしないです。ある意味、賽銭ってギャンブルのお守り代金なんじゃないんでしょうかね。男性が女性に奢る習慣も、もしかしたらギャンブル的な志向があったんじゃないかな、なんて。

なかなか回答が来ませんねえ。答えにくいというのはアリかもしれないですね。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

仕事は博打の要素も保険の要素もあって継続も潔さも用法次第。
信頼の価値保険はその後も有効(友好)だったんですね。
人は物や動物じゃないからな。

ディオゲネスとは渋い自由感!あこりんさんは女性ではないの?

選民思想=社畜思想? 
日本人は個性よりも属性への協調性とか忠誠とか、修行とか、奉公とか
根性とか忍耐とか努力とか・・・好きなんです?
ミャンマーに行ったことがある人にきいたところそんなものなく(笑)
朗らかに貧しかったそうです(笑)
欧米でも回りを説得させる自己主張が出来てこそらしいし。
日本は変態ばっかりです(笑)

科学的にも電子の行動パターンの観察で、観察者の意識が反映されたかのように電子が動くことが観測される(観察者効果)だとかあるから、意識のネットワークの交通がスムーズに行かなかったのですかね。

それか洗脳ですね。洗脳教育は意識の可能世界を
狭めさせるから(否定し自由を奪ってストレスを与える)。
そして褒める!そうすると解放されたかのように
信じるようになるんですってぇ。

相手の立場になって考えられない人は賢いのじゃないよ。
「人に人であれ」といいながら自分は人にもなれてないお馬鹿さんです。

お礼日時:2015/07/08 19:25

みこでしさんこんにちは。

ご質問の物語は外国のお話のようですね。そちらのお坊さんの環境では、個人のスプーンに貯めることが大切なんだと語っているみたいですね。しかし日本を例にあげるならば、スプーンに貯めた小銭では進学できないかもしれない。就職したとしても、人脈作りに投資、あるいは自分の脳力開発に投資しなければ、真面目に勤めていてもリストラされるかもしれないです。また、職場内の良いかかわりを作るために、周りの人たちが自分と同じ考えであることを期待して、奢り奢られが成立すると思いきや、そうではなかった場合には、別の環境へ引っ越さなければ、事件にもつながりますね。おおかた日本では国民同士で育て合う余裕が無いのではないでしょうか。

私は人生そのものが預かりものだから大切に生きなければならないし、人生とは人とのかかわり合いに他ならないとも考えていますが、はたしてこれからもその考えは通用するんでしょうか。私にもわかりませんねえ。

人とのかかわり合いとはなんだろうか。それは奢り奢られ、お祝いしお祝いされ、慰め慰められ、ゆずりゆずられ、ではないだろうか。むしろそれが行われなかったならば地獄であろう。その中で借金ができたならば、それは社会活動の一環として捉えなければならない。すなわち借金は個人の問題ではなく、社会がそれを求めた、あるいはそれを容認した経緯があるだろう。ただし個人はその経緯を話し、第三者は社会の時勢を闡明しなければならない。

しかしながら、個人にも責任が無いわけではない。では借金を返せる人と、返せない人の違いは何だろうか。
返せる人は、借金が必要な用件が済んだならば、それ以上のことに手を出さず、返済計画をこつこつ実行する人ではないだろうか。
返せない人は、個人の利益を求めるがあまり、儲けそうな事に次々と手を出し、返済に考えが向かない人ではないだろうか。あるいは寂しさにとらわれる心の病なのではないだろうか。または無計画な夢物語に生きているのではないか。

この違いとはすなわち、人生が預かり物であるがゆえに、財産も預かり物であり、個人の一生の間だけの預かりにおいて、強欲を持たない人と、
反対に、人生も財産も個人の所有と考え、自分が所有することに強欲を持つ人。その違いではないだろうか。

お釈迦様は繁栄よりもむしろ個人的には破滅を望んでいたような気がするけど、私の勘違いかもしれません。ちなみに、この世は神仏が博打をした結果であるかのような気がしてならないのです。なかなか答えは見えてきませんねえ。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

あこりんさん、遅れたけどお待ちしておりました、ありがとうございます!

教育にはお金がかかるというのも改善されてきています。
税金から出される奨学金にも色々あって、返済不要のものまである。
投資するほどの素養が認められればなんですけどね。

それに中卒や高卒でいい会社に入らなくても大人並に働いて
「労働の義務」を果たし教育費に使われる税金も出してくれている。
納税者は生産者であると同時に自腹で行政にお小遣いをあげてる支援者です。
仕事は自分の生活以外に人のためにも世のためにも必要な事だから


江戸時代には下品(げぽん)中品(ちゅうぽん)上品(じょうぽん)
に分けた価値基準があったそうです。
下品は路上や公共の場で食べ物をほおばったり、肉体的快楽を追求すること。
中品は書道や俳句、算盤などの習い事をすること。
上品は世のため、人のための活動すること。

マズローの低次欲求に明け暮れる人は「下品」、納税者は「上品」で、
良家に生まれ高級品で身を固めて立派な論文が書ける頭があっても
人間としてまだ「中品」ということになりますね。

私の納税額は極めて少ないので、容姿と同じで下品(の「上」をつけたく)。
所得の半分は天引きされ、
技術協力、社員教育、家庭サービスもこなすサラリーマンとか上品すぎです!
余裕ぶっこいてる奴ほど品を落としてやる!というのがこの質問の趣旨です。

あんまり回答ないかなぁ・・・。

お礼日時:2015/07/07 18:24

"奢るのを「社会への税金」と捉えるのをどう思いますか?"


     ↑
奢るのは、自分が気持ちよくなりたいからです。
優越意識を味わいたいのです。
金もないのに奢るのを分不相応といいます。
貧乏人には課税されません。
だから、奢るのは社会への税金ではありません。
格好つけているだけです。
格好つけた生活をしていると、貧窮します。


”日本でも昔は男性が女性に奢るというのが一般的であったようですが”
          ↑
男の収入の方が、女性より多い、あるいは女性には
収入が無かったからです。


”今はその習慣があまりないのは何故なのでしょうか?”
     ↑
女性の収入と男の収入の間の差が小さく
なったからです。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

たんぞうおじいちゃんありがとうございます!

私は男性ばかりに負担させるようなことはしないですよ。懐次第ですけど。

男性から「高級寿司を奢れ」と催促されたことがありあますが(結局奢らず)
私に優越感を味わって欲しかったのでしょうか??
女に高級を奢られるカッコイイ男?
お互い分相応に回転寿司という話ならわかるけどな。

強制ではないチップの習慣は、基本料金に入れとけば済む話で、
奢りの習慣は「社会の税金」というより
資本主義の理念とする「格差維持」かもしない。

お礼日時:2015/07/05 20:33

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す