「一気に最後まで読んだ」本、教えて下さい!

それじゃ、
お盆以外に、普段、仏壇に毎日、お祈りしている、父は、何に、お祈りをしているのですか?

一体、魂は、普段どこにいるとか、どういう風に道理を考えればいいのでしょうか?
日本文化、いや違いますね、宗教により違うので、

迎え火をたく宗教は、お盆の間しか、仏壇にご先祖様(仏様)が降りてこないのでしょうか?
宗教で決められていることをただやればいいんよ!!って、
言われると思いますが、それぞれ宗教で、やることも違うし、
きちんと理屈にあったことを知りたいのです。なんとなくそうなっているんだから、それでいいじゃん。とか、何のためにやっているのかもしらず、単なる世代の引継ぎで、もくもくと続けるなんて、アホじゃないんだから、理由をしっておきたいのです。


※何度も書きますが、お墓には、魂は、一度もいきません。骨を置いておく場所なだけ。=2人のお坊さんから聞いた話。
だから、お墓が一番、霊がいない場所だそうです。

A 回答 (2件)

63歳主婦です。



多分、私の想像ですが、お父さんは、仏壇を通して、自分の中に

○○家(貴方の家)として伝わっているご先祖様に対して

手を合わせておられるのだと思います。

その手を合わせる対象として仏壇があるのでしょう。

魂は、五感(目、耳、鼻、口、皮膚)の現象世界の中で生きてる

私たちには見えません。

だからと言って、魂が無い、、ということではありません。

心、、、は、見えませんよね?

でも、心があることを私たちは、知っている。

それと同じことです。

魂は、目には見えませんがあるのです。

そして、世の中の多くの人が、

仏壇に向かって手を合わせることをしない。

普段、ご先祖様に手を合わせることをしない人であっても、

お盆の時には、迎え火を焚いてご先祖様と自分たち子孫が

繋がっている、、ということを知るのが迎え火なのでは

ないでしょうか?

魂は、別にお墓にはいないでしょう。

ご先祖様の魂は、常に「子孫である私たちの側」におられる

のだと思います。

霊(魂)が見える方の話によると、ご先祖の魂は、

常に私たちのそばに寄り添っておられるそうです。

そして、私たちが、危険な場所に行こうとすると、魂は、必死になって

「そっちには、行ってはいけない。危ないよ!!」と

必死で止めようとしてくださっておられるそうです。

貴方のお父さんのように、毎日、仏壇に手を合わせておられる方は、

危険な場所に遭遇しようとすると、それを止めようとするご先祖の

魂の声が、「何と無く」わかるようになるのです。

そして、お父さんは、無意識のうちに危険な場所から

離れて、自分の身を守ることが出来るのです。

ご先祖の魂の存在すら、「あり得ない」と否定する人には、

ご先祖の魂が必死になって守ってくれようとしても、

その声が聞こえない、、というか、感じ取ることが、できないから、

事故に遭遇してしまうのです。
    • good
    • 2

>>お墓には、魂は、一度もいきません。

骨を置いておく場所なだけ。=2人のお坊さんから聞いた話。
>>だから、お墓が一番、霊がいない場所だそうです。

そのお坊さん二人とも霊は居ると言う話なんですね。(何処にいるかは別にして)

その霊を基にして、霊を見える形に、見える場所にしたのが、仏壇であり、墓であり、寺なんです。
神様なんかの場合、ご本尊(これも一種の模造品ですが)が有り、それは10年に一度とか、12年に一度とか、60年に一度しかご開帳しないなんてよく言いますよね。
そこで、おまえだち(どういう字を書くか判らず)と言う御本尊を模写した物を作ってそれに柏手を打つ、更にはご本尊、おまえだちを印刷した物を売ったり、配ったりして、ご本尊の代わりに御参りする。
仏壇もそうです。仏壇の中にご本尊様の模写、模造があり、それに手を合わせる事でず~っとつながっている基までたどり着く。
そのたどり着くのは細い糸で良いんです。
くもの糸、線香の煙、そうめん、ながささぎ、等々。

>>迎え火をたく宗教は、お盆の間しか、仏壇にご先祖様(仏様)が降りてこないのでしょうか?

火は色々焚くでしょう。
大きいのだとドント祭(仏教と神道で呼び名が変わったかと思います)チョット小さくなって、護摩焚き(寺の本堂などでやるでしょう)もう少し小さくなって墓での迎え火、送り火。
更に小さくなって仏壇でのロウソク、線香。(線香の煙は真っ直ぐ極楽につながっているってさ)
仏壇のろうそく、線香は質問主様のお父様も毎日やっているんじゃないですか。
毎日の事と、特別な日のチョット大きい事の組み合わせ。メリハリかな。

いろいろ簡素化、衛生的に成ってきているので、以前の姿と変わってしまった所が有るかも知れませんが、仏壇も墓も遺体そのもの、遺体に近い物が埋葬、安置されている場所なので、霊が居なくなる事は無いと思います。

生きている我々に霊が有るのか、死んだ時、何時霊が肉体を離れるのか?お坊さんに聞くより、本山で修行した方が早判りかと思いますので、お坊さんに紹介してもらって、本山で修行してはいかがでしょう?

わたしらの所は、50年位前まで、町内の墓地のそばに有る火葬場で焼いていました。
私自身焼くのを担当した事はありませんが、焼き終わっても骨に肉が付いている仏は見た事があります。
フライドチキンの食べ終わったものとか、スペアリブの食べ終わったものみたいな、そんな感じでした。
それを墓に埋めます。穴を掘る時必ず言われたのが、野良犬に掘られないくらい深く穴を掘れと言われた穴を掘っていました。
形良く残った骨なんか有ると(お釈迦様が座禅を組んでいる形に残る骨)小さいガラスケースや桐箱に入れて、仏壇においていましたが、骨だけなら長くもつのでしょうが、たんぱく質、脂質が付いているので、一年くらいで色が変わり、形もだんだん崩れてきます。
でも、これらにも霊が有るなら、仏壇にも、墓にも霊は在りますよね。
逆に、寺には何も無いといえるかな。
でも、霊のよりどころは寺であり、墓であり、仏壇なんですよね。

お坊さんも霊が居ないとは言わないようなので、霊は居るとして、本体と何処で離れるか?
離れないとしたほうが理由付けとしては太いかと思います。
或は、生きている人にも霊なんて無いんだとするほうが簡単かな。

質問主様に霊は在りますか?
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!