ドル、ユーロ、日本円が全て紙くずになる可能性ありますか?

A 回答 (3件)

ドルの裏づけは米国が保有する膨大な金塊です。

先ず、ドルは紙クズには成り得ないでしょう。
ジンバブエドルは紙くずになり、通貨を米ドルに切り替えた、と言うニュースがあったばかりですね。
他にも米国ドルを自国通貨としている国があります。
しかし、ユーロや日本円の裏づけは何なのでしょうか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。ユーロの裏付けは、ドルらしい。円はわからない。ゴールド?

お礼日時:2015/08/10 14:07

歴史上、全ての通貨は数百年で通用しなくなっています。

ローマ帝国やモンゴル帝国も通貨を持っていたのですが、今は全く価値がないでしょう(骨董品としての価値はあるかもしれませんが)。
ドル、ユーロ、円も同じく、数百年後には紙屑になっているでしょう。
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人類や地球はいつか滅びます。


ドル、ユーロ、日本円の寿命なんて短いものです。
いつかは必ず紙屑同然になります。
あと数万年も持たないのではないでしょうか。
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Qユーロを日本円に換算する計算方法

ユーロを日本円に換算する計算方法

アマゾンフランスを利用するため、ページを見ていたのですが、
掲載されている価格(ユーロ)が日本円でいくらくらいなのか
自分なりに換算してみたのですが、合っているか分からず、質問させていただきました。

レートが1ユーロあたり日本円109.21の時、商品価格がEUR 29,90だとすると、
EUR29.90×109.21円=3265円379銭
つまり、EUR 29,90の商品は日本円で3,266円くらいとみればよろしいでしょうか?
計算はヤフーのファイナンス(http://quote.yahoo.co.jp/m5?a=1&s=EUR&t=JPY)を
見てやりました。

計算式や価格の読み方は間違っていませんでしょうか?
ご教授お願いいたします。

Aベストアンサー

一応、銀行員です。
計算方法は、合っています。
注意が必要なのは、レートです。ニュースなどで言っている為替レートは仲値といわれるもので、通常は売るときと買う時ではレートが異なり、ユーロを買うときは仲値+1円、売るときは仲値ー1円というように為替手数料がとられる仕組みになっています。
なので、仲値が109.21円のときは、110.21円をかけることになるので、多少は高くなると思います。仲値にいくらを足すか(上の例では1円としました)は、金融機関や、取引相手によって異なります。

Qイスパニアが日本を征服できる可能性はあったのか?

江戸時代に鎖国(正確には貿易統制なのですが)やキリスト教の禁教を行ったのは、イスパニア(スペイン)
の侵略を防ぐためであるとの説明がよくされます。
同時代の人にあってはそういう脅威は現実のものと感じられたのでしょうが、現代の「後知恵」で
客観的に考えた場合、当時のイスパニアに日本を征服する力はあったのでしょうか?
地球の裏側にある日本まで軍隊を送り届け、なおかつ兵站を維持する事はこの当時ではイスパニアであっても不可能に思えます。
同時代にポルトガルがモロッコに出兵したけど、太平洋どころか地中海を挟んだ対岸に過ぎない当地ですら補給が続かず壊滅したようです。
ましてこの頃の日本はヨーロッパの全てをあわせた以上の銃火器を有していて、100年以上の戦乱を経験した軍隊を持った国です。
鉄器や馬すら知らない文明を征服するのとはわけが違うように思えます。
だからこそ宣教師を使って内部から崩す作戦かもしれませんが、実際の所イスパニアが正面からでは勝てない
相手をこの宗教戦術で征服した実例というのはあるのでしょうか?
現実にはイスパニアが征服したのは文明力の差にものを言わせただけで、鉄砲や馬や集団戦術を知っている、
一定水準以上の文明を海を渡って征服できた例は無いのではないでしょうか?
皆さんの見解はいかがでしょうか?

江戸時代に鎖国(正確には貿易統制なのですが)やキリスト教の禁教を行ったのは、イスパニア(スペイン)
の侵略を防ぐためであるとの説明がよくされます。
同時代の人にあってはそういう脅威は現実のものと感じられたのでしょうが、現代の「後知恵」で
客観的に考えた場合、当時のイスパニアに日本を征服する力はあったのでしょうか?
地球の裏側にある日本まで軍隊を送り届け、なおかつ兵站を維持する事はこの当時ではイスパニアであっても不可能に思えます。
同時代にポルトガルがモロッコに出兵したけど...続きを読む

Aベストアンサー

当時のスペインには、日本を侵略する意図は全く有りませんでした。
南米においてさえ、チリやアルゼンチン南部には全く進出していません。
「スペインが日本を侵略しようとしている」というのは、イギリスやオランダが流した全くのデマでしかありませんでした。

このころポルトガル・スペイン共、広大な植民地の維持が精一杯で、新たな植民地獲得どころではありませんでした。

スペインとキリスト教の関係で、キリスト教を侵略の手先に使ったというのもデマで、これもイギリスやオランダなどのプロテスタント諸国のでっち上げです。
ただし、スペインがキリスト教(カトリック)の布教を奨励したのは事実です。
それは、教皇庁との協約により、「スペインの布教した地域において教会収入(主に1/10税)の一部をスペインが得る事ができる」とされたため、労力無しに収入を得る事ができるためでした。
またスペインでは、当初ドミニコ会が宗教政策の中心となり、厳格な、強引なキリスト教布教を展開しましたが、ほとんど成果は上がらず、しだいに柔軟な考え方のイエズス会系が勢力を伸ばしてゆきます。
スペイン王室としましては、高い理想に燃えるだけで全く布教の成果が上がらないドミニコ会よりも、キリスト教が広がるためには、教義の弾力的運用を重視しキリスト教を広めていくイエズス会が重要視されてゆくのは当然の事でした。(1/10税の関係もあり)
つまり、スペインにとっては、侵略しなくても、キリスト教が広まれば税収がUPするため、あえて侵略する必要が無かったのです。

日本でキリスト教が禁止されるころ(関が原以降)は、スペインの国力が衰え、とても外征どころの状況ではなくなってしまいます。

>相手をこの宗教戦術で征服した実例というのはあるのでしょうか?

スペインの場合既に書きましたように、全くのデマですから、一例の有りません。
ただし、イスラム教においてイスラム圏との交易の有利さを説いて、国家自体をイスラムに変えてしまう事は有りましたが、侵略とは異なります。

>鉄砲や馬や集団戦術を知っている、
一定水準以上の文明を海を渡って征服できた例は無いのではないでしょうか?

これが大々的にできるようになるのは、18世紀以降です。
ただし、例が無いわけではありません。
薩摩の琉球征服
鉄砲は有りませんが、フランスのノルマンディ公によるイギリス征服
サラセンによる西ゴート王国征服などの例があります。

当時のスペインには、日本を侵略する意図は全く有りませんでした。
南米においてさえ、チリやアルゼンチン南部には全く進出していません。
「スペインが日本を侵略しようとしている」というのは、イギリスやオランダが流した全くのデマでしかありませんでした。

このころポルトガル・スペイン共、広大な植民地の維持が精一杯で、新たな植民地獲得どころではありませんでした。

スペインとキリスト教の関係で、キリスト教を侵略の手先に使ったというのもデマで、これもイギリスやオランダなどのプロテスタ...続きを読む

Q外貨ー日本円を換算するときに参考するときの為替履歴

外貨ー日本円を換算するときに参考するときの為替履歴は?

外貨の領収書を日本円に換算した金額で書かなければなりません。

TTS:対顧客電信売り相場。外貨を銀行が顧客に売る値段。
現金には適用されない。
TTB:対顧客電信買い相場。外貨を銀行が顧客から買い取る値段。
現金には適用されない。
CASH S:現金売り相場。銀行で外貨を手に入れるときは、この値段で
交換することになる。
CASH B:現金買い相場。銀行で外貨から日本円に戻すときは、この値段で
交換することになる。

他にも Acceptance・T.T.B.・A/S・DP・DA・T.T.M.などがあるようですが、
ただ単純に例えば100ユーロのレシートを日本円に換算したいときは
上記のうち、どの数字を使用すればいいか分かりません。
一般的に買い物をするとき(旅行者など)どれを使用するのでしょうか?

金融関係は全くの無知でお恥ずかしい限りですが、上記の説明だと
銀行が介入してくるので求めている数字ではないのかなと。

現地でキャッシングをして、現金で食事をしたり、ガソリン代に当てる
といった感じです。

よろしくお願いいたします。

外貨ー日本円を換算するときに参考するときの為替履歴は?

外貨の領収書を日本円に換算した金額で書かなければなりません。

TTS:対顧客電信売り相場。外貨を銀行が顧客に売る値段。
現金には適用されない。
TTB:対顧客電信買い相場。外貨を銀行が顧客から買い取る値段。
現金には適用されない。
CASH S:現金売り相場。銀行で外貨を手に入れるときは、この値段で
交換することになる。
CASH B:現金買い相場。銀行で外貨から日本円に戻すときは、この値段で
交換することになる。

他にも Acceptance・T.T.B....続きを読む

Aベストアンサー

 
CASH S:現金売り相場。銀行で外貨を手に入れるときは、この値段で
交換することになる。
CASH B:現金買い相場。銀行で外貨から日本円に戻すときは、この値段で
交換することになる。

これが近いでしょうが、実際はどれでもない。
両替商や銀行が独自に値段をつけるので両替した時の伝票に記載されてるレートを使うのが一般的です。

Q日本が満州族の代わりに中国を支配した可能性はありましたか?

16世紀後半の中国、明が弱体化していたころは南倭北虜といって北からは北方民族(満州族も含まれる)と南からは倭寇から襲撃されている状況にありました。
一方で16世紀後半といえば戦国時代も終わりに近く、信長・秀吉の統治のもと日本は軍事的に最盛期にあったといえます。

朝鮮出兵の結果を見ても、日本の軍事力は明より上であり(加藤清正は明の大軍を破っています)、その後の明の弱体化につけこめば火縄銃をもっていたかどうかも怪しい満州族より先に中国本土を支配してしまうことも可能ではなかったと思いますが、その可能性はあったと思いますか?

武力でいえば満州族より(戦国時代から実戦経験豊富な)大和民族の方が上であり、倭寇を通じての足掛かりを築くこともできたと思うのですが。

Aベストアンサー

未来人の立場で後付けで見るなら、実際問題、秀吉本人が朝鮮に渡ってきて踏ん張りどころで攻勢をかけていれば可能性はあったとは思いますが。
結局のところ、秀吉の覚悟が足りなかったってことだと思います。明を甘く見すぎていたってことですかね。
それこそ、三成なんかが来ないでくれ、と嘆願したときに無視して朝鮮に渡っていれば。
現状維持タイプの三成に、蛮勇を期待するのは無理ですね。そういう意味で人選を誤ったのでしょう。あるいは、若い頃の秀吉であれば、無視して渡海していたはずです。
三成は三成なりに、豊臣家や日本のためを考えて最善と思う策を提案しているのは間違いないでしょうが、
そういう視点で考えるなら、そもそも、最初から朝鮮に出兵なんてしないほうがいいに決まってるわけで、
無理スジの朝鮮出兵を強行しながら最後に秀吉本人がビビッてどうする、って感じですね。

あるいは、2度目の慶長の役は、日本軍は終戦一方というイメージがあるような気がしますが、実際には終戦(秀吉の死)の時点でも、もし、豊臣政権に強力な独裁者が後継者としていて、強引に大攻勢に出れば可能性はあったとは思います。その時点で、日本もそうですが、明もそうとうな限界になっていました。

ただ、中国を制した異民族政権は、結局のところ中国に取り込まれるだけ、というのが歴史の結論なわけで、もし明征服の成功していたら日本にとって良かったか?は個人的には相当疑問です。

未来人の立場で後付けで見るなら、実際問題、秀吉本人が朝鮮に渡ってきて踏ん張りどころで攻勢をかけていれば可能性はあったとは思いますが。
結局のところ、秀吉の覚悟が足りなかったってことだと思います。明を甘く見すぎていたってことですかね。
それこそ、三成なんかが来ないでくれ、と嘆願したときに無視して朝鮮に渡っていれば。
現状維持タイプの三成に、蛮勇を期待するのは無理ですね。そういう意味で人選を誤ったのでしょう。あるいは、若い頃の秀吉であれば、無視して渡海していたはずです。
三成は三...続きを読む

Q換算レート 1 日本円 = 0.00989644 米ドル

為替というより算数なのですが・・・・
1 日本円 = 0.00989644 米ドルの換算レートとは、つまり1ドル何円のレートでしょうか?

33.45ドルの買い物が円換算で3380円でした。
3380÷33.45=101.046で1ドル約101円ですが、0.00989644をどうやって
1ドル何円と変換するのかよくわかりませんので、お教え願えないでしょうか。

Aベストアンサー

1÷0.00989644 =101.046・・・
です。

Q日本はアメリカに対し、勝つことはできないまでも有利な条件で講和する可能性はあったのでしょうか?

太平洋戦争において、日本軍はアメリカに勝つことは不可能だということは戦う前から分かっていたはずで、最初の戦いを有利に進めて講和に持ち込むということを考えていたはずです。
事実、最初の半年だけは日本軍は優勢に戦いを進めており、その状況で講和に持ち込むチャンスはあったはずなのですが、そのあとに外交的にうまく物事を運べば、アメリカと講和して日本は領土の現状保持プラス満州の権益確保程度で戦争を終結させ、欧州戦線において連合国側として参戦というシナリオもなくはなかったでしょう。

太平洋戦争開戦半年後、日本外交が神懸かり的な活躍を見せた場合、戦争はどのように終結したと考えられるでしょうか。

Aベストアンサー

はい考えていました。山本五十六が「半年、1年なら思う存分暴れて見せます」という言葉には、1年で講話しないと負けるという意味が含まれており、それは陸海軍問わずすべての人が認識していたことであった、からです。

しかし、実際の戦争は意図しないことばかり起こります。
最初の間違いは、真珠湾攻撃にあります。ひとつは、アメリカ空母艦隊の本体に壊滅的打撃をあたえられなかったこと。これによりミッドウェイ海戦での敗北につながっていきます。
二つ目は、暗号が解読されていて奇襲が知られていたことと宣戦布告が奇襲の後になったことです。なによりも「フェアネス」を重んじるアメリカ人に「日本人は汚い」という印象と「リメンバーパールハーバー」という目的を与えたことが何よりも失敗です。

次の間違いは、日本の政府が講話のチャンネルをソ連に頼ったことです。当時日本はソ連と中立条約を結んでいましたので、ソ連を仲介して講話ができると信じていました。しかし、ソ連はいずれ日本に対して宣戦布告する意志を早い段階から決めていたといわれています。

したがって、真珠湾の攻撃が相当な打撃を与え、アメリカ艦隊が復活するまでに時間を要し、ソ連が仲介してくれて、なおかつ日本の陸海軍の足並みがそろえば、1年程度の戦争で終結できたかもしれません。

しかし、実際にはほとんど不可能であったと思いますし、そもそも日本政府・陸軍・海軍に「戦争終結の落とし所」というか、取るべき利益と捨てるべき利益の区分けもついていませんでしたので、どれほど日本に有利な戦局が続いたとしても、かえって戦争は長引いたと思います。

なによりも重要なのは、国民の相当数が「アメリカをやっつけろ」という意思を持って、戦争を支持していたことです。東京裁判史観では「国民は被害者」ということになっていますが、実際には、普通選挙で戦争推進の意志を明確に表示して、その選挙を経た政府が宣戦布告をしていますので、国民の戦争への期待と勝利の確信は、政府や軍部よりも大きかったといえます。
したがって、1年程度で講和しようとしても世論の反論が大きく、やはり講和に至ることは無かったと思います。

日本という国は、近代まで対外国戦争をしたことがなく、明治以降はすべて勝ち戦だったので「戦争に負けても失ってはならない利益(国の独立存続とか)」があることに気がついていなかったのです。世界のほとんどの国は戦争に負ければ国を失うこともあり、失わないで負けを回復するにはどれほど大変か経験していますが、当時の日本はそれを知らなかったのです。

したがって、国民の世論は戦争継続を望み(負けることなんて考えられないわけです)、政府や軍部は有効な講和の理由を見つけられず、結局アメリカの物量に負けて敗戦に至ったでしょう。

有利な条件で講和することは不可能ではありませんでしたが、それをつかむ能力は当時の日本にはほとんど無かった、と言っていいと思います。

はい考えていました。山本五十六が「半年、1年なら思う存分暴れて見せます」という言葉には、1年で講話しないと負けるという意味が含まれており、それは陸海軍問わずすべての人が認識していたことであった、からです。

しかし、実際の戦争は意図しないことばかり起こります。
最初の間違いは、真珠湾攻撃にあります。ひとつは、アメリカ空母艦隊の本体に壊滅的打撃をあたえられなかったこと。これによりミッドウェイ海戦での敗北につながっていきます。
二つ目は、暗号が解読されていて奇襲が知られていたことと...続きを読む

Qバリ旅行 日本円 ルピー 計算方法(換算)

この度、バリ島へ旅行に行くことになりました。

そこで大変お恥ずかしい質問になりますが・・・
日本円、ルピーの換算方法をご教授頂きたく書き込みました(^_^.)

自分、為替とはかけ離れた生活を送っていたので、
本当に正しいのかさえわからなくなってしまって(笑)

計算機がなくても頭ですぐに計算できる簡単な計算法など
あるのでしょうか?

今は「1.00 日本円 (JPY) = 73.0022 インドネシア ルピア (IDR)」ですよね?
お恥ずかしい質問ですが宜しくお願い致します。

追記:出来れば、バリへ行く際はドル、円だけでいいんですかね?
ルピアは現地で両替した方がいいって聞いたんですが・・・。
実際のところどうなんでしょうか?

Aベストアンサー

#2です。

私の場合の両替のパターンを紹介します。御参考にしていただければと思います。

【出発前】
まず事前にわかっているUS$についてはトラベレックスなどでレートを確認しながら、事前に両替しておきます。(銀行でも良いのですがトラベレックスではクレジットカードで外貨購入ができるので、航空会社系のカードの場合マイルがたまるのです)

【現地空港にて】
現地のデンパサール国際空港でレートをチェックし、10,000円=720,000Rp以上であれば、10,000円を両替する。それ以下の場合は、空港からタクシーを利用する予定がある場合のみ、5,000円を両替する。
ちなみに日本系の航空会社の場合、現地到着は深夜となりますが、デンパサール国際空港の両替所が営業していますので御安心を。

【街中にて】
私の場合、最初の訪問地がクタというケースが多いので、クタ・スクエアのマタハリ・デパート内の両替所で両替する。ホテルよりはレートが良く、街中の両替所よりは一応デパートなので若干の安心感があるのでお勧めです。

私の場合、ざっと以上のような感じです。あとは足りなくなったら街中の両替所で、その都度両替すると言った感じですね。一度に両替するのも10,000円づつで充分だと思います。残ったRpを日本円に再両替すると手数料がまた取られるので、一度Rpに換金したものは使いきるようにしています。

ただホテルでも街中でも両替の際に重要な事は以下の2点です。
・お金を受取ったらその場で確認する。
・お金が足りない場合はその場で抗議をし、
 相手が不足分を渡すまで諦めない

最後に余談です。前述のように両替したRpは現地で使い切るのがお勧めですが、現地を出国する際には100,000Rp/人の出国税がかかります。この分は現地で両替して、出国の際に空港で支払う必要がありますのでRpで残しておく必要がありますので御注意ください。

それでは、良い御旅行を~

参考URL:http://www.travelex.jp/

#2です。

私の場合の両替のパターンを紹介します。御参考にしていただければと思います。

【出発前】
まず事前にわかっているUS$についてはトラベレックスなどでレートを確認しながら、事前に両替しておきます。(銀行でも良いのですがトラベレックスではクレジットカードで外貨購入ができるので、航空会社系のカードの場合マイルがたまるのです)

【現地空港にて】
現地のデンパサール国際空港でレートをチェックし、10,000円=720,000Rp以上であれば、10,000円を両替する。それ以下の場合は、空港...続きを読む

Q【硬貨の歴史に詳しい人教えてください】 日本の硬貨には不思議な点があります。 明らかに1円玉と50円

【硬貨の歴史に詳しい人教えてください】


日本の硬貨には不思議な点があります。

明らかに1円玉と50円玉の硬貨だけ他の5円玉、10円玉、100円玉、500円玉硬貨と設計思想そのものが違う気がしてなりません。

気のせいでしょうか?


今の日本の硬貨は最初にいきなり6種類で発行されたのでしょうか?

5円玉、10円玉、100円玉、500円玉硬貨には共通した設計思想が見えて美しいです。

しかし、1円玉、500円玉を設計した人は全く違う時代の別人な気がするくらいに下手くそな設計です。

なぜ1円玉と500円玉だけ他の硬貨の共通した設計思想を取り入れなかったのか硬貨の歴史に詳しい人はいますか?

なんでこの2つの硬貨はこんなヘボ設計にしたのでしょうか?

美しさが全くない。

美意識ゼロのカス硬貨は同じ人が同じ時代に作ったとは思えない。

Aベストアンサー

現行硬貨の流通年は以下のとおりです。

1円玉は昭和30年発行、デザインは公募。
5円玉は昭和24年発行(但し字体を昭和34年に変えている)
10円玉は昭和27年発行
50円玉は昭和42年発行、
100円玉は昭和42年発行。
500円玉は昭和57年発行

なお、50円玉、100円玉はデザインが何度もかわっています。とくに50円玉は大きさも大きく変化しています。
ですので、別に一貫した思想で貨幣が製造されているわけではないですよ。

Q中国元を日本円に換算すると幾ら位でしょうか?

タイトルの通りですが、1元は日本円で幾ら位ですか?

Aベストアンサー

こちらはいかが。

http://jp.moneycentral.msn.com/investor/market/rates.asp?Region=Major+Currencies

参考URL:http://jp.moneycentral.msn.com/investor/market/rates.asp?Region=Major+Currencies

Qコロンブスより前に日本人が北米に到達した可能性

日本人がコロンブスより先に北米大陸に到達した可能性はあるのか?という質問です。
某国人ではありませんので、北米を発見したのは日本人だと主張したいわけではありません。

日本とアラスカの間には黒潮が流れており、成功率は低いでしょうが動力がなくても船に乗っていれば北米大陸に到達することはできたはずです。
室町時代には日本人の海賊である倭寇が日本から中国沿岸を荒らしていたくらいですから、世界的にみて当時の日本の航海技術は決して低くなかったはずで、一部の野心的な日本人が太平洋の先に目を向けていてもおかしくありません。また、地理的にも黒潮の利点に加え、千島列島とアリューシャン列島といった中継地点があり、ある程度の航海技術があれば北米に行くのに最も有利な立場にいるはずです。
日本人は太平洋を渡る航海技術がなかったのか、技術はあったのに何かタブーでもあって太平洋の航海に乗り出さなかったのか、それとも室町時代以前にも船の難破などで北米に足を踏み入れた可能性は高いが、戻ってこれなかったので確かめようがないのか、どれだと思いますか?

Aベストアンサー

No.13.17です
再度お礼を記入頂きありがとうございます
お礼の中に若干ご意見がありましたので、補足をさせて頂きます。
>それは滅亡が避けられないと分かった時に最後の逃亡先として太平洋に漕ぎ出すことです。
こような状況下で窮地を脱して活路を見出すべく太平洋へ乗り出した人はいなかった訳ではありません。
逸話伝承としては鎮西八郎為朝(源為朝)がいます。
八丈島には沢山逸話が残っています。為朝百合という特有種の大型の百合もあります。
ただ史料が見当たらないので大学の先生が認めていないだけです。
伊豆大島ではそうとう暴れ回って国司が手を焼いたようです
史実としては頼朝と榎本武揚がいます。
頼朝は伊豆で敗れた後に現在の神奈川県真鶴町から出航しています。
榎本武揚は江戸開城の後艦隊を引き連れて江戸湾を抜け出しています。
ただ二人とも太平洋の東を目指しませんでした。
頼朝は房総半島の突端の安房を目指し現在の鋸南町付近に上陸しています。
当然ご先祖様の為朝の話は知っていたでしょうけれども伊豆の島嶼は目指しませんでした。
榎本武揚も近代的な外洋船の艦隊を引き連れていてアメリカという国も国力も軍事力も熟知していましたがアメリカへは向かわずに仙台から函館を目指しました。
なかなか太平洋の東を目指す人はいませんね~

>私が北条のトップであれば、落城が近づいたら自分は首を差し出すべく出頭しますが、その前に息子に家来数人をつけ、船に食糧を積み、太平洋に送り出しますね。どっちみち殺されるだけですから、息子だけは敵に殺されたくないと思うはずです
まぁ~個人的な情としてはよく分かります。
ただ権力闘争に参加するには、チト難しい考え方かと思います。
家族の安否が気になるようであれば初めから権力闘争などに参加して戦などしなければいいだけです。
北条氏にせよ長曾我部氏にせよ、それほど家族が大切ならサッサと降伏して領地を差し出して恭順すればいいだけです。
家臣に命がけの戦をさせておいて、やばいから自分の家族だけ逃がすなどということをやったら、いくら息子でも権力も金も手に入らないでしょう。
こんな考えの御大の息子でぬくぬく生き残っているような人間についていくようなお人好しの家臣はどこにもいません。
権力を得たいあるいは維持したいと考える人間は常にリスクは織り込み済みです。
自分の子供を人質に出すなどということは平気でやります。
こういう精神構造でなくては、権力闘争に参加する資格はありません。
又当てもなく戦線を離脱することはありません。
必ず捲土重来を期して行動します。
自分がだめなら子供に託します。
見ず知らずの土地へ流れついても捲土重来を図ることができません。
こんな無計画な行動を採るようでは権謀術数の渦巻く権力闘争の世界では生き残れません
生きて行くのがやっとでは、何のために苦しい逃亡生活をするのか分かりません。

日本の戦では、ヨーロッパや中国のように都市を廃墟にしてしまうような戦争はしませんでした。
総大将が自刃して、残された子孫が恭順の意を表すればお構いなしという暗黙のルールがありました。
そもそも頼朝や義経が生きながらえたのも母親の常盤御前が清盛に恭順の意を表明した結果です。
秀吉も高松城の清水宗治の切腹をもって兵を引いています。
小田原北条氏は方針が決まらずグズグズ軍議を続けのちに小田原評定と呼ばれるような事態を引き起こしていました。
氏政がサッサと腹を切ればことは済んでいました。
関東一円の支城が悉く落とされた後で海上へ逃れても行くあてなぞありません。
逃れる隙があるなら陸上を逃げた方がよほど生存率は高かったでしょう。
現在のような警察力がある訳ではありません、全国指名手配して首尾よく捕まるなどという確率は遥かに低かったでしょう。
家康も本能寺の変の際には鈴鹿山系をスタコラ逃げ回っています。
堺の茶屋四郎次郎を頼ればいくらでも海上へ脱出できました
義経も頼朝に睨まれてから逃げ回って陸路平泉を目指しています。
北陸地方には逃亡中の義経に纏わる伝説が沢山残っています。
義経が九郎と名乗ったのも為朝の八郎に因んだものです。
為朝の話を知らなかったはずがありません。
まぁ~伊豆諸島ぐらいしかない太平洋というのは何時の時代も逃亡先としては魅力がなかったようです。
小笠原列島の存在が周知されるのは江戸時代以降です

ところで、島で暮らすというのはどのようなイメージでおられますか。
日本近海でカリブ海のロビンソンクルーソーのような生活はできません
八丈島でも冬には零下になります。
人が住んでいれば、当然なんだアイツはということになってときの権力者に訴えられてしまいます。
流刑すなわち島流しという処罰がありますが、これは裸一貫で放り出すわけではありません。
受け取る島側の統治者に指令を下すとともに最低限の食料も支給しました。
佐渡島の日蓮も隠岐の島の後醍醐天皇も衣食住には不自由していませんでした。
頼朝も流刑の身でしたが家臣もいれば鷹狩も楽しんでいました。
我が身大事に安穏に暮らす気であれば何事もない生活環境でした。
源氏再興という野心を持ったからこそ戦もし海上へも乗りだしました。
後鳥羽上皇は恨みつらみで怨霊となりましたが後醍醐天皇は野心を持って小舟で命がけで島を抜け出しました。

江戸時代には八丈島から島抜けをした連中は幾らでもいました。
ただし18回中1回だけ成功したようです。

流人伝、恐ろしきは女なり
www.webfrog.jp/papa/essay/essay-12.html

この連中も太平洋へ乗り出した野心を持った日本人に数えられますか?

No.13.17です
再度お礼を記入頂きありがとうございます
お礼の中に若干ご意見がありましたので、補足をさせて頂きます。
>それは滅亡が避けられないと分かった時に最後の逃亡先として太平洋に漕ぎ出すことです。
こような状況下で窮地を脱して活路を見出すべく太平洋へ乗り出した人はいなかった訳ではありません。
逸話伝承としては鎮西八郎為朝(源為朝)がいます。
八丈島には沢山逸話が残っています。為朝百合という特有種の大型の百合もあります。
ただ史料が見当たらないので大学の先生が認めていない...続きを読む


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