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先日、いろいろとお世話になっているおじさんから聞いた話です。彼はクリスチャン、カトリックの洗礼を受けた人です。けっこーテキトーな感じもあるのですがいい人ですが(^^)

そんな人が

「この前、おみくじを引いたら大凶でさぁー」

え?クリスチャンじゃないの?
私の知識では

クリスチャンは主以外の異教の神を信仰してはならない=異教の神殿に行ってはならない

そこを信仰ではなく、興味として観光ならばいいのかもしれない。厳密にはまずいのかも知らないけだ。

おみくしをひく、のはどうなんだろう?
パンパンと柏手を打って拝んでないと思うけど、おみくじを引くのは?


それは、日本の土壌的なもので信仰ではなく単なるおみやげ的なレジャー的なものと考えたらいいのかな?

まぁ、彼は「ビジネスクリスチャン」と自分を言っていた。オウベイデ仕事をしようとすると、何らかの信仰を持ってると信用されやすい。
日本人だから仏教徒とすればいいのだけだ、クリスチャンとだと多少は有利だと言うのを知った。
教派はあまり関係ない、と言うが実際にはカトリックが一番受けがいいことがわかった。
批判的な人もビジネスの相手と考えると、プロテスタントの教派よりは安心して信用されやすい、クリスチャンがみないい人とは限らないけど。

どこまでが本当なのかわからない。
もっと真面目な信仰理由があるのを言わないだけで。

でもー、おみくじ引くのはーまずくないのかなー?
どうなのかな?

A 回答 (5件)

その人次第だし、その国の文化次第です。



たとえば、日本にいるイスラム教徒にもいろいろいるようです。
厳格に信仰を守ろうとがんばって、どんどん痩せていく人(日本の食事はかなりの部分で豚由来成分が入っているので、厳格に守るとほとんど食べられない)、逆に「日本だから」ととんこつラーメンを食べまくる人(帰ったらいくらなんでも豚は食べられなので、一生分食べておくそうです)などがいます。それぞれの意識と考え方、宗派や文化によって個人差がでます。

キリスト教徒でも厳格な人は、そもそも鳥居をくぐることすらしません。お参りをしなければ観光・見学はできる、という考え方で、鳥居をくぐらず、清めもせず、お賽銭も上げないし、おみくじも引きません。
そういう厳格なキリスト教徒ももちろんいます。

しかし、世界中を見ても「厳格な○○教徒」というのはそれほど多くはいません。同じ国で、同じ宗教でも宗派がちがったりするだけで軋轢が生まれるからです。ですから、あまり厳格にやると社会がギスギスしすぎるので、普通は適度なレベルで抑えるもので、あまり厳格な人は日本でいえば「新興宗教に嵌っている人」と同じ扱いを受けます。

ただ、洗礼などは日本の葬式などと同様、本人の好みとは関係なく家の宗教とか地域の文化で受けるものです。日本でいえば「初宮詣で」が一番近い感覚ですが、氏神様が決まっている日本人などそれほどいないでしょう。(本来は地元の氏神から腹帯をもらって、お礼にお参りするものです)
ですから、洗礼を受けているからといって、まじめなクリスチャンとは限りません。

ただ、日本人の多くが誤解しているのことがあります。
それは「信仰を持たない人間は信用されない」ということです。これはキリスト教でもイスラム教でもヒンドゥーでも仏教(タイとかチベットとか)でも同じです。

宗教というのは、一般的にその地域に根付いた文化でもあり、行動の規範・道徳でもあります。「宗教を持ちません」「無宗教です」というのは、日本人以外には「私は基礎とする道徳も行動規範も自前の文化も持ちません」と言っているのにひとしく、それは「人間としてありえない」というように受け取られるのです。

ですから、その彼のように「ビジネスクリスチャン」という言い方をするわけです。ただそれも日本人が思っている「無宗教・無信仰」で仮のクリスチャンということではなく、自分が育ってきた地域の文化や道徳がクリスチャンのそれであり、自分の行動様式はクリスチャンとしての基準だけでも、自分としてはそれほど真剣に神(キリスト)を信仰しているわけではない、という意味であるといえます。

「自分としてはそれほど真剣に神(キリスト)を信仰しているわけではない」からおみくじでもなんでも自分の行動規範に違反しないのです。

日本人は多宗教の文化です。
キリスト教やイスラム教のように宗教・道徳・文化がひとつのパック(それが宗教)になっているわけではなく、自分の家の仏教宗派・自分の地域の氏神と日本人としての道徳は別々でバラバラになっているのが普通です。

そのため自分の行動規範や道徳と宗教(仏教や氏神様)が一致している感覚がなく「あなたの宗教は何ですか?」と聞かれても答えに窮することになり「無宗教です」とか「無信仰です」と答えることになるわけです。
しかし、これは外国では絶対に言ってはいけないことばです。

また、一般的な日本人が無信仰で無宗教であるかというと、これも違います。
たとえば「いただきます」と「ごちそうさまでした」という言葉の中にも、仏教的なカルマ(他の命をもらわないと生きていけない罪深さ)や神道的な「なににでも神が宿る、米にもやどる。農家に感謝する」という意味があります。
日本人は無意識に信仰的な行動をとっているのです。
(ほかにも毎朝必ず仏壇に線香とたきたてのご飯を上げるとか、お地蔵さんを見たら手を合わすとかもそうです)

しかし、これらの行動を表す宗教的な言葉はないので、みんな「仏教かな?神道かな??」と悩むわけです。
山本七平氏はこれらの日本人の行動を「日本教」と定義しました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC …

少々脱線しましたが、質問者様のおじさんはそのあたりを分かっていてビジネスクリスチャンという用語をひねり出したのでしょう。欧米で仕事をするにあたって、洗礼を受けたクリスチャンであることは実に有利に働くのも事実です。
しかし、彼も日本人ならば日本的信仰の在り方にどっぷりつかっているわけで、おみくじも引くし、仏教式の葬式にもでるし、初詣も行くのでしょう。

日本は仏教と神道を融合させるために本地垂迹説という妙案をひねり出しています。神様というのは、インド周辺では仏様として現れ、日本では神として現れた、だから大日如来とアマテラスは同じ神様の別の表現だ、というものです。
この説に従えば、ギリシャ神話にでてくる太陽神ヘリオスは大日如来=アマテラスかもしれませんし、キリストもなにかにあてはまるのかもしれません。

そういういい加減さがあるのが、日本的で多神教的でいいのではないでしょうか。
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クリスチャンであっても信仰心の薄い人は大勢いますよ。


信仰心の厚い人ならば絶対におみくじは引かないはず。
おみくじで人生や物事が左右される事はないと考えられている
からです。

質問者様も冒頭で「テキトーな感じ」と仰っておられますよね。
その通り、テキトーなのではないでしょうか。

仏教徒だって回りの目を気にして無宗教ですと隠しながら
初詣に平気で出かけてますし、結婚式ではいつの間にか
キリスト教徒になってますし、神社にも何事も無く普通に
参拝しますしね。

日本人程大らか(テキトー)な国民は居ない様な気がします。
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芥川龍之介の作品に”神々の微笑”というのがあります。



青空文庫からの抜粋です。

”「今日などは侍が二三人、一度に御教おんおしえに帰依きえしましたよ。」
「それは何人なんにんでも帰依するでしょう。ただ帰依したと云う事だけならば、この国の土人は大部分悉達多したあるたの教えに帰依しています。しかし我々の力と云うのは、破壊する力ではありません。造り変える力なのです。」
 老人は薔薇の花を投げた。花は手を離れたと思うと、たちまち夕明りに消えてしまった。
「なるほど造り変える力ですか? しかしそれはお前さんたちに、限った事ではないでしょう。どこの国でも、――たとえば希臘ギリシャの神々と云われた、あの国にいる悪魔でも、――」
「大いなるパンは死にました。いや、パンもいつかはまたよみ返るかも知れません。しかし我々はこの通り、未だに生きているのです。」
 オルガンティノは珍しそうに、老人の顔へ横眼を使った。
「お前さんはパンを知っているのですか?」
「何、西国さいこくの大名の子たちが、西洋から持って帰ったと云う、横文字よこもじの本にあったのです。――それも今の話ですが、たといこの造り変える力が、我々だけに限らないでも、やはり油断はなりませんよ。いや、むしろ、それだけに、御気をつけなさいと云いたいのです。我々は古い神ですからね。あの希臘ギリシャの神々のように、世界の夜明けを見た神ですからね。」
「しかし泥烏須デウスは勝つ筈です。」
 オルガンティノは剛情に、もう一度同じ事を云い放った。が、老人はそれが聞えないように、こうゆっくり話し続けた。
「私わたしはつい四五日前まえ、西国さいこくの海辺うみべに上陸した、希臘ギリシャの船乗りに遇あいました。その男は神ではありません。ただの人間に過ぎないのです。私はその船乗と、月夜の岩の上に坐りながら、いろいろの話を聞いて来ました。目一つの神につかまった話だの、人を豕いのこにする女神めがみの話だの、声の美しい人魚にんぎょの話だの、――あなたはその男の名を知っていますか? その男は私に遇あった時から、この国の土人に変りました。今では百合若ゆりわかと名乗っているそうです。ですからあなたも御気をつけなさい。泥烏須デウスも必ず勝つとは云われません。天主教てんしゅきょうはいくら弘ひろまっても、必ず勝つとは云われません。」
 老人はだんだん小声になった。”

オルガンティノは日本に布教に来た宣教師、老人は日本の神様のようです。日本の文化は、外国文化を吸収してそれを作り変えるところに特徴がある、といっています。仏教も、キリスト教も、この国にやってきて形を変える。。。お気をつけなさい、お気をつけなさい。と繰り返します。

そんなところに、キリスト教徒がおみくじをひいて恬淡としている、秘密が隠されているように思われます。
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今は何でもあり



ロン毛の坊主、ギャンブル好きな坊主、肉食系の坊主
会社と神社かけもちしてる神主、仏像盗む泥棒住職
処女ではない巫女...
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そのおじさんって、八百萬の神々を奉っているのでしょうから、批判するまでも無いかと思います。



おみくじだからいいんじゃないかな。
仏教徒が星占いを信じ(信じてもいないかな)、タロット占いをする、普通の事。
仏教徒だから、こっくりさんだけやっていなさいって言われても嫌だし。
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