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哲学諸賢にとっては、(たぶん)非常に初歩的な質問で恐縮ですが、悪魔って、元々は天使だったんですか?
キリスト教としては、どういう認識になっているのか?
という観点で教えてください。
以下は、ウィキの記述です。
【ルシファー (Lucifer) は、明けの明星を指すラテン語であり、光をもたらす者という意味をもつ悪魔・堕天使の名である。正統キリスト教、特に西方教会(カトリック教会やプロテスタント)において、堕天使の長であるサタンの別名であり、魔王サタンの堕落前の天使としての呼称である】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%B7 …
この記述が正しいとした場合、ルシファーという天使が「堕落」してサタンという悪魔になった、ということになると思うのですが、「堕落」とは何を指すのかあたりも含めて、詳しい方、平易な言葉で少し解説していただけませんか。
端的に言うと、神と悪魔は紙一重的な解釈になっているのか、そういう意味ではない、のか?
ということです。

質問者からの補足コメント

  • 16.
    >☆ 意味がよく取れません。《〈神にも言える〉と推測しうる》という意味ですか?

    いえ、《〈神にも言える〉と論理的にならざるを得ないでしょう》という意味です。
    >マツリゴトの親分となって人民を支配するという魂胆は 神にもあると言えるのではない
    かということですか?

    おっしゃるとおりです。

    18.
    (11)――★ 人間が存在しなくても絶対は存在し続けますが、しかし、その場合、もはや神というものは存在できないはずでしょう。
    ☆《人間が存在しなくても絶対は存在し続けますが》というひとつの命題の内にすでに《その絶対なる存在とは 神とも人間が呼ぶ存在のことだ》という意味がふくまれているのですが?

    人間が存在しなくても(神と名づける以前の)絶対は存在し続けますが、しかし、その場合、もはや神というものは存在できないはずでしょう。
    のように言い換えれば通じるでしょうか。

    No.11の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/12/30 23:38
  • こちらの見落とし
    (12.最高の地位にある聖職者つまり人間が説いてまわるなら~~当分のあいだ(たとえば千年)は 可能である、という部分)によって、論点がずれてしまった感がありますね。
    この点はお詫びしておく必要がありそうです。

    31. 
    ☆ 神は関係ありません。《ルシファー》なる人間が思惟し行動するというだけの問
    題です。
    神のことを話にいくら出したとしても 神はかかわっていません。

    ただですね、従者として天使だった存在に対して関係ない、と言うのもどうなのか、という気がするわけです。
    そうしたことも含めて、さらに話は膨らんでいくでしょうが、その前に、天使と悪魔の違いについて、もう少し詰めておきたいと考えています。

    No.17の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/01 00:05
  • 「堕落」とは何を指すのか。
    神と悪魔は紙一重的な解釈になっているのか、
    などを知りたいと思っていたわけですが、司会進行がまずかったようで、場を改めたいと思います。
    みなさんのご回答、おかげさまで、それなりに参考になりました。

      補足日時:2016/01/03 22:27

A 回答 (22件中1~10件)

悪魔って、元々は天使だったんですか?


    ↑
そういう説が有力です。


「堕落」とは何を指すのかあたりも含めて、詳しい方、
平易な言葉で少し解説していただけませんか。
    ↑
神の教えに背く、疑いを抱く、従わない、ということです。

西洋でも、かつては土着の宗教がそれぞれの地域に
根付いていました。
それが、キリスト教に席巻されたため、土着の
神が悪魔にされてしまったのです。

つまり、キリスト教の教義と合わないので、
悪魔に格下げされることになりました。

そういう経緯を念頭におけば、堕天使が悪魔だ
という意味が理解できるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>西洋でも、かつては土着の宗教がそれぞれの地域に
根付いていました。
それが、キリスト教に席巻されたため、土着の
神が悪魔にされてしまったのです。

極めて興味深いお話です。
インディアンが移民に悪者として位置づけられているようなものでしょうか。
宗教といえども多数決など力の論理がまかり通っている、ということになりますか。

>つまり、キリスト教の教義と合わないので、
悪魔に格下げされることになりました。そういう経緯を念頭におけば、堕天使が悪魔だ
という意味が理解できるのではないでしょうか。

おっしゃるとおりかもしれません。
そこで疑問が湧くのですが、キリスト教者自身は、どういったスタンスなんでしょうか。
つまり、立場を替えれば、というか、世が世であれば、自分たちも堕天使、すなわち悪魔であったかもしれない、という可能性について想像してみるだけの柔軟性は持っているものでしょうか。

お礼日時:2015/12/28 22:31

キリスト教でも、教派はいろいろありますが、キリスト教の神が全能である前提として、すべては神が創造したものとなります。


つまり、悪魔も神の創造物となります。
悪魔の長であるサタンは、ルシファーが堕落して堕天使となったとする説が主流となっていると言う事で、神と悪魔が紙一重と言う意味ではありません。
堕落とは、神に従わない行為を行う事全てを意味します。(神の意思に背く行為を行う事が堕落です)
神の意思を誤って解釈する行為は、異端と呼ばれます。(この場合は、神に従っているが、誤った解釈をしている事になります)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>つまり、悪魔も神の創造物となります。

なるほど。
それは気づきませんでした。
神が全能という立場に立てば論理的だと思います。

>堕落とは、神に従わない行為を行う事全てを意味します。(神の意思に背く行為を行う事が堕落です)

素人考えで恐縮ですが、「堕天使」と言う以上、元々は天使だったと思うのですが、どうでしょうか。
で、元々の天使が「なぜ堕したのか?」という辺りについては、どう解釈されているのだろうか、ということがちょっと気になったわけです。
まあ、言い訳があれば聞いてやる、みたいなことがキリスト教で為されたことがあるのだろうか、といったあたりも含めてですね。

お礼日時:2015/12/28 22:38

悪魔と天使は全くの別物です。


悪魔は元からいましたし、善と神・天使が近寄る事をはばかりました。
キリスト教では、はばかる・誘惑する天使ではなく、悪魔の事を怪物だという印象が強いです。
天使とは、キリストの使者だけど、サターンの悪魔はなれませんでした。
確かにルシファーは、元は天使守護神の悪魔でしたが、天使の記述がないため、違います。
天使守護神の神話創世記の中で、ルシファーは裏切り者と記載される事が多く、悪魔は元からいた事になります。
神と使者天使と、悪魔は全くの別物だという答えが正しいようです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>悪魔と天使は全くの別物です。
悪魔は元からいましたし、善と神・天使が近寄る事をはばかりました。

明快にお答えいただきありがとうございます。

>天使守護神の神話創世記の中で、ルシファーは裏切り者と記載される事が多く、悪魔は元からいた事になります。
神と使者天使と、悪魔は全くの別物だという答えが正しいようです。

そうすると、天使が堕落したのではなく、元々堕天使と呼ばれる悪魔がいた、ということでしょうか。
だとした場合、私が不思議に思うのは、なぜ(「悪魔」ではなく)「(堕)天使」という呼称をあえて使ったのか?という点です。
当初は、神をも欺いていた、とかいう位置づけなんでしょうか。

お礼日時:2015/12/28 22:45

悪魔は元は天使でした 神の創った者 人間と天使だったのです



それが人間が愛され楽園を自由に生きて良いとされた事で

天使が人間に嫉妬して 蛇の姿をしてエバに現れ 善悪知るの木から実を取って食べるようにそそのかしたのです

その結果人間は自分が裸であることを知り 楽園を追われ

その天使は神の怒りをかって 堕落した堕天使として悪魔になってしまったのです

蛇が悪魔の囁きをしたとも言えます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

わかりやすいご説明です。
そうしますと、堕天使の「堕」とは嫉妬を意味していますか。
また、それが悪魔の大王(ですよね?)の由来なら、悪の根源は嫉妬だとキリスト教では位置づけているでしょうか。
また、(天使でさえ悪魔になるなら、可能性としてはあることになりますから、)自分たちもいつこのような堕天使=悪魔になるやもしれない、という怖れみたいなものはキリスト教者の方たちは持っているものでしょうか。

お礼日時:2015/12/28 22:51

こんばんは、はこぶるさん。


しろうとです。






☆黙示録12-9
こうして,大いなる龍+,すなわち,初めからの蛇+で,悪魔+またサタン+と呼ばれ,人の住む全地*を惑わしている者+は投げ落とされた。彼は地に投げ落とされ+,その使いたちも共に投げ落とされた。




ここに初めからの悪魔がいますが、
わたしはこれらと堕天使は


同・格・で・は・な・い
と思います。




___________



さらに。

初めからの悪魔も堕天使も、
排除すべき対象
として描かれているのではなく
必要な存在だから登場している
のだと思います。



___________



例えば、

人間が農産物水産物畜産物
などを食して生きているやうに

人間の苦しみをエサ
にして生きている存在D
を想定してみてください。

次にその存在Dを抹消したら
あるいは、そいつのエサである
人間の苦しみが無くなったら
どうなるか想像してみてください。



たぶんそれこそ人間は
堕落して腐るんぢゃないかしら。



なお、人間はだれだって
天使もどきときどき悪魔もどき
にしかなれず、
完全な天使人間も
完全な悪魔人間もいません。



想定することができるだけです。





お粗末さまでした。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

ごもっともなご見解だと思います。

お礼日時:2015/12/28 22:53

どいつもこいつも馬鹿だから、述べていることを信じるな。



これは事実である。
天使は知恵を持っている。
ゆるぎない知恵であるから逆の方向に向かうことはない。
むしろ、賢者、知者が危ない。
当然、愚者(悟りを得ていないもの)も危ない。

悪魔のこと、UFOのこと、宇宙人のこと、未確認生物のこと、これらのことを考えてはいけない。
これらを扱っているものたちはほとんどが狂っている。感染するからである。
これらの映画も、TVも見てはいけない。
平気だからといって、自分の心を軽く見てはいけない。
痛い目にあうと言う。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>どいつもこいつも馬鹿だから、述べていることを信じるな。

ひとつのご見解として承っておきます。

>天使は知恵を持っている。
ゆるぎない知恵であるから逆の方向に向かうことはない。

「ゆるぎない」と思っていたけど実は違った、などということも中にはあったりしないですか。
力とか勢いがありすぎると、そのせいで逆に自滅することも良くありそうです。

>むしろ、賢者、知者が危ない。
当然、愚者(悟りを得ていないもの)も危ない。

たしかに知者は危ないでしょうね。
知識だけは豊富でも使い道を知らない人が大勢います。

>悪魔のこと、UFOのこと、宇宙人のこと、未確認生物のこと、これらのことを考えてはいけない。
これらを扱っているものたちはほとんどが狂っている。感染するからである。

おそらくですが、
悪魔のことを考えるのは、神を考えることであり、
UFOや宇宙人のことや未確認生物のことを考えるのは、それらが無い現状を考えることに深くつながってくるように思います。
なので、「考えてはいけない。」とは思わないのですが、何でもそうであるように無理はしないほうが良い、ということなのでしょうね。

お礼日時:2015/12/28 23:03

>>悪魔のことを考えるのは、神を考えることであり


馬鹿は妄想が多いから止めよというのに、自ら進んできちがいせかいに入る。
>>むしろ、賢者、知者が危ない。 当然、愚者(悟りを得ていないもの)も危ない。
これは、何のために言ったのかな。馬鹿には負ける。知っている者はいう。馬鹿には負ける。
痛い目にあうのはお前の選択だ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

ご経験談として承っておきます。
初対面の人間に対して「お前」という表現を使う人にも負けますね。
三十六計の出番ですか。

お礼日時:2015/12/28 23:22

NO.3の者です。


当初は、ルシファーは善良なる神のもとで働いていた(堕)天使だったようですが、神が裏切り者と定めてから、「悪魔」になったというものです。
質問者様のおっしゃる通り、神をも欺いた結果が、悪魔ができたとされる一因だったようです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

実は、もっとも知りたい急所なので、少ししつこめにお尋ねいたします。
>神をも欺いた結果が、悪魔ができたとされる一因だったようです。

ということは、悪魔であることを神は見抜けなかった、ということでしょうか。
それとも、最初は天使だったが、なにかきっかけがあって堕してしまったのか。
どちらでしょうか。

お礼日時:2015/12/29 17:06

1. 次の解釈を伝える記事に注目しました。


▲ (ヰキぺ:ルシファー) ~~~~~~~~~~~~
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%B7 …
§ 5 啓蒙の隠喩・象徴としてのルシファー

超常現象などに関するライターであるリン・ピクネットは、
 ルシファーは進歩と知的探求心の神である
としている。
神に次ぐ地位にあり、最も美しく聡明な大天使であったが、人間に神をも超える可能性を見出したため
神の意思に反し、大天使長から悪魔に堕とされてまで、人間に(プロメテウスのように)光(知恵)を
与えた者として、人間の真の親とされることのある存在でもある[要出典]。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

2. まづ 賛成しない・否定したいところを但し書きします。
a. 《ルシファーないし天使は 神である》はあり得ない。そうなら〔神学の物語で〕造物主が ふたつ
の存在に分かれる。
b. 《地位》はどうでもよい。主観の判断に帰着する。神が決めたのなら 不可変性を持つことになる。
c. 《人間に(プロメテウスのように)光(知恵)を与えた者》というのは あとで論じるようにウソ・
イツハリにかかわるものならば 悪知恵であると予定しうる。

3. 注目したいところは 次の二点です。
d. 《人間に神をも超える可能性を見出した》
e. 《人間の真の親とされることのある存在》
☆ これをまとめて次のように言いかえます。:
f. 《人間として神のごとくいかなる者の下にも立つまいと堅く誓いこれを飽くまで実行した者》

4. (f)が もしそうとすればルシファーの
g. 《わが心に逆らってヤマシサや恥ぢをものともせず地を這い地に落ちた。すなわち倫理(人間関係)
としても堕ちた》
☆ ことの実質的な中身だと捉えます。

5. もっとかんたんに捉えるなら:
h. 《ウソをつきイツハリをおこなうことを〈いさぎよく〉よしと心に決めた》
言いかえると 
i. 《おのれの心に逆らうそのことは 人間の自然本性なる心が誰もに一般に共通であるとするかぎりで
他人(ひと)にも逆らうこと・つまりは 自分のも他人のもその意志をないがしろにしてよいと決めた》
j. 《ひとの意志を踏みにじるのをよしとしたことは ひとの上に立つことである。他人を自分の下に置
くことである。これは アマアガリ(王に成りたい)・シンドロームであり その実行である》
☆ ここで 先の( d・e )の内容につながる。

6. 人びとのケ(日常生活)のいとなみを或る意味で象徴するムラムラのマツリを第二階ないし雲の
上から経営するマツリゴトの親分となること。これが じつは人間であるルシファーのコンタンであっ
た。

7. 《悪魔》というのは カザリのような付けたしであり 《天使》というのは あくまでその機能
の問題だと見ます。つまり《ヒラメキ ないし お告げ》の擬人化に過ぎないと。

8. ★ キリスト教としては、どういう認識になっているのか?
☆ たしかにもう少し込み入った――学問的・道徳的な――議論があるようですが イザヤ書がユダヤ
人たちを国ごとバビロンに捕囚したというその王のことについて 明けの明星(ルシファー)のごとく
天から落ちたと書いたところを 天使が堕ちて墜落したがそれは蛇なる悪魔だったと解釈したことから
来たに過ぎないようです。(前掲ヰキぺ § 3 宗教史学上のルシファーの来歴 § 3.1 原義)。そこか
ら お話が――特には想像裡における自己表現なる文学として――広がったものと思われます。

9. 《悪魔》の問題じたいとしても ただの物語であって 創世記に蛇として描かれたからには 新
約のイエスのところにまで問題として扱われなければならなかった。つまりは 人間の自由意志――特
にその良し悪しなる内容にわたる自由度の広さ――について 先の( a ~ j )までの内容を捉えたもの
と見ます。

10. 《悪魔は 心からウソをつく》とか《悪魔でさえ 光の天使をよそおうのです》とかといった
注意書きを添えれば済む問題だと考えます。

11. 要は 神(もしくは 《無い神》)と人間との関係の問題であり 神以外はすべて人間のこと
であるという見方に帰着すると言うべきではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お示しいただいた、リン・ピクネットの「ルシファーは進歩と知的探求心の神」という解釈は極めて興味深いです。
神に従っているあいだは天使でいられたが、逆らった途端に悪魔にされてしまったということでしょう。
ここに、問答無用で神を絶対視するキリスト者のルーツを見るような気もしますが、うがちすぎですかね。
つまり、ここに神の恣意性が強く働いていて、まあ、神なのだから、それは構いませんが、しかし、ここから窺えるのは単に「なぜなら私は絶対者だからだ」という、戦前の天皇や北朝鮮のドンと変わらない盲目的な自負心。
仮に、そうした恣意性を認め得るとすれば、それに従うべきとされる人々の、「わたしはそれでも良い」という諦念(尊崇の念と自ら誤解している場合がほとんどでしょうが)が存在する場合に限られるはず。
つまり、盲目であるがゆえに問答無用で支配されることを望む人々に対してなら神は有効だろう、ということ。
しかし、そうでない人々に対してまで、この問答無用を押し通そうとするから、当然の帰結として論理破綻が生じる。
この点を無視しての神論議が平然と行なわれていますが、虚しいと思わないのか、かなり不思議に思っています。

>4. (f)が もしそうとすればルシファーの
g. 《わが心に逆らってヤマシサや恥ぢをものともせず地を這い地に落ちた。すなわち倫理(人間関係)
としても堕ちた》

この件も良くわかりませんでした。
(f)の内容が なぜ 『わが心に逆らって』ということになるのか?という点です。

>6. 人びとのケ(日常生活)のいとなみを或る意味で象徴するムラムラのマツリを第二階ないし雲の
上から経営するマツリゴトの親分となること。これが じつは人間であるルシファーのコンタンであっ
た。

これを魂胆と言うのであれば、それは神にも言えるでしょう。

>11. 要は 神(もしくは 《無い神》)と人間との関係の問題であり 神以外はすべて人間のこと
であるという見方に帰着すると言うべきではないでしょうか。

絶対の代名詞として神があるわけで、この代名詞を作ったのは人間でしょう。
「神以外はすべて人間のこと」のような表現をするのでややこしくなる。
人間が存在しなくても絶対は存在し続けますが、しかし、その場合、もはや神というものは存在できないはずでしょう。

お礼日時:2015/12/29 18:04

NO.3の者です。


悪魔である事を神は見抜いていて、「裏切り者」になるまでの間、神との対話をルシファーはしています。
その過程を堕落といい、悪魔でありながら、天使たちといたことになります。

「裏切り者」になってから、神は悪魔を天上界から追放しました。
ルシファーは天界におらず、悪魔界の王になりました。
そして、地上や天界に戻ることはありませんでした。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>悪魔である事を神は見抜いていて、「裏切り者」になるまでの間、神との対話をルシファーはしています。

神は最初から悪魔であることを見抜いていたが、特に裏切りがなかったので「ま、悪魔でもいっか。何か裏切ったわけじゃないし」のように許容していた、ということでしょうか。
つまり、悪魔であることがわかっていながら天使であることを許していた、ということになりますか。

お礼日時:2015/12/30 23:05

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