出産前後の痔にはご注意!

少し前に下記の質問がありました。
【「彼女に恋する」と「彼女を愛する」】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9141652.html

 非常に興味深い質問だったのですが、中途半端な形で打ち切られてしまい、何がなんだかわかりません。

●疑問1
「〜に恋する」は、
1)自動詞 なのでしょうか
2)自動詞兼他動詞 なのでしょうか
3)他動詞 なのでしょうか

●疑問2
「〜を恋する」は辞書にはあるようです(個人的には使いません)。
 下記の1)〜4)にはどのような違いがあるのでしょうか。それは「彼女を愛する」とどう違うのでしょうか。
 少し違う話かもしれませんが、5)〜7)のニュアンスの違いも教えてください。

1)彼女に恋する
2)彼女に恋をする
3)彼女を恋する
4)彼女を恋う

5)彼女が好き
6)彼女を好き
7)彼女を愛する

質問者からの補足コメント

  • 申し訳ない。
    リンクを張り間違えました。
    下記です。
    【彼女に恋する 彼女に恋をする 彼女を恋する 彼女を恋う】〈2〉
    http://ameblo.jp/kuroracco/entry-12115346146.html

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/08 23:21

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A 回答 (6件)

>●疑問1



「~に恋する」は、
1)自動詞 なのでしょうか
2)自動詞兼他動詞 なのでしょうか
3)他動詞 なのでしょうか

一応、二つの辞書を信じて「他動詞」説なのですが、「~に恋する」が増えてる感じなので、自他同形説も捨てきれません。

>●疑問2
「~を恋する」は辞書にはあるようです(個人的には使いません)。
 下記の1)~4)にはどのような違いがあるのでしょうか。それは「彼女を愛する」とどう違うのでしょうか。
 
 まず、「愛する」は
『明治中期 {英}love {ドイツ}lieben などの翻訳語として採用され、西洋の「愛」と結びついた結果、人に対しては、対等の関係での愛情を示すようになる。また、物事に対しても、より精神性に傾いた意味で用いられる。』
 この記述にあるように、過去に比べて意味が狭義になり、精神的で純粋な意味で使われると思います。人に対して寛大になり、相手を許すという気分で気持がより落ち着く感じがすると思います。それに対して「恋する」は人に対する執着心が強まり、悩みの中に引きずり込まれれる感じです。(勿論個人的な見解です)

 1)~4)は形は違うが、意味的にはさほど違うとは思えません。彼女に対して恋心を持つと言うことです。

>5)~7)のニュアンスの違いも教えてください。
 意味の違いではなく、「ニュアンス」と言われるのが、一番難しいことです。「微細な差違」ですね。ここでは、別の説明をしておきましょう。
 「彼女が好き」は文字どおり、「彼女のことが」好きなのです。「が」は「好き」(や「嫌い」)の対象を表す通常の言い方です。
 「彼女を好き」というのは、「を」という対格をとって本来「好く」という動詞の目的語になるべき形で、「好き(だ)」という述語に続くのは筋違いだと思います。しかし、この形を使う人が増えていますね。考えを進めると、好き嫌いは幅広く言います。「映画を好きだ」「ピーマンを好きだ」「ピカソの絵を好きだ」次第に幼稚な言葉遣い思えてきます。「~を好きだ」が通用するのは個人的な人間を対象にした場合に限られると思います。「を」格を受けることが出来るのは、「好む」、「気に入る」、「好く」であり、しかも「好んでいる」「気に入っている」「好いている」の方がより自然で、こうなると文章語専用ですね。

 「彼女を愛する」は既に説明しました。漢語の「恋愛」という熟語が成立した時代とは違って、「恋」と「愛」とはかけ離れてしまったように思います。だから、単純な「愛する」と「恋する」の対比は無理があります。
 (ブログを読んでいたら、自動詞・他動詞の話が書かれていたので、あなたの別の質問の回答欄に参考資料を書いておきました)
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この回答へのお礼

>「~に恋する」が増えてる感じなので、自他同形説も捨てきれません
「〜に惚れる」が自動詞なら、「~に恋する」も自動詞かもしれません。
 それは、「〜に」がついてもつかなくても同じことでしょう。これも疑問点のひとつです。

>1)~4)は形は違うが、意味的にはさほど違うとは思えません。彼女に対して恋心を持つと言うことです。
 同感です。
 もちろん個人差はあるでしょう。
 とくにこのテの感覚は個人差が大きいと思います。
 それを言いだすと、同じ「彼女に恋する」でも個人差があるでしょう。そんなことまで関知する気はありません。これは大きな疑問点のひとつです。

>「を」格を受けることが出来るのは、「好む」、「気に入る」、「好く」であり、しかも「好んでいる」「気に入っている」「好いている」の方がより自然で、こうなると文章語専用ですね。
 少しヨタに走ります。
 博多弁?のだと「好きです」は「すいとっと」?になるかと。
 これは「好いている」なので「を」なんですかね。

お礼日時:2016/01/10 13:13

「恋する」は自動詞か他動詞かと考える前に、こうしたサ変複合動詞というものの成り立ち上、「~する」は「~(を)する」に変形できるものが相当数あります。

「勉強する」が「勉強をする」に、「進級する」が「進級をする」になる例は、枚挙にいとまがありません。したがって、「恋する」が「恋をする」と受け取られても自然です。そうすれば「彼女に恋する」は「彼女に恋をする」という形になるのも自然です。過去の回答の中に、hakobuluさんの、他動詞が「直接目的語」「間接目的語」を取るという考えがありましたが、それとは別に
  「(わたしは)彼女に(間接目的語)恋を(直接目的語)する」
という形について示唆されたのは、前回の質問における、No.5 moto_koukousei さんであり、
 《恋すると愛するで、使用状況が異なるのは、想像ですが、「恋する=恋をする」の感覚があって、「彼女に恋する⇒彼女に恋をする」も理解できる》
 また、次のサイトにある回答もそうです。
 《「彼女に恋する」→「彼女に恋をする」=彼女に恋愛感情が向けられている。「に」は、恋愛感情が彼女に向けられていることを示しています。》
 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …

 こうしてみると、「直接目的語」「間接目的語」の両方があるのは納得できますが、その「間接目的語」だけを取る他動詞というのは,少しおかしいと思います。多分「(わたしは)彼女に(間接目的語)する」というのではなくて、「(わたしは)彼女に(間接目的語)恋する」か「(わたしは)彼女を(直接目的語)恋する」の二種類があるということなのでしょう。しかし、こういう二者択一はちょっと考えにくいのです。「直接目的語」があっての「間接目的語」
ですから。(これは英語でも同じでしょう)

 ところで、こんどは自動詞・他動詞の話ですが、自他の区別をしている辞書は「広辞苑」「日本国語大辞典」の外に「明鏡国語辞典」があります。前二つは「恋する」を他動詞と書いているのに対し、「明鏡」は自他サ変(多分同形の意味)としています。しかし、例文は「隣の子に/を恋をした」「恋に/を恋する年頃」と書いているだけで、ここからは何もうかがえません。
(これ以外に自他の区別をしている辞書をご存じでしたら是非教えてください)ということで「自他」の区別も少し怪しくなってきました。
 
 前回の質問に、青空文庫の検索結果を載せました。30件中、9例が「に」、20例が「を」で、1例が「と」でした。やはり、「を」が多数派かと思っていました。ところが、「KOTONOHA」で検索してみると、違う結果が出ました。「を」が8例、「に」が18例と逆転しています。念のためどのような人が書いたのか調べると、「を」派が沢地久枝、円地文子、井上ひさし他。「に」派が栗本薫、森 敦、吉川英治などでした。筆者別のわたしの評価は井上ひさしのいる「を」派が優勢です。しかし、数が数だけに、「に恋する」という言い方がどうして増えたのか不思議ではあります。

 「KOTONOHA」での検索の中で、「マリアに惚れるタイプ―イブに恋するタイプ―そしてリリスを好きになるやつ」がありました。「惚れる」は「に」でなければなりません。「惚れる」は自動詞です。過去に書いたのですが、『他動詞に「に」が必要だとする人があります。それは「甘える・ほえる・噛みつく・あこがれる」のような限られた動詞です。』これはどこから引用したのか忘れましたが、調べてみると、これ全部自動詞なんです。そのことは「広辞苑」「日本国語大辞典」の信頼性を裏付けました。
 しかし、いろんな情報の中でまだ落ち着かない状態です。

 お尋ねの「日本国語大辞典」はネット上にあり、有料利用ですが、引用には便利です。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

いろいろあって、どうしても字数を超えます。
 下記に書きました。
http://ameblo.jp/kuroracco/entry-12114605133.html

お礼日時:2016/01/08 23:19

#1です。



> hakobuluさんが先行質問のコメントに書いていることは、何度も読み返してかろうじて理解しているつもりです。また同様の努力をしなければならないのでしょうか。

前回のコメント#4と#7では内容が、違っています。
#7は#4の一部を訂正する形でのコメントですが、趣旨が2箇所に分かれているため、わかりづらいと思ったわけです。
理解していただいたとするなら、1 はスルーしてくだされば良いだけの話でしょう。

> それなのに同じ趣旨のことをこれだけの長文で微妙に書きかえて繰り返されて、何がどうかわったのかチェックしなければならないのでしょうか。

今回のご質問への回答は2で述べていますが、それについてのコメントが無いのはどうしたわけですかね。
>何がなんだかわかりません。

に対して真摯に回答したつもりですが、関係ないクレームをつけるだけで、肝心の点には全く触れていない。
何のために質問したんですかね?
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「愛する」が範囲の広い概念であること前回示しました。

その中の一部として、〔一〕の(2)、(3)があり、特に(2)は性愛に結びつく概念であるため、仏教でも煩悩の一つに数えられ否定されました。中世にカトリックの宣教師(ポルトガル人)が来たとき、いわゆる「神の愛」を「愛」という言葉に換えることが出来ず、「お大切」という言葉を使ったのは有名な話です。
 さて、今回は「恋ふ」と「恋する」です。特に「恋ふ」の「語誌」(3)(6)にご注意。このことからわかるのは「に恋する」の形は本来上代の用法だったことが分かります。

  日本国語大辞典 こ・う[こふ] 【恋】 〔他ハ上二〕
(1)人・土地・植物・季節などを思い慕う。また、めでいつくしむ。
*日本書紀〔720〕斉明七年一〇月・歌謡「君が目の恋(こほ)しきからに泊(は)てて居てかくや姑悲(コヒ)むも君が目を欲(ほ)り」
*万葉集〔8C後〕二・一一一「古(いにしへ)に恋流(こふル)鳥かも弓絃葉の御井の上より鳴き渡り行く〈弓削皇子〉」
*万葉集〔8C後〕五・八六二「人皆の見らむ松浦(まつら)の玉島を見ずてやわれは故飛(コヒ)つつ居らむ〈大伴旅人〉」
*観智院本三宝絵〔984〕下「恩を思ふ人いかでか昔をこひざらむ」
*源氏物語〔1001〜14頃〕紅葉賀「ひめ姫はなほ時々思ひいで聞え給ふ時、尼君をこひ聞え給ふ折多かり」
(2)異性(時には同性)に特別の愛情を感じて思い慕う。恋する。恋慕する。
*古事記〔712〕上・歌謡「股長(ももなが)に 寝(い)は寝(な)さむを あやに な古斐(コヒ)聞こし 八千矛の 神の命(みこと)」
*万葉集〔8C後〕一五・三七五〇「天地(あめつち)の極(そこひ)のうらにあが如く君に故布(コフ)らむ人はさねあらじ〈狭野弟上娘子〉」
*伊勢物語〔10C前〕六三「百年(ももとせ)に一年(ひととせ)たらぬつくも髪我をこふらし面影に見ゆ」
*徒然草〔1331頃〕二一四「想夫恋といふ楽は、女、男をこふる故の名にはあらず」

「語誌」
(1)語源を「乞う」と関連づける説は、「恋う」の「こ」が上代甲類音、「乞う」の「こ」が乙類音であるところから誤り。
(2)上代では、時間的、空間的、心理的に、離れている物事を慕い、会えずに嘆く気持を表わす。
(3)上代では、ふつう「に」を上に伴う。「を」を伴うようになるのは中古からである。
(4)特殊な活用の例として、「中華若木詩抄‐中」の「天下を中興せんと思た風を恋ふこと」、「歌謡・松の葉‐三・のんやほぶし」の「千々のあはれは妻こふ鹿の音」などのように、四段活用型の連体形の用例も散見する。
(5)現代でも、まれに「改正増補和英語林集成」の「オンナヲ koiru (コイル)」や「小鳥の巣〈鈴木三重吉〉上・三」の「自分がこの祖母を恋ひる事を忘れて出てゐる間に」のように、上一段活用化した用例が見られる。
(6)名詞形にサ変動詞の付いた「こひす」も上代から用いられ、異性を対象とし、もっぱら恋慕の状態にあることを表わした。

  日本国語大辞典
  こい‐・する[こひ:] 【恋】 〔他サ変〕文語 こひ・す〔他サ変〕
恋をする。恋い慕う。恋う。
*万葉集〔8C後〕一一・二三九〇「恋為(こひするに)死にするものにあらませばあが身は千たび死かへらまし〈人麻呂歌集〉」
*源氏物語〔1001?14頃〕総角「をかしげなる女絵どもの、こひする男のすまひなどかきまぜ」
*平家物語〔13C前〕一〇・海道下「恋せばやせぬべし、恋せずもありけりと、明神のうたひはじめ給ひける足柄の山をもうちこえて」
*俳諧・炭俵〔1694〕下「上をきの千葉刻(きざむ)もうはの空〈野坡〉 馬に出ぬ日は内で恋する〈芭蕉〉」

 なお、中世以後の近代語において「が」(主格)、「を」(対格)という格助詞が使われ始めて、日本語は論理的な言語になった、と「日本語の歴史」の著者、山口仲美は書いています。それまでは、「月見る」のように「を」を入れない形が普通でした。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。
 コメントNo.2&No.3へのとりあえずの「お礼」をまとめて。

「愛する」がこんなに古くからあったことのは意外な感じです。
 ただ、やはり現代の「愛する」とは隔たりがありそうで……。

 そうか。
「恋しい」がありましたね。
 これが「好き」に近いのかも。

〈「を」を伴うようになるのは中古から〉ですか。
『日本国語大辞典』の記述では「恋する」はやはり他動詞で、自動詞はないんで。

 ところで、↑の『日本国語大辞典』は紙版でしょうか、電子辞書の精選版でしょうか。

お礼日時:2016/01/08 17:15

何回かに分けて、意見を述べます。

その前段階として、まず「愛する」についての確認をするため、「日本国語大辞典」の「愛する」項目を引用します。意外なことに、関係あるのは一の(3)
と、〔四〕と 最後の「語誌」だけだと言うことです。

  「日本国語大辞典」
あい‐・する 【愛】 〔他サ変〕文語 あい・す〔他サ変〕
〔一〕人や動物に対して心が引かれる場合。
(1)非常に気に入って、いちずにかわいがる。寵愛する。
*大鏡〔12C前〕六・道長下「寛平の御孫なりとばかりは申しながら、人の御ありさま有識におはしまして、いづれをも村上のみかど時めかし申させ給ひしに、いますこし六条殿をばあいし申させ給へりけり」
*古本説話集〔1130頃か〕五八「えもいはずよき馬に乗りたる人、この馬をあひしつつ、道をもゆきやらず」
*愚管抄〔1220〕三・称徳「此女帝、道鏡と云ふ法師を愛せさせ給て、法王の位をさづけ」
*堤中納言物語〔11C中〜13C頃〕虫めづる姫君「いと白らかに笑みつつ、この虫どもを朝夕(あしたゆふべ)にあいし給ふ」
*俳諧・曠野〔1689〕二・初春「蘭亭の主人池に鵝を愛せられしは筆意有故也。池に鵝なし仮名書習ふ柳陰〈素堂〉」
*小学読本〔1873〕〈田中義廉〉二「汝は、猫を愛するや、犬を愛するや」
(2)好意を相手への行動として示す。また、特に、なでさする。愛撫(あいぶ)する。
*今昔物語集〔1120頃か〕三一・一〇「今夜正しく女の彼の許に行て、二人臥して愛しつる顔よ」
*御伽草子・酒呑童子〔室町末〕「夜にもなればその内にて、われらを集めあひせさせ足手をさすらせ起き臥し申すが」
*談義本・万世百物語〔1751〕三・長州に寵愛一子「あたまをなで口などおしつけあいするを、ちくせうといへどしたふならひ」
(3)(男女の間で)慕わしく思う。好きだという気持になる。恋しく思う。
*人情本・春色辰巳園〔1833〜35〕初・二回「偽と思ひながらも今さらにたがまことをか我はたのまん。これは仇なる男などの、深くも愛せずさすがに捨もやらぬを、相たのみたる女の、心をよみたるなるべし」
*浮雲〔1887〜89〕〈二葉亭四迷〉三・一六「苟(かりそ)めにも人を愛するといふからには、必ず先づ互に天性気質を知りあはねばならぬ」
*虞美人草〔1907〕〈夏目漱石〉一二「愛せらるるの資格を標榜して憚からぬものは、如何なる犠牲をも相手に逼る。相手を愛するの資格を具へざるが為である」

〔二〕物事に対して心が引かれる場合。
(1)貴さ、美しさなどを感じて、強く好きに思う。
*今昔物語集〔1120頃か〕一九・九「此の硯を取出して見るに、実に伝へ聞つるよりも云はむ方无(な)く微妙なれ、愛して、手裏(てのうち)に居(すゑ)て差上げ差下し、暫く見る程に」
*方丈記〔1212〕「今、さびしきすまひ、一間(ひとま)の菴(いほり)、みづからこれを愛す」
*徒然草〔1331頃〕三八「つらつら思へば、誉(ほまれ)を愛するは、人の聞(きき)をよろこぶなり」
*花柳春話〔1878〜79〕〈織田純一郎訳〉五「マルツラバースは貧富貴賤を論ぜず、常に人物を愛して財産を愛せず」
*経国美談〔1883〜84〕〈矢野龍渓〉前・一「斯くまで敵国の君王が国を愛して其の身を棄る程ならば」
*稲熱病〔1939〕〈岩倉政治〉一「その田舎にめづらしく充実した本棚は、彼が学問を愛することを示してゐたし」

(2)美しさ、おいしさ、良さなどを好んでそれを楽しむ。愛好する。賞美する。
*今昔物語集〔1120頃か〕二〇・三四「『故別当の肉村(ししむら)なれば、吉きなめり。此の汁飲れよ』と妻(め)に云て、愛し食(くらひ)けるに」
*徒然草〔1331頃〕二一四「晉の王倹、大臣として、家に蓮(はちす)をうゑて愛せし時の楽なり」
*どちりなきりしたん(一六〇〇年版)〔1600〕六「おんたあでとてよきと思ふ事をのぞみあしきと思ふ事をきらひものをあいするせい」
*日葡辞書〔1603〜04〕「ハナヲ aisuru (アイスル)」
*俳諧・去来抄〔1702〜04〕先師評「古人も此国に春を愛する事、おさおさ都におとらざる物を」
*羽鳥千尋〔1912〕〈森鴎外〉「私は彫塑(てうそ)と絵画とを音楽に次いで愛する」

〔三〕(一説、相(あい)する)適当に扱う。子供などのきげんをとる。あやす。
*今鏡〔1170〕八・花のあるじ「ちちのみやみ給て、まろをおきて若宮はあしくよみ給かなどあいし申給けるとぞ人のかたり侍し」
*平家物語〔13C前〕九・二度之懸「是程の大勢の中へただ二人いったらば、何程の事をかしいだすべき。よしよししばしあひせよ」
*虎明本狂言・盗人の子〔室町末〜近世初〕「うつくしひ子じゃと云て、いだきあげ、あひして、わらふといふて、よろこびわらふ」
*浄瑠璃・曾我七以呂波〔1698頃〕五「ひざに引よせなでさすり、いとしの者(もの)やとあいし給ふ、親子の中こそわりなけれ」
*雑俳・卯の花かつら〔1711〕「髭の無い顔が愛すりゃ泣出して」

〔四〕(キリスト教で)神が、あらゆるものをいつくしむ。また、そのような精神で、自分以外のものをかけがえのないものと思う。
*引照新約全書〔1880〕馬太伝福音書・一九「爾の父と母を敬へ。又己の如く爾の隣を愛(アイ)すべし」

「語誌」
(1)平安初期には漢文訓読の際に用いられていたが、和文系資料では平安末期(院政期)以降に見られるようになる。
(2)対象となるのは人・動植物・物事などさまざまであるが、対象への自己本位的な感情や行為を表わすことが多く、精神作用にとどまらない点が「おもふ」と大きく異なる。また、人に対して使う場合は目上から目下へ、強者から弱者へという傾向が著しかった。
(3)明治中期 {英}love {ドイツ}lieben などの翻訳語として採用され、西洋の「愛」と結びついた結果、人に対しては、対等の関係での愛情を示すようになる。また、物事に対しても、より精神性に傾いた意味で用いられる。その点で感覚的である「このむ」とは異なっている。
(4)現代の用法は明治中期以降の流れに沿うものであり、口頭語としての使用も増えているが、文章語の性格を脱したとは言えない。語感に個人差・年齢差が大きいと思われる。
(5)使役「せる(す)」受身「れる(る)」が付くときは、「せさせる(せさす)」「せられる(せらる)」となるが、近世以降詰まって「させる」「される」の形が現われる。樋口一葉「うもれ木‐六」の「喜ばれ度し愛されたし」、夏目漱石「それから‐一六」の「三千代さんの心機を一転して、君を元よりも倍以上に愛させる様にして」など
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1.


読み返してみると、たしかに曖昧性の残る回答だったかもしれません。
私の中では前回の#7が最終的な結論となっていますが、これは、自動詞に関する#6さんのご教示を受けて#4の内容を修正(一部訂正)し、その要点を示したものです。
良い機会ですので、#4の内容全体を書き直してみたいと思います。

類語辞典の例文は次のようになっています。
○友人の妹を愛する
○友人の妹を恋する
×令嬢に愛する
○令嬢に恋する
○夫を深く愛する
×夫を深く恋する
http://dictionary.goo.ne.jp/thsrs/3924/meaning/m
これを見る限り、
・恋する⇒自他両用動詞
・愛する⇒他動詞
ということなのかもしれません。
「愛する」が「~を愛する」という形をとる他動詞であることは問題ないと思います。
一方、「恋する」は自他両用動詞と思います。
他動詞の場合、辞書例文にあるように、
○友人の妹を恋する(直接目的語)
○令嬢に恋する(間接目的語)
という使い方ができる。
一方、「命短し、恋せよ乙女」などの場合は自動詞と言って良いのでしょう。

直接目的語を取る他動詞(~を恋する)と間接目的語を取る他動詞(~に恋する)の違いについても絡めながら述べていきます。
そもそも、「愛する」というのは、その「動作が向かう先としての対象」が必要だと思います。
なので直接目的語を取る他動詞にならざるを得ない。
しかし、「恋する」の場合、その「動作が向かう先としての対象」が存在することもあるが、必ずしも存在しなくても構わない。
たとえば、
「彼は最近、生き生きしているね」
「だろ?どうも恋してるみたいなんだ」
などという場合は自動詞になるのではないか、と思います。
むろん、恋の対象は存在するわけですが、「動作が向かう先としての対象」は、上記の会話において、必ずしも意識はされていないはず。
「夫を深く恋する」が×なのも、「夫を」と「恋する」の間に「深く」という挿入があるため、「夫」が「( [ 恋する ] という)動作が向かう先としての対象」としては想定しづらい構文だからなのかもしれません。
一方、
「お相手は誰だい?」
「よくは知らないが、友人の妹を恋しているようだ」
などという会話においては直接目的語を取る他動詞として働く。
「動作が向かう先としての対象」として「友人の妹」が意識されている。
「よくは知らないが、友人の妹に恋しているようだ」
という応答になることもあると思いますが、こちらは間接目的語を取る他動詞として働いていることになる。
とはいえ、直接目的語を取る他動詞としての「(~を)恋する」には違和感を覚えますし、実際問題としても使われることも稀でしょう。

少しまとめてみますと、ご質問のケースでの違いの要点は、
「(~を)愛する」は、直接目的語を取り、相手に何らかの強い影響や変化を直接的に与える他動詞である、ということ。
「(~に)恋する」は、間接目的語を取り、相手に与える影響や変化に直接的には結びつかない他動詞である、という点だろうと思います。
つまり、「~を愛する」と「~に恋する」の違いは、相手に対する影響の程度の違いだ、というのが直接的な回答になるでしょう。
今回の外国の方に対しては、この説明で良いと思います。
理解できる相手に対しては、
目的語を一切取らない自動詞としての「恋する」という用法、
直接目的語を取り、相手に何らかの影響や変化を直接的に与える他動詞としての「~を恋する」などについて触れても良いでしょう。

2.
●疑問1

「〜に恋する」は、
3)他動詞
になると思います。
正確には「間接目的語を取る他動詞」。
というのは、「〜を恋する」も全否定はできないからです。
因みに、自動詞としての「恋する」の場合は目的語を取らない形になると思います。

●疑問2
「〜を恋する」は辞書にはあるようです(個人的には使いません)。
 下記の1)〜4)にはどのような違いがあるのでしょうか。それは「彼女を愛する」とどう違うのでしょうか。
 少し違う話かもしれませんが、5)〜7)のニュアンスの違いも教えてください。

基本的には1でも述べましたが、他動詞に関しては、
(ア)「直接目的語(~を)を取り、相手に何らかの強い影響や変化を直接的に与えるもの」
(イ)「間接目的語(~に)を取り、相手に与える影響や変化に直接的には結びつかないもの」
この2つがあると思います。

1)彼女に恋する⇒ 彼女に強い影響や変化を直接的には与えない中で恋する。
2)彼女に恋をする ⇒1)と同じですが、名詞化されていますので「恋というものを」と、特に強調しているニュアンスでしょう。
3)彼女を恋する ⇒ 彼女に強い影響や変化を直接的に与える(または与えるつもりの)勢いで恋する。
4)彼女を恋う ⇒意味的には3)と同じ。ただ、「名詞+する」という形のサ変動詞ではない分、対象に対する強い指向性を感じます。たぶんですが、自動詞としての用法は持っていないのではないでしょうか。

5)彼女が好き ⇒「好き」の対象を、それは彼女だ!と特定している。
6)彼女を好き ⇒「好き」の対象は彼女である、と単純に示している。
7)彼女を愛する ⇒ 彼女に強い影響や変化を直接的に与える(または与えるつもりの)勢いで愛する。「好き」は自分の状態を指しているだけであるが、「愛する」は相手へ働きかける要素が大きい点が異なる。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

 申し訳ございませんが、コメントの趣旨が理解できません。
 当方は先行質問のコメントを読んで「何がなんだかわかりません」と書いています。
 それなのに同じ趣旨のことをこれだけの長文で微妙に書きかえて繰り返されて、何がどうかわったのかチェックしなければならないのでしょうか。
 hakobuluさんが先行質問のコメントに書いていることは、何度も読み返してかろうじて理解しているつもりです。また同様の努力をしなければならないのでしょうか。
 
 ほかのかたのコメントを待ちたいと思います。

お礼日時:2016/01/08 17:00

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よろしくお願いします。

Aベストアンサー

#3ですが少し補足いたします。

類語辞典の例文は次のようになっています。
○友人の妹を愛する
○友人の妹を恋する
×令嬢に愛する
○令嬢に恋する
○夫を深く愛する
×夫を深く恋する
http://dictionary.goo.ne.jp/thsrs/3924/meaning/m0u/
これを見る限り、
・恋する⇒自他両用動詞
・愛する⇒他動詞
ということなのかもしれません。
「愛する」が他動詞であることは確かでしょうから、これは「~を愛する」という形になる。
一方、「恋する」は自他両用なので、辞書例文にあるように、
○友人の妹を恋する(他動詞)
○令嬢に恋する(自動詞)
という使い方ができる。

ここからは個人的な見解になります。
そもそも、「愛する」というのは、その「動作が向かう先としての対象」が必要だと思います。
なので他動詞にならざるを得ない。
しかし、「恋する」の場合、その「動作が向かう先としての対象」が存在することもあるが、必ずしも存在しなくても構わない。
たとえば、
「彼は最近、生き生きしているね」
「だろ?どうも恋してるみたいなんだ」
などという場合は自動詞になるのではないか、と思います。
むろん、恋の対象は存在するわけですが、「動作が向かう先としての対象」は、上記の会話において、必ずしも意識はされていないはず。
「夫を深く恋する」が×なのも、「夫を」と「恋する」の間に「深く」という挿入があるため、「夫」が「( [ 恋する ] という)動作が向かう先としての対象」としては認定しづらい構文だからなのかもしれません。
「お相手は誰だい?」
「よくは知らないが、友人の妹を恋しているようだ」
などという会話においては他動詞として働く。
「動作が向かう先としての対象」として「友人の妹」が意識されている。
いずれにせよ、他動詞としての「恋する」には違和感を覚えますし、実際問題としても使われることは、まず無いでしょう。
外国の方に対しては、自動詞・他動詞の違い、という説明で十分ではないかという気がします。

#3ですが少し補足いたします。

類語辞典の例文は次のようになっています。
○友人の妹を愛する
○友人の妹を恋する
×令嬢に愛する
○令嬢に恋する
○夫を深く愛する
×夫を深く恋する
http://dictionary.goo.ne.jp/thsrs/3924/meaning/m0u/
これを見る限り、
・恋する⇒自他両用動詞
・愛する⇒他動詞
ということなのかもしれません。
「愛する」が他動詞であることは確かでしょうから、これは「~を愛する」という形になる。
一方、「恋する」は自他両用なので、辞書例文にあるように、
○友人の妹を恋する(他動詞)
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Q続【「ので」と「ため」の違いについて】

 以前下記のスレッドが立ちました。
【「ので」と「ため」の違いについて】
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8625598.html

 何がなんだかわからないうちに話が終わった気がします。
 その後いろいろ調べて、わからないなりにいろいろ考えました。
 現段階では、下記くらいに考えています。
【「だから」「なので」の違い その2 「~から」「~ので」「~で」「で」「から」「ので」】
http://ameblo.jp/kuroracco/entry-11932114478.html

==============引用開始
 とりあえず、【ので】の制約は5つありそうだ。詳しいことはわかりません(泣)。
1)「~のは~{から/ので/ため}だ(です)」の文型だと「ので」が×になる
例 3 遅刻したのは、電車が遅れた{から/×ので/ため}です
※語順を入れかえるとOKになる
電車が遅れた{から/ので/ため}遅刻しました

2)「だろう」の後にはつかない(ほかの推量ならOKのときもある)
例 4 明日は晴れるだろう{から/×ので/×ため}洗濯をした
※前件が推量でもOKの例
明日は晴れそう{だから/なので/なため}洗濯をした

3)後件が命令形(OKのときもある)
例 5 よい子{だから/△なので/×のため}おとなしくしなさい
例 6* お願い{だから/△なので/×のため}静かにしてください
※後件が命令形でもOKの例
あの子はよい子{だから/なので/×のため}仲良くしてあげなさい

4)理由は不明。後件が推量だと×になることがあるのかも。
例 7 あれほど繰り返すの{だから/×なので/×ため}、本当なんだろう
※後件が推量でもOKの例
電車が遅れた{から/ので/ため}遅刻したのだろう

5)デスと相性が悪いのかも
例 9 期限はあしたです{から/△ので/×ため}お忘れなく
==============引用終了

 不明な点があまりにも多くて……。 
 何かわかりやすい解説をしている文献はないでしょうか。
 辞書・サイト・論文など、教えてください。


 なお、↑のリンク先に書いたように、下記の3点の説明には、個人的に強い疑問をもっています。ネット上で見られる論文などは、ほとんどがこういう考え方を否定しているように読めます。下記のような考え方をしているサイト・論文などがあるのでしょうか。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/thsrs/17210/m0u/%E3%81%AE%E3%81%A7/
==============引用開始
「ので」は、前件と後件との間に客観的な因果関係が認められる場合に用いられやすい。==============引用終了

http://kotobank.jp/word/%E3%81%AE%E3%81%A7?dic=daijisen&oid=14449700
==============引用開始
デジタル大辞泉の解説
ので 【ので】
(中略)
◆ 近世中ごろから用いられ、明治に入って一般化した。また、前件が理由となって後件のような結果の生じることが、だれの目から見ても当然と思われるような場 合に用いられるとされる。「から」に比べるとあらたまった感じを伴うが、くだけた表現の場合、「あまり暑いんで閉口した」のように「んで」となることもあ る。
==============引用終了

==============引用開始
大辞林 第三版の解説
ので
(中略)
〔理由・原因を表す接続助詞「から」との相違について。「ので」は因果関係が客観的事実に基づいているような場合に用いられるのに対し,「から」は,推 量・禁止・命令・質問など,話し手の主観に基づくような場合に用いられる。一般に,「ので」は,「から」に比べて,条件としての独立性が弱い場合に用いら れる〕
==============引用終了

 以前下記のスレッドが立ちました。
【「ので」と「ため」の違いについて】
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8625598.html

 何がなんだかわからないうちに話が終わった気がします。
 その後いろいろ調べて、わからないなりにいろいろ考えました。
 現段階では、下記くらいに考えています。
【「だから」「なので」の違い その2 「~から」「~ので」「~で」「で」「から」「ので」】
http://ameblo.jp/kuroracco/entry-11932114478.html

==============引用開始
 とりあえず、【ので】の制約...続きを読む

Aベストアンサー

 質問者の疑問は、「ので」・「から」の使い分けにあるのか、あるいは接続の方に問題を感じていらっしゃるのかが、はっきりしません。あるいは、両面にわたっているのかも知れません。
 取り敢えずは、「日本文法大辞典」の「ので」の項目にある説明を転載しておきます。(長文)

「ので」は概していえば、事態の客観的な叙述、つまり、既定の事実として、因果関係などか事柄自体に内在するものと認めたうえで、それをそのままに表現するのに用いられる傾向がある。したがって、同種の接続助詞「から」と比較した場合、話し手が主体的な立場である事柄を原因・理由に取り上げたうえで、それから順当な帰結として導かれる判断と結びつけようとする表現には「から」が用いられ、「ので」は用いられないのが普通だとされる。
 たとえば、その判断が主観に属する面の強い、意志や推量を表わす表現、いい・悪い・好き・嫌いなどの個人的な感覚・感情に支配される表現や、また、正当な理由づけをもって相手に何らかの行為を要求する、命令・禁止・勧誘・依頓その他、それに類する表現などには、「から」がもっぱら用いられ、「ので」は一般には用いられないというわけである(永野賢「『から』と『ので』とはどう違うか」『国語と国文学』(昭和二七・二)。
 しかし、上述のことは、その表現形態上の特徴をごく概括的にみていえることであって、平叙文などにおいては、個々の文脈から整然と「ので」と「から」を機能的に異質なものとしてとらえるのは困難であり、格助詞「へ」と「に」について、動詞「行く」「来る」などとの結びつきでは、その違いを明確に区別できないのと同様に、これもある面までは同義的に重なり合つているものとみるべきだろう。
 ただ、「ので」が素材間自体に見られる因果関係の客観的な表現であり、「から」に比べて、その文の陳述とはかかわりあいが薄く、従属的であることは次の点から明らかである。すなわち、「頭が痛いので委員会に欠席するから、よろしくお伝えください」のように、「から」に導がれる従属文中にさらに「原因」「埋由」などを述べる事柄がある場合には、それは「ので」によつて表わされるが、その逆はないということや、「から」のように、あとに「は」「も」「こそ」などの係助詞を伴う用法が「ので」にはないこと、あるいは、「から」には、「……からだ」のように、原因・埋由・根拠などだけをその結果と結びつけずに取り立てて述べる用法があるが、「ので」にはないことなどである。
 ところが一方、「から」は、前件を主体的に取り立てて後件に結びつけるために、表現主体の立場が強く前面に出てきて、押しつけがましい印象を聞き手に与えると感じられるためか、一般には「ので」が用いられないとされる、依頼表現などにおいても、「試合終了後は大変混雑いたしますので、お帰りの切符は今のうちにお求めになっておいてください」「工事中何かとご不便をおかけすることと思いますので、何とぞ暫くの間御辛抱願い上けます」のように、表現を丁寧にしようとする場合にはしばしば用いられる。
 また、男性に比じて、女性に好んで「ので」を多用する傾向がみられるのも、いかにもそうなる、あるいはそうするだけのやむをえない理由がそこにあるといつたニュアンスを「ので」が負っていることによるものとみられる。
 すでに一語の接続詞と化している、「それで」と「だから」の間にも、この「ので」と「から」と同様の関
係がみられる。つまり、「ので」に対応するのが「それで」であり、「から」に対応するのが「だから」である。
 「いいつけを守らなかつたばかりに、こんなことになつてしまいました」に対し、「だから、あれほど注意しておいたのに」と応じるわけであつて、「それで」とは応じない。また、「電車が事故を起こしました」に続けて、「それで、三十分遅刻しました」といったほうが、「だから、……」というよりも、いかにも自分の責任の及ばない問題であるといったニュアンスを帯び、弁解がましい点が少なくなるわけである。                                              (倉持保男)

 質問者の疑問は、「ので」・「から」の使い分けにあるのか、あるいは接続の方に問題を感じていらっしゃるのかが、はっきりしません。あるいは、両面にわたっているのかも知れません。
 取り敢えずは、「日本文法大辞典」の「ので」の項目にある説明を転載しておきます。(長文)

「ので」は概していえば、事態の客観的な叙述、つまり、既定の事実として、因果関係などか事柄自体に内在するものと認めたうえで、それをそのままに表現するのに用いられる傾向がある。したがって、同種の接続助詞「から」と比較...続きを読む

Q捨象

捨象する。

簡単に言うと、どういう意味ですか?

辞書の説明ではわかりません。

Aベストアンサー

聞き慣れない言葉なので、とりあえず辞書で確認してみます。
【捨象】
事物または表象からある要素・側面・性質を抽象するとき、他の要素・側面・性質を度外視すること。
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/102168/meaning/m1u/%E6%8D%A8%E8%B1%A1/
これだけでは、たしかにわかりにくいですね。

そこで、説明文にある、わかりづらい言葉の意味をさらに辞書で確認してみたいと思います。まず、
【表象】
1 象徴。シンボル。また、象徴的に表すこと。「解放された精神を―する造形」
2 哲学・心理学で、直観的に心に思い浮かべられる外的対象像をいう。知覚的、具象的であり、抽象的な事象を表す概念や理念とは異なる。心像。
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/187887/meaning/m1u/%E8%A1%A8%E8%B1%A1/
という意味のようです。
「表象=象徴」と言えそうなので、「桜は日本の象徴」という表現を思い浮かべてみる。
【象徴】
抽象的な思想・観念・事物などを、具体的な事物によって理解しやすい形で表すこと。また、その表現に用いられたもの。シンボル。
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/109384/meaning/m1u/%E8%B1%A1%E5%BE%B4/
という意味なので、
「桜は日本の象徴」の場合、
「表象」=「象徴」=「桜」=「日本という抽象的な概念(観念)を、具体的な事物によって理解しやすい形で表わすための表現に用いられたもの」ということが言える。
また、
【抽象】
事物または表象からある要素・側面・性質をぬきだして把握すること。⇔具象/具体。
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/143363/meaning/m1u/%E6%8A%BD%E8%B1%A1/
という意味。
以上のことから【捨象】の具体例として、

桜から「日本という要素」をぬきだして把握しようとするとき、(桜の)他の(その下でよく花見が行なわれる・毛虫がつきやすい・サクランボという食用果実を実らせる・・などの)要素を度外視すること。

などと言うことができそう。
ただ、この場合、桜に求められる(「他」ではないところの)「日本という要素」とは何か、という問題は残るかもしれません。
花びらの色や可憐な形状や散りざまなどなど、人によって多少の違いはあるでしょうが、桜と言われて、パッと思い浮かべるイメージ とでも表現しておくのが無難な気もします。
そんなこんなで、もう少し練った自然な表現にするなら、

「日本という抽象的な概念(観念)」を桜という具象物によって把握しようとするとき、その具象物が持っているところの瑣末な要素を度外視すること。

とでもなりますかねえ・・。

聞き慣れない言葉なので、とりあえず辞書で確認してみます。
【捨象】
事物または表象からある要素・側面・性質を抽象するとき、他の要素・側面・性質を度外視すること。
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/102168/meaning/m1u/%E6%8D%A8%E8%B1%A1/
これだけでは、たしかにわかりにくいですね。

そこで、説明文にある、わかりづらい言葉の意味をさらに辞書で確認してみたいと思います。まず、
【表象】
1 象徴。シンボル。また、象徴的に表すこと。「解放された精神を―する造形」
2 哲学・心理学で、直観的に心に...続きを読む

Q「なにしろ」と「とにかく」の違いについて

日本語を学ぶ学生です。

「なにしろ」と「とにかく」はどう違います?

「なにしろ」は『なぜなら』という表現と同じ意味を含みますが、場合によって『とにかく』のニュアンスもあると読んだことがあります。

例えば>

「ここは何しろ美しい街だ」
「ここはとにかく美しい街だ」

どこが違いますか?どうやってこの表現を正しく使い分けるのでしょうか。

ご存知の方がいらっしゃいましたら、教えてください。

Aベストアンサー

A.
「なにしろ」は、
どんな事実や事情があっても、という気持ちを表す。
という意味。
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/164538/meaning/m1u/%E3%81%AA%E3%81%AB%E3%81%97%E3%82%8D/
「とにかく」には、2つの用法があります。
1 他の事柄は別問題としてという気持ちを表す。何はともあれ。いずれにしても。ともかく。「―話すだけ話してみよう」「間に合うかどうか、―行ってみよう」
2 (「…はとにかく」の形で)上の事柄にはかかわらないという気持ちを表す。さておき。ともかく。「結果は―、努力が大切だ」
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/159706/meaning/m1u/%E3%81%A8%E3%81%AB%E3%81%8B%E3%81%8F/
上記1の「他の事柄は別問題として」という気持ちを表す「とにかく」の用法は、
「どんな事実や事情があっても、」という気持ちを表す「なにしろ」とほとんど同じ用法です。
そのため、
「(他の事柄は別問題として)ここは何しろ美しい街だ」
「(どんな事実や事情があっても)ここはとにかく美しい街だ」
がほとんど同じ意味になる。
この場合の「他の事柄」や「どんな事実や事情」は、たとえば「治安が悪いという事柄(事情)」などを指します。
「なにしろ」には、上記2のような用法がないため「とにかく」に言い換えることはできない。

B.
「なにしろ」自体には、「なぜなら」という意味はありません。
ただ、「なにしろ大雪だから外出も難しい」のように、「大雪」と「外出も難しい」が因果関係にあるような構文で使われることも多いため、「なにしろ」にも「なぜなら」という意味があるように見えるだけ。
「悩んでないで、なにしろ前へ進むことが大事だ」などのように、「なぜなら」という意味とは関係なく使うことも多い。

C.
両者の違いについては、上記辞書の末尾にもわかりやすく書かれていますので、こちらも抜粋しておきます。

[用法]とにかく・[用法]なにしろ――「彼はとにかく(なにしろ)まじめな人だから」「このごろ、とにかく(なにしろ)忙しくってね」のように、取り上げた事柄をまず強調しようとする意では相通じて用いられる。◇「時間だから、とにかく出発しよう」「とにかく現場を見てください」のように、細かいことはさて置いて、まず行動をという場合は、「とにかく」しか使えない。「私はとにかく、あなたまで行くことはない」のような「…は別として」の意の用法も、「とにかく」に限られる。◇「なにしろ」は「なにしろあの人の言うことだから」「なにしろ暑いので」のように「から」「ので」と結び付いて、その事柄を理由・原因として強調する用法が多い。
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/159706/meaning/m1u/%E3%81%A8%E3%81%AB%E3%81%8B%E3%81%8F/

A.
「なにしろ」は、
どんな事実や事情があっても、という気持ちを表す。
という意味。
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/164538/meaning/m1u/%E3%81%AA%E3%81%AB%E3%81%97%E3%82%8D/
「とにかく」には、2つの用法があります。
1 他の事柄は別問題としてという気持ちを表す。何はともあれ。いずれにしても。ともかく。「―話すだけ話してみよう」「間に合うかどうか、―行ってみよう」
2 (「…はとにかく」の形で)上の事柄にはかかわらないという気持ちを表す。さておき。ともかく。「結果は―、努力が大切だ」
ht...続きを読む

Q【続々 「先生にお電話をいただきました」と「先生にお電話を差し上げました」】

下記の続きです。
【続 「先生にお電話をいただきました」と「先生にお電話を差し上げました」】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9291488.html

 ↑の問題が相変わらず引っかかっています。
 少し方向性をかえます。

1)「先生{ニ/カラ}電話をもらう」と同じように使える動詞にはどんなものがあるのでしょうか。
 先行質問で紹介したサイトにあるものに、当方が思いついたものを足します。ほかにどのようなものがありますか。

 人{ニ/カラ}○○をもらう
 人{ニ/カラ}○○を借りる
 人{ニ/カラ}○○を教わる
 人{ニ/カラ}○○を聞く

2)「〜してもらう」の形だと同じように使える動詞にはどんなものがありますか。
 人{ニ/カラ}○○を教えてもらう
 あたりはかろうじてアリの気がしますが、異和感が拭えません。

Aベストアンサー

わたしも気にかかっています。「先生から電話をいただいた」「先生に電話を差し上げた」のように、使い分けをすることは誰も考えないのかと、思ったりしています。しかし、学者そのものが「から」も「に」も同様に使うと考えているのですから、どうしようもありません。

1)の例の一つに「受ける」を加えます。以前、「人に恩を受ける」か、「人から恩を受ける」かで論争したことがありました。「皆に声援を受ける」か、「皆から声援を受ける」か考えたこともありました。ただし、「受け取る」となるとやはり「から」ですね。

2)「もらう」を補助動詞として使うと、一転して「に」が優勢になるようです。「兄に宿題を見てもらった」はあるが「兄から」はほぼあり得ないようです。

 一方では、「やる」相手も「に」で、「もらう」相手も「に」で表すのは変だろうと考えられるのですが、すると「授受動詞」の話に戻ってしまいます。授受動詞を「やりもらい動詞」と二つだけ取り上げて呼ぶのですが、本来「やる」「もらう」「くれる」の三つがそろっていることになっています。ところがこの三つの関係が、それぞれ権利を主張し合って、「三権分立」または「三すくみ」のようになっているかというと、そうでもないのですね。
この「やる」を英語(わたしが日本語のほかに少しでも知っている唯一の言語)でいうといろいろ言い方はあるでしょうが「give」、そして「もらう」は一応「take」としましょう。「くれる」は英語では言えそうにありません。さて、その「やる」と「もらう」は一応「私を主格にした場合の話で、立場を相手側(たとえば「彼」)にすると、「かれはわたしにもらった」とは言えても「かれはわたしにやった」とは言えそうにありません。その点、英語では主語を「彼」にしても、やはり「gives」「takes」で通用すると思います。日本語の授受動詞はやはり、性格が違うようで、「やる」は誰を主格にとることも可能ですが、一つだけできないことがあります。それは「○○が<私に>やる」とは言えないことです。本当は「私が私に褒美をやる」「私が私を褒めてやる」は特殊な言い方として存在はします。しかし、「(あなた/彼)が<わたしに>やる」は絶対にありません。(発話者は私です)
 なぜそうなるのか不思議ですが、あるいは「やる」という語の原義に関係あるのかもしれません。「やれるものならやってみろ」のように。ともかくも「私にやる」と言えないとき「くれる」が登場します。「(あなた/彼)が<わたしに>くれる」という言い方です。そのためだけに「くれる」が授受動詞の中に存在するのです。
 じつは本来「くれる」はもっと広く使われていました。ほとんど「やる」と同意で、犬に餌をくれる」「乞食に金をくれる」「拳骨をくれる」「パンチをくれる」のように使われたのですが、現在はそれほど多用されません。方言では「植木に水をくれる」というそうです。
 さて、授受動詞の性格付けができた段階で、敬語との関連を見てみましょう。
まず、「くれる」ですが敬語化すると、「くださる」になります。この「くださる」は、「下す」+「る」からできたもので、「る」を「尊敬」ととるか、「受け身」ととるかで尊敬語・謙譲語の二様の意味に使われてきましたが、近世以後「尊敬語」として定着しました。(その点では、「賜る」が同様の経過をたどりました)しかし、長い間「謙譲語」でもあったわけで、その場合「いただく」とほぼ同様の意味で使われたわけで、「くださる」と「いただく」はそれほどきびしく対立してきたわけでもありません。この点では、私自身ちょっとこだわりすぎた感じはあります。
 「もらう」を敬語化した「いただく」はきびしい制限を持ちます。「もらう」は誰をも主格にとることはできるが、「いただく」は「わたし(身内を含む)」以外は主格にとれません。日本語はほとんど主格を省略しますが、それ故に「風邪でお休みですか。お大事に。それでお医者様には来ていただいたのですか」とうっかりいうかもしれませんから。 それにしても、私も「いただく」にきびしく当たりすぎたかなという反省をしています。「(私が誰かに)いただく」のと「(誰かが私に)くださる」のと同一だということを主張しなければならないでしょう。
 「やる」を敬語化した「あげる・差し上げる」という謙譲語はあまり問題がないようですが、NHKのサイトでしたか、「おられる」に関して「戦後、謙譲語が丁寧語化する現象がおきたが、その代表がこの『おられる』である」といっていたが、見当違いも甚だしく、この「あげる」と「いただく」(食べるという意味の)とが代表格です。

 以上、ほとんど「授受動詞」の話に終始しましたが、わたし自身に新たな発見があってそれなりの意味がありました。お読みいただく人には気の毒ですが。

わたしも気にかかっています。「先生から電話をいただいた」「先生に電話を差し上げた」のように、使い分けをすることは誰も考えないのかと、思ったりしています。しかし、学者そのものが「から」も「に」も同様に使うと考えているのですから、どうしようもありません。

1)の例の一つに「受ける」を加えます。以前、「人に恩を受ける」か、「人から恩を受ける」かで論争したことがありました。「皆に声援を受ける」か、「皆から声援を受ける」か考えたこともありました。ただし、「受け取る」となるとやはり「...続きを読む

Q日本語が変わっていく

誰もが見ることが出来る公のこのサイトで、口から出る音のままの文章が多いのに日本語が変わっていくのではないかと気にかかります。

そーゆーこと・・・そういうこと
のようなことです。皆さんは変に思われませんか?

毎年辞書は、新しい言葉や通常化してしまった略語など改定しているそうです。
昔の美しい日本語が変わってしまうようでとても寂しいです。
という私もいつの間にか現代の言葉になっていることがあります。

Aベストアンサー

最近は余り気にしない様にしています。

色々うるさく言っている人達の言葉や発音も、何世代の間に変遷し、昔の人から言わせると、とんでも無いデタラメな言葉だから。

何千年もズーっと「今の若い奴は」と言う言い方が連鎖して今になっている。

奈良・平安時代の人が、現代人の言葉を聞いたら、そもそも通じない。
発音だって、当時の中間母音はすっかりなくなってしまって、その時代の人が聞いたら、相当訛っている。

余りにも変化しすぎてしまって聞いても意味不明の筈。

Q【日本語】情報の必要な情報か必要でない情報を見極めて選別する能力のことを何と言いますか? 摂取琢磨(

【日本語】情報の必要な情報か必要でない情報を見極めて選別する能力のことを何と言いますか?

摂取琢磨(せっしゅたくま)って日本語は存在しますか?

切磋琢磨の間違いでしょうか?

千思万考一断不動の千思万考がない瞬時に情報が必要かを判断して一断不動のような情報を受け取るのを断る力みたいな漢字の言葉が知りたいです。

情報リテラシーやITリテラシーは情報に騙されない力ですよね?

その情報が必要なのか見極める力は情報○○○シー?IT ○○シーってなんて言えば良いですか?

日本語に長けた方の良案お待ちしてます。

既にそういう意味の造語があれば教えてください。

Aベストアンサー

取捨選択(能)力と言います。

Qれる、られる

そんなこと私に言われても困ります。
この「言われる」は、自発、可能、受動、尊敬のどれですか。

Aベストアンサー

#2です。

>この一文だけで断定することはできませんか。

問題を複雑にしているのは「に」の用法ではないかと思います。
「言われる」が尊敬の場合の「に」の用法は、
6 動作・作用の行われる対象・相手を表す。「人―よくかみつく犬」「友人―伝える」
であることは明白でしょう。
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/166083/meaning/m1u/%E3%81%AB/
では、受身の場合はどうかというと、これがなかなか厄介なのですが、おそらく、
3 動作・作用の帰着点・方向を表す。「家―着く」「東―向かう」
ではないか、と思います。
『そんなこと私に(向けて)言われても困ります。』
という構図。
この場合、「言われる」という受身動作の主体である「私」は省略されている形ですが、敢えて表記するなら、
『そんなこと(あなたから)私に(向けるという形で私が)言われても困ります。』とでもなりますか。
方向性を示す「私に」と、受身主体としての「私が」を分けて捉える必要がある、ということ。むろん、
10 受け身・使役の相手・対象を表す。「犬―かまれた」「巣箱を子供たち―作らせる」
の用法と混同すると迷宮に入ってしまうので注意が必要。
まあ、いずれにせよ一素人の感覚にすぎないのですが、その点はお含みおきの上、何かのご参考になればと思う次第。

#2です。

>この一文だけで断定することはできませんか。

問題を複雑にしているのは「に」の用法ではないかと思います。
「言われる」が尊敬の場合の「に」の用法は、
6 動作・作用の行われる対象・相手を表す。「人―よくかみつく犬」「友人―伝える」
であることは明白でしょう。
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/166083/meaning/m1u/%E3%81%AB/
では、受身の場合はどうかというと、これがなかなか厄介なのですが、おそらく、
3 動作・作用の帰着点・方向を表す。「家―着く」「東―向かう」
ではないか、と...続きを読む

Q続 「先生にお電話をいただきました」と「先生にお電話を差し上げました」

下記にどうコメントすればいいのか悩んでいるうちに締め切られてしまいました。
【「先生にお電話をいただきました」と「先生にお電話を差し上げました」】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9278130.html

 基本的には、コメントNo.9のかたが書かれているとおりだと思います。
 当方が気になっているのは「先生にお電話をいただきました」の「に」の働きです。

『日本国語大辞典』にさえピッタリのものがないのですから、フツーの国語辞典に見当たらないのが当然です。
https://kotobank.jp/word/%E3%81%AB-590835#E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.9E.97.20.E7.AC.AC.E4.B8.89.E7.89.88

 ちょっと調べてみると、下記のサイトに関係しそうな記述がありました。
〈⑤恩人〉です。〈「Nから」とも言える〉は、〈「Nから」のほうが一般的〉だと思います。

http://www.geocities.jp/niwasaburoo/07kakujosi.html#7.3
==============引用開始
7.3 に

 用法の広い格助詞です。基本的な意味は何らかの意味での「点」を示すことでしょう。
形容詞文にも多く使われます。「受身」や「使役」という「ボイス」にも使われます。
①〜④(略)
 
⑤恩人  「Nから」とも言える 
     人にもらう/借りる/教わる

⑥〜⑪(略)
==============引用終了

「恩人」はちょっと違う気がしますが、「恩恵等を授けてくれる人」を「恩人」と短縮してもいいかもしれません。
 たしかに「人にもらう」は使われる気がします(自分では使いません)。「先生に電話をもらう」は「人にもらう」と同じ用法でしょう。

 疑問点が2つあります。
1)個人的な語感では「先生に電話をもらう」に異和感があります。これが「先生にお電話をいただきました」だと異和感が強くなる気がします。気のせいでしょうか。
2)仮に「見知らぬ人にいたずら電話をもらう」だと、「恩恵」ではありません。むしろ「迷惑」でしょう。これも「先生に電話をもらう」と同じように使えるのでしょうか。

下記にどうコメントすればいいのか悩んでいるうちに締め切られてしまいました。
【「先生にお電話をいただきました」と「先生にお電話を差し上げました」】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9278130.html

 基本的には、コメントNo.9のかたが書かれているとおりだと思います。
 当方が気になっているのは「先生にお電話をいただきました」の「に」の働きです。

『日本国語大辞典』にさえピッタリのものがないのですから、フツーの国語辞典に見当たらないのが当然です。
https://kotobank.jp/word/%E3%81...続きを読む

Aベストアンサー

文法は帰納法で出来上がるものです。だから実際に使用されている例が、かなり有力な使用法になってしまうと、そを認めざるを得ません。それにしても非常に意味の異なる格助詞「から」と「に」という、格で言えば「位格(に)」と「奪格(から)」と名称の異なる助詞、別の言い方をすれば「起点」と「帰着点」という反対の関係に見える二つの助詞が、どちらでもいいという使い方がされていれば、どうしてそうなるのか、説明するのが「専門家」でしょう。
 その点、紹介したURL
 https://www.lang.nagoya-u.ac.jp/~sugimura/achive …https://www.lang.nagoya-u.ac.jp/~sugimura/achivement/pdf/045.pdf
で、
 「に」と「から」は、(6)のように「に」が〈着点〉、「から」が〈起点〉を表すことが明確な場合には説明に困らない。しかし、(7)のように「に」も「から」も「本」の出所をマークする場合、なぜ「から」だけでなく「に」も使われるのかを説明するのは難しい。
(6)彼がアメリカ{に/から}来た。
(7)彼{に/から}本をもらう。
 この点について、日本語教育では「~にもらう」と「~からもらう」をパラフレーズに説明することがある。しかし、このように説明すると、後々「てもらう」構文を導入するときに「に」と「から」の文法性の違いが説明できなくなる。

(8)私は彼{に/から}送って(貸して/言って/教えて)もらった。
(9) 私は彼{に/*から}掃除して(作って/書いて/会って)もらった。
 これに対し、「に」と「から」を区別して考えると、(8)と(9)の文法性の違いが説明できる。「から」は移動の〈起点〉を表示するため、(8)のように情報や物の移動を伴う動詞につく。一方、『「に」は主体から相手に向かって情報や物、恩恵を得ようと差し出す手の〈着点〉、すなわち密着性の〈着点〉を表示するため(8)のみでなく移動を伴わない(9)でも使えると説明できる。』

従って、「~にもらう」、「~に~してもらう」は「~に聞く」や「~に求める」のように主体から相手に向けて働きかけをする表現の延長として、「~からもらう」、「~から~してもらう」は「~から受け取る」のように情報や物が主体の方に移動してくる表現の延長として説明できる。
 また、「に」は〈着点〉、「から」は〈起点〉に焦点が当たるため、「捨てる」は「(場所)に」、「拾う」は「(場所)から」と共起する。
 上記の『 』で囲んだ部分が説明の中心になると思います。
 それにしても、「もらう・いただく」という授受動詞は厄介なことばですね。「敬語」でも「(さ)せていただく」で、よく問題になります。
 なお、「明鏡国語辞典」では「受身・使役・授受動詞」はまとめて扱っています。「大辞泉」「広辞苑」はいずれも「使役・受身」をまとめています。「日本国語大辞典」ではつぎのように、分けています。
 (12)使役動詞で示される動作の働きかけが及ぶ対象を表わす。
 (13)受身表現での動作の主体を表わす。

文法は帰納法で出来上がるものです。だから実際に使用されている例が、かなり有力な使用法になってしまうと、そを認めざるを得ません。それにしても非常に意味の異なる格助詞「から」と「に」という、格で言えば「位格(に)」と「奪格(から)」と名称の異なる助詞、別の言い方をすれば「起点」と「帰着点」という反対の関係に見える二つの助詞が、どちらでもいいという使い方がされていれば、どうしてそうなるのか、説明するのが「専門家」でしょう。
 その点、紹介したURL
 https://www.lang.nagoya-u.ac.jp/...続きを読む

Q続「する」「させる」

以前あった下記の質問がずっと気になっていました。少しわかったようなつもりでいますが、勘違いしているかもしれません。ご意見をお聞かせください。
【「する」「させる」】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8969529.html

 以下、ブログに書いたことから一部抜粋(重言)。
http://ameblo.jp/kuroracco/entry-12034653537.html


 いろいろ考えた結論。「明るくした」って例文が「自動詞」と解釈できないので説明がしにくいのでは。
「(形容詞・形用動詞)~する」はいろいろあり、自他両用の形をとることがあるけど、自動詞になりにくいときもあるし、他動詞になりにくいときもある。どういう法則性があるのか……いまは不明。
 ちなみに『大辞泉』の記述では、下記の用法がわかりにくい。
https://kotobank.jp/word/%E7%82%BA%E3%82%8B-544032#E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.9E.97.20.E7.AC.AC.E4.B8.89.E7.89.88
==============引用開始
大辞林 第三版の解説

する【為る】
( 動サ変 ) [文] サ変 す

❸(形容詞・形容動詞の連用形に付いて)その状態にならせる。その状態を出現させる。 「髪を長くする」 「これまでの経緯を明らかにする」 「静かにしなさい」
==============引用終了

 元の例文が下記だったら、すっきり説明できる。以下、理由はよくわからないけど過去形(正確にはタ形)のほうがシックリくるので、過去形で書く。
==============引用開始
「する」「させる」は、本来まったく意味が異なるはずなのに、なぜ、
ウ「先生の言葉が生徒を大人しくした」
エ「先生の言葉が生徒を大人しくさせた」
が、両方ともほぼ同じ内容をあらわすのでしょうか。それとも、後者は間違いなのでしょうか。
==============引用終了

 ウの「~した」は他動詞用法。
 エの「~させた」は自動詞用法の使役形。
 使役形を外した形は「(先生の言葉で)生徒が大人しくした」
 仮に他動詞の使役形と考えるなら、別の「ガ格」もしくは「ニ格」が必要になる。
「校長先生ガ(担任の)先生に(言葉で)生徒を大人しくさせた」
「先生がクラス委員ニ生徒を大人しくさせた」

「~した」が自他両方の形で使えるなら、形容動詞でも同様の考え方ができる。
●他動詞
オ「先生の言葉が生徒を静かにした」
●自動詞の使役形
カ「先生の言葉が生徒を静かにさせた」
 ただの自動詞「(先生の言葉で)生徒が静かにした」
 他動詞の使役形。
「校長先生ガ(担任の)先生に(言葉で)生徒を静かにさせた」
「先生がクラス委員ニ生徒を静かにさせた」


 このようにすっきり説明できるのは「~する」が自他両用の場合だけで、むしろレアケースなのかも。
【「自動詞だけ」の場合】
●自動詞
 意識がはっきりした。
●自動詞の使役形
 (その衝撃が)意識をはっきりさせた。
「意識をはっきりした」の形にはしにくい。

【「他動詞だけ」の場合】
●自動詞
 歌で彼女の気持ちが明るくなった
●他動詞
 歌が彼女の気持ちを明るくした
●自動詞の使役形
 歌が彼女の気持ちを明るくならせた×
 歌が彼女の気持ちを明るくさせた
 原理的には自他両用のときと同じことだと思うが、この説明はちょっと強引でわかりにくいかもしれない。

 自他両用のケースは……〈漢語+する〉ならいくつか浮かぶんだけど。
『大辞林』の例文で考える。「静かにしなさい」は命令形をやめたら↑のとおり。
・髪を長くする/髪を長くさせる
・これまでの経緯を明らかにする/これまでの経緯を明らかにさせる
 これは元々の質問の「明るくする」と同様。「~が~なる」の形でも使わなければ自動詞にはしにくい。「大人しくする」と「明るくする」でなぜそんな違いが出るのかは言葉の神様に訊いてください。
 ただ、考え方としては同じだと思う。
(以下略)

以前あった下記の質問がずっと気になっていました。少しわかったようなつもりでいますが、勘違いしているかもしれません。ご意見をお聞かせください。
【「する」「させる」】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8969529.html

 以下、ブログに書いたことから一部抜粋(重言)。
http://ameblo.jp/kuroracco/entry-12034653537.html


 いろいろ考えた結論。「明るくした」って例文が「自動詞」と解釈できないので説明がしにくいのでは。
「(形容詞・形用動詞)~する」はいろいろあり、自他両用の形をと...続きを読む

Aベストアンサー

>自他両用のケースは……
例: 風が吹く   (自動詞)   笛を吹く   (他動詞)
   ドアが閉じる (自動詞)   ドアを閉じる (他動詞)
   ドアが開く  (自動詞)   ドアを開く  (他動詞)

「吹く・閉じる・開く」は自他同形である。日本語の自動詞・他動詞は、「上がる(自)・上げる(他)」「始まる(自)・始める(他)」などのように形が違うものが多く、自他同形の動詞が少ないと言える。
 以上、「日本語教師のページ」の「自他同形」の説明より引用。
  (http://www.nihongokyoshi.co.jp/manbow/manbow.php?id=960&TAB=1)

 おっしゃるように、漢語+サ変のような複合動詞がたくさんありますが、それらが全て「自他同形かというと、個々の動詞によって判断する必要があります。例えば「自爆する」だったら明らかに「自動詞」で、他動詞としては使わないですよね。
 したがって、議論するなら「自他対応型」の動詞で議論すべきです。質問文そのものが「明るく<する>」というサ変動詞ですから。
 その「明るく」「大人しく」は形容詞の連用形、「静かに」は形容動詞の連用形でいずれも「する」(サ変動詞)を修飾している考えるべきでしょう。(全てを複合動詞と考えるのはむりです)
 また、上記の「日本語教師のページ」には 『自動詞と他動詞の対応』という記事もあり、次のように書いています。

以下、引用
 …………………………………………………………………………………………………………………
 動詞を、何が主語になるか、動作・行為の対象となる補語をとるか、などの点で分類しようとするとき、日本語では、「上がる(自動詞)−上げる(他動詞)」のように、形の上での共通部分や、表す意味にも共通するところがある自動詞と他動詞が多く存在する。このような、形・意味に共通する部分を有する自動詞と他動詞の関係を両者が「対応している」、あるいは、「対(ペア)をなす」という。
 ……………………………………………………………………………………………………………………
 更に紹介してくださっている、
 http://w01.i-next.ne.jp/~g140179870/sieki.html(これは多くのヒントを与えてくれました)
 にある
☆有対動詞・無対動詞
 自他の対応のある他動詞と自動詞の使役形の使い分け
 自他対応型の動詞(有対動詞)と自・他がそれぞれ一方しかない(無対応動詞)という
☆使役の構文 ヲ使役文 ニ使役文
 など、大変よく分かります。

 このような回答を書くことを考えついたのは、なぜかというと、金田一春彦の『日本語新版(下)』を読んでいたところ、「格助詞」の「に」について書いてあったのは「先生<に>ほめられる」(受動態)及び「こども<に>行かせる」(使役態)の「に」は深層構造にある「ほめる」「行く」の主格を表すということでした。「これは間違っていたのか。それなら回答の取消をしなければ」と考えたのです。質問文には「に」などと言う言葉は出ていなかったので、不思議だったこともあります。
 ところが違っていました。『使役文には 「子どもに 行かせる」をニ使役文、 「子どもを 行かせる」をヲ使役文と言う。』とあって、「行く」のような自動詞の使役文には両方あり得る。それに対して、「見る」という他動詞には二使役文しかない、というのです。「見る」は他動詞ですが、「こども<に>見させる」しかない、ということです。おかげで取り消さずに済みました。それほど割り切れた説明ではありませんが、疑問に思われたらこのサイトの記事をお読みください。

>自他両用のケースは……
例: 風が吹く   (自動詞)   笛を吹く   (他動詞)
   ドアが閉じる (自動詞)   ドアを閉じる (他動詞)
   ドアが開く  (自動詞)   ドアを開く  (他動詞)

「吹く・閉じる・開く」は自他同形である。日本語の自動詞・他動詞は、「上がる(自)・上げる(他)」「始まる(自)・始める(他)」などのように形が違うものが多く、自他同形の動詞が少ないと言える。
 以上、「日本語教師のページ」の「自他同形」の説明より引用。
  (http://www.n...続きを読む


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