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少し前に下記の質問がありました。
【「彼女に恋する」と「彼女を愛する」】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9141652.html

 非常に興味深い質問だったのですが、中途半端な形で打ち切られてしまい、何がなんだかわかりません。

●疑問1
「〜に恋する」は、
1)自動詞 なのでしょうか
2)自動詞兼他動詞 なのでしょうか
3)他動詞 なのでしょうか

●疑問2
「〜を恋する」は辞書にはあるようです(個人的には使いません)。
 下記の1)〜4)にはどのような違いがあるのでしょうか。それは「彼女を愛する」とどう違うのでしょうか。
 少し違う話かもしれませんが、5)〜7)のニュアンスの違いも教えてください。

1)彼女に恋する
2)彼女に恋をする
3)彼女を恋する
4)彼女を恋う

5)彼女が好き
6)彼女を好き
7)彼女を愛する

質問者からの補足コメント

  • 申し訳ない。
    リンクを張り間違えました。
    下記です。
    【彼女に恋する 彼女に恋をする 彼女を恋する 彼女を恋う】〈2〉
    http://ameblo.jp/kuroracco/entry-12115346146.html

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/08 23:21

A 回答 (6件)

>●疑問1



「~に恋する」は、
1)自動詞 なのでしょうか
2)自動詞兼他動詞 なのでしょうか
3)他動詞 なのでしょうか

一応、二つの辞書を信じて「他動詞」説なのですが、「~に恋する」が増えてる感じなので、自他同形説も捨てきれません。

>●疑問2
「~を恋する」は辞書にはあるようです(個人的には使いません)。
 下記の1)~4)にはどのような違いがあるのでしょうか。それは「彼女を愛する」とどう違うのでしょうか。
 
 まず、「愛する」は
『明治中期 {英}love {ドイツ}lieben などの翻訳語として採用され、西洋の「愛」と結びついた結果、人に対しては、対等の関係での愛情を示すようになる。また、物事に対しても、より精神性に傾いた意味で用いられる。』
 この記述にあるように、過去に比べて意味が狭義になり、精神的で純粋な意味で使われると思います。人に対して寛大になり、相手を許すという気分で気持がより落ち着く感じがすると思います。それに対して「恋する」は人に対する執着心が強まり、悩みの中に引きずり込まれれる感じです。(勿論個人的な見解です)

 1)~4)は形は違うが、意味的にはさほど違うとは思えません。彼女に対して恋心を持つと言うことです。

>5)~7)のニュアンスの違いも教えてください。
 意味の違いではなく、「ニュアンス」と言われるのが、一番難しいことです。「微細な差違」ですね。ここでは、別の説明をしておきましょう。
 「彼女が好き」は文字どおり、「彼女のことが」好きなのです。「が」は「好き」(や「嫌い」)の対象を表す通常の言い方です。
 「彼女を好き」というのは、「を」という対格をとって本来「好く」という動詞の目的語になるべき形で、「好き(だ)」という述語に続くのは筋違いだと思います。しかし、この形を使う人が増えていますね。考えを進めると、好き嫌いは幅広く言います。「映画を好きだ」「ピーマンを好きだ」「ピカソの絵を好きだ」次第に幼稚な言葉遣い思えてきます。「~を好きだ」が通用するのは個人的な人間を対象にした場合に限られると思います。「を」格を受けることが出来るのは、「好む」、「気に入る」、「好く」であり、しかも「好んでいる」「気に入っている」「好いている」の方がより自然で、こうなると文章語専用ですね。

 「彼女を愛する」は既に説明しました。漢語の「恋愛」という熟語が成立した時代とは違って、「恋」と「愛」とはかけ離れてしまったように思います。だから、単純な「愛する」と「恋する」の対比は無理があります。
 (ブログを読んでいたら、自動詞・他動詞の話が書かれていたので、あなたの別の質問の回答欄に参考資料を書いておきました)
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この回答へのお礼

>「~に恋する」が増えてる感じなので、自他同形説も捨てきれません
「〜に惚れる」が自動詞なら、「~に恋する」も自動詞かもしれません。
 それは、「〜に」がついてもつかなくても同じことでしょう。これも疑問点のひとつです。

>1)~4)は形は違うが、意味的にはさほど違うとは思えません。彼女に対して恋心を持つと言うことです。
 同感です。
 もちろん個人差はあるでしょう。
 とくにこのテの感覚は個人差が大きいと思います。
 それを言いだすと、同じ「彼女に恋する」でも個人差があるでしょう。そんなことまで関知する気はありません。これは大きな疑問点のひとつです。

>「を」格を受けることが出来るのは、「好む」、「気に入る」、「好く」であり、しかも「好んでいる」「気に入っている」「好いている」の方がより自然で、こうなると文章語専用ですね。
 少しヨタに走ります。
 博多弁?のだと「好きです」は「すいとっと」?になるかと。
 これは「好いている」なので「を」なんですかね。

お礼日時:2016/01/10 13:13

「恋する」は自動詞か他動詞かと考える前に、こうしたサ変複合動詞というものの成り立ち上、「~する」は「~(を)する」に変形できるものが相当数あります。

「勉強する」が「勉強をする」に、「進級する」が「進級をする」になる例は、枚挙にいとまがありません。したがって、「恋する」が「恋をする」と受け取られても自然です。そうすれば「彼女に恋する」は「彼女に恋をする」という形になるのも自然です。過去の回答の中に、hakobuluさんの、他動詞が「直接目的語」「間接目的語」を取るという考えがありましたが、それとは別に
  「(わたしは)彼女に(間接目的語)恋を(直接目的語)する」
という形について示唆されたのは、前回の質問における、No.5 moto_koukousei さんであり、
 《恋すると愛するで、使用状況が異なるのは、想像ですが、「恋する=恋をする」の感覚があって、「彼女に恋する⇒彼女に恋をする」も理解できる》
 また、次のサイトにある回答もそうです。
 《「彼女に恋する」→「彼女に恋をする」=彼女に恋愛感情が向けられている。「に」は、恋愛感情が彼女に向けられていることを示しています。》
 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …

 こうしてみると、「直接目的語」「間接目的語」の両方があるのは納得できますが、その「間接目的語」だけを取る他動詞というのは,少しおかしいと思います。多分「(わたしは)彼女に(間接目的語)する」というのではなくて、「(わたしは)彼女に(間接目的語)恋する」か「(わたしは)彼女を(直接目的語)恋する」の二種類があるということなのでしょう。しかし、こういう二者択一はちょっと考えにくいのです。「直接目的語」があっての「間接目的語」
ですから。(これは英語でも同じでしょう)

 ところで、こんどは自動詞・他動詞の話ですが、自他の区別をしている辞書は「広辞苑」「日本国語大辞典」の外に「明鏡国語辞典」があります。前二つは「恋する」を他動詞と書いているのに対し、「明鏡」は自他サ変(多分同形の意味)としています。しかし、例文は「隣の子に/を恋をした」「恋に/を恋する年頃」と書いているだけで、ここからは何もうかがえません。
(これ以外に自他の区別をしている辞書をご存じでしたら是非教えてください)ということで「自他」の区別も少し怪しくなってきました。
 
 前回の質問に、青空文庫の検索結果を載せました。30件中、9例が「に」、20例が「を」で、1例が「と」でした。やはり、「を」が多数派かと思っていました。ところが、「KOTONOHA」で検索してみると、違う結果が出ました。「を」が8例、「に」が18例と逆転しています。念のためどのような人が書いたのか調べると、「を」派が沢地久枝、円地文子、井上ひさし他。「に」派が栗本薫、森 敦、吉川英治などでした。筆者別のわたしの評価は井上ひさしのいる「を」派が優勢です。しかし、数が数だけに、「に恋する」という言い方がどうして増えたのか不思議ではあります。

 「KOTONOHA」での検索の中で、「マリアに惚れるタイプ―イブに恋するタイプ―そしてリリスを好きになるやつ」がありました。「惚れる」は「に」でなければなりません。「惚れる」は自動詞です。過去に書いたのですが、『他動詞に「に」が必要だとする人があります。それは「甘える・ほえる・噛みつく・あこがれる」のような限られた動詞です。』これはどこから引用したのか忘れましたが、調べてみると、これ全部自動詞なんです。そのことは「広辞苑」「日本国語大辞典」の信頼性を裏付けました。
 しかし、いろんな情報の中でまだ落ち着かない状態です。

 お尋ねの「日本国語大辞典」はネット上にあり、有料利用ですが、引用には便利です。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

いろいろあって、どうしても字数を超えます。
 下記に書きました。
http://ameblo.jp/kuroracco/entry-12114605133.html

お礼日時:2016/01/08 23:19

#1です。



> hakobuluさんが先行質問のコメントに書いていることは、何度も読み返してかろうじて理解しているつもりです。また同様の努力をしなければならないのでしょうか。

前回のコメント#4と#7では内容が、違っています。
#7は#4の一部を訂正する形でのコメントですが、趣旨が2箇所に分かれているため、わかりづらいと思ったわけです。
理解していただいたとするなら、1 はスルーしてくだされば良いだけの話でしょう。

> それなのに同じ趣旨のことをこれだけの長文で微妙に書きかえて繰り返されて、何がどうかわったのかチェックしなければならないのでしょうか。

今回のご質問への回答は2で述べていますが、それについてのコメントが無いのはどうしたわけですかね。
>何がなんだかわかりません。

に対して真摯に回答したつもりですが、関係ないクレームをつけるだけで、肝心の点には全く触れていない。
何のために質問したんですかね?
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「愛する」が範囲の広い概念であること前回示しました。

その中の一部として、〔一〕の(2)、(3)があり、特に(2)は性愛に結びつく概念であるため、仏教でも煩悩の一つに数えられ否定されました。中世にカトリックの宣教師(ポルトガル人)が来たとき、いわゆる「神の愛」を「愛」という言葉に換えることが出来ず、「お大切」という言葉を使ったのは有名な話です。
 さて、今回は「恋ふ」と「恋する」です。特に「恋ふ」の「語誌」(3)(6)にご注意。このことからわかるのは「に恋する」の形は本来上代の用法だったことが分かります。

  日本国語大辞典 こ・う[こふ] 【恋】 〔他ハ上二〕
(1)人・土地・植物・季節などを思い慕う。また、めでいつくしむ。
*日本書紀〔720〕斉明七年一〇月・歌謡「君が目の恋(こほ)しきからに泊(は)てて居てかくや姑悲(コヒ)むも君が目を欲(ほ)り」
*万葉集〔8C後〕二・一一一「古(いにしへ)に恋流(こふル)鳥かも弓絃葉の御井の上より鳴き渡り行く〈弓削皇子〉」
*万葉集〔8C後〕五・八六二「人皆の見らむ松浦(まつら)の玉島を見ずてやわれは故飛(コヒ)つつ居らむ〈大伴旅人〉」
*観智院本三宝絵〔984〕下「恩を思ふ人いかでか昔をこひざらむ」
*源氏物語〔1001〜14頃〕紅葉賀「ひめ姫はなほ時々思ひいで聞え給ふ時、尼君をこひ聞え給ふ折多かり」
(2)異性(時には同性)に特別の愛情を感じて思い慕う。恋する。恋慕する。
*古事記〔712〕上・歌謡「股長(ももなが)に 寝(い)は寝(な)さむを あやに な古斐(コヒ)聞こし 八千矛の 神の命(みこと)」
*万葉集〔8C後〕一五・三七五〇「天地(あめつち)の極(そこひ)のうらにあが如く君に故布(コフ)らむ人はさねあらじ〈狭野弟上娘子〉」
*伊勢物語〔10C前〕六三「百年(ももとせ)に一年(ひととせ)たらぬつくも髪我をこふらし面影に見ゆ」
*徒然草〔1331頃〕二一四「想夫恋といふ楽は、女、男をこふる故の名にはあらず」

「語誌」
(1)語源を「乞う」と関連づける説は、「恋う」の「こ」が上代甲類音、「乞う」の「こ」が乙類音であるところから誤り。
(2)上代では、時間的、空間的、心理的に、離れている物事を慕い、会えずに嘆く気持を表わす。
(3)上代では、ふつう「に」を上に伴う。「を」を伴うようになるのは中古からである。
(4)特殊な活用の例として、「中華若木詩抄‐中」の「天下を中興せんと思た風を恋ふこと」、「歌謡・松の葉‐三・のんやほぶし」の「千々のあはれは妻こふ鹿の音」などのように、四段活用型の連体形の用例も散見する。
(5)現代でも、まれに「改正増補和英語林集成」の「オンナヲ koiru (コイル)」や「小鳥の巣〈鈴木三重吉〉上・三」の「自分がこの祖母を恋ひる事を忘れて出てゐる間に」のように、上一段活用化した用例が見られる。
(6)名詞形にサ変動詞の付いた「こひす」も上代から用いられ、異性を対象とし、もっぱら恋慕の状態にあることを表わした。

  日本国語大辞典
  こい‐・する[こひ:] 【恋】 〔他サ変〕文語 こひ・す〔他サ変〕
恋をする。恋い慕う。恋う。
*万葉集〔8C後〕一一・二三九〇「恋為(こひするに)死にするものにあらませばあが身は千たび死かへらまし〈人麻呂歌集〉」
*源氏物語〔1001?14頃〕総角「をかしげなる女絵どもの、こひする男のすまひなどかきまぜ」
*平家物語〔13C前〕一〇・海道下「恋せばやせぬべし、恋せずもありけりと、明神のうたひはじめ給ひける足柄の山をもうちこえて」
*俳諧・炭俵〔1694〕下「上をきの千葉刻(きざむ)もうはの空〈野坡〉 馬に出ぬ日は内で恋する〈芭蕉〉」

 なお、中世以後の近代語において「が」(主格)、「を」(対格)という格助詞が使われ始めて、日本語は論理的な言語になった、と「日本語の歴史」の著者、山口仲美は書いています。それまでは、「月見る」のように「を」を入れない形が普通でした。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。
 コメントNo.2&No.3へのとりあえずの「お礼」をまとめて。

「愛する」がこんなに古くからあったことのは意外な感じです。
 ただ、やはり現代の「愛する」とは隔たりがありそうで……。

 そうか。
「恋しい」がありましたね。
 これが「好き」に近いのかも。

〈「を」を伴うようになるのは中古から〉ですか。
『日本国語大辞典』の記述では「恋する」はやはり他動詞で、自動詞はないんで。

 ところで、↑の『日本国語大辞典』は紙版でしょうか、電子辞書の精選版でしょうか。

お礼日時:2016/01/08 17:15

何回かに分けて、意見を述べます。

その前段階として、まず「愛する」についての確認をするため、「日本国語大辞典」の「愛する」項目を引用します。意外なことに、関係あるのは一の(3)
と、〔四〕と 最後の「語誌」だけだと言うことです。

  「日本国語大辞典」
あい‐・する 【愛】 〔他サ変〕文語 あい・す〔他サ変〕
〔一〕人や動物に対して心が引かれる場合。
(1)非常に気に入って、いちずにかわいがる。寵愛する。
*大鏡〔12C前〕六・道長下「寛平の御孫なりとばかりは申しながら、人の御ありさま有識におはしまして、いづれをも村上のみかど時めかし申させ給ひしに、いますこし六条殿をばあいし申させ給へりけり」
*古本説話集〔1130頃か〕五八「えもいはずよき馬に乗りたる人、この馬をあひしつつ、道をもゆきやらず」
*愚管抄〔1220〕三・称徳「此女帝、道鏡と云ふ法師を愛せさせ給て、法王の位をさづけ」
*堤中納言物語〔11C中〜13C頃〕虫めづる姫君「いと白らかに笑みつつ、この虫どもを朝夕(あしたゆふべ)にあいし給ふ」
*俳諧・曠野〔1689〕二・初春「蘭亭の主人池に鵝を愛せられしは筆意有故也。池に鵝なし仮名書習ふ柳陰〈素堂〉」
*小学読本〔1873〕〈田中義廉〉二「汝は、猫を愛するや、犬を愛するや」
(2)好意を相手への行動として示す。また、特に、なでさする。愛撫(あいぶ)する。
*今昔物語集〔1120頃か〕三一・一〇「今夜正しく女の彼の許に行て、二人臥して愛しつる顔よ」
*御伽草子・酒呑童子〔室町末〕「夜にもなればその内にて、われらを集めあひせさせ足手をさすらせ起き臥し申すが」
*談義本・万世百物語〔1751〕三・長州に寵愛一子「あたまをなで口などおしつけあいするを、ちくせうといへどしたふならひ」
(3)(男女の間で)慕わしく思う。好きだという気持になる。恋しく思う。
*人情本・春色辰巳園〔1833〜35〕初・二回「偽と思ひながらも今さらにたがまことをか我はたのまん。これは仇なる男などの、深くも愛せずさすがに捨もやらぬを、相たのみたる女の、心をよみたるなるべし」
*浮雲〔1887〜89〕〈二葉亭四迷〉三・一六「苟(かりそ)めにも人を愛するといふからには、必ず先づ互に天性気質を知りあはねばならぬ」
*虞美人草〔1907〕〈夏目漱石〉一二「愛せらるるの資格を標榜して憚からぬものは、如何なる犠牲をも相手に逼る。相手を愛するの資格を具へざるが為である」

〔二〕物事に対して心が引かれる場合。
(1)貴さ、美しさなどを感じて、強く好きに思う。
*今昔物語集〔1120頃か〕一九・九「此の硯を取出して見るに、実に伝へ聞つるよりも云はむ方无(な)く微妙なれ、愛して、手裏(てのうち)に居(すゑ)て差上げ差下し、暫く見る程に」
*方丈記〔1212〕「今、さびしきすまひ、一間(ひとま)の菴(いほり)、みづからこれを愛す」
*徒然草〔1331頃〕三八「つらつら思へば、誉(ほまれ)を愛するは、人の聞(きき)をよろこぶなり」
*花柳春話〔1878〜79〕〈織田純一郎訳〉五「マルツラバースは貧富貴賤を論ぜず、常に人物を愛して財産を愛せず」
*経国美談〔1883〜84〕〈矢野龍渓〉前・一「斯くまで敵国の君王が国を愛して其の身を棄る程ならば」
*稲熱病〔1939〕〈岩倉政治〉一「その田舎にめづらしく充実した本棚は、彼が学問を愛することを示してゐたし」

(2)美しさ、おいしさ、良さなどを好んでそれを楽しむ。愛好する。賞美する。
*今昔物語集〔1120頃か〕二〇・三四「『故別当の肉村(ししむら)なれば、吉きなめり。此の汁飲れよ』と妻(め)に云て、愛し食(くらひ)けるに」
*徒然草〔1331頃〕二一四「晉の王倹、大臣として、家に蓮(はちす)をうゑて愛せし時の楽なり」
*どちりなきりしたん(一六〇〇年版)〔1600〕六「おんたあでとてよきと思ふ事をのぞみあしきと思ふ事をきらひものをあいするせい」
*日葡辞書〔1603〜04〕「ハナヲ aisuru (アイスル)」
*俳諧・去来抄〔1702〜04〕先師評「古人も此国に春を愛する事、おさおさ都におとらざる物を」
*羽鳥千尋〔1912〕〈森鴎外〉「私は彫塑(てうそ)と絵画とを音楽に次いで愛する」

〔三〕(一説、相(あい)する)適当に扱う。子供などのきげんをとる。あやす。
*今鏡〔1170〕八・花のあるじ「ちちのみやみ給て、まろをおきて若宮はあしくよみ給かなどあいし申給けるとぞ人のかたり侍し」
*平家物語〔13C前〕九・二度之懸「是程の大勢の中へただ二人いったらば、何程の事をかしいだすべき。よしよししばしあひせよ」
*虎明本狂言・盗人の子〔室町末〜近世初〕「うつくしひ子じゃと云て、いだきあげ、あひして、わらふといふて、よろこびわらふ」
*浄瑠璃・曾我七以呂波〔1698頃〕五「ひざに引よせなでさすり、いとしの者(もの)やとあいし給ふ、親子の中こそわりなけれ」
*雑俳・卯の花かつら〔1711〕「髭の無い顔が愛すりゃ泣出して」

〔四〕(キリスト教で)神が、あらゆるものをいつくしむ。また、そのような精神で、自分以外のものをかけがえのないものと思う。
*引照新約全書〔1880〕馬太伝福音書・一九「爾の父と母を敬へ。又己の如く爾の隣を愛(アイ)すべし」

「語誌」
(1)平安初期には漢文訓読の際に用いられていたが、和文系資料では平安末期(院政期)以降に見られるようになる。
(2)対象となるのは人・動植物・物事などさまざまであるが、対象への自己本位的な感情や行為を表わすことが多く、精神作用にとどまらない点が「おもふ」と大きく異なる。また、人に対して使う場合は目上から目下へ、強者から弱者へという傾向が著しかった。
(3)明治中期 {英}love {ドイツ}lieben などの翻訳語として採用され、西洋の「愛」と結びついた結果、人に対しては、対等の関係での愛情を示すようになる。また、物事に対しても、より精神性に傾いた意味で用いられる。その点で感覚的である「このむ」とは異なっている。
(4)現代の用法は明治中期以降の流れに沿うものであり、口頭語としての使用も増えているが、文章語の性格を脱したとは言えない。語感に個人差・年齢差が大きいと思われる。
(5)使役「せる(す)」受身「れる(る)」が付くときは、「せさせる(せさす)」「せられる(せらる)」となるが、近世以降詰まって「させる」「される」の形が現われる。樋口一葉「うもれ木‐六」の「喜ばれ度し愛されたし」、夏目漱石「それから‐一六」の「三千代さんの心機を一転して、君を元よりも倍以上に愛させる様にして」など
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1.


読み返してみると、たしかに曖昧性の残る回答だったかもしれません。
私の中では前回の#7が最終的な結論となっていますが、これは、自動詞に関する#6さんのご教示を受けて#4の内容を修正(一部訂正)し、その要点を示したものです。
良い機会ですので、#4の内容全体を書き直してみたいと思います。

類語辞典の例文は次のようになっています。
○友人の妹を愛する
○友人の妹を恋する
×令嬢に愛する
○令嬢に恋する
○夫を深く愛する
×夫を深く恋する
http://dictionary.goo.ne.jp/thsrs/3924/meaning/m
これを見る限り、
・恋する⇒自他両用動詞
・愛する⇒他動詞
ということなのかもしれません。
「愛する」が「~を愛する」という形をとる他動詞であることは問題ないと思います。
一方、「恋する」は自他両用動詞と思います。
他動詞の場合、辞書例文にあるように、
○友人の妹を恋する(直接目的語)
○令嬢に恋する(間接目的語)
という使い方ができる。
一方、「命短し、恋せよ乙女」などの場合は自動詞と言って良いのでしょう。

直接目的語を取る他動詞(~を恋する)と間接目的語を取る他動詞(~に恋する)の違いについても絡めながら述べていきます。
そもそも、「愛する」というのは、その「動作が向かう先としての対象」が必要だと思います。
なので直接目的語を取る他動詞にならざるを得ない。
しかし、「恋する」の場合、その「動作が向かう先としての対象」が存在することもあるが、必ずしも存在しなくても構わない。
たとえば、
「彼は最近、生き生きしているね」
「だろ?どうも恋してるみたいなんだ」
などという場合は自動詞になるのではないか、と思います。
むろん、恋の対象は存在するわけですが、「動作が向かう先としての対象」は、上記の会話において、必ずしも意識はされていないはず。
「夫を深く恋する」が×なのも、「夫を」と「恋する」の間に「深く」という挿入があるため、「夫」が「( [ 恋する ] という)動作が向かう先としての対象」としては想定しづらい構文だからなのかもしれません。
一方、
「お相手は誰だい?」
「よくは知らないが、友人の妹を恋しているようだ」
などという会話においては直接目的語を取る他動詞として働く。
「動作が向かう先としての対象」として「友人の妹」が意識されている。
「よくは知らないが、友人の妹に恋しているようだ」
という応答になることもあると思いますが、こちらは間接目的語を取る他動詞として働いていることになる。
とはいえ、直接目的語を取る他動詞としての「(~を)恋する」には違和感を覚えますし、実際問題としても使われることも稀でしょう。

少しまとめてみますと、ご質問のケースでの違いの要点は、
「(~を)愛する」は、直接目的語を取り、相手に何らかの強い影響や変化を直接的に与える他動詞である、ということ。
「(~に)恋する」は、間接目的語を取り、相手に与える影響や変化に直接的には結びつかない他動詞である、という点だろうと思います。
つまり、「~を愛する」と「~に恋する」の違いは、相手に対する影響の程度の違いだ、というのが直接的な回答になるでしょう。
今回の外国の方に対しては、この説明で良いと思います。
理解できる相手に対しては、
目的語を一切取らない自動詞としての「恋する」という用法、
直接目的語を取り、相手に何らかの影響や変化を直接的に与える他動詞としての「~を恋する」などについて触れても良いでしょう。

2.
●疑問1

「〜に恋する」は、
3)他動詞
になると思います。
正確には「間接目的語を取る他動詞」。
というのは、「〜を恋する」も全否定はできないからです。
因みに、自動詞としての「恋する」の場合は目的語を取らない形になると思います。

●疑問2
「〜を恋する」は辞書にはあるようです(個人的には使いません)。
 下記の1)〜4)にはどのような違いがあるのでしょうか。それは「彼女を愛する」とどう違うのでしょうか。
 少し違う話かもしれませんが、5)〜7)のニュアンスの違いも教えてください。

基本的には1でも述べましたが、他動詞に関しては、
(ア)「直接目的語(~を)を取り、相手に何らかの強い影響や変化を直接的に与えるもの」
(イ)「間接目的語(~に)を取り、相手に与える影響や変化に直接的には結びつかないもの」
この2つがあると思います。

1)彼女に恋する⇒ 彼女に強い影響や変化を直接的には与えない中で恋する。
2)彼女に恋をする ⇒1)と同じですが、名詞化されていますので「恋というものを」と、特に強調しているニュアンスでしょう。
3)彼女を恋する ⇒ 彼女に強い影響や変化を直接的に与える(または与えるつもりの)勢いで恋する。
4)彼女を恋う ⇒意味的には3)と同じ。ただ、「名詞+する」という形のサ変動詞ではない分、対象に対する強い指向性を感じます。たぶんですが、自動詞としての用法は持っていないのではないでしょうか。

5)彼女が好き ⇒「好き」の対象を、それは彼女だ!と特定している。
6)彼女を好き ⇒「好き」の対象は彼女である、と単純に示している。
7)彼女を愛する ⇒ 彼女に強い影響や変化を直接的に与える(または与えるつもりの)勢いで愛する。「好き」は自分の状態を指しているだけであるが、「愛する」は相手へ働きかける要素が大きい点が異なる。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

 申し訳ございませんが、コメントの趣旨が理解できません。
 当方は先行質問のコメントを読んで「何がなんだかわかりません」と書いています。
 それなのに同じ趣旨のことをこれだけの長文で微妙に書きかえて繰り返されて、何がどうかわったのかチェックしなければならないのでしょうか。
 hakobuluさんが先行質問のコメントに書いていることは、何度も読み返してかろうじて理解しているつもりです。また同様の努力をしなければならないのでしょうか。
 
 ほかのかたのコメントを待ちたいと思います。

お礼日時:2016/01/08 17:00

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