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Eテレで「あなたと生きたい ―「植物状態」の人たちとその家族―」という番組をみました。
内容は以下のとおり重い内容でした。

NHK番組案内
事故や病気のため「意識不明の重体」となった人たち。自力で移動や食事が出来ず、意思表示が出来ないなどの状態が3か月以上続く場合、「遷延性意識障害」といわれます。その数は全国で5万人以上ともいわれます。こうした状態で生き続けることが本人にとってどんな意味があるのでしょうか?また、家族や医療・介護関係者にとって、寄り添い続ける意味とは何なのでしょうか?「安楽死」「尊厳死」などの議論の対象とされてきました。
そんな中、「遷延性意識障害」の人たちとの関わりから得られるものを大切に生活を共にし、人生を歩んでいる人たちがいます。「たとえ反応がないように見えても、自分らしい人生を歩み続けている」と考えています。
日本でも世界でも生と死の境界をめぐる議論が活発な今、施設や自宅で「遷延性意識障害」を生きる人々と、家族、職員との日常を通して、「生きる」とはどういうことなのでしょうか?その意味を見つめます。

とても重い課題で「生きる」とはどういことなのか、いくら考えても答えが見つかりませんでした。
あと、私が知りたいと思ったのは「遷延性意識障害」の人を介護している家族が倒れてしまったら誰が介護をするのだろうということです。
全国に5万人以上いるという「遷延性意識障害」の人の家族の方は、とても心配だと思うのです。

現在の日本での福祉政策ではどのようになっているのでしょうか>

すみませんが、お教えくださいますようお願いいたします。

A 回答 (2件)

長期療養型病院に入院させられない場合は、共に亡くなっています。


通常、国保なり生活保護を受けている場合は、入所できないことはないと思われます。

国保すら滞納、生活保護は嫌って人は知りませんが、よくニュースでは孤独死などのついでに報じられてますね。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
共に亡くなってしまうのですね。
お教えいただきありがとうございます。

お礼日時:2016/01/31 09:29

私は、4年前に大腸ガンが見つかり摘出手術を受けました。


しかし、その2年後に肝臓転移が見つかり再度手術を受けました
その後も再転移があり、何度も手術を経験しています。
現在は抗がん剤治療を受けています。

毎回受ける検査の1週間前から不安を感じ食欲もなくなり眠れなくなります。
しかし検査結果に問題が無しと分かると安心し、一気に明るくなります。
(とはいえ、癌はPET検査しても腫瘍が5mm以下だと「無し」の結果が出ます)
このようなことを何年も繰り返すと躁鬱状態になるんですね。
明るくなったと思うと暗く落ち込んだりし、家族や周りの人間を不安にさせているようで
「何のために生きているのかわからなくなります」
生きるとは、何らかの目標が必要だと思います。(数年後の事も計画できません)
私は、生きることが生きる目標になっているようで
生きるために生きいる?
本末転等なのかな?
なんて考えてしまいます。

食料品のように数日で食べてしまうものなら良いですが
何を買うにしても考えてしまいます。
ですので洋服や靴を買うのも、穴が開いたり使えなくならないと買いません。(数千円の金がないわけではありませんが)
このように、ブランド品や高価なものを買うのには夢が必要です(誰と何処にを考えると買いたくなりますよね)
ですので買い物にも夢が必要なのです。

話が逸れましたが、私のような癌患者は何度か入退院を繰り返す中で
幼くして寝たきりの方や、若くて恋人どころか友達もいない人生を送っている方も見かけます。

健康な方にとって当たり前の人生でも、1日生きるだけでも辛い方もいます。
その人に、何の目標も夢も希望も示せず「頑張れ」などと言うことは
ナチスドイツの兵隊がユダヤ人に対して銃を突きつけて前へ進めと言っているようなものです。
約束できる未来に夢や希望を与えてから長生きを進めるべきではないでしょうか?

死ぬということは、それほど悪いことではないと考えます。(自殺を推奨している訳ではありませんよ)
そう考えられるようになったのは、苦しいことも経験したから
何度も何度も恐怖や不安を体験すると鈍感になるのか、恐怖は続くと疲れるんだよね。

人間というか生き物のプログラムなのかな?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
私の友達は7年前癌でなくなりました。
こんなに性格のいい人がこんな若くして何故と思いました。
そして、昨年、友達がお風呂の中で突然亡くなりました。死因がわからないのです。
このときも同じようことを感じました。

>健康な方にとって当たり前の人生でも、1日生きるだけでも辛い方もいます。
>その人に、何の目標も夢も希望も示せず「頑張れ」などと言うことは
>ナチスドイツの兵隊がユダヤ人に対して銃を突きつけて前へ進めと言っているようなものです。
>約束できる未来に夢や希望を与えてから長生きを進めるべきではないでしょうか?

友達のお見舞いに行ったときに、海外旅行に行きたいとかそういうことではなくて、私が普通にしていること、ルミネのバーゲンに行って服を買ったり、バラエティ番組をみてたわいものないことに大笑いしたり、そんな日常のささやかなことを血を吐くような思いで願いっているのかなと感じました。
小川洋子さんと河合隼夫さんとの対談を読んだばかりで「がんばって」という言葉は言えませんでした。

小川 
日常の中で、何気なく人を励ましてるつもりでも全然励ましたことにはなってなくて、むしろ中途半端に放り出してるってことがあるんでしょぅね。
河合
それはつまり切っているということです。「頑張れよ」っていうのは、つまり「さよなら」ということです。
小川
「私はここで失敬します」ということですね。
河合
そういうことです。だから僕らは「頑張りや」は言わんと別れるんですね。

>死ぬということは、それほど悪いことではないと考えます。(自殺を推奨している訳ではありませんよ)
>そう考えられるようになったのは、苦しいことも経験したから
>何度も何度も恐怖や不安を体験すると鈍感になるのか、恐怖は続くと疲れるんだよね。

音楽や映画やドラマであまりにもポジティブすぎて違和感を感じることがあります。
不健康なポジティブと思うことがあります。
自殺を推奨していることではないということ、わかるような気がします。

ひとつひとつの言葉が私の心に響きました。
ご回答いただき本当にありがとうございます。
心から感謝いたします。

お礼日時:2016/02/01 07:04

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