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先日京都で神社に参拝した際に宝物殿にもお邪魔しましたが、随分と部屋が小さく展示されている美術品も少ないように感じられました。親いわく「神社には絵とかは少ないよ」、確かにガイドブックを見ても紹介されている絵画などはお寺に所蔵されているものが多いです。
神社ですと、美術品が奉納されることも多いような気がするのですが、なぜ少ないのでしょうか?
単に一般客には展示されないだけで、貯蔵数は多いのでしょうか?

お寺も神社も美術品の貯蔵数がそう変わりないのであれば、なぜお寺の絵画などは一般に向けて紹介・公開されることが多いのでしょうか?

A 回答 (3件)

遠い昔、仏教は、布教の際、誰にでもわかるように、


(文字の読めない庶民にも)
絵や、仏像(仏教は「偶像崇拝」を否定しませんでしたから)など、
視覚的に訴えて、信仰を広めていった経緯があるからです。
テレビなどのなかった時代、
おどろおどろしい地獄絵図に恐怖し、
寺の門を守る仁王像に畏怖の念を、
磨き上げられた仏像に、神々しさを覚えたことでしょう。
鎌倉時代の仏像の数々、
ため息が出るくらい力強く、美しいですよね。
そういう物を作り出す、絵師や仏師も多かったのでしょう。
一方、神社にも、絵などはありますが、
神事の一環で描かれたり、奉納される物であり、
また、宗教の概念の違いで、
みんなに広く公開して、見せるのではなく、
「神聖な物」「触れて、穢してはならない物」「見てはならない物」
として、隠す宗教なので、あまり表には出てきません。
そういう違いです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。お返事が遅くなり、申し訳ありません。

>「神聖な物」「触れて、穢してはならない物」「見てはならない物」として、隠す宗教なので、あまり表には出てきません。

とてもすんなりと頭に入ってきました。
語弊はあるかもしれませんが、お寺の美術品は大衆のもの、神社の美術品は神様のもの、なのですね。

有難うございました。

お礼日時:2016/02/20 20:12

簡単にいえば日本の神道は神様の姿や形はありません。


しかし、いたるところに「神」がいるとするのが日本の神道です。
なので古くからある大樹を神格化したり、富士山を神とするという考え方もあります。「トイレの神様」はいるわけです。
仏教が日本に広まって以降は「本地垂迹説」といって、日本の○○という神様は仏教では○○という仏にあたるなどという考え方も出てきます。アマテラスは大日如来であるという風にです。

仏教は実在の人物であったお釈迦様を仏教の開祖とし、仏像にしたり絵画にしたりします。
キリスト教でも実在したイエスの像はいろいろな形で表現されていますね。
仏教の場合はお釈迦様から派生して、如来、菩薩、明王、天などとそれぞれの役割にふさわしい仏の概念を造り、それぞれの像を作ったり描いたりしてきました。

日本本来の神道と、外国からの伝来の仏教は「神仏習合」という形として残りますが、これも当時の政策として明治時代に廃仏毀釈として日本古来の神道と仏教を分離しようとしました。そのほうが天皇=神道のTOPとして、帝国主義としての富国強兵には都合が良かったのでしょう。

 現在でも比較的大きなお寺の境内にはそれを守る鎮護社として小さな祠がある所も多いです。有名な奈良の興福寺と春日大社は本来同じ境内にあり、両方共藤原氏の菩提寺と氏神です。

 話は長くなりました。
最初に戻りますが神道には像や絵がなくいろいろなものに神様が宿るという考え方で、仏教は実在したお釈迦様を始めとして色々な仏がいるとし、それぞれの仏像や絵を作っているということです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。お返事が遅くなり、申し訳ありません。

信仰されるものとしての存在の在り方の違いが、宗教画や実像の制作に影響を及ぼしたのですね。
宗教としての成り立ちから現在に至るまでを分かりやすく解説していただいて、とても勉強になりました。

有難うございました。

お礼日時:2016/02/20 20:38

仏教画としてありますからね、あとは金もうけのためですよね。

神道ではそういうの少ないんで。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。お返事が遅くなり、申し訳ありません。

確かに、神道を広めるための絵画、といわれても思いつきませんね。
またおっしゃる通り、経営方法の違いもありそうです。

有難うございました。

お礼日時:2016/02/20 20:23

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