No.9ベストアンサー
- 回答日時:
#3です。
少し補足してみたいと思います。
主題と主格の違い、あるいは主題提示の「は」と主格特定の「が」の違いについては、下記サイトの記述がわかりやすいかもしれません。
a.母が台所でケーキを焼いている。 (無題文)
① 母は台所でケーキを焼いている。 (aの文の「主格」が主題になった文)
② 台所では母がケーキを焼いている。( aの文の「場所格」が主題になった文)
③ ケーキは母が台所で焼いている。 (aの文の「対象格」が主題になった文)
http://www.nihongokyoshi.co.jp/manbow/manbow.php …
人が何かを語る場合、「語る意図」というものが基本的に存在します。
① では、「母について(何をしているのか)述べたい」という意図があります。
それで、「母は」と主題提示しているわけです。
a.母が台所でケーキを焼いている。
の場合、母について述べたいわけではありません。
「(ケーキを)焼いている」ことについて述べたい文です。
母について述べたいわけではない、と言うと若干疑問が生じるかもしれませんが、たとえば、
「お母さんの姿が見えないね」
に対する応答として、
a.母が台所でケーキを焼いている。
のように応えると違和感を生じます。
なぜなら、お母さんについて聞かれているのに、「母について(何をしているのか)述べたい」文になっていないからです。
① 母は台所でケーキを焼いている。
のように、母を主題提示した文で応える必要があります。
「名前はまだ無い」は、「名前について述べたい」という意図の文です。
そして、それはまだ無い、と言っている。
「名前がまだ無い」は、「無いということについて述べたい」という意図の文。
何が無いかと言えば、それは名前なんです、と言って(特定して)いる。
「名前」について語りたいのか、「無いこと」について語りたいのか、という違いです。
再度のご回答とありがとうございました。
「は」と「が」との使い方は、難しいですね。ところで、
<人が何かを語る場合、「語る意図」というものが基本的に存在します。>
ですね。
そして、「AはBである。」というときは、語る意図はAが中心なのですね。一方、「AがBである。」になると、Aの影が薄れ、Bの方に中心が移るのですね。
<「名前はまだ無い」は、「名前について述べたい」という意図の文です。>
<「名前がまだ無い」は、「無いということについて述べたい」という意図の文。>
になるのでね。
No.15
- 回答日時:
また、問題のある回答になります。
「ガ格」
格助詞の「が」が接続して述語との関係を示す補語のことを「ガ格」という。「が」をともなった名詞が動作・変化・状態の主体(主格)であること、または、<状態述語>の対象であることを示す。
・花子が本を読む。(主格)
・花子は韓国語が話せる。(対象)
「日本語教師のページ」より
(我が輩は)名前<が>まだ無い
この「が」を対格(対象)と見ます。(No.13の方も「対格」というご意見のようです。)「ある」「ない」は品詞は違いますが、上記の状態述語と考えます。
わたし(に)は、お金がある(ない)
この対象を「お金」に替えて「勇気」「夢」「希望」しても、おなじです。「夢がある」「希望がある」「勇気がある」「やる気がある」その中に「名前」を入れてもいいはずです。傍証として次の「日本語文法概説」のサイト
http://www.geocities.jp/niwasaburoo/
にある叙述を引用します。
対象を「が」で表すケース
動詞
できる、わかる、ある(所有)、要(い)る
例 野球ができる。 分けがわかる。 希望がある。 注意が要る。
ナ形容詞(形容動詞)
好きだ、嫌いだ、上手だ、下手だ、得意だ、苦手だ、必要だ
例 君が好きだ。 アイスが嫌いだ。 スキーが上手だ。 字が下手だ。 歌が得意だ。 運動が苦手だ。 勇気が必要だ。
イ形容詞 (形容詞) ほしい
感情・感覚形容詞(楽しい・まぶしい)
例 チャンスがほしい。 勉強が楽しい。 夕日がまぶしい。
可能動詞・可能表現(読める・食べられる →「25.3 可能」)
例 字が読める。 景品がもらえる。 御飯が食べられる。
希望の助動詞「たい」(食べたい →「37.希望」)
例 仲直りがしたい。
「名前はまだない」の場合はこの「名前が」を主題化したものです。また、「名前がある」とは「名前を持っている(保持する)」の意味です。
再度のご回答ありがとうございます。
“吾輩は猫である。名前はまだ無い。”を、“吾輩は猫である。名前がまだ無い。”に変更すると、「ス―パ―は」の働きにより、“吾輩は猫である。「吾輩は」名前がまだ無い。”になるのですね。そしてこの場合、名前は対格になるのですね。
No.14
- 回答日時:
あまりうんちくめいた事ばかりだと、語るに落ちるで、チョンバレになります。
素人らしく、感じ、感覚に戻って考えました。
ある状況で、口がつい先走った(先の理屈ではあり得ない事も敢えて目をつぶって)。
①「私は」②「私が」
①の場合、例 行きます、行けません、行きたくありません、 喜んで行きます、その他ほとんど無関係な、泣きます、乗ります、・・・・たいていがつながります。
②の場合、例 が行きます○、が行けません△、が行きたくありません?×、が喜んで行きます?(私が喜んで・・・×?、が、喜んで行く・・△)。
「私が」、うっかり言ってしまうと、あとに引けない様な、逃げ道も限定?・・・・。
本来は、主格(主役、又は主体)として確定して居るから「が」が使用される故?。
元の質問に戻れば、「が」と「は」では、このように違う、はよう言いません。
私がどう感じるか、なら。
名前は無い、現実に名前が付けられていない事を淡々と伝えている・表現している。
名前が無い、あるはずの・あって当然の名前が無い、欲しいけど・・、何故か?、特に可愛がられているわけでは無い、血統書付きでは無い、只飼われているだけの雑種の存在。
おつきあいありがとうございました。
正解だけほしがる人が多いですが、それでは他人に教える事はできません、せいぜい正解を伝えるだけです、正解に至る経緯も理解すれば他人に教える(もちろん真似事かも)事ができます、これがまた非常に自分の勉強になります、(今回も大変勉強させていただきました)。
数学に演繹方と帰納法があるように、理詰めだけでなく、多くの使用例に注意して接していれば、言葉にはできなくとも、自分なりの理解には到達すると思います。
度々のご回答には、恐縮しております。
<理詰めだけでなく、多くの使用例に注意して接していれば、言葉にはできなくとも、自分なりの理解には到達すると思います。>
これについて、私も同感です。ただし、今回の質問についてはまだその地点には到達しておりません。先の長い学習になるのだろうな、と思っています。
ところで、「私は」の場合は、その後に
<たいていがつながります。>
一方、「私が」の場合は、その後はかなり限定されているのですね。
<主格(主役、又は主体)として確定して居る>
からなのですね。
No.13
- 回答日時:
№8です。
道草にでもどうぞ。中心第一主題( A )-ハ格
関係第二主題( B )-ガ格
論述主題( C‐ナリ。/ C‐スル。〔=述格〕)
(き) A・・・・・B・・・・・C。
___________________
吾輩‐ハ 名前‐ガ ない。
-------------------
[主題提示層]:中心主題 関係主題 論述主題
[線形論理層]: I name not have.
( S-----------O-------------V. )
(主格 対格 述格)
( S-V-O : I have no name. )
☆すなわち ガ格は つねに主語をあらわす主格なのではない。
ということの文例をしめしました。
《名前‐ガ ない。》のままなら ガ格は 《名前》を主語とする主格ですが。
再三のご回答ありがとうございました。
<ガ格は つねに主語をあらわす主格なのではない。>
ということですね。ところで、私は、主題は分かりますが、主語と主格との区別が分かっていません。が、知ったかぶりで整理しますと、
吾輩は(主語+主格) 名前が(対格) ない
名前が(主語+主格) ない
になるのかな。いずれにせよ、私は、主語と主格を勉強しなければなりません。
No.12
- 回答日時:
イメージが近づいた感じがします。
戻るようですが、「は」主題の提示、つまりテーマに対して説明、補足、どちらかといえばテーマ(に挙げられた人?)以外の人?が確定した内容、既定事実について、またはそれらから想定される仮定につて・・・・・、とすれば。
「が」は、既定の事実に関係なく、その、意志、に基づき動く内容を以下に現す・・・。
主語が人以外の場合は、人がそれになったと仮定しての・・・ということになるのかな・・・。
内容作成に当たっては「は」の時はとりあえず主語を提示して、内容は後から考えることも・・・。
「が」については、とりあえず、ではなく、考え抜いたうえで、これが主役と決定してから・・ゆえに主格の「が」。
もちろん、当てはまらない例外も多々ありますが、考え方の参考になれば。
度々のお回答ありがとうございます。
<当てはまらない例外も多々あります>
ことを前提に、
<「は」の時はとりあえず主語を提示して、内容は後から>
で、「が」については、
<これが主役と決定してから>
ですね。日本人は、この微妙な使い分け(英語を常習している人からみたら、仰天すること)を何と活用しているのですね。
No.11
- 回答日時:
嫌味たっぷりに早々締め切る人い多い中おつきあい感謝。
>名前が”になると、強く強調することになるのですね
これがちょっと気がかり、表現の仕方故とすれば、確かにその通りですが、あえて揚げ足取りをすれば・・です。
「格が違う」という言葉、比べるまでもない・・という意味ですね。
ちょっと、言葉の遊び、「が」格助詞、「は」係助詞、格が違うどころか、片や格がついていません。
強調?、一見同じに見えるものをどれか特定したい、それを強調します。
主格は強調するまでもなく主格として最初から目立っています、そこに登場した瞬間から主格として登場します、だから格助詞「が」が付きます。
つまり、その一連の言葉・文章を考える人が、この言葉は主役待遇で登場させるべき、と判断したからです。
単純な強調はむしろ「は」のほうです。
例 私は、やります、(他の多くの人は尻込みするが)。
私が、やります、(他の人でも差支えないが、(主役として)全責任のある私が・・)。
強調される内容が違う?といえばよいのかな?。
他人の意見を丸のみするタイプはあまり評価しません、多くの意見で自分の納得する部分を取り入れ、自分なりの理解をくみ立てるのが重要です、ひょっとしてそれに差しさわりが・・・・。
度々のご回答ありがとうございます。
識者の英知を頂ける「教えて」は、いつも、可能なかぎり長く・広く開けいるつもりです。
「は」と「が」の使い方については、
<強調される内容が違う>
ということですね。「は」の場合は、
<他の多くの人は尻込みするが>
<私は、やります、>
ということですね。一方、「が」の場合は、(私のイメージですが、挙手をしながら椅子から勢い良く立ち上がり)
<(主役として)全責任のある私が、やります、ということですね。
No.10
- 回答日時:
「が」主格、「が」係助詞、主題の提示?、自分流では限定ととらえています、限定=強調につながります。
文法的に理解するより、日本語の感性に従ったほうが・・・。
以下は全く自己流です。
例 これが良い、これは良い、または、これが良い行い、これは良い行い。
どんな感じを受けるでしょうか。
これが良いなら、あれもよいのでは、と続くことも・・・、(主格はいわば代表的な幅を持ちます、故に同等のあれも?、となります。)
これは良いなら、あれもよいのでは、皮肉を込めてなら使われるかも・・・・。
「が」主格はいわば主役、わき役、その他一同の役者がミスしても、カバーできる幅が必要です。
「は」は限定、目の前のそれだけに付いての説明、表現です。
主格で表現されると、受け取る側は、それを拡張して考える余地が十分にあります。
「は」で限定された内容は、それのみについてです、拡張して考える必要がありません。
実際に使う時は「は」は何も考える必要がありません、目の前こと、ものを表現し、それについて知りえる内容を説明をするだけ。
「が」は単に「が」をつけるか?より、それが主格、主役に据えるにふさわしいか、考える必要があります。
再三のご回答ありがとうございます。
<日本語の感性に従>
うと、次のようになるのですね。「は」については、
<実際に使う時は「は」は何も考える必要がありません、目の前こと、ものを表現し、それについて知りえる内容を説明をするだけ。>
「が」については、申訳けなく、よく読み取れませんが、一枚看板の主役になる、すなわち脇役なんぞ無視できる主役になるのですね。
No.8
- 回答日時:
★(№4お礼欄) ~~~~~~~~~~~
考えられることは、次の二つになります。
<《Xは = 吾輩は》>
<《Xは = 猫である吾輩は》>
になります。どちらにせよ、吾輩を強調している、ということになりますかね。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 実際問題 そうなのでしょうね。ほかに考えつかないと思います。
★ どちらにせよ、吾輩を強調している、ということになりますかね。
☆ これも たぶん そうだと思います。
そして 中心第一主題を承けるハ格は 確かにあたかもアールマイティ―である
かのごとく その文全体を従えているかに見られます。
つまり 回答№7で触れられているように 読点はおろか句点をも飛び越えてそ
の《威力》を発揮するかにさえ見られます。
ただし この《句点越え》は 言い過ぎではないかと考えます。一文ごとに中心
主題は 一般に示されると捉えるからです。
別様に言えば ひとつの文におけるハ格主題が 次につづく文へもその《主題提
示》の威力ないし余韻をおよぼしている。といった雰囲気があるものと思われま
す。
なお ハ格やガ格というように主題提示の格と規定していますが この主題格は
論述( Cナリ。/Cスル。)との関係で論理的・線形的な意味を形成する文の仕
組みとしては 主格や対格になります。
(お) 名前は まだ持っていない。(ハ:中心主題。時には副次取り立て主題)
⇒ 名前ヲ(対格) 持っていない(論述)。
(ハ⇒ヲ:《持つ》という動詞の対格)。
(か) 名前が 欲しい。(ガ:関係第二主題) /(主題提示層)
⇒ 名前ヲ(対格) 欲する(論述)。 /(線形論理層)
(ガ⇒ヲ:《欲す》という動詞の対格)。
つまり ハ格やガ格は 主題提示の格とそして線形論理の(意味じょう動詞の支
配するところの)格との二役をこなしていると見られます。
文は それに従って 二層構造に成っていると見ています。
再度のご回答ありがとうございました。
「は」は句点越えができる、と言われていますが、
<《主題提示》の威力ないし余韻をおよぼしている。>
くらいの力である、ということですね。
後半のご回答は、もったいないことですが、わかりません。私は格についての知識がまだ無いものですから。まだ、猫に小判、です。
No.7
- 回答日時:
「我が輩は猫である」の発行日は 1905年10月6日、1906年11月4日、1907年5月19日ほか
〔参考 1912年(明治45年・大正元年)〕
単なる参考です。二つの引用サイトを掲げました。「総主論争」が行われていたころ漱石はこの小説の執筆中でした。だから多分その論争の影響が文中に現れることはなかったでしょう。二つ目の引用では、この小説そのものが引用されています。
彼の「が」「は」の使い分けは、日本語ネイティブの人だったら、やはりこう書くだろうと思われるやり方です。(最初の数ページに限りますが。)
http://ncode.syosetu.com/n0339w/9/
<総主論争>
これは、最初の学校文法の提唱者である大槻文彦が「文は主語と説明語よりなる」と1897年に主張したのを受けたもので、草野清民という若い文法研究者が直ちに異を唱えた。
大槻は、主語や説明語はひとつの文の中に複数あり得るとした。
例えば、次のような文を、その下方のカッコに入った言葉で説明したのである。
東京の都は 面積 広く、 人口 多し。
(主語) (主語) (説明語) (主語) (説明語)
大槻の主張はつまり二重主語文である。
なお、この文で「は」の付かない「面積」や「人口」は後に「面積が」「人口が」と変わる。
http://homepage2.nifty.com/office_takagi/015essa …
結論だけまとめると日本語の主語の印しとされていた格助詞「は」と「が」は、実は全く違った働き方をしていると。「は」は主題をあらわし「が」は主格補語を示す格助詞なのであると。「は」で示される語は主題であるから、その文だけでなく続く文節にもかかることができるというものです。ここも重要なところなので、この事情をわかりやすく説明したところを次に引用して示しましょう。
三上章がこれらのことを証明するために『吾輩は猫である』の冒頭の文章を例示していると述べた後、
三上は、冒頭の題目「吾輩は」の文はピリオドを3回にわたって越えている、と分析する。つまり、以下のような方で示せるのである。
吾輩は-->猫である。
-->名前はまだない。
-->どこで生まれたか頓と見当がつかぬ。
-->なんでも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いて居た事丈は記憶して居る。
こう説明されると、「は」のスーパー助詞ぶりは明らかだろう。それぞれの述語との文法関係とは一切無関係のまま、「は」はひとつひとつの文に係っては結び、その勢いを次へ次へと及ぼすことが出来るのだ。「は」がひとつの文を越えるとは!(『日本語文法の謎を解く』72~73ページ)
なお、「我が輩は」の影響下にある「名前は」の「は」を「主題」に対して「副題」と考える人がいます。「庭 三郎 の 現代日本語文法概説」
ご回答ありがとうございました。
”は”や”が”の働きは、難しいものですね。ネィテブでもそうですが、外国人はとまどうでしょうね。
”吾輩”は、「名前はまだない。」以下の3つの文にまで、影響を及ぼしている(係っている)のですね。まことに、
<「は」のスーパー助詞ぶりは明らか>
です。
<「名前は」の「は」を「主題」に対して「副題」と考える人がいます。>
おそらく、主格とは別なもの、と考えるのでしょうね。「庭 三
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