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高校で太宰治の「ロマネスクー仙術太郎」の読書感想文を書くように言われました。
「仙術太郎」「喧嘩次郎兵衛」「嘘の三郎」ではなく「仙術太郎」のみです。
どうしても感想が出てきません。
提出締切が近いのでどうか力を貸していただけないでしょうか。
感想文を書いてくださいとは言いません。
箇条書きでも構いません。
感想文を書くにあたってヒントとなるような皆さんのご感想をお聞きしたいです。

A 回答 (2件)

つまらなかった、面白くなかった、最後まで読むのが面倒だった、途中で読み続ける気がなくなった、『こんなこどもが跡取りでは困ったもんだ』と鍬形惣助という庄屋は思わなかっただろうか、太郎の母親はこの子をどう思って育てていただろうか・邪険に扱っていたのか・ショウガネエと扱っていたのだろうか、なにか思わなかったですか。



太宰の年表には次のような記載があります。青森県北津軽郡金木村(津軽の国、神梛木村と発音が似てます)に、県下有数の大地主である父津島源右衛門と母タ子の六男として生まれた。両親にいる11人の子女のうちの10番目。父・源右衛門は木造村の豪農松木家からの婿養子で県会議員、衆議院議員、多額納税による貴族院議員等をつとめた地元の名士。津島家は「金木の殿様」とも呼ばれていた。父は仕事で多忙な日々を送り、母は病弱だったので、太宰自身は乳母らによって育てられた。1930年 3月 - 弘前高等学校を卒業。4月 - 東京帝国大学仏学科入学。11月 カフェの女給・田部シメ子と鎌倉の小動岬で心中未遂を起こす。相手・シメ子のみ死亡したため、自殺幇助の容疑で検事から取調べを受けたが、兄・文治たちの奔走が実って起訴猶予となった。1931年2月 小山初代と同棲。1933年2月 『サンデー東奥』に短編「列車」を太宰治の筆名で発表。ペンネームを使った理由を「従来の津島では、本人が伝ふときには『チシマ』ときこえるが、太宰といふ発音は津軽弁でも『ダザイ』である。よく考へたものだと私は感心した」と井伏鱒二の回想「太宰君」にて記されている。1934年12月 文芸誌『青い花』を創刊するも、創刊号のみで廃刊。「ロマネスクー仙術太郎、喧嘩次郎兵衛、嘘の三郎」はこの創刊号に載せた作品です。

感想に困ったら、感想を率直に書くか、多少は周辺のことを調べて、何か感想を思いつくようなことがないかを探してみるのも方法だと思います。
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以下の記事を参考にして下さい。



http://daniel-yang.hatenadiary.jp/entry/2015/08/ …

一件明るいと言う面では、走れメロスに通じている部分と、
人間失格という暗い、陰から人を見るというか、マイナス思考の中に、冷静に自分を客観視するという、
太宰の特長は、本作品に現れています。

三人三様の出自、幼少時の挫折、あり得ない仙術に没頭し、一件楽しそうな軽快な文・表現が続きますが、
質問者さんが、出身地でこんなにも違うのか。三人の性格の違いが気になったのかを、素直に表現すれば良いと思います。
夢や希望の大切さでも良いですよ。

気になった文を数行書き出し、それに対する感想・意見を、5回程度繰り返しても良いですし、
書き出し・感想を3回程度にし、総論として、「あきらめちゃいけない」「友情は大切或いは不要」と、
質問者さんが感じたことを書いていけば、立派な感想文になります。

自分の言葉で、感じたことを書きましょう。参考資料は、引用しない方が賢明です。

参考までに。
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