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アツタ型エンジンは愛知航空機が生産していたと聞きますが、このアツタは今の名古屋市熱田区の熱田と関係があるのでしょうか? チョット気になりお聞きします。何か教えていただければ有難いです。
よろしくお願いします。

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A 回答 (3件)

「旧海軍の零戦搭載エンジン、アツタ型について教えて下さい」なんて言われると困っちゃうんだよね。

だって、零戦のエンジンは「アツタ」じゃなくて「栄発動機(さかえはつどうき)」なんだから。

でも、ご質問の本文の方では愛知航空機とアツタ型エンジンについて質問されていますから、こちらが本命なのだと思って回答します。

海軍九六式艦上戦闘機のエンジンは「寿(ことぶき)」、零式艦上戦闘機のエンジンは「栄(さかえ)」、紫電改のエンジンは「誉(ほまれ)」といった具合に、海軍では戦闘機のエンジンに縁起の良い名前を付ける伝統がありました。

一方、彗星艦爆に装備されていたエンジンの名称は、熱田神宮にあやかって付けられたそうです。私がこの話を戦記雑誌の「丸」か何かで読んだのがかれこれ半世紀も前の事なので、今回このご質問に回答するにあたって裏付けとなる資料を見つけようと思って捜したのですが、あいにく見つけることができませんでした。ですので、この話を断定することができません。そのように伝えられているという程度にご理解いただければと思います。

熱田神宮は皇室とも関係のある格式の高い神社であり、皇室の先祖の危難を救ったと伝えられる草薙の剣(くさなぎのつるぎ)をご神体として祀る武運長久の神様でもあります。そのようなことから、皇国の危難を救うべき軍用機のエンジンの名前に採用されたのではないかと想像します。

>「栄」ですがこれも名古屋市中区栄に関係しているかも?

う〜んこれはどうでしょう ??? 私たちは零戦といえばプラモデルか写真集のイメージで捉えがちですが、当時は世界トップレベルの性能を追求して技術の粋を結集し、膨大な国家予算(軍事予算)を投じて開発・生産され、我が国の命運を左右すると信じられた最新兵器だったわけです。言葉は悪いのですが、そんな「行き当たりばったり」な命名をしたとは到底思えないのですが...。
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この回答へのお礼

私の疑問の殆んどがこれで解決した感じです。現在の名古屋市周辺の土地(地名)にこだわっていましたが、この回答でよくわかりました。内容も極めて合理的かと思います。引き続き私なりにみていきたいと思います。また訳のわからない質問をしましたらよろしくお願いします。お元気でお過ごし下さい。ありがとうございました。失礼します。

お礼日時:2016/04/30 07:43

アツタは熱田発動機のことで



Wiki「熱田空襲」によると
名古屋大空襲のひとつ。第二次世界大戦(大東亜戦争)末期の1945年(昭和20年)6月9日
名古屋市の現在の熱田区の愛知時計電機船方工場・愛知航空機(現愛知機械工業)工場周辺にアメリカ軍が行った空襲
となっていますので、名古屋市熱田区で間違いないようですね
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%B1%E7%94%B0 …
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この回答へのお礼

やっぱし、そうかと言う感じです。この回答をヒントにして更に検索してみます。
ありがとうございました。また、機会がありましたら何かと教えて下さい。失礼します。
一杯飲んで寝ます。

お礼日時:2016/04/29 01:06

多分関係あると思います。

社史か何かを読めると良いのですが…。

ただ零式艦上戦闘機に搭載されたエンジンは、試作の数機が瑞星、ほとんどの気体が栄、末期に金星が搭載されていますので、
アツタは搭載されてはいません。
アツタを搭載したのは艦上爆撃機彗星と水上攻撃機晴嵐(及びその派生型の南山)ですね。

アツタエンジンは元はダイムラー・ベンツ DB 600G のライセンス生産ですね。
量産が上手くいかず、戦争後期の主力艦上爆撃機となった彗星はエンジンの生産が間に合わずに、苦肉の策で空冷の金星が搭載されています。

陸軍でも同シリーズのDB 601のライセンスを別に買ってハ40として採用して三式戦飛燕に搭載していますが、
これも量産が出来ず、空冷の金星エンジンを搭載した五式戦となっています。
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この回答へのお礼

詳しい回答をありがとうございました。回答にもあります「栄」ですがこれも名古屋市中区栄に関係しているかも?・・・愛知航空機の関係???。
一連の流れをありがとうございました。このまえ海上自衛隊鹿屋基地から飛んだ零戦はやく
日本の空を飛べたらいいなと思っています。失礼します。

お礼日時:2016/04/28 21:52

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秋山参謀という人が東京にこんな打電をしたそうです。

「敵艦見ユトノ警報ニ接シ 連合艦隊ハ直チニ出動 コレヲ撃滅セントス、
本日天気晴朗ナレドモ波高シ」

高木彬光先生の歴史小説の中で「名文中の名文」と謳われていましたが、
どうもしっくりきません。

だって、単なる指令と天候を伝える平叙文じゃないですか。
これだけシャープに必要なことをまとめた、ということが
賞賛されているのでしょうか?

教えてください。

Aベストアンサー

この電文はロシアの大艦隊を迎え撃つ前に打電されたものです。大国ロシアを相手に小国日本が寄せ集めの軍艦で海戦を挑む直前の決意を示したものです。

名文として後に有名になったのは
1.先ず海戦に勝ったこと。(負けたら名文も残らない)しかも世界が驚く一方的といってもいいくらいの勝利をおさめた。
2.これから出撃します。と短く報告すると同時に海の実戦経験者だけに分かる短い言葉で、これから起こる戦闘がどのようなものになるかをうまく伝えているからです。

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ようやく近代国家の仲間入りをしたばかりの日本の存亡を賭けた戦いを前にして、七、五調の短い電文でこれだけの情報を送れるのは名文でなければ出来ません。しかし、これが決意表明ではなく作戦の変更や指示を仰ぐ電文であれば、決して名文とはいえないでしょう。読む人によって理解が異なるような文章は戦時に使用すべきではないでしょう。やはり戦争に勝ったということと決意表明の電文だったからこそ後世まで語り継がれたのでしょう。

この電文はロシアの大艦隊を迎え撃つ前に打電されたものです。大国ロシアを相手に小国日本が寄せ集めの軍艦で海戦を挑む直前の決意を示したものです。

名文として後に有名になったのは
1.先ず海戦に勝ったこと。(負けたら名文も残らない)しかも世界が驚く一方的といってもいいくらいの勝利をおさめた。
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Q99式艦上爆撃機は何故あんなに命中率が高かったのですか?

本屋で本を読んでて気になりました。
第二次世界大戦では零戦や戦艦大和など有名なのが
ありますが、99式艦上爆撃機とはあまり知りませんでしたが、命中率が8割を超える精度だったとありました。

実際99式艦上爆撃機とはどんな所で作られ、何故あの時代にあれだけの精度が出せたのですか?

Aベストアンサー

99式艦上爆撃機は昭和11年に海軍省から試作を命じられた中島と愛知の両メーカーが競作した航空機で、結果的には愛知が競作に勝利し昭和12年12月に試作第1号機が完成し、昭和14年に制式化されました。

当時愛知はドイツからの今で言うライセンス制作で、いくつかの艦爆機を作っていましたが、この99艦爆は日本独自のオリジナル設計による艦爆機で、これが日本における艦爆の嚆矢となった機体で、日本最初の全金属製の低翼単葉艦爆でもあります。

99式は終戦まで各型あわせて1294機が作られ、日本海軍の主な作戦のほとんどで使用されています。

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