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「人を殺してはいけません」 なぜですか?

A 回答 (237件中61~70件)

では…


人の人生を勝手に.あなたの手で終わらせてもよい人なんてこの世にいますか?
その権利があると思いますか?

人の嫌がること、悲しむことをしない。当然のことですよね。
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法律上、人は殺してもいい。

と過激なことを
書きますw

なぜか。刑法199条で殺人罪が定められて
いますが、人を殺してはいけない。とは書かれていません。
人を殺した者は~に処すると書いてあるだけで、
「殺しても、逃げ切ればOKなんです。」

なんて信じられないことを言うんだ!

でも本当にそうなんです。人殺しは勝手だけど、
捕まったら刑罰を受けてもらいますね。ってことです。

ただ、人を殺せ!とか殺してもよいよ!と書いてませんからね。
どちらに対しても積極的な事を述べていない。
というのが結論と言うべきところでしょうか。

まず原始時代を想像してください。人は一人でした。
最初はだれだってそうです。やがて群れをなします。
でも餌がなくなったら取り合いでした。殺し合いでした。

福島原発の日本人の忍耐強さが今テレビで話題に
なっていますが、外国では食べ物の取り合いやら
しょっちゅうだそうですね。

私も勿論直にみたわけではありませんが、食べ物
や、より強い地位の取り合いっていうのは昔から
あったじゃないですか。おそらく間違いないだろう
って思うんです。そこで人ってたくさん殺された
だろうと思うんです。

だけどそういうのをほうっとくとどうなるか。
いつ殺されるか不安で不安で仕方がなくなる。
とてもじゃないけど社会生活なんて毎日が
ストレスの連続でしょう。

もし体験されたいのであれば中近東のほうに
ジャーナリストがそうしてるように行かれてみると
よろしいです。


国というものは人がいて初めて成り立つものです。
ですから「人を殺されては困るんです。」
だから法律では、人を殺した者に処罰を与えると
いって政策上!!!殺人者を処罰します。
もちろんこれは我々のためにもなってますよ。
上だけの都合ではありません。
これが法から見た殺人駄目の理由です。

じゃあ、社会的な価値のないと見なせる人間。
例えば孤独な乞食は死んでしまってもいいのか。
つまり人がいて初めて成り立つとはいえ、それでも
いてもいなくてもそれに無関係なような人間のこと。

そんなことを認めてしまったら、社会は蹴落とし蹴落とされの
さらなる戦争にもにた競争を繰り広げるでしょう。

またはめられて「死んでもいい人間」に仕立て上げられる
こともあるかもしれません。理由はどうあれ、人を殺してもいい
場合。というのは厳格に決めねばなるまい。ということです。
そんな抜け道みたいなもの作ったら社会が余計混乱します。
弱い立場の人間が、この現代においてさえも
非人道的な扱いをされている状況を思えば、一目瞭然でしょう。

唯一許されている例として、死刑制度がありますよね。

それに比べて質問者様、そして多くの方たちが上げる理由は
道徳上の、誰かが悲しむから。罪だから。罪悪感が募る。
後悔する。記憶に傷がつく。等など理由は心に何らかの
傷をおう、または誰かに負わせることを避けるべきだからだ。
とおっしゃると思います。

例えばわが子を殺されると親はどう思うでしょう。激しくその人間を
憎むでしょうね。それは人間の本質的な、どうしようもない
、本能とも言えるような、自然的な感情の発露です。誰にもどうする
こともできないような感情の噴出です。

そしてそれは犯人に逃げられたとして、活力を持って生きていける
でしょうか。どうでしょうか。捕まえて復讐してどうなるのか。
道徳というのは心の在り方を重視する。
心の在り方を大切だと思う人はおそらく大多数を占めるでしょう。
心が活きて喜びにあふれ幸せであることが人生では
一番大切だからですね。
道徳は、それを無条件に守らせるために、人を殺しては
ならない。ということを言っているのだと思っています。もちろんそれだけでは
心を守ることはできませんけどね。
殺してはならない理由は、人間が、その生を、真に喜びに変える機会を、
幸せになれる機会を、一生奪ってしまう行為であるからだ。人は傷つきやすく、
脆い。そして人の情愛というのは見えないところで結びついているものです。
殺すことと言うのはそれを切断することです。

誰かが悲しめば悲しい顔を見て雰囲気が暗くなります。人は心が
つながっています。愚痴を言えば嫌な気分になります。悪口を言えば
周りが嫌がります。「人は鏡だ」という言葉ですね。どんなに自分が
正しい行いをしていると思い、私がそうするのは当然の行為であると
思っていたとしても、それらは結局、誰かを傷つける
連鎖反応の一部なのです。

人を殺してはいけない。を法政策上からいえば、秩序と
全体の社会不安からの解放です。
道徳上からいえば、どうしようもなく募り募る悲しみと憎しみの
連鎖の源泉を築かせないためである。
と私はそう思っています。
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殺人を許せば、自分が殺されてしまうリスクが高まるからでは?



人は感情に動かされやすい生き物ですから、『悲しむ人がいる』とか、心に訴えるような言葉を使って、自分の身を守ろうとしているのではないでしょうか。

もう本能で悟るしかないですね(笑"
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もともと生物は自分の種を生き残らせるために生きている。


「人殺し」は人間としてやるべき事であるはずがない。

しかし人間に害を及ぼす者は居ない方が良い。最善をつくすべきだ。

が、

「害」「最善」は後になって分かるもの

よって、「人殺し」はしない方が良い。
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 悲しむ人がいるカラ。

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この考えがあったから人間は増えた。


しかし他の生物であっても人間ほど殺し合いしていない(栄養のためオスをメスが食べる等例外もあるが)と思う。
理屈で考えるのが人間。
そんなこと考えてどうするの?
本でも出版して一儲けする?
余計なこと考えるより人生楽しむべき。
自分が死ぬまでの時間は刻一刻と近づいていますよ。
それとも殺されたいのですかねぇ?
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殺された人にかかわったことがある人が悲しむからです。



他人であっても、目の前に殺された人がいたらショックになるんです。

殺された人以上に その周りに影響を与えてしまうことを考えてみたらどうでしょう?
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「人を殺して」は「いけない」という「決まり」は実効性のあるものには成り得ないのではないか? つまり、現実的には機能していないのではないか?


世界中で殺人事件は起き続けているし、その究極の「戦争」もなくなる気配はない。むしろ21世紀に入ってから、「自爆テロ」は急増している。
「家族」や「仲間」を殺してはいけない、という考え方も部分的には破綻しているように感じる。長い介護生活の果に親族を殺す悲劇は後を絶たない。
「人を殺してはいけない」事を徹底しようとするのではなく、「本来、人は人を殺すことは出来ない」事を確認し、「人を殺さなくてはならない状況」が起こらない様にするために、何を為すべきかを考えたい。
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人を殺さないというのが人の持てる唯一の関係だから。

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「私を殺してはいけません」がタイプミスで「人を殺してはいけません」になったんじゃないかな。

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