【大喜利】【投稿~9/7】 ロボットの住む世界で流行ってる罰ゲームとは?

先日、私の母が死んだ年齢になりました。
私の母は49歳で癌で死にました。私もその49歳になりました。
今後、母が死んだ年齢(49歳)以上の年齢を49歳、50歳、51歳と歳を取りながら生きていくのが不思議です。
どんな気持ちで生きていくのが良いでしょうか?
母は死んだ49歳の頃、私達子どもを一生懸命育てて家計が苦しく「自分の好きな本を買うこともできない。」と言っていました。
それに比べて私は、同じ49歳で結婚もせず(できない)、子供も育てず、子供に金も掛からず、母に悪い気持ちがします。
どんな気持ちで生きて行けば良いでしょうか?
また、今後の人生を身寄りの無い状態で生きて行くのも とても寂しいです。
どんな気持ち心がけで 身寄りの無い孤独な人生を生きて行くのが良いでしょうか?
 49歳・男・未婚

質問者からの補足コメント

  • へこむわー

    私の他の質問を見てもらえば分かるように、この年齢から結婚は不可能だと考えられます。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/05/30 01:47
  • へこむわー

    私の他の質問を見てもらえば分かるように、この年齢から結婚は不可能だと考えられます。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/05/30 01:59

A 回答 (13件中1~10件)

rihasaiさんこんばんは。

昔活躍していた竹脇無我(タケワキ ムガ)さんという俳優さんは、お父さんがNHKのアナウンサーをしていたそうなのですが、そのお父さんが家で首つりをして亡くなった年齢になったとたんにうつ病になってしまわれたそうです。そのくらい身近な人の亡くなった年齢というのは深い思いを残すものなのですね。

ところで、rihasaiさんは、rihasaiさんの質問に寄せられた回答をすべて読まれましたか? 私はひとつひとつの回答に表れている重たい思いに深い感動を覚えながら読みました。そのくらい、みなそれぞれに似た思いをいだきながら生きているのですね。あなたの質問がなかったなら、それらの回答にも一生出会えなかったわけですから、あなたの質問に感謝です。

日本の社会は、『標準的』であることを、ことさらに求めます。別の質問者さんは、「一人っ子にプライドはありますか?」なんて尋ねておられました。そのくらい、結婚していれば、「子どもいないの?」子どもが一人いれば、「一人っ子はかわいそう」などなど際限なく言われます。

また、科学的にも、「友人がいない老人は、死亡率が高い」とか言われているようです。私は、一応結婚していて、娘も一人います。けれど、友人はほんとにいません。それであまり困っていないからです。最近では「私の友人は大自然です!」とかうそぶいています。長生きするために友だちを作ろうとは思いません。

まわりの価値観に振り回される必要はありません。ご自身の「シアワセ」を見つけてください。
きっぱり言います。結婚がシアワセを運んできてくれるわけではありません。
あなたの大切にしたいものとの人生を生きてください。
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この回答へのお礼

Thank you

ありがとうございます。
自分にふさわしい幸せを見つけようと思います。

お礼日時:2016/06/17 14:38

結婚する、長く生きる事が必ずしも幸せにつながる訳じゃないでしょう?


同じ瞬間を生きていても、貴方が感じる事が全てだから。身寄りが無かろうが有ろうが、苦しみながら死ぬ直前でも自分は楽しい人生だと思えば貴方の人生は誰よりも楽しい素晴らしい人生なんじゃないでしょうか?
貴方は半分お母さんから出来ています。貴方が楽しく生きる事が、お母さんも共に生きている事につながると、思いますよ。
少なくとも、父を最近亡くした自分はそう思う様にしています。
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この回答へのお礼

親切な御回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/06/17 14:38

60の引退しようかの整備士です。


今まで通り生きていけば良いと思います。
例えは違うかも知れませんが、横断歩道の振り向き様、目前で暴走車の信号無視で家内と、お腹の子供を奪われ、未だに独り身の愚かな輩も居るのです。
でも、彼女の事を思いながら、毎日を生きていますし、生かされています。
内心は、早く、彼女らの元へ行きたいですけれど。
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この回答へのお礼

>横断歩道の振り向き様、目前で暴走車の信号無視で家内と、お腹の子供を奪われ、未だに独り身の愚かな輩も居るのです。
質問者様の事ですか?
ありがとうございます。

お礼日時:2016/06/17 14:40

母方の祖母はバスに轢かれて他界。

75歳。
母は鬱病で入院した5日目に急性心不全で他界。75歳になる前日。
二人とも自殺の疑いありです。
母の件は私と私の夫と私の主治医(30歳からパニック障害)しか知りません。
祖母の件では、母が悩んで鬱状態になり、私にだけ相談していました。
「私(母)のせいかもしれない」と。
当時中学生だった私には、そんな母を慰める言葉が分かりませんでした。

私は70歳を超えるのが怖いですが、20代の頃に自殺だけはすまいと決めたので、寿命に任せたいと…母や祖母の死に方に関しての色んな思いを流すように生きて行きたいです。
いくら考えても、母からの答えは返ってこないような気がします。
母の自殺の疑いを知らない兄たちは、「お袋が夢に出てくるのを待ってるのにな~」と言っています。
私は夢にさえも出てきてほしくありません。
ただただ、自分が「ちゃんと生きた」と思ってから死にたいです。
信仰もこれといった神様も持ってはいませんが、自分基準で「ちゃんと生きたい」です。

私には夫はいますが実子はいません。
夫の娘を引き取って5年間面倒をみて、昨年、その娘は自立しました。
その娘と実母(夫の前妻)との関係も回復した様子なので、養子縁組はしないままだろうと思います。
夫が先立てば、私もあなたと同じなわけです。
年齢もほぼ一緒です。
子供の面倒をみたり子供のためにお金も使いましたが、私がそうしている間のあなたは、孤独と向き合っていたのだろうと思います。

孤独って、配偶者やパートナーがいても感じるものですよ。
私の母も祖母も、夫も子供もいました。
年上の夫を置いて先立ちました。
この世にも家族にも未練が無かったのだろうな…と、母の時には思いました。
キツイです。

母より6歳年上の父は、80歳を超えても実家で一人で暮らしています。
はっきりとは口に出しませんが「子供に迷惑をかけずに何でも自分でやってやる」という感じで、母が他界してから家電の使い方を私に「教えろ」と言い、布団周り以外は全て自分でこなすようになりました。
それでも、いつかは私たち子供の手が必要になるでしょう。
年老いて、体に不自由な面もあるにも関わらず、こんなに頑張っているのだから、その時が来たらできるだけのことはしようと思っています。

そんな私ですが、私は末っ子なので年齢順に逝けば孤独死も十分にあり得えます。
いえ、なんとなく、孤独死しそうな予感があります。
母が私の反対を押し切って入院した時に、「もう帰って来ないかも」とふと思ったのと似たような感覚です。

私、入院病棟でバイトをしたことがあります。
本当に身寄りのない方もいましたが、どうにも切なかったのが、近くに子供たちがいるのに、滅多に見舞いにも来ず、当の患者さんが「今日も来てくれないのかな…」と口にする時でした。
ベテラン看護師さんは「元気になって家に帰ればまた家族と暮らせるじゃない」と励まし続けていましたが、私は内心、そんな家族の元に帰っても辛いだけじゃないのかな…と思ったものです。

何はともあれ、自分らしく生き抜くことさえできれば、それでいいじゃないですか?
孤独であることは、卑下する対象ではありません。
どうせ一人だからと、全てにおいてだらしない暮らをし始めたら、そんな自分を卑下すべきでしょう。
そういう暮らしをせず、孤独も受け入れられるのが私の理想です。(難しいでしょうが)
そして、孤独死した場合に他人にかける迷惑を最小限に留めるために、持ち物くらいは減らしておこうと思っています。
現時点では、自筆の遺言書だけを書いてあります。
遺せる資産なんて無くなっているかもしれないけど、私の甥や姪や継子では、夫の実家の墓地の場所も分からないでしょうからね。
…遺言書って、書いてみると結構スッキリしますよ。おススメです。
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この回答へのお礼

お話し、為になりました。
とても親切な御回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/06/17 14:43

人間は(人間だけじゃありませんけど)、最後の時は一人です。


家族が居たとしても、一人で死ぬのです。
私はあるとき病気になりました。
全身が全く動かない状態だったので、医師は私に意識はないと判断していたようでした。
ところが私自身には発症からずっと意識があり、喋ることも手を動かすことも脚を動かすことも、いわゆる身体的な動作は何も出来ませんでしたが、考えることは出来ましたし、耳も聞こえていました。
或る日医師がICUのベッドの私のすぐ横で、私の奥さんに言いました。
「今夜が山です。電話したらどのくらいで病院まで来ることが出来ますか?」。
私はそれを聞いて、「やっと死ねるかあ」と、ほっとしました。
全身に耐えがたい痛みがあるのに、それを誰かに訴える手段もなく、永遠に続きそうなその痛みにただひたすら耐えていた私にとって、死は救いだったのです。
私の奥さんはその時「例え植物状態でも構わないから生きていて欲しい」と思っていたそうです。
多分家族はそう思うんだろうなと言うのは私もわかりますが、けれど実際にそうした場面に直面したとき、本人は家族や奥さんの哀しみ等々、案外そんな事は考えないものです。
自分が今味わっている痛みから逃れたいという、それで精一杯です。
家族がどうであるかとか、子供がどうであるかなどを考えるのは、まだまだ精神的に余裕を持てているからでしょう。

いずれにしても、死ぬときは皆一人で死ぬわけです。
そうしてそれ以前の話として、どんなに多くの家族や友人に囲まれて生きていたとしても、あなたはあなたであり、あなたを理解できるのはあなただけでしょう。
孤独なのです。
生きているということは意外なほど空しいものだと思います。
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別に・・・


私も父親の死んだ年を超えて生きていますが 何の感想もありません。死ぬまでは、余計なことを考えず 淡々と生きているでしょう。
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今までとなにも変わりませんよ。

変わることを望まないならね。
今までと同じように生きて行けば良いです。
49が50になろうと大した変わりはないですから。
ただ淡々と生きて行くだけです。
雨ニモマケズ風ニモマケズ…の宮沢賢治の詩のようにね。
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私は母親が発症した歳より15歳も若く乳がんになったんですよ。


その時に初めて自分も死ぬのかと焦りましたね。
でも死を意識する前より充実した日々を過ごすうちに、無事10年目を迎え寛解を果たしました。
気の持ちようですよ。
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お母さんの年齢を追い越しました。


僕は真面目に仕事や毎日の生活を頑張っています。安心してくださいね。

一つお願いを聞いてもらえるなら 素敵な女性と出会い、幸せな家庭を築いてみたいです。
それが叶わないなら 皆と仲良く元気に過ごせるように見守ってください。
いつもありがとう。

心の中でそう思って過ごしましょう。
そして 素敵な女性と出会えるよう 出会いの場を求め自分磨きしましょう。
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当然、結婚して幸せな家庭を持つことでっしょ。

ほかにありますか、
この回答への補足あり
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