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宗教上の理由から、生き物の殺生をしないようにしています。

狭いケージで飼われている鶏は、
ストレスも多く、衛生面も悪いことから、
放し飼いの鶏よりも様々な病気にかかりやすく、
ぱたっと死んでしまうことも多いと聞きます。
生まれた時から、
自分の体しか入らない、卵が転がるように傾いたケージの中で
むりやり卵を産まされ続けるのですから、無理はないです。

また卵を産む役割を終えたらあっけなくされ、
お肉になってしまいます。

そんな鶏さんがかわいそうなので、
卵やお肉を食べていないのですが、
もし
鶏さんにやさしい
「放し飼い」で「しない」養鶏場(養卵場)があるのなら、
そこで排卵された無精卵をいただくのは教義に反しないと思い、
質問させていただきました。

ネット通販などで購入できればよいのですが・・・
ご存知の方いらっしゃればおしえてください。

なければあきらめて今まで通り卵を食べません。

A 回答 (4件)

野菜は、人間が勝手に畑に植えて、動けないのをいい事にバッサリと切り取ってるんじゃないか。

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この回答へのお礼

その疑問に自分でも考えあぐねていたところなのです。
私はお釈迦様の教えを信じています。ただ、まだ勉強の最中なのですが。
仏教でいう、「生きとし生けるものを大切に・・・」には植物も含まれます。
ですが不殺生戒には植物は含まれないようで、どういう理屈なのか、と。
お坊さん達がこの疑問に答えるサイトがありましたが、
お坊さんにもそれぞれいろいろな考え方があるようですね。
まぁなんにせよ生き物を慈しむ気持ちそのものが教義の細かいことより大事なのでしょう。
引き続き勉強していきたいと思います。

ご指摘いただきまして、大変ありがたいです。

お礼日時:2016/07/01 17:25

無精卵にする時点で、命をもぎ取ってまっせ。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

無精卵にする時点で、命をもぎ取っているとは、どういうことでしょうか?
浅学なもので・・・

お礼日時:2016/07/01 17:28

> 宗教上の理由から、生き物の殺生をしないよう


#1さんも書いていらっしゃいますが、動物だけに命があるわけではありません。植物だって命があるから成長する。
世の中すべからく、他の種(時には同種)の命を頂くことで自分の命を繋いでいます。
だから食事の前に「頂きます」と言うのです。
これは食事を作ってくれた人だけではなく、すべての食材の命を頂いているという感謝の言葉でもあるのです。
その宗教観は間違いだと思います。
   
それは置いといて
> 「放し飼い」で「しない」養鶏場(養卵場)
これは現実的に無理でしょう。
「しない」ならば死んでしまった鶏の処理に困ります。
死んでしまった鶏は肉には出来ません。つまり廃棄するしかないのです。
それも産業廃棄物として処理しなければなりません、費用が掛かります。
つまり廃鶏として食肉業者に売却できる物をそのまま死ぬまでまち、死んだら産業廃棄物として費用を掛けて処理しなければならないのです。
   
あなたの書いている事はきれい事なのです。
あなたの希望を叶えるためには、卵1個の値段が倍以上になるでしょう。
それを買ってくれる客などいません。つまり経営が成り立たないのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

と殺しない養鶏場があるのかだけ聞こうと思ったら、
こんなにもすぐに反響・反論があるのだなぁと
驚きとともに、自分がいかに無知なのかを知るよい機会になりました。
ありがとうございます。

私は仏教の不殺生戒のことを「宗教上の理由」と言ったのですが
この戒を守っていない状態というのが
「自分が殺さないこと」「命令して殺させないこと」だそうです。
この場合、と殺されたお肉やその食品を食すことは両方ともに違反していないので
不殺生戒を守れていることになるそうです。
お釈迦さまも托鉢でいただいたものは肉であれ野菜であれ食べていたようですし、
宴の席で出された肉に関しても食べることはあったようです。

なので「宗教上の理由で」と言ってしまったのは間違いでした。すみません。

ただ私は、どうしても肉を食すことが家畜の死や苦しみににかなり関係ある気がして気が引けているです。
インコが好きな自分が、ファミチキ食いてえ、とおやつ代わりに鳥の命を奪っている。
イライラを紛らわすためにステーキを食べる。それが当たり前の世の中。その陰で死んでいく動物たち。
それに気づいたときに、とても、命を頂いているという言葉や軽薄な信心深さだけでは、
この問題は語れないなと思ったのです。
「じゃあ植物だったら殺してもいいのか?」という疑問にも悩まされます。
食べるものがなければ自分を殺してしまいます。
今自分は玄米菜食で「少欲知足」を目指しているのですが、だったらいいんかい?
という話になってしまいます。

考えるほどに些細な部分はどうでもよい気もしてきます。
自分で問答して、慈しみの心をまず第一に育むことこそが、まず大事なのでしょうね。

廃鶏の話は、全くもって自分の無知・愚かさの至るところ痛感させられました。
現実も知らずに絵空事を並べていた自分を恥ずかしく思います。
教えていただきまして、本当にありがとうございます。

お礼日時:2016/07/01 18:16

たいへんですねえ。

わかるところだけ簡潔に書きますね。

>狭いケージで飼われている鶏は、ストレスも多く、衛生面も悪いことから、放し飼いの鶏よりも様々な病気にかかりやすく、ぱたっと死んでしまうことも多いと聞きます。
 ⇒まあ正しくはないですね。過密肥育するからこそ衛生管理は徹底されます。パタッと死なれたら大損害。逆に放し飼いだと野鳥や野生の獣の影響も受けやすくなりますし、清掃も徹底できず、不衛生であることが多いです。死亡率はこっちのほうが高いんじゃないかな。

>自分の体しか入らない、卵が転がるように傾いたケージの中でむりやり卵を産まされ続けるのですから、無理はないです。
 ⇒いやそこまでは狭くないけれど…。で、採卵用の品種の鶏は何もしなくても年間250個以上産卵します。養鶏場の鶏もほぼ同じ。無理やり産卵数を増やすようなことはしませんし、できません。

>また卵を産む役割を終えたらあっけなくされ、お肉になってしまいます。
 ⇒今はって文字は使わないんですけどね。と畜っていいます。廃鶏(嫌な言葉ですね)はナゲットの原料などに使われます。

>「放し飼い」で「しない」養鶏場(養卵場)があるのなら、
 ⇒ないと思います。鶏は一定期間肥育しますと産卵効率が低下しますので、そのまま飼い続けると飼料が無駄になってゆくだけです。そもそも養鶏場は産業として鶏を買っており、そこで飼われている鶏は経済動物です。卵を産まなくなった鶏に餌をやり続けては事業がたちゆきません。それでなくても養鶏業って利益率が低いんですから。
 そういうわけで、悲しいですが「やさしい」養鶏業(場)は存在しないんじゃないかと思います。あるとしたら個人でボランティアとして鶏を飼っている方くらいじゃないですかね。ただし、個人でボランティアとして飼っている方でも最後は食べるんじゃないかな。昔、実家の隣で鶏を飼ってましたが、最終的には鍋にしてましたし。

 残念ながら、あなたのお信じの教義にかなう養鶏業は存在しないと思います。
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この回答へのお礼

#3の方に続きまして、私の知らない現実について教えていただきまして、本当にありがたいです。

私はいわゆるノンミートイーターなのですが、
と殺の動画をみたり、熱心なノンミートイーターの方々の触れ回る情報やバイアスに影響されることで、
かなり現実をみる目が曇っていたように思います。
そんなに気になるのなら、自分の目でいろんな養鶏場を見に行って現実を知ることが大事なのだと思い知らされました。
衛生面のことや産卵数のことなど、知ったかぶってちゃ仏教も何もないですね。

でもやはり鳥さんには広いところで駆け回ってほしいので放し飼いには大賛成なのですが、
やさしい(殺さない)養鶏場はないとのことなので、卵はあきらめます。

ん、というのも違うか?

とりあえず少欲知足を実践する中で、製品として出回っている卵に関しては少しは頂いてもよいのかな?

そのあたり検討してもよいのではないかと思いました。
それかなんなら自分で鶏を放し飼いにして卵を頂きながら、死ぬまで大切に育てるか。ですね。

私個人の思いや疑問に付き合っていただきまして、皆様ありがとうございました。
#3#4さん、大変迷いましたが、#4さんにBAを贈らせていただきます!

お礼日時:2016/07/01 18:42

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